浅尾拓也

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浅尾 拓也
中日ドラゴンズ #41
CD-Takuya-Asao.jpg
2009年7月16日 阪神甲子園球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県知多市
生年月日 1984年10月22日(32歳)
身長
体重
182 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 大学生・社会人ドラフト3巡目
初出場 2007年4月10日
年俸 7,350万円(2017年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

浅尾 拓也(あさお たくや、1984年10月22日 - )は、愛知県知多市出身の中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

中学では捕手として軟式野球部に所属。愛知県立常滑北高等学校(現・愛知県立常滑高等学校)入学後も捕手を務めたが、投手不足の事情から2年生秋に投手に転向[2]。卒業後日本福祉大学に進学。愛知大学リーグの2部と3部のリーグで通算53試合に登板し、21勝9敗の成績を残した。2006年秋季の2部リーグでは名古屋産業大学との対戦でノーヒットノーランを達成した。愛知大学野球リーグ1部2部入れ替え戦で、同期入団の清水昭信名城大学)に投げ勝ち、チームを1部昇格に導いた。大学入学時には138km/hだった球速は、2年秋に140km/hを突破し、4年秋に最速152km/hを記録している[3]

2006年のドラフト会議中日ドラゴンズから3位指名を受け入団。日本福祉大学第1号のプロ野球選手となった。ドラフト前は西武ライオンズヤクルトスワローズもマークしていたが「中日以外の球団から指名されれば社会人野球東邦ガスに進む」と宣言。西武は強行指名も辞さない構えだったが、直前になって指名を回避した。

プロ入り後[編集]

2007年

4月10日の対阪神戦で、リリーフとしてプロ入り初登板を果たす。4月24日の対広島戦では1回3奪三振でプロ初勝利を挙げる。5月9日の対広島戦で初先発。本塁打を2本打たれたが失点はこの2点だけで、6回3安打2失点でプロ2勝目を挙げた。更にフレッシュオールスターゲームに出場し、セーブを挙げる。後半戦は肩を痛め、ほとんど登板機会はなかった。

2008年

故障の影響から開幕を二軍で迎えた。その後復帰し、一軍に昇格して中継ぎで登板。オールスター後から北京オリンピック開催中は、日本代表に招集された岩瀬仁紀に代わって守護神を務め、8月7日の対ヤクルト戦でプロ初セーブを挙げた。その後は戦列復帰した岩瀬へ繋ぐ「勝利の方程式」として、勝ちパターンでのセットアッパーとして起用された。

2009年

初の開幕一軍入りを果たし、前年の好成績から自身初の開幕投手を務めて、勝利投手となった(当時コーチだった森繁和曰く、失敗させてリリーフに回すつもりで投げさせたのが勝ってしまった為[4]、先発を続ける事になったという)。しかし、それ以後は先発で結果を残すことが出来ず、再度セットアッパーとして起用される。7月にはセ・リーグ新記録となる月間11ホールドを記録し、月間MVPを受賞した。終盤では体調不良の岩瀬に代わり、再び守護神を務めた。この年はチーム最多の67試合に登板したが、ヤクルト戦の対戦成績が1勝5敗、対戦防御率8.14と打ち込まれたことが響いてチームワーストの9敗を喫した。

2010年

シーズンでは年間通してセットアッパーを務め、9月5日の対巨人戦で2005年藤川球児が記録した日本記録を更新する21試合連続ホールドポイントを達成。9月12日の対横浜戦では日本新記録となるシーズン59ホールドポイントを挙げると、9月25日の対横浜戦で、これまた日本新記録となるシーズン47ホールドを記録した。この年は、権藤博の球団記録を更新する72試合に登板し、リリーフだけで12勝3敗1S、防御率1.68、WHIP0.87の大活躍で最優秀中継ぎ投手に輝き、リーグ優勝に大きく貢献した。またホールドとホールドポイントのシーズン日本新記録達成、連続試合ホールドポイントの日本記録達成に対して連盟特別表彰(連盟特別賞)を贈られた。

