渡邉博幸

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渡邉 博幸
中日ドラゴンズ コーチ #77
Doragons watanabehiroyuki 20160812.jpg
2016年8月12日 阪神鳴尾浜球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市
生年月日 (1970-06-29) 1970年6月29日(47歳)
身長
体重
183 cm
87 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 1995年 ドラフト4位
初出場 1996年9月28日
最終出場 2007年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 中日ドラゴンズ (2009 - )

渡邉 博幸(わたなべ ひろゆき、1970年6月29日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手内野手外野手)。2017年現在は中日ドラゴンズの二軍内野守備走塁コーチを務めている。

経歴[編集]

現役時代[編集]

日大藤沢高から日本大学へ進学。東都大学[要曖昧さ回避]1部リーグ通算49試合出場、170打数47安打、打率.276、6本塁打、32打点。三菱自動車川崎を経て、1995年のドラフト4位で中日ドラゴンズに入団。

入団当初は主に代打で起用され、1999年には優勝を争っていた巨人戦でサヨナラ安打を放つ。その後も内外野どこでも守れるユーティリティープレーヤーとしての地位を確立し、地味ながらチームを支える働きを見せた。

山田久志が監督に就任した2002年からは更に出場機会を増やすと、2004年シーズンには「守りの野球」を標榜する落合博満新監督がその守備力を高く評価して、積極的に一塁手として起用。シーズン序盤は打撃不振に陥り、8番などの下位打線に回ったものの、中盤から打撃が向上していった。森野将彦オマール・リナレスと定位置を争う形になったが、安定した守備でこれに応え、自身初のタイトルとなるゴールデングラブ賞を受賞する活躍をみせるなど、チームの優勝に貢献した。一塁手部門で規定打席に到達していない選手が受賞した初の例となった。また、シーズン終盤は打撃好調のリナレスを一塁で起用し、渡邉をレフトで起用するパターンも増え、同年の日本シリーズにもレフトでスタメン出場している。

2005年は一塁手の大砲であるタイロン・ウッズが加入したことにより、スタメンでの出場は激減。しかし、守備に難のあるウッズを守備固め要員としてカバーし、試合終盤に活躍を見せた。2006年も同じ起用法が続いたが、交流戦ではスタメンで三塁手としても活躍した。2002年から2006年までの間、規定打席には一度も届かなかったものの、5年連続で100試合以上に出場している。

2007年は出場機会が減り、オフに戦力外通告を受けて現役を引退。

引退後[編集]

2008年からは中日の球団職員となり、動作解析室の一員として戦力分析などを行っていたが、同年限りで同室が廃止されることになり、2009年からは育成コーチに就任。

2010年からは二軍内野守備走塁コーチに転任した。同年6月4日に12球団ワーストの失策数を記録していたチームの守備のテコ入れとして、風岡尚幸と入れ替わる形で一軍担当[1]となった。

2011年は野手コーチとなり、2012年からは一軍内野守備走塁コーチを務める[2]。開幕時は一塁ベースコーチを務めていたが、2012年5月19日の対埼玉西武ライオンズ戦から上田佳範と入れ替わりで二軍に降格となった平野謙の代役として三塁ベースコーチに配置転換となった。しかし、27日の福岡ソフトバンクホークス戦の試合中に上田と交代し再び一塁ベースコーチを担当することになり、平野の一軍復帰後はベンチへと回ることになった。

2013年シーズン終了後のフェニックスリーグでは、2軍監督の鈴木孝政が解任されたため、監督代行として同行している。

2014年からは二軍内野守備走塁コーチを務めた。

2016年は一軍内野守備コーチに異動となり、一塁ベースコーチも担当していたが、谷繁元信監督の休養以降は再び二軍の守備コーチを務めている[3]

2017年は二軍内野守備走塁コーチを担当する。奈良原浩がチームを離れている間は代役の一軍三塁コーチャーを勤めていた。

人物[編集]

日大藤沢高時代の同級生に山本昌の実弟山本秀明(後に日大藤沢高野球部監督)、大学時代の野球部同期生に山本と真中満がいた。

大学は一般入学だったが、レギュラーの三塁手がケガをしたのをきっかけにレギュラーを獲得した。野球より学業に熱心な生真面目な学生で知られ、1年先輩落合英二の単位修得にも貢献した。

大学時代は推定体重で100kgをかなり超えていた。社会人時代に「体を絞らないと使わない」と言われて必死に減量した[4]

大学3年生になってから寮に入り、すぐに2学年下の北川博敏を使いっぱしりにした。しかも落合英二に「絶対に後輩に使いっぱしりとかさせるなよ!」と言われたその日だった。(落合英二のブログより)

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1996 中日 4 4 4 1 1 0 0 0 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .250 .250 .250 .500
1997 34 65 52 6 18 5 2 0 27 4 0 1 0 0 11 0 2 8 2 .346 .477 .519 .996
1998 3 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
1999 81 103 89 11 25 9 0 1 37 16 2 2 2 0 11 2 1 16 3 .281 .366 .416 .782
2000 76 116 102 6 26 7 0 0 33 16 0 2 3 1 9 0 1 20 3 .255 .319 .324 .643
2001 53 66 55 8 11 1 0 0 12 3 0 0 1 0 8 0 2 8 3 .200 .323 .218 .541
2002 110 190 167 20 45 8 0 4 65 17 0 1 8 2 12 1 1 27 2 .269 .319 .389 .708
2003 114 211 188 18 51 7 0 2 64 17 1 0 7 2 12 0 2 30 5 .271 .319 .340 .659
2004 124 320 290 30 83 8 0 2 97 22 1 0 6 2 19 0 3 44 10 .286 .334 .334 .669
2005 104 88 81 7 22 4 0 1 29 10 1 0 2 0 4 0 1 19 1 .272 .314 .358 .672
2006 103 122 111 14 28 6 0 1 37 16 0 1 4 1 4 0 2 21 3 .252 .288 .333 .621
2007 53 27 23 4 3 0 0 0 3 0 0 0 3 0 0 0 1 7 0 .130 .167 .130 .297
通算:12年 859 1315 1165 125 313 55 2 11 405 123 5 7 36 8 90 3 16 202 33 .269 .328 .348 .675

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 5 (1996年 - 2007年)
  • 77 (2009年 - )

脚注[編集]

  1. ^ コーチ登録人員の関係で、スコアラー登録の上ベンチ入り。そのためユニフォームではなくウインドブレーカーを着ていた(ベンチ内ではベンチ入り選手・監督・コーチのみユニフォームを着用できる)
  2. ^ 来季のコーチングスタッフについて”. 中日ドラゴンズ (2011年11月21日). 2011年11月21日閲覧。
  3. ^ 谷繁監督が休養”. 中日ドラゴンズ (2016年8月9日). 2016年8月9日閲覧。
  4. ^ (月刊ドラゴンズ2009年6月号の落合英二の連載より)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]