狩野恵輔

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狩野 恵輔
HT-Keisuke-Kano-1.jpg
2008年6月25日、阪神鳴尾浜球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 群馬県渋川市
生年月日 (1982-12-17) 1982年12月17日(35歳)
身長
体重
181 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手外野手
プロ入り 2000年 ドラフト3位
初出場 2004年9月22日
最終出場 2017年9月3日
年俸 2,800万円(2017年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

狩野 恵輔(かのう けいすけ、1982年12月17日 - )は、阪神タイガースに所属していた群馬県渋川市出身の元プロ野球選手捕手外野手)。野球解説者野球評論家

阪神には、2001年の入団から一貫して所属。現役最後のシーズンである2017年には、選手会長を務めている[2]

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

中学校では投手だったが、2年秋に主将となると同時に捕手に転向した[3]

前橋工業高校への進学後は、3年夏の選手権群馬大会で4本塁打を放って大会新記録を達成。決勝で一場靖弘を擁する桐生第一高校と対戦したものの、チームが敗戦を喫したばかりか、自身も最後の打者になった。ちなみに在学中には、捕手にしては高い打撃センスと大人びた風貌から、右打者ながら「上州の掛布」と呼ばれていた。

2000年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから3位で指名。契約金5,000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は63

プロ入り後[編集]

パンチ力を秘めた打撃や、捕手にしては速い足などを生かすために、二軍では2002年の時点で外野手にも挑戦していた。しかし、翌2003年から捕手に専念すると、2004年シーズンの終盤に一軍初出場。2004年12月に結婚した。

2006年にはウエスタン・リーグ打率.348を記録。規定打席不足ながら、不足分の打席を全て凡退として計算してもリーグ最高打率なら首位打者に認定される規定により、チームでは1986年吉川弘幸1990年91年亀山努以来3人目となる首位打者を獲得した。同年オフの第2子誕生を契機に「これ以上二軍でくすぶって家族に迷惑をかけられない」と一念発起。金本知憲が通う広島のジムで金本と共にトレーニングを積み、正捕手である矢野輝弘の自主トレにも参加した。背番号も、「もう後がない」という意味で、NPB支配下登録選手が着用できる番号では最も大きい99に変更している。

2007年浅井良野口寿浩を押しのけて初の開幕一軍を勝ち取り、4月20日の対読売ジャイアンツ戦で延長12回に代打出場し、プロ初安打・初打点となるサヨナラ安打を豊田清から放った。西武では抑えとしてリーグ優勝と日本一に貢献した実績のある豊田から1軍での出番をほとんど得られなかった選手の一打だったこともあり、翌日のスポーツ新聞では大きく取り上げられた。翌日にはスタメン出場し、プロ初本塁打を記録。同年の阪神は右打者の不振が深刻で、本塁打は開幕から10試合目に投手のライアン・ボーグルソンから出たものが最初で、右打ちの野手が放ったものとしては19試合目の狩野のこの本塁打が初だった。こうしたチーム事情に加え、狩野自身も初安打の後1か月近く打撃好調でしばらくは代打の切り札的な存在になり、打撃不振だった正捕手の矢野に代わってスタメン出場も多かった。その後は相手の研究もあってジリジリと打率を下げたが、主に代打や代走要員としてほぼシーズン通して一軍に帯同した。

2008年は前年結果を出したこともあり次期正捕手として期待されていたが、3月に右ひじの手術を受けた影響で出遅れ一軍出場は12試合に留まった。

2009年は矢野が右ひじの故障で開幕に間に合わなかったこともあり、初めて開幕スタメン出場をした。その後も実質的に正捕手として投手陣をリードし、打撃でも勝負強さを発揮した。矢野が復帰した後も安藤優也下柳剛以外の先発投手登板した試合で捕手を務め、自己最多の127試合に出場し、二桁盗塁、リーグトップの敬遠数を記録した。ちなみに阪神生え抜きの捕手としては、1992年山田勝彦の114試合、1988年木戸克彦の121試合を超える出場数を記録した(しかし両者は130試合制での記録である)。同年オフに城島健司が加入したことから、出場機会を増やすため外野手へのコンバート話も一時持ち上がった[4]が、結局この時は捕手を続けることが決まった[5]