千葉ロッテマリーンズとの日本シリーズでは4試合に登板するが、第6戦以降から大ブレーキ。第6戦で2イニングを投げるもサブローに同点タイムリーを打たれて好投していた陳偉殷の勝ち投手の権利を消滅させてしまい、チームは引き分け。第7戦ではシーズン中にもなかった4イニング登板を果たすが、慣れない4イニング目に延長12回今江敏晃に四球を与え、岡田幸文に決勝の適時三塁打を打たれて自滅。日本一への道を断つ敗戦投手になってしまった。

2011年

昨年に続いてセットアッパーを務める。昨年共に活躍した高橋聡文を故障で欠いた影響でロングリリーフを任されることも多く、さらに所々で岩瀬に代わって抑えとして登板することもあった。負担が大きい中、前年の記録を塗り替える球団記録の79試合(87回1/3)に登板して7勝2敗10S、防御率0.41、共にリーグ1位の45ホールド・52ホールドポイント、WHIP0.82で被本塁打0という驚異の成績を残した。9月13日の対阪神戦でジェフ・ウィリアムスの持つ通算ホールドポイント日本プロ野球記録(154HP)に並び、9月17日の対巨人戦でプロ野球新記録となる通算155ホールドポイントを記録し、2年連続最優秀中継ぎ投手に輝き球団史上初のリーグ連覇に大きく貢献した。リーグ優勝した10月18日の横浜戦(横浜スタジアム)ではロングリリーフを任され2回1/3を無失点、最後の打者となった筒香嘉智を空振り三振に仕留めて胴上げ投手となった。これらの活躍が認められリーグMVPに選出された他、シーズンを通じて先発登板が一度もない投手としては両リーグ通じて初となるゴールデングラブ賞を獲得した。日本シリーズでは第7戦で7回から登板。二死二塁で内川聖一と両リーグのMVP同士の対戦となったが、甘く入った2球目の直球をセンター前にはじき返され、ホークスの日本一を決定付ける3点目を失い、チームは2年連続で日本一を逃した。

2012年

前年最多勝の吉見一起と共に「東日本大震災復興支援ベースボールマッチ」侍ジャパンのメンバーに選出された。しかし、シーズン前から原因不明のストレートの減速に悩まされ[5]、シーズンに入っても調子が上がらず、開幕から38試合で21試合に登板して失点6。前年(開幕から37試合で21試合に登板して失点2)を上回るペースで失点を喫し、5月14日に登録抹消となった[6]。契約更改では、4000万円減の2億2000万円で更改した。オフの12月4日に、第3回WBC日本代表候補選手34人が発表され[7]候補入りした[8]

2013年

前年からの右肩(肩関節腱板)の不安もあり[9]第3回WBC最終メンバーの28人には選出されなかった。シーズンでは、7月12日の巨人戦で復帰し、9回表を三者凡退に抑えた。しかし、9月24日、9月25日の広島戦で連日にわたって敗戦投手となり、チームの12年振りのBクラスが確定した。

2014年はわずか22試合の登板にとどまり、防御率は自己ワーストの6.16、2016年は右肩の故障などに苦しみ、プロ入り初の一軍登板無しに終わった。

選手としての特徴[編集]

投球フォーム(2013年8月3日 横浜スタジアム)

細身の体から繰り出される平均球速約149km/h[10]、最速157km/h[11]速球が最大の武器。ストレートと縦に曲がるスライダー[12]、平均球速約138km/h[13]の高速フォーク(握りが浅く、SFFに近い)、120km/h台のパームを持ち球として打者のタイミングを狂わす投球を持ち味としている。但し本人は「スライダーに自信はない」、「パームは抜けることが多いのでリリーフになってからはあまり投げていない」と発言している[14]

