ボン・ジョヴィ

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ボン・ジョヴィ
David Bryan Jon Bon Jovi and Tico Torres-SPX-063654.jpg
Bon Jovi(2013年)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニュージャージー州
ジャンル ハードロック[1]
ポップ・ロック[1]
グラム・メタル
活動期間 1983年 -
レーベル アイランド・レコード
マーキュリー・レコード
事務所 BJM
公式サイト Bon Jovi (英語)
メンバー ジョン・ボン・ジョヴィ(vo)
デヴィッド・ブライアン(key)
ティコ・トーレス(ds/perc)
旧メンバー アレック・ジョン・サッチ(b)
リッチー・サンボラ(g)

ボン・ジョヴィBon Jovi)は、アメリカ合衆国ロックバンド

概要[編集]

1984年デビュー。1986年発表の3rdアルバム『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』(原題:Slippery When Wet)がBillboard 200で8週連続1位を獲得し[2]、シングル「禁じられた愛」(You Give Love A Bad Name)、「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」(Livin' On A Prayer)もBillboard Hot 100で1位となって一躍有名となる[3]。さらに、1988年発表の4thアルバム『ニュージャージー』もBillboard 200で4週連続1位[2]、シングル「バッド・メディシン」(Bad Medicine)、「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」(I'll Be There For You)もBillboard Hot 100で1位となり[3]、人気を不動のものとした。

日本では1984年8月にロック・フェスティバル『SUPER ROCK '84 IN JAPAN』出演のために初来日し、熱烈な歓迎を受けた。初のゴールドディスク獲得や単独公演は日本で経験しており、バンドとの縁が深い国となっている。1989年にはアルバム「ニュージャージー」が第3回日本ゴールドディスク大賞「グランプリ・アルバム・オブ・ザ・イヤー」(洋楽部門)となり、「グランプリ・アーティスト・オブ・ザ・イヤー」(洋楽部門)も受賞した[4]。2003年には日本国外のアーティストでは初となる5大ドームツアーを開催している。

2004年にはアメリカン・ミュージック・アワードから「功労賞」を受賞されており[5]、2006年には「UK音楽の殿堂」入りをしている[6]。2007年にはジェニファー・ネトルズデュエットした「フー・セズ・ユー・キャント・ゴー・ホーム」(Who Says You Can't Go Home)で第49回グラミー賞「最優秀カントリー・コラボレーション賞」を受賞[7]。2009年にはジョン・ボン・ジョヴィリッチー・サンボラが、ナショナル・アカデミー・オブ・ポピュラー・ミュージック(NAPM)設立による「ソングライターの殿堂」入りをしている[8][9]

世界各国で開催しているライヴは、2008年の『Lost Highway Tour』、2010年の『The Circle Tour』、2013年の『Because We Can: The Tour』が、その年最も収益をあげたツアーに選ばれている[10][11][12]

トータルセールスは、1億2,000万枚以上と言われている。

メンバー[編集]

Jon Bon Jovi at the 2009 Tribeca Film Festival 3.jpg David Bryan of Bon Jovi at the 2009 Tribeca Film Festival.jpg Tico Torres Bon Jovi at the 2009 Tribeca Film Festival.jpg
ジョン・ボン・ジョヴィ
Jon Bon Jovi
ボーカルギター
1962年3月2日生まれ
デヴィッド・ブライアン
David Bryan
キーボードバッキング・ボーカル
1962年2月7日生まれ
ティコ・トーレス
Tico Torres
ドラムスパーカッション
1953年10月7日生まれ

その他メンバー[編集]