2010年は一軍で開幕を迎えたものの、城島が正捕手となったために当初は出場機会に恵まれなかったが、前年の正捕手として、新加入の城島に投手陣の情報を伝えることもあった。やがて打撃と走力を買った首脳陣の判断で4月8日に調整のため二軍降格。ウエスタン・リーグの試合で実戦感覚を養いつつ、外野の守備にも就いた。連続フルイニング出場を続けていた金本が故障でスタメンを外れるようになったこともあり、4月20日に一軍再昇格すると同日の対広島東洋カープ戦で左翼手として先発出場し、シーズン初本塁打を放った。その後はなかなか出場機会を得られずに32試合の出場に終わったが、うち外野手としての出場が19試合で、捕手としての出場は1試合に留まった。10月10日のフェニックスリーグ・対横浜ベイスターズ戦で腰を痛め、翌月に椎間板ヘルニア除去手術を受けた[6]

2011年には、登録ポジションを外野手登録に変更したが、狩野自身は捕手と両立することを希望。春季キャンプ前の自主トレーニングでは、ブルペンに入って投手陣の投球を受けることもあった[7]。前述した手術から間もないことから、春季キャンプを二軍で過ごしたが、オープン戦から一軍に昇格。しかし、昇格直後にヘルニアが再発した[8]ため、オープン戦からシーズンの終盤まで二軍での調整を余儀なくされた。8月26日にシーズン初の出場選手登録を果たすと、当日の対東京ヤクルトスワローズ戦(甲子園)に「7番・左翼手」としてスタメンで出場。5回裏の打席で村中恭兵からの2点適時打によって一軍公式戦でのシーズン初安打・初打点を記録すると、チームも勝利したことから、試合後にはヒーローインタビューを受けた。しかし、以降は一軍公式戦9試合に出場しただけでシーズンを終えた。

2012年には、前年に再発したヘルニアによって腰の状態が芳しくなく、一軍公式戦には7試合の出場にとどまった。8月31日の広島戦で本塁打を放った[9]ものの、シーズン終了後の11月13日には、翌年から育成選手契約を結ぶことや、、背番号を120に変更することが球団から発表された[10]

2013年には、7月23日に支配下登録選手へ復帰したことを機に、背番号を前年まで付けていた99へ再び変更。8月29日に復帰後初の出場選手登録を果たしたが、一軍公式戦では6試合の出場で10打数2安打(0本塁打)の成績を残すにとどまった。

2014年には、開幕から二軍生活を送っていた。しかし、腰痛で戦線を離脱した新井良太に代わって、8月29日にシーズン初の一軍昇格。当日の対ヤクルト戦でスタメンに起用されると、一軍では自身2年振りの本塁打を赤川克紀から放つなど、3安打4打点を挙げた[11]。9月22日に出場選手登録を抹消されたが、福岡ソフトバンクホークスと対戦した日本シリーズでは、腰を痛めた新井貴浩に代わって急遽ベンチ入り。10月26日の第2戦(福岡ヤフオクドーム)6回表2死に代打で出場すると、ソフトバンク先発・武田翔太から球団史上初の日本シリーズ代打初打席初安打を記録した(詳細後述[12]。また、同月21日には、「日本プロ野球80周年記念試合」の「阪神・巨人連合チーム」のメンバーに選出[13]。11月11日に阪神甲子園球場で開かれた試合では、6回裏に1番打者・亀井義行巨人)の代打で出場すると、二塁打を含む3打数1安打1打点を記録した[14]