入団時の会見では、セールスポイントとして速球よりも「牽制とフィールディング」を最初にアピールしている[2][15]。バント処理でそのフィールディングの良さが見られ、2010年4月3日の阪神戦で関本賢太郎の送りバントをダブルプレーにした際には、監督の落合博満から「あのバント処理は浅尾にしかできない」と評され[16]、2011年にはゴールデングラブ賞を受賞している。フィールディングを磨くため、試合前の守備練習では吉見一起と共に遊撃手または二塁手の守備位置に入り練習を行うことが日課となっている[17]

投球フォームはテークバックが小さく腕の振りが速いスリークォーターで、これは高校時代に投手へ転向する前にやっていた捕手の投げ方が影響しており、浅尾曰く「何度も直そうとしたがどうしてもこの投げ方に戻ってしまう」という[18][19]クイックで走者の盗塁を防ぐことが多く、赤星憲広も上記の牽制・フィールディング・クイックを高く評価しており、赤星の現役時代は「浅尾選手がマウンドにいるときだけは盗塁をしようと思わなかった」と語っている[20]

2010年には与四球率1.12をマークし、通算の与四球率も2.37と抜群の制球力を誇る。2008年は体の開きがやや早く抜け球が多い傾向にあったため、暴投0、死球3と数字こそごく普通のものだったが、3死球全てが打者の頭部に当たって危険球退場になっている。

2011年まで中日監督を務めた落合からは、「浅尾と岩瀬でやられたら仕方ないんだから。それだけ2人を信頼している」と岩瀬仁紀と共に大きな信頼を寄せられ[21]、2009年から2011年にかけては218試合に登板。この間は登板過多も指摘されたが、本人は「イニング跨ぎは難しいが、1イニングだけなら何試合でも投げられる」と答えている[22]

打撃では、投手ながらプロ初安打で三塁打を放ち、2007年には11打数3安打(打率.273)を記録している。

人物[編集]

チームメイトからは主に「タク」と呼ばれ、ファンからの愛称は「浅尾きゅん」「たっくん[23]」。

チームの先輩である岩瀬仁紀と同じく、幼い頃からずっと愛知県内の学校・チームで過ごした、地元中の地元の選手である。また、山崎武司と同じ知多市立八幡中学校の出身である。

漫画「ONE PIECE」のファンで、休日には自宅でコミックスを読んでいる。チーム内では岩瀬や高橋聡文もファンである。

愛知県理容組合が発表した2011年ニューヘアのモデルとなり、「浅尾ヘア」としてヘアサロンのメニューとなる。

オフには病院や児童養護施設へ慰問を行っている。

ファンサービスに積極的で、特に春季キャンプでは「6勤1休」と呼ばれる、球界でも最も過酷なキャンプとされる中日の1軍キャンプの練習後に、求められた人全員にサインをしている。サインを求める人が非常に多く、週刊ベースボールの取材で「毎日大変じゃないですか?」と質問された際に、「ファンの皆さんがルールやマナーを守って下さる限り、僕は書きますよ。僕にとっては毎日のことでも、来てくれた人はその日しか来られないから、と考えてしまうんですよね」と答えている。

チーム内では高橋や吉見一起と仲が良い。中日スポーツで2011年のMVPに選ばれるかどうかと聞かれた際にも「吉見じゃないんですか」と発言している。一方、吉見の方も同じ質問で「タクでしょう」と答えている。また、野手では野本圭と仲が良い。

2009年12月28日に10年間の交際期間を経て高校時代の同級生と結婚。その後、夫人は、月刊ドラゴンズにおいて不定期で浅尾の家庭内での表情などを描いている。2012年11月10日に第1子となる長男が誕生した[24]

非常に謙虚かつ礼儀正しい性格で、2011年MVPに選ばれた際の記者会見では「自分には縁のない賞だと思っていたので、喜びより驚きの方が大きい」や「吉見の勝ちを2つ消しているので、本当なら吉見は20勝。だから、吉見が選ばれると思った」と発言している[25]