名前 パート 備考
元メンバー
デイヴ・セイボ(Dave Sabo) ギター 現在はスキッド・ロウギタリスト。リッチー加入前に参加していた
アレック・ジョン・サッチ(Alec John Such) ベース 1994年脱退
リッチー・サンボラ(Richie Sambora) ギター 2014年にジョンが「バンドを辞めた」と述べているが[13]、正式発表はない
サポート・メンバー
ヒュー・マクドナルド(Hugh McDonald) ベース 「夜明けのランナウェイ」(Runaway)でベースを弾いていたが、アレック脱退以降レコーディングやツアーでベースを担当している
ボビー・バンディエラ(Bobby Bandiera) ギター
カート・ジョンストン(Kurt Johnston) ペダルスティール・ギター
ロレンザ・ポンス(Lorenza Ponce) ヴァイオリン
ジェフ・カジー(Jeff Kazee) キーボード 2010年にデヴィッドの代役として参加
フィル X(Phil X) ギター 2011年・2013年にリッチーの代役として参加
リッチ・スキャネラ(Rich Scanella) ドラムス 2014年にティコの代役として参加

来歴[編集]

1980年代の初めに、ジョン・ボン・ジョヴィは16歳から知り合いで同い年のデヴィッド・ラッシュバウム(デヴィッド・ブライアン)らとニュージャージー州でライヴ活動を行っていた。1983年になるとアレック・ジョン・サッチが参加。彼がティコ・トーレスを連れてきてライヴ活動に参加した。その後、ジョン・ボン・ジョヴィ&ジ・ワイルド・ワンズとしてのショウを観に来ていたリッチー・サンボラがデイヴ・セイボに変わってバンドに加入し、デビュー時のメンバーが揃った[14]

1984年 - 1991年[編集]

1984年、アルバム『夜明けのランナウェイ』(原題:Bon Jovi)でデビュー。リード・トラック「夜明けのランナウェイ」は1985年に麻倉未稀が日本語でカバーし、TBS系ドラマ『乳姉妹』の主題歌に使用された[15]。同年8月にはロック・フェスティバル『SUPER ROCK 84 IN JAPAN』出演のために初来日。熱烈な歓迎にメンバーは感銘を受けた。この年、バンドはスコーピオンズのサポートとしてアメリカをまわり、キッスのサポートとしてヨーロッパをまわった。また、日本ではアルバムがバンド初のゴールド・ディスクを獲得した[16]。1985年、 2ndアルバム『7800°ファーレンハイト』(7800° Fahrenheit)を発表。タイトルの「7800°」とは、岩(ロック)も溶けてしまう温度である。アルバムに収録されている「TOKYO ロード」は、日本のファンへ感謝の意を込めて作られた。なお、本作からデヴィッドは現在の名前に改名している。メンバーはアルバム発表直後に来日し、バンド初の単独公演を日本で開催した[16]。その後ヨーロッパをまわり、イギリスドニントン・パークで開催されたロック・フェスティバル『モンスターズ・オブ・ロック』にも出演した。また、ラットのサポートとして全米もまわっている。

1986年、プロデューサーブルース・フェアバーンを迎えて制作された3rdアルバム『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』(原題:Slippery When Wet)を発表。アルバム発売直前には日本武道館を含む日本公演を行っている。その後、西ドイツ(当時)のニュルンベルクで開催された『モンスターズ・オブ・ロック』に出演、38スペシャルの前座として全米ツアーを行った。このツアー中にアルバムがBillboard 200で1位を獲得し(8週連続)[2]、シングル「禁じられた愛」(You Give Love A Bad Name)、「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」(Livin' On A Prayer)もBillboard Hot 100で1位となり、バンドは一躍有名になった[3]。1987年は年始からワールド・ツアーを開始。8月にはニューヨークマディソン・スクエア・ガーデン3日間公演を行い、イギリスのドニントン・パークで開催された『モンスターズ・オブ・ロック』にはヘッドライナーとして出演した。9月には再び来日し、日本公演を行った。10月のツアー終了までにアルバム『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』は全世界でおよそ1,800万枚セールスしたとされている[16]

