内藤雄太

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内藤 雄太
YB-Yuta-Naito.jpg
2009年4月30日、阪神甲子園球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横須賀市
生年月日 (1983-11-29) 1983年11月29日(35歳)
身長
体重
182 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手一塁手三塁手
プロ入り 2005年 大学生・社会人ドラフト3巡目
初出場 2006年6月8日
最終出場 2012年8月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

内藤 雄太(ないとう ゆうた、1983年11月29日 - )は、神奈川県横須賀市出身の元プロ野球選手外野手)。現役時代は横浜DeNAベイスターズに所属していた。

来歴・人物[編集]

プロ入り前[編集]

1983年横須賀市で生まれ、小学生時代は横浜スタジアムに通いつめた。ある日の試合前、内藤に「今日打ってくるからな」と声をかけてきた佐伯貴弘が逆転3ラン本塁打を放って以来、ベイスターズと佐伯のファンになったというエピソードがある[1][2]横浜商工高等学校では身長が180cmを超えて主軸を任されていたが、2年秋の時点で体重が65kgと体型が細かったため、屈伸運動や毎日500本以上の素振りに取り組み、3年夏には体重を72kgまで増やした[3]。同年の神奈川県大会では桐光学園にベスト16で敗れたものの5試合で3本塁打を放つなど、高校通算では23本塁打を記録した。

高校卒業後は八戸大学に進学[4]。大学では1年春からレギュラーとなり、2年秋から3季連続で北東北大学リーグの首位打者となる[5]。特に四番を務めた[6]3年の春と秋にはリーグ三冠王に輝き[5]、秋はMVPにも選出された。また、2004年全日本大学選手権では1学年上の三木均を擁して八戸大はベスト4まで進んでいる。2005年日米大学野球選手権大会では武内晋一とともにクリーンナップを任され、大会タイ記録の打率.563で首位打者を獲得した[5]。また守備でも見せ場を作り、プロのスカウトから高い評価を受けた[5]。大学通算27本塁打[7]を記録。同年の大学・社会人ドラフト横浜ベイスターズに3巡目指名を受け、契約金年俸それぞれ8,000万円、1,400万円(いずれも推定)で入団した[8]

プロ入り後[編集]

プロ1年目の2006年6月9日オリックス・バファローズ戦でプロ初安打を記録するも、2007年2008年と一軍出場は無かった。ファームでは2007年は打率.216に終わるも、2008年は主に中軸を任され、打率.261、10本塁打、44打点の成績を残す。

2009年、オープン戦から好調を維持して開幕一軍入りを果たし、三年ぶりに一軍の試合に出場する。開幕6試合目では5番・一塁手スタメン起用される。同じ左打者であった打撃コーチの駒田徳広に重点的に指導され[9]新人王有資格者で最多の5本塁打を放つなど、ブレイクの一年となった。主に左の代打の切り札として69試合に出場。三塁手13試合、中堅手10試合、一塁手9試合、左翼手3試合、右翼手1試合で起用されていずれも無失策と、どの守備位置も無難にこなした。2010年も開幕一軍入りを果たしたが、打率1割台と結果を残せなかった。

2011年、開幕戦の4月12日の対中日ドラゴンズ戦で、4対4で迎えた9回裏1アウト一・三塁の場面で代打で出場し、浅尾拓也からサヨナラ安打を放ち、チームは8年振りの開幕戦に勝利した。ヒーローインタビューでは涙を見せ「本当に、言葉が出ないぐらいうれしいです」、「今までなかなか結果が出なかったけど、一生懸命やってきて良かった」と喜びをかみしめた。その後も二軍落ちすることなくシーズンを一軍で過ごし、自己最多の試合出場を記録した。また守備では、外野、一塁、三塁に加え二塁も守り、練習ではキャッチャーの練習もするなど、マルチプレイヤーぶりを見せた。