2011年のリーグ連覇後、中日スポーツに手記を寄せている。本人曰く、この年は開幕戦でサヨナラでの負け投手になり、その時はブルペンでストライクが1球も入らない程最悪のスタートだったという。その時この年から中日に加入した佐伯貴弘から5月13日の阪神戦(甲子園)で3連打されて1点を失った試合後に「俺が対戦していた時のタクはガムシャラに腕を振っていた。どんどん攻めてきた。そこが嫌だったんだよ」と言われたこと、9月23日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)で押し出し四球でマキシモ・ネルソンの勝ちを消した試合で(本人曰く、押し出し四球はプロに入ってこの時が初めてだった)、通路奥で帽子を投げつけたシーンをテレビで見ていた父親からプロに入って初めて試合後に電話がかかってきたこと、この二つが2011年の転機だったと語っている。また、その佐伯からはクライマックスシリーズにて「いつも通りが今のMAX」という言葉を帽子に記してもらったが、これは浅尾本人が何か力になる言葉をくれという要望に応えてもらったとの事である。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2007 中日 19 5 0 0 0 4 1 0 1 .800 224 51.0 51 5 20 1 0 40 2 0 21 20 3.53 1.39
2008 44 0 0 0 0 3 1 1 12 .750 199 50.1 43 0 9 2 3 35 0 0 11 10 1.79 1.03
2009 67 7 0 0 0 7 9 6 33 .438 464 113.1 108 6 24 2 6 96 4 0 47 44 3.49 1.16
2010 72 0 0 0 0 12 3 1 47 .800 307 80.1 60 4 10 0 1 75 3 0 16 15 1.68 0.87
2011 79 0 0 0 0 7 2 10 45 .778 328 87.1 57 0 15 0 2 100 1 0 5 4 0.41 0.82
2012 29 0 0 0 0 1 0 1 15 1.000 120 30.0 21 0 9 0 0 29 2 0 6 5 1.50 1.00
2013 34 0 0 0 0 2 3 1 22 .400 131 30.2 26 2 14 1 1 19 2 0 6 5 1.47 1.30
2014 22 0 0 0 0 1 1 0 8 .500 87 19.0 17 4 12 0 2 20 1 0 13 13 6.16 1.53
2015 36 0 0 0 0 1 1 3 16 .500 142 31.0 31 3 17 2 1 34 4 0 11 11 3.19 1.55
通算:9年 402 12 0 0 0 38 21 23 199 .644 2002 493.0 414 24 130 8 16 438 19 0 136 127 2.32 1.10
  • 2016年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はNPB記録

タイトル[編集]

表彰[編集]

  • 最優秀選手:1回 (2011年)
  • 月間MVP:1回 (2009年7月)
  • セントラル・リーグ連盟特別賞:1回 (2010年:シーズン47ホールド・59ホールドポイント、25試合連続ホールドポイントのプロ野球新記録に対して)
  • ゴールデングラブ賞:1回 (2011年、※先発登板が一度もない投手の受賞は両リーグ通じて初めて)

記録[編集]

初記録(投手記録)
初記録(打撃記録)
  • 初安打:2007年5月9日、対広島東洋カープ7回戦(広島市民球場)、2回表に大竹寛から左越三塁打
  • 初打点:2007年6月11日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(ナゴヤドーム)、3回裏に渡辺俊介から右前適時打
節目の記録
  • 100ホールド:2011年5月14日、対阪神タイガース5回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に5番手で救援登板、1回無失点
  • 150ホールド:2012年5月12日、対広島東洋カープ8回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8回裏に3番手で救援登板、1回無失点 ※史上初
その他の記録
  • 月間11ホールド (2009年7月、セ・リーグ記録)
  • 25試合連続ホールドポイント (2010年7月11日・対読売ジャイアンツ12回戦 - 2010年9月15日・対広島東洋カープ23回戦、プロ野球記録)
  • 年間47ホールド (2010年、世界記録)
  • 年間59ホールドポイント (2010年、世界記録)
  • 通算199ホールド (日本プロ野球歴代2位 ※2015年シーズン終了時点)
  • 通算231ホールドポイント (日本プロ野球歴代2位 ※2015年シーズン終了時点)
  • オールスターゲーム出場:2回 (2010年、2011年)