1988年9月、4thアルバム『ニュージャージー』(New Jergey)を発表。Billboard 200・全英アルバムチャートで1位を獲得[2][17]。シングル「バッド・メディシン」(Bad Medicine)と「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」(I'll Be There For You)もBillboard Hot 100で1位を獲得し[3]、人気を不動のものとした。日本では、「バッド・メディシン」がSANYO CDラジカセ「ZooSCENE」・家庭用ビデオ規格「S-VHSCMソングに、「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」が富士フイルムAXIA」CMソングに起用され、ともにCMにメンバーが出演した。また、大晦日には東京ドームでフェス形式のカウントダウン・ライヴを行い、ラットキングダム・カムらと共演した。1989年は前日に続き元日からフェス形式のライヴを開催。その後、大阪・名古屋で単独公演を行った。この年、ボン・ジョヴィは第3回日本ゴールドディスク大賞でアルバム『ニュージャージー』が「グランプリ・アルバム・オブ・ザ・イヤー」(洋楽部門)を受賞し、「グランプリ・アーティスト・オブ・ザ・イヤー」(洋楽部門)も受賞した[4]。8月にはモスクワで開催された『モスクワ・ミュージック・ピース・フェスティバル』にヘッドライナーとして出演。オジー・オズボーンモトリー・クルー、スコーピオンズ・スキッド・ロウらと共演した。9月にはジョンとリッチーがMTV Video Music Awards授賞式で「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」と「ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ」(Wanted Dead Or Alive)をアコースティック・アレンジでパフォーマンス[18]。これにヒントを得てMTVが『MTVアンプラグド』を制作し、放送が開始された[19]

1990年、2年に及ぶロング・ツアーが2月に終了。連日のハードスケジュールでメンバーが消耗しきってしまい、バンド解散の噂が流れる様になる[16]。8月にジョンは映画『ヤングガン2』にインスパイアされて制作したソロ・アルバム『ブレイズ・オブ・グローリー』(Blaze Of Glory)を発表。Billboard 200で1位を獲得する。シングル「ブレイズ・オブ・グローリー」(Blaze Of Glory)もBillboard Hot 100で1位となった[20]。12月、解散騒動の最中、地元ニュージャージー州のカウント・ベイシー シアターでクリスマス・チャリティー・コンサートを開き、以後この時期のチャリティー・コンサートは恒例となる。年末には来日し、大晦日に再びボン・ジョヴィをヘッドライナーとしてシンデレラ、スキッド・ロウらと東京ドームでフェス形式のカウントダウン・ライヴが開催された。1991年、年明けから横浜・名古屋・大阪で単独公演を開催。しかし、ボン・ジョヴィの本格的な活動再開にまでは至らなかった。9月にはリッチーが1stソロ・アルバム『ストレンジャー・イン・ディス・タウン』(Stranger In This Town)を発表する。そして、同年秋にメンバーがバハマ諸島でバンドについて話し合いの場を設け、そこで再び結束することを誓い合った[21]

1992年 - 1999年[編集]

1992年、新しくマネージメント会社BJM(ボン・ジョヴィ・マネージメント)を設立。プロデューサーにボブ・ロックを迎えて制作された5thアルバム『キープ・ザ・フェイス』(Keep The Faith)を発表。アメリカではオルタナティブ・ロックが全盛期であったが、Billboard 200最高位5位と健闘し[2]、全英アルバムチャートでは1位を獲得した[17]。12月にはプロモーションのためにメンバーが来日した。 ツアーは1993年2月から行われ、6月に東京・大阪・広島・名古屋・前橋(群馬)・横浜で日本公演が開催された。

1994年、デビュー10周年。5月に東大寺大仏殿前で開催されたイベント『GME'94 〜21世紀への音楽遺産をめざして〜 AONIYOSHI』(The Great Music Experience)にジョンとリッチーが出演。10月には初のベスト・アルバムクロス・ロード』(Cross Road)を発表した。アルバムはアメリカ盤・日本盤・インターナショナル盤の3種類で発売され、アメリカ盤には「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」をアコースティック調にリメイクした「プレイヤー '94」(Prayer '94)が、日本盤には「TOKYO ロード」(Tokyo Road)が、インターナショナル盤には「イン・ジーズ・アームズ」(In These Arms)が収録された。アルバムは全英アルバムチャート1位を獲得し[17]、日本では初となるオリコンチャート1位を獲得し[22]ミリオンセラーとなった[23]。アルバムに収録された新曲「オールウェイズ」(Always)はBillboard Hot 100最高位4位とヒットした[3]。ところが、『クロス・ロード』発売と同時期にアレックの脱退が発表される。理由は「もっと自分の生活を楽しみたい」というものであった[24]。後任のベーシストには、メンバーの旧友であるヒュー・マクドナルドをサポート・メンバーに迎えた。

