加藤大輔

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加藤 大輔
20120320 Daisuke Kato,pitcher of the Tohoku Rakuten Golden Eagles,at Yokohama Stadium.JPG
楽天時代(2012年3月20日、横浜スタジアムにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県豊前市
生年月日 (1980-07-27) 1980年7月27日(37歳)
身長
体重
179 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 自由獲得枠
初出場 2003年4月8日
最終出場 2013年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

加藤 大輔(かとう だいすけ、1980年7月27日 - )は、福岡県豊前市出身の元プロ野球選手投手)。ニックネームは大加藤(大カトーに由来)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

福岡県豊前市出身。九州国際大学付属高等学校時代に縦変化の変化球を習得しようと練習した際にフォークボールパームボールチェンジアップ等はうまくいかなかったが、2本指のナックルボールの握りで投げると鋭い変化をしたため武器にすることにした。当初はナックルのつもりで習得したが、ナックルカーブだと指摘されて自身でも確認したところ回転して落ちており、ナックルカーブの名称を知ると共に認識を改めた。

神奈川大学野球連盟所属の神奈川大学に進学後は4年時の2002年第1回世界大学野球選手権日本代表に選出され、同年秋のドラフト会議において自由枠オリックス・ブルーウェーブに入団。

オリックス時代[編集]

オリックス時代

2003年は新人ながら先発投手リリーフにとフル回転し、43試合に登板した。夏場以降は疲労からか球威が落ち、防御率は5点台に落ちた。

2004年は肘の故障でシーズンのほとんどをリハビリに費やした。

2005年からは分配ドラフトによりオリックス・バファローズに入団。春季キャンプで行われた紅白戦でMVPに選ばれて仰木彬監督が横峯ファミリーと親交があったことから「横峯さくらと1日デート権」が贈られ、全8試合の「宮古島杯」でもMVPに選ばれ宮古牛1頭を獲得した。シーズンに入ると萩原淳香月良太歌藤達夫菊地原毅大久保勝信らと強力リリーフ陣を形成。左の菊地原、右の加藤というダブルセットアッパー体制で60試合に登板し、チーム内では菊地原に次ぐ2位、リーグ4位の23ホールド、同3位の29ホールドポイント、防御率2.76を記録した。

2006年は前年に引き続きリリーフ陣の中心として活躍。抑えを任されることもあった。チーム最多の61試合に登板してリーグ9位となる19ホールド、防御率3.10を記録したが要所で打ち込まれ6敗を喫し、奪三振数も半減した。もっとも、前年活躍した中継ぎ陣の大半が大きく成績を落とした中で加藤と菊地原はまずまずの成績を残している。

2007年も開幕から主にセットアッパーとして起用されたが、シーズン当初クローザーだったランス・カーターの先発転向に伴い抑えに指名された。4月28日福岡ソフトバンクホークス戦で松中信彦に決勝本塁打を打たれて敗戦投手になった際に、コリンズ監督は報道陣に「彼はグレートだ」と4回も繰り返し、加藤を信頼している事を強調した。9月5日には長男が誕生し、同日に登板してセーブを挙げた。同年はリーグ3位の63試合に登板してリーグ4位の26セーブ、防御率2.59を記録した。同年オフに開催されたアジア大会兼北京五輪予選には日本代表候補として国内の合宿に参加したが、開催地の台湾へ向かう直前の最終候補には選出されなかった。これについては「折角選出してもらったが最終的に選ばれなかったのはまだまだ自分の実力不足だと言う事でしょう。北京の本選(五輪)では選出されるように2008年の前半シーズンを頑張る」と述べた。

2008年からホームゲームでは加藤がセーブがつく状態でマウンドに上がる際、彼だけの特別映像がスタジアムビジョンに流れるようになった。8月27日には球団新記録となる28セーブを達成。チームトップの63試合に登板して33セーブを挙げ、初タイトルとなる最多セーブ投手を獲得したが、9月上旬まではセーブがつく場面での救援失敗が4度だったが、ターメル・スレッジに逆転サヨナラ打を浴びた9月15日以降は3度の救援失敗し、終盤は抑えでの登板はなく防御率も3.29で前年よりも悪化した。だが、チームは9年ぶりのAクラスに入るなど自身の貢献度の高いシーズンとなった。シーズン終了後の秋季キャンプでは臨時コーチの野茂英雄からフォークの指導を受けた[1]

2009年はシーズン当初から精彩を欠く場面が多く、序盤は何とか凌いだが8月になると投球内容が悪化した。8月25日の北海道日本ハムファイターズ戦で3点リードを守れず1/3回5失点と打ち込まれた後は中継ぎに配置転換され、金子千尋が抑えを任された。シーズン成績は48試合に登板して13セーブ、防御率5.23と球団合併後最悪の記録だった。

