杉本正 (野球)

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杉本 正
東北楽天ゴールデンイーグルス コーチ #73
T sugimoto20170305.jpg
さいたま市営浦和球場にて(2017年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 静岡県駿東郡小山町
生年月日 (1959-05-03) 1959年5月3日(58歳)
身長
体重
172 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1980年 ドラフト3位
初出場 1981年4月7日
最終出場 1992年10月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

杉本 正(すぎもと ただし、1959年5月3日 - )は、静岡県駿東郡小山町出身の元プロ野球選手投手、左投左打)、コーチ解説者。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍・二軍巡回投手コーチを務めている。実娘はアイドルグループLinQの杉本ゆさ[1]

経歴[編集]

現役時代[編集]

御殿場西高校では県内有数の左腕投手として知られたが、甲子園には出場できなかった。1977年夏の甲子園県予選3回戦で袋井高を相手にノーヒットノーランを記録している。卒業後は地元の大昭和製紙へ入社。1979年都市対抗では、後にプロで同僚となる大石友好河合楽器から補強)とバッテリーを組み、1回戦の引き分け再試合で日本通運を完封。準々決勝でも先発し、日産自動車名取和彦と投げ合うが惜敗[2]。翌1980年都市対抗では準々決勝で日本鋼管を完封、準決勝に進出し兄弟チームの大昭和製紙北海道との対戦を実現する。この試合では日本代表のエース竹本由紀夫新日本製鐵室蘭から補強)と投げ合い3-2で競り勝った。決勝でも札幌トヨペットに大勝[2]、この大会で4勝をあげチームの優勝に貢献、最優秀選手の橋戸賞を受賞している。この時のチームメートに上川誠二佐々木正行らがいた。

同年のドラフト会議西武ライオンズから3位指名され入団。初登板(対日本ハム戦)を完封で飾ると、以降は先発ローテーションの一角として活躍。同年8月22日の対南海戦(上越市高田公園野球場)では4イニング1/3で降板したものの試合が6回で降雨コールドとなり西武が勝利し、公認野球規則10.17b項(勝利投手の規定)の適用外となり5イニングを投げきらないままで勝利投手となった[3]1982年中日ドラゴンズとの日本シリーズでは、第2戦、第5戦に先発するが、いずれも途中降板し勝敗はつかなかった。翌1983年読売ジャイアンツとの日本シリーズでも、第3戦、第6戦に先発。第6戦では8回まで1失点と好投するが、9回には中畑清に一時は逆転となる三塁打を喫し、日本シリーズ初勝利を逸した。

1985年キャンプイン直前に田尾安志との交換トレードで大石友好とともに中日に移籍[4]1986年12勝するも13敗喫している。翌1987年に新監督の星野仙一に開幕投手に指名され巨人戦に先発。吉村禎章駒田徳広にホームランを打たれ、敗戦投手にはなったが、この年シーズン通してエース級の活躍を見せキャリアハイの13勝をあげる。チームが優勝した1988年は6勝6敗、1988年の日本シリーズ(対西武戦)では古巣相手に第4戦で先発するが4回途中3失点で敗戦投手。1989年は3勝4敗に終わる。同年8月14日の広島東洋カープ戦では高橋慶彦からサヨナラ本塁打を打たれている。

1990年から登板が減り、途中に山内和宏との交換トレードで高島覚とともに西武時代の先輩田淵幸一が監督を務めるダイエーへ移籍。1993年は登板なしに終わり戦力外通告を受け同年限りで現役を引退。

現役時代、日本シリーズには先発で5回登板しているが成績は0勝1敗に終わっている。5回以上先発して一度も勝ち投手になれなかったのは北別府学高橋直樹に次いで二人目。中川充四郎によると杉本は1982年の球宴前に全パの監督大沢啓二に懇願して監督推薦でオールスターゲーム初出場を果たしたとされている[5]1987年のオールスターゲームでは石毛宏典に3ランを打たれ敗戦投手[6]

引退後[編集]

引退後は1994年RKB毎日放送野球解説者。1995年から1997年までダイエー二軍投手コーチ、1998年から2001年西武一軍投手コーチ(ブルペン)を務めた。2004年から2005年ダイエー、ソフトバンク二軍投手コーチ、2006年から一軍投手コーチを務めたが、2008年は特に怪我者が多く投手陣が低迷し、チーム防御率が1点近く悪化したこと(チーム防御率4点台は2004年以来4年ぶり)が12年ぶりの最下位の一因となり、この年限りで解任された。救援防御率は4.42と低迷、12球団最下位だった。当時東北楽天ゴールデンイーグルスの監督だった野村克也は「杉本がマウンドに行くとホークスの投手はよくストレートを投げるからそれを狙えと指示している。彼はダメコーチ」と酷評していた[7]。2007年 5月31日、巨人との交流戦で矢野謙次に代打逆転満塁ホームランを打たれた際、評論家の豊田泰光に「稚拙な継投」、「投手の起用法も酷いし、指導力があるとは思えない」と酷評された[8]

2009年からは横浜ベイスターズの一軍投手コーチに就任したが、前年同様セ・リーグ唯一の4点台となるチーム防御率に低迷し[9]一年で解任された(被安打1326,被本塁打164,失点685,自責点612もリーグ最下位)。