ヒュー・マクドナルド(2006年)

1995年5月、福岡・西宮(兵庫県)・東京で日本公演を開催。チケット代の一部が阪神・淡路大震災の被災者義援金となって寄付された[25]。6月に6thアルバム『ジーズ・デイズ』(These Days)を発表。全英アルバムチャート1位を獲得し[17]、日本でも2作連続となるオリコンチャート1位を獲得した[26]。ツアーはロンドンウェンブリー・スタジアム3日間公演など大規模なコンサートを開催した。一方、メンバー個人の活動としてジョンは俳優業を本格的にスタートしており、9月には映画デビュー作『ムーンライト&ヴァレンチノ』が公開された(日本公開は1996年10月)。ティコは絵画・彫刻アーティストとしてニューヨークなど数か所で個展を開催した[25]。1996年5月、1年ぶりに来日し福岡・西宮・横浜で日本公演を開催。7月のツアー終了はバンド活動を休止し、ソロ活動となった。年末にはジョンの初主演作『妻の恋人、夫の愛人』が公開された(日本公開は1997年5月)。

1997年、ジョンは俳優業をこなしながらレコーディングを行っており、6月にアルバム『デスティネーション・エニィホエア』(Destination Anywhere)を発表。七夕には日本武道館で1日限りの日本公演を行った。リッチーは7-9月期のフジテレビ系ドラマ『ビーチボーイズ』主題歌として、主演した反町隆史のデビュー・シングル「Forever」にギターとコーラスで参加。12月には2ndアルバム『アンディスカヴァード・ソウル』(Undiscovered Soul)を日本先行発売した。デヴィッドは1994年発表の『オン・ア・フル・ムーン…』(On A Full Moon)に続く2ndアルバム制作を進めていた矢先に指に大怪我を負ってしまい、およそ2年間治療とリハビリの生活を強いられることになった。1998年になるとリッチーがソロで来日し、東京・大阪・名古屋でソロ公演を開催した。

1999年、バンド活動再開。映画『エドtv』主題歌に「リアル・ライフ」(Real Life)を提供(デヴィッドは不参加)。6月から本格的なレコーディングがスタートする。12月にはジョンとリッチーがJ-FRIENDSへ提供したシングル「Next 100 Years」がオリコンチャート1位を獲得する[27]

2000年 - 2011年[編集]

2000年5月、およそ5年ぶりとなる7thアルバム『クラッシュ』(Crush)を発表。アルバムのプロデューサーにルーク・エヴィンを迎え、J-FRIENDSへ提供した「Next 100 Years」のセルフカバーや、テレビ朝日系ドラマ『29歳の憂うつ パラダイスサーティー』主題歌に起用された「サンキュー」(Thank You For Loving Me)を収録している。アルバム発売に合わせてプロモーションのためにメンバーが来日した。アルバムは全英アルバムチャート1位を獲得[17]。リード・トラックのシングル「イッツ・マイ・ライフ」(Its My Life)はボン・ジョヴィの新たなアンセムとしてヒットした。7月から開催されたワールド・ツアーは日本からスタートし、4大ドームツアーを行った[28]。8月にはウェンブリー・スタジアムで、解体前最後のコンサートを開催した[29]

リッチー・サンボラ(2001年)

2001年3月から4月にかけて日本公演を開催。日本独自企画として、ロック・トラックのみを集めたベスト・アルバム『TOKYO ROAD〜ベスト・オブ・ボン・ジョヴィ-ロック・トラックス』が発売され、3月28日の横浜アリーナ公演では本編のセットリストをアルバム収録曲順に演奏した。5月には初のライブ・アルバムワン・ワイルド・ナイト』(One Wild Night Live 1985-2001)を発表(日本盤は2001年12月に発売)。7月には地元ニュージャージーのジャイアンツ・スタジアムでツアー最終公演を行った。9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が起こると、各チャリティー活動に参加した。

