松崎伸吾

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松崎 伸吾
ミキハウスベースボールクラブ #17
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基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福島県相馬市
生年月日 (1983-09-17) 1983年9月17日(34歳)
身長
体重
180 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 大学生・社会人ドラフト1巡目
初出場 2006年3月26日
最終出場 2011年10月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

松崎 伸吾(まつざき しんご、1983年9月17日 - )は、福島県相馬市出身の元プロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学時代に兄の影響で少年野球チームに入る。中学時代は軟式野球部でプレーし、本格的に投手を始める。青森の光星学院高等学校に進学後、2年夏まで打撃投手を務めながらレギュラーを獲得すると、第83回全国高等学校野球選手権大会では投手兼右翼手として4番を打ち、ベスト8まで進出。

卒業後は東北福祉大学に進学し、1年秋からベンチ入り。後に巨人に入団した福田聡志と共に2004年の全日本大学野球選手権大会優勝に貢献した。2005年は第34回日米大学野球選手権大会の全日本大学選抜メンバーに選出された。同年秋にはベストナインを獲得したほか、防御率0.48でリーグ最優秀防御率を獲得する。大学通算20勝1敗。

2005年の大学生・社会人ドラフト会議楽天から1巡目で指名を受け、入団。同ドラフト7巡目指名の井野卓は、松崎の大学の同級生でバッテリーを組んでいた同僚であった。

楽天時代[編集]

球団創設2年目の苦しい投手事情の中で即戦力として期待された2006年は開幕一軍入りし、3月26日の対日本ハム戦(札幌ドーム)に中継ぎで初登板を果たした。その後は先発ローテーションにも入ったが、四球を連発したり打ち込まれる試合がほとんどで、先発登板した8試合で全敗し松崎は前年同僚の一場靖弘が作ったパ・リーグ記録を上回る新人開幕8連敗を喫した。イースタン・リーグでは防御率2.55と好成績を収め、フレッシュオールスターゲームと同じく優秀選手賞を受賞した。

2007年も開幕一軍入りし先発とリリーフで併用されるが、未勝利のまま4月15日の日本ハム戦で3敗目を喫し、1950年成田啓二が作ったプロ入り未勝利11連敗の記録に57年ぶりに並んだ。5月18日の対ロッテ戦でリリーフで登板し2回2/3を無失点に抑えてプロ入り初勝利を挙げ未勝利連敗記録の更新は免れたが、6月に先発した3試合ではいずれも敗戦投手となり、この年も1勝6敗と期待にこたえることは出来なかった。オフにはハワイ・ウィンターリーグに派遣され、先発としてリーグ最多奪三振を記録した。

2008年は故障もあって二軍でも防御率6点台の成績に終わり、プロ入り後初めて一軍登板がなかった。2009年は6月に一軍昇格し2試合にリリーフで登板したが、6月27日のオリックス戦でグレッグ・ラロッカに本塁打を打たれると二軍に降格し、その後は昇格がなかった。

2010年は二軍で6勝1敗、防御率1.23と好調で6月末に一軍昇格。7月7日のロッテ戦でリリーフ登板し2勝目を挙げると7月はそれなりの投球を見せた。一度抹消されて9月1日に再昇格し、9月は先発2試合を含む5試合に登板したが、5試合全てで自責点2以上を喫しまたしても結果を残すことが出来なかった。

2011年は二軍でも防御率4点台の数字で一軍登板はシーズン終盤の3試合にとどまり、秋季キャンプではフォームをサイドスローに変更した。シーズンオフの12月8日に上園啓史との交換トレードで阪神タイガースへ移籍[1][2]

阪神時代[編集]

2012年は左のワンポイントとして期待されたが、筒井和也加藤康介との競争に敗れて一軍登板なしに終わり、10月2日に戦力外通告を受けた[3]。11月に行われた12球団合同トライアウトも受験したが、どこの球団からも声はかからなかった。

社会人時代[編集]

1年のブランクの後、2014年からは社会人野球クラブチームであるミキハウスREDSに入団してプレーを続けている。

選手としての特徴[編集]

フォームはスリークォーター[4]。多くの球種を操る[4]

人物・エピソード[編集]

井野と東北福祉大のバッテリーが揃って入団したが、これは1990年の吉田太矢野燿大以来であった。

2005年の明治神宮野球大会代表決定戦では同期入団の青山浩二(八戸大学)と投げ合い、延長10回の末に6-5で勝利した。

光星学院高の3年時は投手で4番だったが、背番号は9だった。エースナンバーを着け、春の青森県大会まで松崎と交互に先発していた投手が死球を受けて離脱したため、以降は夏の県予選決勝まで松崎が単独で投げきった。松崎は投手志望で入部したという。なお、同校は第82回全国高等学校野球選手権大会にも出場したが、松崎はベンチ入りしていなかった。当時は根市寛貴(のちに楽天でチームメイト)・斎藤広大早稲田大学へ進学)という二枚看板がいたため、松崎はレギュラーになれなかった。

2006年に行われた楽天のゴルフコンペに参加したが、スコアは240と散々な成績だった。福盛和男のブログでは「ドライバーでもアイアンでも飛距離が同じで、松崎が使って最も飛ばせたものがパターだった」とのこと。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2006 楽天 10 8 0 0 0 0 8 0 0 .000 165 31.2 45 6 21 0 2 21 0 2 40 27 7.67 2.08
2007 19 5 0 0 0 1 6 0 0 .143 200 45.0 49 8 19 1 2 26 3 1 28 25 5.00 1.51
2009 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 7 1.1 2 1 1 0 0 3 0 0 1 1 6.75 2.25
2010 9 3 0 0 0 1 2 0 0 .333 128 24.0 37 4 13 0 2 16 0 0 27 19 7.13 2.08
2011 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 20 5.1 4 0 1 0 0 3 0 0 0 0 0.00 0.94
通算:5年 43 16 0 0 0 2 16 0 0 .111 520 107.1 137 19 55 1 6 69 3 3 96 72 6.04 1.79

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 47 (2006年 - 2011年)
  • 65 (2012年)

登場曲[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 交換トレードに関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年12月8日). 2011年12月8日閲覧。
  2. ^ トレードの成立について”. 阪神タイガース (2011年12月8日). 2011年12月8日閲覧。
  3. ^ 来季の選手契約について”. 阪神タイガース公式サイト (2012年10月2日). 2012年10月2日閲覧。
  4. ^ a b 『野球小僧 世界野球選手名鑑2006』 白夜書房、2006年、29頁。ISBN 4-86191-134-6

関連項目[編集]

外部リンク[編集]