森野将彦

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森野 将彦
中日ドラゴンズ #7
M morino20140912.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市保土ケ谷区
生年月日 (1978-07-28) 1978年7月28日(39歳)
身長
体重
180 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 1996年 ドラフト2位
初出場 1997年6月24日
最終出場 2017年9月24日
年俸 8,400万円(2017年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
五輪 2008年

森野 将彦(もりの まさひこ、1978年7月28日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手内野手外野手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学校時代は川島イーグルスに所属、また横浜大洋ホエールズ友の会にも加入していた。西谷中学校時代は神奈川で1番の名門、中本牧リトルシニアに所属。2級下には小池正晃が在籍していた。東海大相模高校では1年生時よりレギュラーとして活躍し、1995年の春の選抜大会に出場。3年生時には主砲として、全国高等学校野球選手権神奈川大会準々決勝で横浜高校と対戦したが、松井光介に3四球敬遠と勝負を避けられ、唯一相手が勝負にきた打席では本塁打を打ったもののチームは惜敗した。高校通算38本塁打。1996年のドラフト会議中日ドラゴンズから2位指名を受け入団。

プロ入り後[編集]

ルーキーイヤーの1997年8月29日、ナゴヤドームでの対ヤクルト戦で8番・遊撃手で初先発し、プロ入り初本塁打を放った(高卒新人本塁打は中日では立浪和義以来)。

2002年から先発出場の機会が増える。

2005年、春季キャンプでは井上一樹大西崇之英智らと左翼手の座を争った。この年は左翼手、または立浪和義に代わって三塁手として出場することで出場機会を増やした。

2006年、背番号を31に変更(31にした理由は掛布雅之に憧れていたため)。三塁手の座を立浪と争っていたが、オープン戦で死球を受け右手小指を骨折。交流戦半ばに復帰し、故障の荒木雅博に代わり二塁を守る。6月25日、プロ入り初の満塁本塁打、サヨナラ安打を放ち活躍。荒木の復帰後、立浪から三塁手の座を奪う。一時打率3割、得点圏打率4割の活躍を見せて、初めて規定打席に到達。8月から打順は5番を任されることが多くなった。9月16日、山本昌ノーヒットノーランを達成した対阪神戦で、赤星憲広の三ゴロを失策。許した走者はこの1人だけだったために、完全試合を逃すプレーとなったが、試合後のインタビューで山本は「あのプレーがあったからこそ(ノーヒットノーランの)記録が達成できた」と発言している[注 1]

2007年は三塁手中村紀洋の加入に伴い、主に左翼手として出場。その後は荒木の戦線離脱もあり、前半戦は二塁手としても出場。オールスターゲームに初出場を果たし優秀選手賞に選ばれた。後半戦以降は福留孝介の離脱もあり、中堅手右翼手としての出場も増え、打順は主に5番や3番を任された。この年バッテリー以外の全ポジションを経験。2年連続で規定打席に到達し、更に自己最高の打率.294、18本塁打を記録。本塁打と打点は前年よりほぼ倍増し、打線の中軸としての役割に応えた。日本シリーズでも4打点を挙げて優秀選手賞に選ばれた。

2008年は左翼手和田一浩の加入により主に中堅手として出場。春季キャンプで左手甲を骨折したが、開幕戦に7番・中堅手として出場。打順は開幕当初は7番だったが、6番を経て3番に戻る。5月に左ふくらはぎ肉離れで戦線を離脱するも7月5日に復帰。8月、北京オリンピック野球日本代表に選出。北京五輪後は故障の井端弘和に代わり1番を、タイロン・ウッズが不調の際には4番を任され、この年は2番・8番・9番以外の打順を経験した。自身初の打率3割を記録。本来ならば規定打席には到達していないが、オリンピック出場による特例措置で規定打席にランクインした。8月、国内移籍が可能なFA権を取得。オフに球団と年俸変動制の5年契約を結んだ。