2002年2月、ソルトレイクシティオリンピック閉会式でパフォーマンス。9月にはニューヨークのタイムズスクエアで開催されたイベント『NFL Kickoff Live From Times Square』にヘッドライナーとして出演[30]。日本では8thアルバム『バウンス』(Bounce)を発売。2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件の影響を受けたアルバムとなった[31]。アルバム発売に合わせて来日し、日本盤発売日の9月11日にはZepp Tokyoで一夜限りのスペシャル・ライヴを行い、大阪・名古屋・福岡・仙台のZepp会場で生中継された[16]。また、アルバム収録曲の「バウンス」(Bounce)がフジテレビ系ドラマ『ダブルスコア』挿入歌に、「ディスタンス」(The Distance)がアサヒスーパードライ」CMソングに起用された。

2003年1月、アルバム『バウンス』を引っ提げて日本国外のアーティストでは初となる5大ドームツアーを開催。アルバムのディスクジャケットや「エヴリデイ」(Everyday)のミュージック・ビデオにも登場した超大型干渉電波望遠鏡群を彷彿とさせるパラボラアンテナのステージセットが持ち込まれた。さらに、横浜アリーナではアコースティック編成でのライヴも行った。日本公演後はアメリカに渡り『第37回スーパーボウル』試合終了後にパフォーマンスした[32]。6月にはアイルランド共和国ダブリンで開催された『第11回スペシャルオリンピックス夏季大会』開会式に出席してパフォーマンス[32]。ロンドンではハイド・パーク公演を開催した。ワールド・ツアーは、8月のジャイアンツ・スタジアム公演で終了した。10月には、これまでの曲をアレンジしたアルバム『ディス・レフト・フィールズ・ライト 〜バック・アット・ザ・クロス・ロード』(This Left Feels Right)を発表。1月に行った横浜公演のライヴ音源をボーナス・トラックに収録している。

2004年、デビュー20周年とトータルセールス1億枚突破を記念して、デモ音源や未発表音源を多数収録した4枚組ボックス・セットザ・プレミア・コレクション 〜100,000,000 ボン・ジョヴィ・ファンズ・キャント・ビー・ロング』(100,000,000 Bon Jovi Fans Cant Be Wrong)を発表。リッチーやデヴィッド、ティコがメインボーカルとなっている曲も収録されている。

Have A Nice Day Tour(2006年)

2005年7月、世界同時に行われたチャリティー・コンサート『LIVE 8』にフィラデルフィアから出演。9月には、プロデューサーにジョン・シャンクスを迎えて制作した9thアルバム『ハヴ・ア・ナイス・デイ』(Have A Nice Day)を発表。1995年発売の『ジーズ・デイズ』以来10年ぶりとなるオリコンアルバムチャート1位を獲得した[33]。リード・トラック「ハヴ・ア・ナイス・デイ」(Have A Nice Day)もオリコンシングルチャート10位となり、23年ぶりに洋楽バンドのシングルがオリコンシングルチャートTOP10入りする快挙となった[34]。「ハヴ・ア・ナイス・デイ」はTOYOTARAV4」CMソングに起用された。

2006年4月、東京・名古屋・大阪・札幌のドーム球場で日本公演を開催。来日直前にリッチーが左腕を骨折するアクシデントが発生したが、無事にパフォーマンスした[16]。アメリカではジェニファー・ネトルズデュエットしてカントリー・ミュージック調にアレンジした「フー・セズ・ユー・キャント・ゴー・ホーム」(Who Says You Can't Go Home)がロック・アーティストとしては初めてビルボードのHot Country Songsチャートで1位を獲得した[35]