登場曲[編集]

  • 「なにしてんの」SURFACE(2009年~。打席時の登場曲であるが、2009年中盤よりリリーフに専念している為めったに流れない)
  • 「1-9(Theme from No.41)」nobodyknows+(2010年~2015年、登板時)
  • 「あの夏の日 feat. Machaco」nobodyknows+(2015年シーズン途中~、登板時)
  • 「One Way」[ロイヤルサルーン(DJ MITSU feat.ちびまるお+ノリダファンキーシビレサス)]2016年~

背番号[編集]

  • 41 (2007年 - )

代表歴[編集]

関連情報[編集]

コラム[編集]

  • 「浅尾拓也の全力投球」(2010年4月12日 - :不定期更新。井端弘和らと共に携帯サイトのドラゴンズ情報内で、「現況報告」とファンからの質問に答える「教えて浅尾投手!!」で構成されている)

CM出演[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 中日浅尾25%減 1軍登板なしに「予想していた」 - 野球日刊スポーツ 2016年11月8日閲覧
  2. ^ a b 浅尾「無名の星」になる! 日刊スポーツ 2006年12月21日
  3. ^ 3巡目浅尾、祈った実った! 日刊スポーツ 2006年11月22日付
  4. ^ 別冊宝島 浅尾拓也の「全力投球」より
  5. ^ 浅尾原因不明のストレート減速
  6. ^ 不調の中日・浅尾、登録抹消 - デイリースポーツ 2012年5月14日
  7. ^ 2013WBC日本代表候補選手発表 日本野球機構 (2012年12月4日) 2015年4月3日閲覧
  8. ^ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表候補選手 日本野球機構 (2012年12月4日) 2015年4月3日閲覧
  9. ^ “浅尾「ここまで来たら出たい」”. SANSPO.COM. (2013年2月19日). http://www.nikkansports.com/baseball/wbc/2013/news/f-bb-tp0-20130219-1087419.html 2013年2月20日閲覧。 
  10. ^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2011年、184頁。ISBN 978-4-930942-98-2
  11. ^ 中日浅尾「スピードを求める」完全復活へ原点回帰 日刊スポーツ 2016年01月02日付
  12. ^ 週刊ベースボール 2010年6月14日号、ベースボール・マガジン社、雑誌20442-6/14、32-33項。
  13. ^ 『週刊プロ野球データファイル』39号、ベースボール・マガジン社、雑誌27742-1/11・18、5頁。
  14. ^ 別冊宝島 浅尾拓也の「全力投球」より
  15. ^ 2006年 ドラフト入団選手 浅尾拓也 中日ドラゴンズ公式サイト
  16. ^ 浅尾、神業バント封じ 中日スポーツ 2010年4月4日付
  17. ^ 東京中日スポーツ 2011年9月22日付 3面
  18. ^ 中日 浅尾拓也 特集 : WBC2013 読売新聞 2013年2月4日付
  19. ^ 報道ステーション「投・球・術」にて 2012年2月17日
  20. ^ 2012年11月3日読売ジャイアンツ対北海道日本ハムファイターズ第6戦副音声解説
  21. ^ 浅尾&岩瀬1点守った!中日連敗ストップ スポニチ 2010年8月13日付
  22. ^ 中日スポーツ 2011年12月20日付
  23. ^ ドラ・イケメン選手動画をケータイで♪中日新聞web オピ・リーナ編集部ブログ、2010年5月10日
  24. ^ “中日・浅尾に第1子の長男誕生”. DAILY SPORTS ONLINE (デイリースポーツ). (2012年11月11日). http://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2012/11/11/0005519442.shtml 2012年11月11日閲覧。 
  25. ^ MVP浅尾、中継ぎ投手受賞の快挙「縁がないと思ってた」 MSN産経ニュース 2011年12月1日付

関連項目[編集]

外部リンク[編集]