2009年は三塁手として開幕から3番を任されるが、開幕後の2ヶ月間は打率.250にも届かない不調に陥る。6月に一軍登録日数が9年に達し、海外FA権を取得。6月からは打撃も復調し、8月7日の対横浜戦では自身初となる1試合2本塁打・5安打を記録。8月27日の対巨人戦でプロ入り13年目にして初の20本塁打を達成した。シーズン終盤は同僚のトニ・ブランコと打点王争いを繰り広げるも、最終的には1点差で2位に終わる。本塁打・打点は自身最多の成績を挙げた一方で、守備面では両リーグ最多の25失策と乱れた。

11月5日、この年限りで現役引退した立浪の背番号3の引継ぎを打診されたが、5年契約を結んだ契約更改の席上では前述の失策の多さ、ファンの多くが永久欠番になる事を期待した事などを理由として、時期尚早であると自ら保留。しかし31は既に中川裕貴が着けることを発表していたため、同じく引退した井上の9を引き継ぐ野本圭に代わり、30を着けることとなった。

2010年は選手会長に就任。前年同様に開幕から3番に座り、春先は4割近い打率を残す絶好調ぶりを見せ、夏場のブランコの不振時には4番を任される試合もあった。一時調子を落とすことはあったもののシーズンを通して大きな好不調の波はなく、前年に次いでの全試合出場を達成。本塁打・打点は前年に及ばなかったものの、打率は自己最高の.327、チームリーダーとして和田一浩と共に4年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献。自身初となるベストナイン(三塁手部門)に選出された。この年から守備固めで一塁手として起用される事が多くなった。

2011年は統一球の導入などの影響で打撃が不調に陥り、シーズン前半には6番や7番を打つ試合もあった。7月には自身初の月間MVPを獲得して復調の兆しを見せたものの、その後も調子が上がらず、特に対左投手ではほとんど打てず、規定打席に到達した2006~2010年に比べると成績が下がり、ランナーがいる場面では送りバントをする場面が多々見受けられた。全試合出場も途切れた。それでもチーム最多の142試合に出場するなど選手会長としてチームを先導して球団史上初となる連覇に貢献し、同年で選手会長を退任した。オフには体重が増えすぎて走塁面などに影響が出たという事で、2012年春季キャンプまでに5キロの減量をすることになった。[要出典]

2012年5月30日のオリックス戦(ナゴヤドーム)で、延長10回裏に岸田護からプロ入り初となるサヨナラホームランを放った。本人曰く、「アマチュア時代を含めてもサヨナラ本塁打は打った事がない」とのこと。シーズン中は山崎武司の打撃不振やブランコの離脱により4番を任せられることもあった。勝利打点はチーム1位、リーグトップクラスでありながら打率.249、6本塁打と完全復活とはならず、堂上直倫高橋周平の起用によりスタメンを外れる日もしばしばあった。

2013年は新外国人選手のエクトル・ルナマット・クラークの加入により、7年ぶりに開幕スタメンから外れる。荒木の打撃不振やクラークとの併用起用により、4月29日の対巨人戦では5年ぶりとなる二塁手でスタメン出場した。7月はルナの登録抹消により三塁手を任された。さらに荒木の登録抹消により8月中旬以降は二塁手に定着し、9月は一塁手でのスタメンも含め全試合スタメンした。最終的に規定打席に到達し打率.286、16本塁打を記録した。

11月4日、FA権を行使せず2年契約で残留することが決まった。なお、翌2014年からは入団1年目に着けていた背番号7に戻ることになった。

2014年はシーズンを通して一塁手として起用され打率.288、13本塁打、チームトップとなる86打点を記録した。特に山井大介が先発した試合では打率.357、2本塁打、25打点と活躍し、シーズン中は山井と2人で3度お立ち台に上がった[2]。オフには自身初となるゴールデングラブ賞を受賞した[3]

2015年は開幕3戦目に右手親指を骨折し、2か月以上離脱。復帰後も調子を取り戻せず、82試合で2001年以来14年ぶりの本塁打なし、10打点、打率.269という成績に終わった。オフの11月12日には名古屋市内の球団施設で契約更改交渉を行い、約3500万円減(約20%ダウン)の年俸約1億4000万円でサインした。それでもダウン幅は20%に留められ、西山和夫球団代表に「もっと下げてもいいですよ」と伝えたという[4][5]