2007年、第49回グラミー賞において「Who Says You Can't Go Home」(Bon Jovi & Jennifer Nettles)が「最優秀カントリー・コラボレーション賞」を受賞した[7]。6月には10thアルバム『ロスト・ハイウェイ』(Lost Highway)を発表し、ロンドンではO2アリーナこけら落し公演を行った。その後来日し神戸・東京でのスペシャル・ライヴに参加した。なお、アルバムは通算4作目となるオリコンアルバムチャート1位を獲得[36]ビートルズベイ・シティ・ローラーズの記録を抜いて、洋楽バンドとしてオリコンアルバムチャート首位獲得数歴代単独1位となった[37]。また、Billboard 200でも『ニュージャージー』以来19年ぶりに1位を獲得し[2]、初の日米同時チャート1位となった[38]。10月には地元ニュージャージーにオープンしたプルデンシャル・センターで10日間のこけら落し公演を行い、ワールド・ツアーが開幕した。

ジョン・ボン・ジョヴィ(2008年)

2008年1月、名古屋・東京・大阪のドーム球場で日本公演を開催[39]。7月には地球温暖化防止活動のためのチャリティー・コンサート『ライブ・アース』にジャイアンツ・スタジアムから出演。ニューヨークのセントラル・パークではニューヨーク市やMLB、多数の企業の協賛による大規模なフリー・コンサートを開催した[10]。ワールド・ツアーは7月末に終了し、『Lost Highway Tour』はビルボード誌による2008年に開催されたすべてのアーティストの中で最高の興行収益をあげたコンサートになった[40]

2009年3月、パチスロにボン・ジョヴィが登場(BON JOVI (パチスロ))。4月から開催された『トライベッカ映画祭』に『Lost Highway Tour』の模様を追ったドキュメンタリー映画『ホエン・ウィー・ワー・ビューティフル』(When We Were Beautiful)が出品された。10月にはデヴィッドが音楽・作詞を手掛けたブロードウェイミュージカル『メンフィス』(Memphis)が上演開始となった。11月には11thアルバム『ザ・サークル』(The Circle)を発表。リード・トラックの「ウィー・ワーント・ボーン・トゥ・フォロー」(We Weren't Born To Follow)はWii専用ゲームソフト「ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル クリスタルベアラー」に起用された[41]。アルバム発売直前にはメンバーがプロモーションのために来日した。アルバムは3作連続となるオリコンチャート1位を獲得(3作連続のオリコンアルバムチャート1位は、洋楽アーティスト史上初)[42]。さらに、通算5作目のアルバム首位獲得はサイモン&ガーファンクルマライア・キャリーと並び洋楽アーティスト歴代1位タイとなった[43][44]。Billboard 200でも1位を獲得した[2]

2010年、2月からワールド・ツアー開始。5月にはジャイアンツ・スタジアムの老朽化に伴って新築されたニュー・メドウランズ・スタジアム(メットライフ・スタジアム)公演を行った。6月にはO2アリーナで12日間公演を行った。なお、6月13日公演のみデヴィッドは不参加となった(第64回トニー賞授賞式出席のため)[45]。日本では、独自企画としてボックス・セット『アクセス・オール・エリア〜スペシャル・エディション・コレクターズ・ボックス』が発売された。11月には『クロス・ロード』からおよそ16年ぶりとなるベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』(Greatest Hits)を発表。CDでは2枚組となる『グレイテスト・ヒッツ -アルティメット・コレクション』(Greatest Hits –The Ultimate Collection)も発表され、さらにアメリカ盤・インターナショナル盤・日本盤で収録曲が異なる内容になっている。日本では「禁じられた愛」が日清食品カップヌードル」CMソングに替え歌で起用され、1995年のウェンブリー・スタジアム公演の映像が使用された。11月30日・12月1日には東京ドーム公演が行われた[46]。『The Circle Tour』はビルボード誌による「Top 25 Tours of 2010」第1位となった[11]

2011年、東日本大震災の復興支援を目的としたチャリティー・アルバム『ソングス・フォー・ジャパン』(Songs For Japan)に参加。4月にはリッチーがアルコール依存症治療のためツアー不参加となり[47]、代役としてフィルXが参加した。ツアーは7月末のポルトガルリスボン公演で終了した。

2012年 -[編集]

Because We Can: The Tour(2013年)