2012年には、一軍で8試合に出場。2013年には、一軍での出場機会がなく、シーズン終了後の秋季キャンプで中畑清監督に高く評価されながら10月29日に球団から戦力外を通告された[10]。しかし、内藤を2014年の戦力構想に入れていた中畑への事前説明を欠いたままフロントが戦力外を通告したため、中畑は通告後に高田繁ゼネラルマネジャーと会談。これに対して、高田は「(内藤のプレーを前年から)ずっと見ていたファームのコーチの方が(内藤の力を)判断できる」という理由で、通告を撤回しなかった[11]。結局、内藤は通告後に第1回12球団合同トライアウトへ参加したものの、「気持ちに踏ん切りが付いた。世間を勉強して家族のために頑張りたい」として11月20日に現役引退を表明。引退記者会見では、戦力外通告をめぐる前述の経緯から、「『まだできるのでは』という期待もあったし、現場が知らないでクビになるのは残念。自分のような選手はこれから出て欲しくない」と訴えた[12]

引退後[編集]

2014年1月からスポーツ用品専門店で販売アドバイザーを務めている[13]。今後は「スポーツオーソリティ」の上大岡店など県内3店舗で働きながら、会社が企画する野球教室などで普及活動にも携わる。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2006 横浜
DeNA
2 4 4 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .250 .250 .250 .500
2009 69 95 87 11 22 5 1 5 44 14 1 0 1 0 7 0 0 22 1 .253 .309 .506 .814
2010 32 35 32 0 4 0 0 0 4 2 0 0 2 0 1 0 0 12 2 .125 .152 .125 .277
2011 99 198 184 18 41 8 0 1 52 20 0 0 0 3 11 1 0 58 2 .223 .263 .283 .546
2012 8 7 6 0 1 0 1 0 3 3 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .167 .286 .500 .786
通算:5年 210 339 313 29 69 13 2 6 104 39 1 0 3 3 20 1 0 94 5 .220 .265 .332 .597
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更

年度別守備成績[編集]


一塁 二塁 三塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2006 - - - 1 1 0 0 0 1.000
2009 9 32 2 0 1 1.000 - 13 6 4 0 0 1.000 14 6 0 0 0 1.000
2010 - - - 17 15 0 0 0 1.000
2011 13 46 4 1 5 .980 2 3 1 1 1 .800 - 49 57 1 0 0 1.000
2012 - - 1 0 0 0 0 .000 -
通算 22 78 6 1 6 .988 2 3 1 1 1 .800 14 6 4 0 0 1.000 81 79 1 0 0 1.000

記録[編集]

背番号[編集]

  • 39 (2006年 - 2013年)

脚注[編集]

  1. ^ 読売新聞、2005年11月19日付朝刊、青森地方面
  2. ^ 月刊ベイスターズ、2009年7月号
  3. ^ 読売新聞、2001年7月26日付朝刊、神奈川地方面
  4. ^ 同期には青山浩二がいる。
  5. ^ a b c d 読売新聞、2005年7月16日付夕刊、P.2
  6. ^ 読売新聞、2004年6月1日付朝刊、青森地方面
  7. ^ 学院キャンパスだより 2006年6月12日
  8. ^ 読売新聞、2005年12月5日付朝刊、P.21
  9. ^ その縁もあり、2009年から内藤の球場での応援歌は、駒田の現役時代の応援歌が使われるようになった。
  10. ^ 2014年度選手契約についてDeNA球団公式サイト2013年10月29日配信
  11. ^ 内藤戦力外覆らず 未通知だった中畑監督は複雑スポーツニッポン2013年11月1日配信
  12. ^ ドタバタ戦力外の内藤が引退決意「踏ん切りついた」スポーツニッポン2013年11月20日配信
  13. ^ 元横浜DeNAベイスターズの選手で、スポーツオーソリティ港北ニュータウン店で働く 内藤 雄太さん タウンニュース都筑区版 2015年4月29日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]