2015年には、開幕直後の4月4日に一軍へ昇格すると、主に対左投手用の代打として活躍。「代打の神様」と称される関本賢太郎が戦線を離れていたシーズン中盤には、「『代打の神様』の代役」[15]と呼ばれるほど、勝負どころの代打要員として重用された[16]。6月7日の対北海道日本ハムファイターズ戦と同月20日の対ヤクルト戦(いずれも甲子園)では、代打で適時打を放った末に、チームが勝利したことからヒーローインタビューを受けている。また、レギュラー右翼手の福留孝介が休養でスタメンを外れる場合には、外野手や3番打者としてスタメンに起用[17]。代打からそのまま外野の守備に就くこともあった。しかし、代打からの出場でセンターの守備に就いていた9月10日の対巨人戦で、9回裏の第3打席に澤村拓一から右手に死球を受けた[18]。さらに、試合後のレントゲン検査で、右手第5中手骨の骨折が判明。全治までに1ヶ月以上を要することが見込まれたため、翌11日に出場選手登録を抹消された[19]。このため、一軍がレギュラーシーズン3位で迎えたポストシーズンでの出場機会はなかった。しかし、レギュラーシーズンでは、一軍公式戦66試合に出場。打率.274、3本塁打、13打点と活躍したことから、11月25日には推定年俸2,300万円(1,400万円増)で契約を更改した[20]

2016年には、公式戦の開幕から、シーズン最終盤の9月30日まで一軍に帯同した。一軍公式戦では、勝負どころでの代打起用を中心に、前年と同じく66試合へ出場。打率.241ながら、前年と同じ3本塁打、前年を上回る17打点を記録した。8月9日の対広島戦(マツダ)では、チーム全体で苦手にしている左腕投手クリス・ジョンソンの先発が予告されたことを受けて、「3番・左翼手」としてスタメンに起用。適時打1本を含む3安打を放ったことで、2014年8月29日の対ヤクルト戦(甲子園)以来2年振りの猛打賞を達成した[21]。また、本塁打については、3本中2本を代打で記録。シーズンの終了後には、上本博紀の後を受けて、阪神の選手会長に就任した[2]

2017年は、春季キャンプから二軍で過ごしたが、真弓明信が阪神選手時代の1994年に達成した代打としてのセントラル・リーグ記録(一軍公式戦でのシーズン通算30打点)の更新を目標に、オープン戦の終盤から一軍に合流。一軍の公式戦では、開幕から2試合で代打に起用されたものの、安打を放てないまま4月5日に出場選手登録を抹消された。抹消後は、戦力の若返りを図るチーム方針の下で、「7月までに一軍へ戻れなければ現役を引退する」と決意。実際には8月29日に再び登録されると、一軍公式戦3試合に代打で起用されたが、いずれも無安打に終わった。9月4日に再び登録を抹消。9月16日には、このシーズン限りで現役を引退することなどが報じられた[22]。9月18日に、引退を正式に発表。同日に臨んだ引退会見では、「シーズン前から引退を覚悟していたが、自分の実力がかなり落ちてきたことをシーズン中に感じたので、引退を決めてからは思い切って野球に臨めている」「甲子園は世界一の球場。阪神で17年間にわたって、自分ほど愛された選手はいないと思う。ファンに支えられながら、17年間(阪神でプレー)できたのは誇り」と涙ながらに語った[23][24]

阪神球団では、狩野の引退表明を受けて、2017年9月27日のウエスタン・リーグ対広島戦(甲子園)を狩野の引退試合として開催。「4番・指名打者」としてスタメンに起用された狩野は、元・チームメイト江草仁貴の引退登板と重なった8回裏の最終打席で、江草から現役最後の安打を二塁打で記録した。さらに、自身と同じく現役引退を表明している安藤が登板した9回表2死からは、2009年の一軍開幕戦で組んだ安藤とのバッテリーが久々に実現。捕手としての公式戦出場は2011年以来6年振りであったが、広島の打者・堂林翔太からの三振によって、捕手生活に終止符を打った[25]

現役引退後[編集]

2017年12月1日付で、「レッドスターベースボールクラブ」(阪神時代のチームメイトで同期入団の赤星憲広が主宰する中学生向けの硬式野球チーム)の総監督に就任[26]。同月には、大学生や高校生の指導に必要な学生野球資格の回復に向けて、学生野球資格回復研修を受講した[27]