2016年は春季キャンプから高橋周平との三塁手争いとなったが、オープン戦で28打数3安打で打率.107と極度の不振であったため、開幕は二軍スタートとなった。4月7日に今季初の一軍昇格を果たしたが、高橋周平の打撃が好調であったほか、一塁手には新外国人のダヤン・ビシエドがいたため出場機会に恵まれず、5月5日に登録を抹消された。その後は2か月近く二軍暮らしが続いたが、6月28日に昇格すると7月10日の対ヤクルト戦(神宮)では2年ぶりとなる本塁打を放った。後半戦はケガで離脱したビシエドに代わり一塁手に定着し、主力選手がケガや不振にあえぐ中で3番打者として低迷するチームを支えたが、前年よりさらに少ない68試合の出場に留まり、チームも1997年以来19年ぶりの最下位と沈んだ。

2017年は、2度にわたる右太もも裏の肉離れで一軍出場は8月までわずか21試合にとどまり、9月21日に球団を通して今季限りでの現役引退を発表した[6]。引退試合となった9月24日、7回裏に代打で出場し一ゴロをもって現役を退いた[7]

選手としての特徴[編集]

打撃[編集]

2008年から2010年までの通算得点圏打率.384とチャンスに強く[8]、3点本塁打が多いことから「ミスター3ラン」の異名を持ち、特に2007年はレギュラーシーズンで18本中8本、ポストシーズンで2本中1本、2007年までの通算55本中19本が3点本塁打であった[9]。外角球を苦手とする一方で[10]、内角球を得意とする[11][12]

左投手の変化球を苦手とし[13]、対左打率が3割を越えたシーズンがない。2008年から2010年までの通算の対右打率.332に対し、対左では.267しか残せていなく、特に2010年は右投手に打率.373と高打率を残したのに対し、左投手には打率.255と低迷した。統一球が導入された2011年からも通算対右打率.263に対し、対左では.195と低迷している。

守備・走塁[編集]

一塁到達4.25秒程度の走力を備えている[14]

守備では内外野の複数のポジションを守っている。入団当初は遊撃手だったが、近年は主に三塁手一塁手外野手二塁手として起用されている。内・外野用のグラブを遠征でも持参しているため、三塁手専任となった2009年シーズンで初めて一塁手を守った6月10日の楽天戦でも自分のファーストミットで守備に就いた。2005年頃から三塁手としての出場機会が増えたが、2007年からは中村紀洋の加入もあり外野手としての出場機会が増え、中村紀洋が退団した2009年から再び三塁手でのスタメンに戻った。2010年途中からは三塁手でスタメン、終盤は守備固めで一塁手に回るといった形となった。中村の退団により本格的に三塁手専任となった2009年以降はそれまでの外野でのプレーが内野守備の妨げになり(本人いわく外野と内野のスローイングの違いによるものだという[15])、失策が増えつつある。2010年には三塁手最多の失策こそ記録したものの、両リーグトップのUZR17を記録[16]。2012年も守備イニング500以上の三塁手で両リーグ2位のUZR7.4を記録した[17]

その他[編集]