2010年も中継ぎ・セットアッパーとして起用され、シーズン初頭はまずまずの安定感を見せていたが、5月に入ってから安定感を欠き出し、5月19日の広島東洋カープ戦で1回2/3イニング3失点と打ち込まれ二軍降格。その後最短の10日で一軍復帰し交流戦2試合に登板するも続けて打ち込まれ6月5日に二軍降格、以降一軍での登板はないままシーズンを終えた。この年のオフに大久保勝信本柳和也が退団した事に伴い、オリックス・ブルーウェーブ経験者で、分配ドラフトを経てオリックス・バファローズに在籍し続ける唯一の投手となった。

2011年はプロ入り初の一軍登板無しに終わり、11月14日に戦力外通告を受けた[2]12球団合同トライアウトに参加し、12月6日に東北楽天ゴールデンイーグルスが獲得を発表した[3]

楽天時代[編集]

2012年、5月2日の対埼玉西武ライオンズ戦で2番手として登板し、2年ぶりの勝利を挙げた[4]。ビハインド時の登板やロングリリーフが主だった。9月18日には登録抹消されたが35試合に登板した。

2013年には、オリックス時代の故障による特例措置として、シーズン中に初めて国内フリーエージェント(FA)権を取得[5]。チームのパシフィック・リーグ初優勝がかかった9月25日の対西武戦(西武ドーム)で片岡治大にサヨナラ本塁打を打たれる[6]など、6試合のリリーフ登板で0勝2敗、防御率8.71に終わり、シーズン終了後の11月4日に球団から戦力外通告を受けた[7]。その後、トライアウトにも参加するも[8]獲得球団は現れず、現役を引退。11年間のプロ野球生活に幕を閉じた。

引退後[編集]

引退後はスポーツ用品店に勤めている[9]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2003 オリックス 43 3 0 0 0 4 4 9 -- .500 320 69.2 79 13 36 2 1 75 2 0 41 40 5.17 1.65
2004 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 6 1.0 2 0 1 0 0 2 0 0 2 2 18.00 3.00
2005 60 0 0 0 0 6 3 2 23 .667 324 81.2 67 8 16 1 3 83 5 0 29 25 2.76 1.02
2006 61 0 0 0 0 1 6 4 19 .143 252 61.0 49 2 20 2 3 41 0 0 27 21 3.10 1.13
2007 63 0 0 0 0 3 4 26 4 .429 304 73.0 63 3 21 7 2 71 6 0 21 21 2.59 1.15
2008 63 0 0 0 0 2 5 33 1 .286 260 63.0 60 6 17 0 3 65 2 0 24 23 3.29 1.22
2009 48 0 0 0 0 4 4 13 3 .500 229 51.2 58 5 15 2 3 53 4 0 35 30 5.23 1.41
2010 20 0 0 0 0 1 0 0 2 1.000 103 25.1 17 3 11 0 2 15 0 0 14 11 3.91 1.11
2012 楽天 35 0 0 0 0 1 0 0 2 1.000 235 53.2 50 2 21 0 2 37 4 1 24 20 3.35 1.32
2013 6 0 0 0 0 0 2 0 0 .000 58 10.1 17 4 10 0 1 4 0 0 13 10 8.71 2.71
通算:9年 400 3 0 0 0 22 28 87 54 .444 2091 490.1 462 46 168 14 20 446 23 1 230 203 3.73 1.33
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 14 (2003年 - 2004年)
  • 15 (2005年 - 2011年)
  • 54 (2012年 - 2013年)

脚注[編集]

  1. ^ “Bs野茂マジックだ!臨時コーチ初日から効果絶大”. Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2008年11月13日). http://www.sponichi.co.jp/osaka/spe1/200811/13/spe1217225.html 2012年10月22日閲覧。 
  2. ^ 戦力外通告のお知らせ”. オリックス・バファローズ (2011年11月14日). 2011年11月14日閲覧。
  3. ^ 契約合意に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年12月6日). 2011年12月6日閲覧。
  4. ^ “加藤大、2年ぶり白星「やっとイーグルスの一員になれた」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年5月2日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/05/02/kiji/K20120502003169720.html 2012年10月22日閲覧。 
  5. ^ “データ集:2013年FA有資格選手”. SANSPO.COM (サンケイスポーツ). (2013年11月5日). http://www.sanspo.com/baseball/professional/data/13/fa.html 2013年11月5日閲覧。 
  6. ^ “【楽天】星野監督マジック「2」も不満”. nikkansports.COM (日刊スポーツ). (2013年9月25日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130925-1195122.html 2013年11月5日閲覧。 
  7. ^ “楽天 加藤を戦力外 優勝翌日の非情通告”. スポニチアネックス (スポーツニッポン). (2013年11月4日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/11/04/kiji/K20131104006947750.html 2013年11月5日閲覧。 
  8. ^ 65人参加 12球団合同トライアウト/詳細ニッカンスポーツ2013年11月10日配信
  9. ^ “楽天・加藤投手、引退・後援会解散で豊前市に寄付”. 朝日新聞. (2014年1月25日). http://www.asahi.com/articles/ASG1S5D7XG1STLLS00B.html 2014年2月1日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]