2018年からは、フリーの野球解説者(読売テレビサンテレビスカイ・エーTigers-ai)・デイリースポーツ野球評論家としても活動。MBSテレビMBSラジオの『MBSベースボールパーク』阪神戦中継でも、「フィールドキャスター」(サッカー中継のピッチ解説者に相当する役割)を担う。阪神はこの年のセントラル・リーグ公式戦を球団史上17年振りの最下位で終えたことから、シーズン終了の直後には球団から二軍打撃コーチへの就任を要請された[28]が固辞。2019年にも、上記の活動を続ける。

選手としての特徴・人物[編集]

阪神捕手時代の2010年シーズン終了後に外野手への本格的な転向が検討された際には、バッテリーを組んできた藤川球児は、狩野がこの年すでに外野手としての出場のほうが多かったにもかかわらず、投手陣とばかり食事に行っていたことを挙げて「性格が捕手向き。(外野手転向は)もったいない」と、捕手との両立を応援した[29][30]

特技は小さい頃から習っていたピアノ。鍵盤を叩くことで指先の感覚が鋭くなり、キャッチングにも活かせているという。

兄がいて、小学校教師をやっている。中学生の時は生徒会長をしていた。

阪神の現役選手時代には、2016年まで、トランスに分類される楽曲を本拠地での登場曲に用いていた。

2014年日本シリーズでの代打初打席初安打(前述)は、阪神打線がそれまで1人の走者も出せなかったソフトバンクの武田に向けて、チーム18人目の打者として初めて放った安打でもあった[12]。翌2015年6月11日に福岡ヤフオク!ドームで催されたソフトバンクとのセ・パ交流戦では、武田の先発が予告されていたことから、一軍では自身初の指名打者としてスタメンで出場。この試合で先制本塁打を放つなど、武田との相性の良さを見せていた。

MBSテレビの情報番組『せやねん!』では、狩野を定期的に取材するとともに、スポーツコーナーの「せやねん!スポーツ」で近況を随時紹介している。狩野の現役最終年であった2017年には、狩野とのコラボレーション企画による「必殺仕事人 逆転狩野弁当」を、甲子園球場内の売店で販売。同年9月30日放送分の同コーナーでは、狩野の引退試合や家族に対する密着取材の模様を放送した。ちなみに、「逆転狩野弁当」の開発に際しては、阪神OBの藪恵壹(「せやねん!スポーツ」レギュラー解説者)もプロデュースに関与。同年10月3日にMBSラジオで放送された『ありがとうボクらの虎戦士たち』(18:00 - 20:00に生放送の特別番組)では、毎日放送のスポーツアナウンサー・井上雅雄(「せやねん!スポーツ」キャスター)による引退試合の実況音源を特別に流した。狩野自身は、現役引退後の2018年から、藪が解説者、井上が実況やベンチリポーターを務める『MBSベースボールパーク』(MBSラジオ版)でフィールドキャスターを担当する。