バットとグラブはZETT製のものを使用している[18]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1997 中日 13 22 22 2 3 1 0 1 7 1 0 0 0 0 0 0 0 8 2 .136 .136 .318 .455
2000 28 46 45 3 7 0 1 2 15 6 0 0 0 1 0 0 0 9 0 .156 .152 .333 .486
2001 40 59 58 4 11 3 0 0 14 2 0 0 0 0 1 0 0 13 1 .190 .203 .241 .445
2002 84 211 191 20 43 12 0 5 70 14 0 1 4 0 15 3 1 42 4 .225 .285 .366 .652
2003 89 239 225 30 61 11 0 6 90 33 1 0 2 0 12 0 0 36 4 .271 .308 .400 .708
2004 80 180 162 14 44 8 1 4 66 21 0 1 2 2 14 3 0 34 2 .272 .326 .407 .733
2005 118 388 358 42 96 26 1 9 151 46 2 1 1 2 25 3 2 70 11 .268 .318 .422 .740
2006 110 469 428 58 120 19 0 10 169 52 0 1 8 5 26 2 2 53 8 .280 .321 .395 .716
2007 142 607 530 75 156 29 2 18 243 97 1 3 8 6 59 8 4 93 14 .294 .366 .458 .824
2008 96 412 358 63 115 25 1 19 199 59 1 0 3 5 46 0 0 60 4 .321 .394 .556 .950
2009 144 632 546 83 158 42 3 23 275 109 4 1 1 5 72 2 8 95 12 .289 .377 .504 .881
2010 144 626 547 85 179 45 2 22 294 84 2 3 2 7 64 4 6 77 16 .327 .399 .537 .936
2011 142 595 508 46 118 19 0 10 167 45 0 0 13 5 64 1 5 89 9 .232 .321 .329 .650
2012 124 494 434 45 108 23 1 6 151 50 1 0 4 4 49 1 3 68 13 .249 .327 .348 .674
2013 134 457 399 53 114 20 1 16 184 51 1 0 2 2 54 0 0 61 10 .286 .369 .461 .830
2014 141 558 507 64 146 34 0 13 219 86 3 0 5 6 69 2 1 66 20 .288 .370 .432 .802
2015 81 247 201 25 54 8 0 0 62 10 2 0 3 3 37 1 3 37 0 .269 .385 .308 .694
2016 68 170 142 14 38 6 0 1 47 15 0 0 0 0 26 0 2 24 1 .268 .388 .331 .719
2017 22 48 41 4 10 2 0 0 12 1 0 1 2 0 5 0 0 3 1 .244 .366 .293 .659
通算:19年 1801 6495 5707 730 1581 333 13 165 2435 782 18 12 60 53 638 30 37 939 132 .277 .351 .427 .778
  • 2016年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]

内野守備

一塁 二塁 三塁 遊撃




























1997 - - - 9 10 15 4 2 .862
2000 - - - 11 10 20 2 3 .938
2001 - 10 10 17 0 2 1.000 3 0 0 0 0 ---- -
2002 - 44 84 79 2 14 .988 14 5 11 1 0 .941 17 14 32 4 3 .920
2003 12 66 8 0 8 1.000 27 35 57 1 12 .989 13 2 6 0 0 1.000 41 59 81 5 15 .966
2004 35 184 10 3 26 .985 - 3 3 3 0 1 1.000 1 0 2 0 0 1.000
2005 7 14 0 0 0 1.000 - 69 33 120 4 11 .975 -
2006 7 15 2 0 0 1.000 35 72 104 1 23 .994 87 64 137 6 7 .971 -
2007 11 26 1 0 3 1.000 33 86 86 3 21 .983 40 16 31 2 2 .959 2 0 0 0 0 .---
2008 3 2 0 0 1 1.000 2 8 2 0 0 1.000 60 23 42 2 5 .970 -
2009 6 23 3 0 1 1.000 - 141 100 254 25 17 .934 -
2010 29 54 3 0 11 1.000 - 143 97 283 19 31 .952 -
2011 41 66 7 0 5 1.000 - 140 110 252 12 17 .968 -
2012 69 277 26 0 33 1.000 - 106 54 151 4 9 .981 -
2013 62 368 22 1 32 .997 56 117 134 3 20 .988 17 6 24 0 1 1.000 -
2014 138 1160 92 6 118 .995 3 3 2 0 1 1.000 - -
2015 67 458 43 1 31 .998 - 3 2 7 1 0 .900 -
2016 35 220 18 1 19 .996 - 3 0 3 3 1 .500 -
通算 522 2933 235 12 288 .996 210 415 481 10 93 .989 842 515 1324 79 102 .959 81 93 150 15 23 .942
外野守備