2010年からは前年優勝した韓国プロ野球起亜タイガースの一軍投手コーチに就任したが[10]、チーム防御率は3.92から4.39と低迷し7月23日付で二軍投手コーチに降格となり、チームも6位と低迷、一年で解任された。

2011年、楽天編成部のスカウトに就任。2012年より、西武の一軍投手コーチとして復帰[11]。同年はチーム防御率5位と低迷した[12]。2013年は救援防御率リーグ最下位、勝負どころの8月に投手陣が防御率5.23と崩れ[13]、リーグワーストの被本塁打数を記録している[14]。2014年より、二軍投手コーチに配置転換された[15]。同年10月2日に来季の契約をしないことを通知された[16]

2015年からは文化放送の野球解説者、スポーツニッポン野球評論家となった[17]2017年からは楽天の一軍・二軍巡回投手コーチ。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]






















































W
H
I
P
1981 西武 36 21 7 1 0 7 8 2 -- .467 621 145.1 138 16 57 1 2 61 2 1 66 56 3.47 1.34
1982 26 22 6 4 0 7 12 0 -- .368 560 132.2 130 6 51 1 2 60 1 0 59 54 3.66 1.36
1983 26 22 4 2 1 12 6 0 -- .667 571 136.1 133 16 39 2 0 44 0 0 56 52 3.43 1.26
1984 22 22 5 3 1 7 8 0 -- .467 527 124.2 136 12 33 3 0 57 0 0 54 53 3.83 1.36
1985 中日 23 15 4 0 0 5 4 0 -- .556 426 98.2 105 14 32 4 5 60 1 0 49 47 4.29 1.39
1986 31 25 10 3 2 12 13 0 -- .480 733 182.2 163 16 44 4 0 106 2 0 70 61 3.01 1.13
1987 28 28 5 2 0 13 9 0 -- .591 698 158.0 180 23 45 8 6 85 4 0 83 76 4.33 1.42
1988 23 21 1 1 1 6 6 0 -- .500 501 118.2 119 13 36 1 1 92 0 0 56 52 3.94 1.31
1989 23 7 0 0 0 3 4 0 -- .429 225 49.2 60 4 24 1 1 22 2 0 27 22 3.99 1.69
1990 ダイエー 16 13 3 1 0 3 7 0 -- .300 359 78.1 106 9 29 3 2 47 0 0 47 43 4.94 1.72
1991 15 13 1 0 0 3 8 0 -- .273 352 82.2 88 13 19 0 2 41 1 0 46 39 4.25 1.29
1992 29 7 2 1 1 3 5 0 -- .375 278 62.0 81 6 15 1 1 29 0 0 37 34 4.94 1.55
通算:12年 298 216 48 18 6 81 90 2 -- .474 5851 1369.2 1439 148 424 29 22 704 13 1 650 589 3.87 1.36
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 20 (1981年 - 1984年)
  • 14 (1985年 - 1986年)
  • 21 (1987年 - 1990年途中)
  • 28 (1990年途中 - 1991年)
  • 31 (1992年 - 1993年)
  • 76 (1995年 - 1997年)
  • 70 (1998年 - 2001年)
  • 71 (2004年 - 2005年)
  • 85 (2006年 - 2008年)
  • 77 (2009年)
  • 78 (2010年)
  • 88 (2012年 - 2014年)
  • 73 (2017年 - )

脚注[編集]

  1. ^ 「地元全体が盛り上がる空間が大好き」【野球女子:LinQ杉本ゆさ編】”. エンジョイ!マガジンとは (2015年3月24日). 2016年1月2日閲覧。
  2. ^ a b 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  3. ^ アレっ、先発で4回途中KOなのに…杉本正、特例の白星”. スポーツニッポン. 2011年11月15日閲覧。
  4. ^ 中日・田尾安志、契約更改から4日後に西武へトレード”. スポーツニッポン (2011年1月1日). 2011年11月15日閲覧。
  5. ^ 埼玉西武ライオンズ黄金投手陣の軌跡、2013年、ベースボール・マガジン社、P38
  6. ^ 近藤貞雄著『野球はダンディズム』朝日新聞社、1988年、P147
  7. ^ 週刊ポスト2008年7月18日号
  8. ^ 週刊ベースボール2007年6月18日号
  9. ^ 横浜 杉本投手コーチ&駒田打撃コーチが退団”. スポーツニッポン (2009年10月5日). 2011年11月15日閲覧。
  10. ^ 杉本正氏、KIAの1軍投手コーチに就任”. 聯合ニュース (2010年1月5日). 2011年11月15日閲覧。
  11. ^ 2012年度コーチングスタッフ発表!”. 埼玉西武ライオンズ (2011年11月11日). 2011年11月15日閲覧。
  12. ^ 2012年度 パシフィック・リーグチーム投手成績
  13. ^ 西武 石井貴投手コーチが急転辞任 8月投手陣不振の責任取り Sponichi Annex 2013年10月19日
  14. ^ 杉本投手コーチに2軍配置転換2013年10/15付サンケイスポーツ
  15. ^ 2014年度 コーチングスタッフ発表! 埼玉西武ライオンズ公式サイト(2013年10月22日配信)2013年11月3日閲覧。
  16. ^ 埼玉西武ライオンズコーチ来季契約について 埼玉西武ライオンズ公式サイト(2014年10月2日配信)2014年10月2日閲覧。
  17. ^ 松坂を3年間指導…杉本氏は見た「力から技へ、松坂の変身」 2015年2月19日スポニチ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]