阪神一筋の高卒選手として数々の試練を乗り切ったことや、育成選手から支配下登録選手への復帰後に勝負強い打撃で再起を果たしたことなどを背景に、ファンやチームメイトや関係者からの人望が厚い。甲子園球場での引退試合では、広島のウエスタン・リーグの優勝が決まった後の公式戦にもかかわらず、開門前から(前日からの徹夜組を含む)およそ1,000名の待ち行列ができた[31]。4-4の同点で迎えた9回裏2死無走者の場面では、3番打者・陽川尚将の出塁によって次打者の狩野に第5打席が回ることを察した広島の捕手・中村亘佑が、投手の飯田哲矢に陽川への敬遠四球を指示。狩野は中堅手への浅いフライに終わったものの、広島バッテリーの計らいで、5回にわたって打席を迎えられた。さらに試合後には、広島ナインから5回にわたって胴上げされたばかりの江草を手招きすると、阪神ナインも5回にわたって江草を胴上げ[32]。狩野自身も、江草の胴上げに続いて開かれた引退セレモニーの最後に、阪神ナインから胴上げされた[33]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2004 阪神 2 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2005 2 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2006 1 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2007 54 99 95 12 26 5 1 3 42 11 0 0 1 0 2 0 1 21 1 .274 .296 .442 .738
2008 12 9 9 2 2 1 0 0 3 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .222 .222 .333 .556
2009 127 432 393 34 103 11 4 5 137 35 10 1 10 0 25 11 4 52 9 .262 .313 .349 .661
2010 32 46 42 7 9 0 0 2 15 5 0 0 0 0 3 1 1 9 1 .214 .283 .357 .640
2011 10 14 12 1 2 1 0 0 3 3 0 1 1 0 0 0 1 3 0 .167 .231 .250 .481
2012 7 15 15 2 5 2 0 1 10 1 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .333 .333 .667 1.000
2013 6 11 10 1 2 0 0 0 2 0 0 0 1 0 0 0 0 2 2 .200 .200 .200 .400
2014 12 26 24 2 7 1 0 1 11 5 0 0 1 1 0 0 0 2 0 .292 .280 .458 .738
2015 66 93 84 6 23 4 0 3 36 13 1 0 0 1 4 0 4 12 3 .274 .333 .429 .762
2016 66 95 87 6 21 1 0 3 31 17 0 0 1 1 5 0 1 18 2 .241 .287 .356 .644
2017 5 5 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 1 .000 .000 .000 .000
通算:14年 402 852 783 73 200 26 5 18 290 91 11 2 15 3 39 12 12 127 19 .255 .300 .370 .670
  • 2017年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]


捕手 外野手























2004 1 7 0 0 0 0 1.000 0 0 0 ---- -
2005 1 1 0 0 0 0 1.000 0 0 0 ---- -
2006 1 5 2 0 0 0 1.000 2 2 0 .000 -
2007 31 168 14 2 1 2 .989 18 12 6 .333 -
2008 6 12 5 0 0 0 1.000 4 2 2 .500 -
2009 122 864 74 12 11 4 .987 103 71 32 .311 -
2010 1 3 0 0 0 0 1.000 1 1 0 .000 19 25 1 1 1 .963
2011 1 0 0 0 0 0 .000 0 0 0 - 6 3 0 0 0 1.000
2012 - 4 5 0 0 0 1.000
2013 - 4 8 0 0 0 1.000
2014 - 9 13 0 2 0 .867
2015 - 12 13 1 0 0 1.000
2016 - 13 16 1 0 0 1.000
通算 164 1060 95 14 16 6 .988 128 88 40 .313 67 83 3 3 1 .966
  • 2017年度シーズン終了時
  • 太字は各年度のリーグ最高

記録[編集]

背番号[編集]

  • 63 (2001年 - 2006年)
  • 99 (2007年 - 2012年、2013年7月23日 - 2017年)
  • 120 (2013年 - 同年7月22日)

登場曲[編集]

  • ANOTHER NIGHT (Type-R Remix) - DJ TORA + R-Seq ( - 2009年)
  • GOOD GOD (WARP BROTHERS REMIX) - JFK (2010年 - 2012年)
  • OUT OF THE BLUE - System F (2013年 - 2016年)
  • 99 - Superfly (2017年)

代表歴[編集]

関連情報[編集]