外野







2004 19 18 0 0 0 1.000
2005 47 45 3 2 0 .960
2006 7 3 0 0 0 1.000
2007 99 156 4 1 0 .994
2008 81 134 2 2 0 .986
通算 253 356 9 5 0 .986
  • 2016年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
  • 100本塁打:2010年4月13日、対横浜ベイスターズ4回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に牛田成樹から右越2ラン ※史上260人目
  • 1000試合出場:2010年6月5日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(ナゴヤドーム)、3番・三塁手で先発出場 ※史上436人目
  • 1000本安打:2011年4月16日、対阪神タイガース2回戦(ナゴヤドーム)、6回裏に榎田大樹から左前安打 ※史上263人目
  • 150本塁打:2013年9月5日、対広島東洋カープ20回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8回表今村猛から右越2ラン ※史上158人目
  • 1500試合出場:2014年4月11日、対広島東洋カープ4回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、5番・一塁手で先発出場 ※史上181人目
  • 300二塁打:2014年7月10日、対東京ヤクルトスワローズ12回戦(明治神宮野球場)、1回表にクリス・ナーブソンから右越適時二塁打 ※史上61人目
  • 1500安打:2015年6月27日、対広島東洋カープ9回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、3回表に前田健太から右前安打 ※史上118人目
その他の記録

背番号[編集]

  • 56 (1997年の入団発表時のみ)
  • 7 (1997年 - 1999年途中、2014年 - )
  • 8 (1999年途中 - 2001年途中、2004年 - 2005年)
  • 16 (2001年途中 - 2003年)
  • 31 (2006年 - 2009年)
  • 30 (2010年 - 2013年)

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 中日森野「覚悟していた」減額制限いっぱい40%減 - 野球.日刊スポーツ.2016年11月19日閲覧。
  2. ^ 中日山井&森野36歳コンビ3度目お立ち台 - 日刊スポーツ (2014年9月13日配信)
  3. ^ 森野選手、大島選手がゴールデン・グラブ賞を受賞 - 中日ドラゴンズ公式ウェブサイト (2014年11月6日配信)
  4. ^ 中日森野「ずいぶん多いな」20%減にとどまり驚き - 日刊スポーツ(2015年11月12日12時4分配信、2015年12月8日閲覧)
  5. ^ 中日・森野、1億4000万円でサイン…14年ぶりに本塁打ゼロ - サンケイスポーツ(2015年11月12日 13時59分配信、2015年12月8日閲覧)
  6. ^ 中日一筋21年の森野将彦引退 24日に最後の雄姿 - 日刊スポーツ(2017年9月21日18時2分配信、2017年9月24日閲覧)
  7. ^ 中日・森野、プロ最後の打席は一ゴロ 引退試合で7回に代打、本拠地大歓声 - Full-Count(2017年9月24日配信、2017年9月24日閲覧)
  8. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』 白夜書房、2010年、34頁。ISBN 978-4-86191-595-6
  9. ^ 森野「ミスター3ラン」本領発揮日刊スポーツ、2007年9月22日。
  10. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2008』 白夜書房、2008年、35頁。ISBN 978-4-86191-374-7
  11. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2007』 白夜書房、2007年、84頁。ISBN 978-4-86191-246-7
  12. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2009』 白夜書房、2009年、111頁。ISBN 978-4-86191-508-6
  13. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』 白夜書房、2011年、89頁。ISBN 978-4-86191-710-3
  14. ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰 『プロ野球スカウティングレポート2011』 廣済堂出版、2011年、264-265頁。ISBN 978-4-331-51519-8
  15. ^ 森野「失策王」返上だ中日スポーツ、2009年6月25日。
  16. ^ Baseball Lab守備評価~Third BasemanSMR Baseball Lab
  17. ^ 岡田友輔、道作、三宅博人、morithy、蛭川皓平、高多薪吾、Student、水島仁 『プロ野球を統計学と客観分析で考える セイバーメトリクス・レポート2』 水曜社、2013年、37頁。ISBN 978-4-88065-319-8
  18. ^ 野球を科学する。ゼット株式会社|プロ スタッフ|Central LEAGUE|森野 将彦

注釈[編集]

  1. ^ 俊足の赤星が先頭打者ではなくなったため。赤星は山本が苦手にし続けていた打者だった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]