野球解説者としてのレギュラー出演番組[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 阪神 - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2016年11月29日閲覧。
  2. ^ a b 阪神狩野、選手会長に就任「全力でサポートしたい」日刊スポーツ、2016年11月26日
  3. ^ 「現役の皆さんに聞きました キャッチャーの魅力を教えてください」 『週刊ベースボール』2009年6月1日号、ベースボール・マガジン社、2009年、雑誌20441-6/1、20-21頁。
  4. ^ 城島で虎大改革!狩野、外野コンバート示唆 サンケイスポーツ、2009年10月29日。
  5. ^ 狩野捕手一本!城島とガチンコ勝負 デイリースポーツ、2009年11月3日。
  6. ^ 狩野、椎間板ヘルニア除去手術成功!! デイリースポーツ、2010年11月12日。
  7. ^ 狩野全快“捕”球!いけるで二刀流 デイリースポーツ 2011年1月28日。
  8. ^ 阪神・狩野、ヘルニア再発…自宅療養へ サンケイスポーツ 2011年3月11日。
  9. ^ 狩野復活祭り 育成選手も経験した苦労人が2年ぶり一発で涙スポーツニッポン 2014年8月30日
  10. ^ 育成選手契約について”. 阪神タイガース公式サイト (2012年11月13日). 2012年11月30日閲覧。
  11. ^ 阪神狩野、昇格即先発で1号3安打4打点 日刊スポーツ、2014年8月30日。
  12. ^ a b “緊急招集”狩野が代打で結果…「嫌だった」技あり完全阻止 スポーツニッポン、2014年10月27日。
  13. ^ 2014 SUZUKI 日米野球シリーズ 阪神・巨人連合チーム出場選手発表 阪神タイガース公式サイト (2014年10月21日) 2015年5月26日閲覧
  14. ^ 2014 SUZUKI 日米野球シリーズ 日本プロ野球80周年記念試合 打席結果・投打成績
  15. ^ 関本前半戦絶望的…狩野任せろ代役神様デイリースポーツ、2015年6月19日
  16. ^ 阪神・狩野、一発呼ぶ一撃「またあした、頑張りましょう」サンケイスポーツ、2015年8月30日
  17. ^ 阪神マートン2戦連続スタメン落ち、左翼に好調狩野日刊スポーツ、2015年6月13日
  18. ^ 2015年9月10日 阪神対巨人22回戦(甲子園)スコアテーブル
  19. ^ 阪神・狩野、右手骨折で今季復帰絶望…全治1カ月以上サンケイスポーツ、2015年9月20日
  20. ^ 阪神・狩野、2300万円でサイン「来年は生え抜きで野手最年長となるので…」サンケイスポーツ、2015年11月25日
  21. ^ 阪神狩野2年ぶり猛打賞 3番先発ベテランの意地日刊スポーツ、2016年8月10日
  22. ^ 狩野 今季限りで引退 虎生え抜き17年最古参 選手会長が男の決断「引き際」デイリースポーツ、2017年9月16日
  23. ^ 狩野が涙の引退会見、ファンへ「支えられて17年間できたことが誇り」デイリースポーツ、2017年9月18日
  24. ^ 狩野、涙の引退会見 阪神一筋「17年間もできたことは誇り」スポーツニッポン、2017年9月18日
  25. ^ 狩野引退試合、最後は捕手で17年を締めくくる 大声援、徹夜組の大フィーバーデイリースポーツ、2017年9月27日
  26. ^ 【神機一転】狩野恵輔、赤星オーナーの中学野球チーム総監督就任デイリースポーツ 2017年12月16日
  27. ^ 元阪神の林威助氏、狩野恵輔氏ら55人が学生野球資格回復研修会受講スポーツニッポン、2017年12月15日
  28. ^ 阪神 OB狩野恵輔氏に二軍打撃コーチ就任要請(『スポーツニッポン2018年10月17日付記事)
  29. ^ 球児が「二刀流」狩野にエール デイリースポーツ、2010年12月18日。
  30. ^ “虎・球児、後押し!「狩野は捕手向き」”. SANSPO.COM. (2010年12月19日). オリジナル2010年12月20日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20101220175641/http://www.sanspo.com/baseball/news/101219/bsb1012190504009-n1.htm 
  31. ^ 狩野引退セレモニー、開門前に1000人並ぶ 徹夜組も登場デイリースポーツ、2017年9月27日
  32. ^ 広島江草、甲子園で涙の引退試合 両チームが胴上げ日刊スポーツ、2017年9月27日
  33. ^ 阪神・狩野が引退セレモニー「この大声援は一生の宝物になる」サンケイスポーツ、2017年9月27日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]