2012年9月、リッチーが3rdソロ・アルバム『アフターマス・オブ・ザ・ローダウン』(Aftermath Of The Lowdown)を発表。この時点でボン・ジョヴィのニュー・アルバムはほぼ完成していたが、バンドとしては2013年から活動再開することになった[48]

2013年1月、「ビコーズ・ウィー・キャン」(Because We Can)を全世界に音楽配信。2月から『Because We Can: The Tour』を開始。3月に12thアルバム『ホワット・アバウト・ナウ』(What About Now)を発表。Billboard 200で1位を獲得した[2]。ところが、リッチーが4月2日のカナダカルガリー公演から不参加となり、フィルXが代役として再び参加した[49]。9月にはティコの入院により南米ツアーが延期され、一部が中止となった[50]。代役には地元ニュージャージー出身のリッチ・スキャネラが参加していたが、10月8日のカリフォルニア州フレズノ公演から復帰した[51]。12月3日・4日には京セラドーム大阪・東京ドームで日本公演が行われ、日本公演が延べ100回となった[52]。このツアーは、ポールスター誌による2013年に開催されたすべてのアーティストの中で最高の興行収益をあげたコンサートになった[12]

2014年、デビュー30周年。7月にはニューヨークの名称となってから350年を記念して、町に縁のあるアーティストのライヴを上映する『NY LIVE!』の第4弾として、ボン・ジョヴィ『インサイド・アウト』が日本国内の劇場で公開された[53]。また、ボン・ジョヴィ初となる“デラックス・エディション”シリーズとして、4thアルバム『ニュージャージー』のデラックス・エディションを発売。アルバム制作当時、バンド側は2枚組でのアルバム発売を構想していたが、レコード会社の指示で1枚になったという[54]。今回のデラックス・エディションには、『サンズ・オブ・ビーチズ』(Sons Of Beaches)として制作されていたデモ音源や未発表曲が収録されている。8月にはリッチーがソロで来日し、サマーソニックに出演[55]。その後、東京のライヴハウスで公演した。なお、リッチーについてジョンはショービズ411によるインタービューで「もうやめたんだよ。リッチーはもういないんだ。でも、悪い感情は全然ないよ。バンドをやるのには、なにも終身の義務じゃなくてもいいってことだよ。」と述べているが[13]、正式発表はない。

2015年、新曲と未発表曲で構成されたアルバム『バーニング・ブリッジズ』(Burning Bridges)を発表[56]

受賞歴[編集]

1987年
1987 MTV Video Music Awards「ベスト・ステージ・パフォーマンス」(「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」)[57]
1988年
第15回アメリカン・ミュージック・アワード「フェイバリット・ポップ/ロック・バンド/デュオ/グループ」[5]
1989年
第3回日本ゴールドディスク大賞【洋楽】「グランプリ・アーティスト・オブ・ザ・イヤー」・【洋楽】「グランプリ・アルバム・オブ・ザ・イヤー」(『ニュージャージー』)[4]
1993年
第7回日本ゴールドディスク大賞【洋楽】「アルバム賞」ロック・フォーク部門(『キープ・ザ・フェイス』)[58]
1994年
第8回日本ゴールドディスク大賞【洋楽】「ミュージック・ビデオ賞」(『キープ・ザ・フェイス・ライヴ』)[59]
1995年
第9回日本ゴールドディスク大賞【洋楽】「アルバム賞」ロック・フォーク部門(『クロス・ロード〜ザ・ベスト・オブ・ボン・ジョヴィ』)・【洋楽】「ミュージック・ビデオ賞」(『クロス・ロード〜ザ・ベスト・オブ・ボン・ジョヴィ』)[60]
1995 ワールド・ミュージック・アワード「最優秀ロック・アーティスト/グループ」[61]
1995 MTVヨーロッパ・ミュージック・アワード「最優秀ロック・アクト」[62]
1996年
1996 ブリット・アワード「ベスト・インターナショナル・グループ」[63]
第10回日本ゴールドディスク大賞【洋楽】「アルバム賞」ロック・フォーク部門(『ジーズ・デイズ』)・【洋楽】「ミュージック・ビデオ賞」(『ボン・ジョヴィ/ライヴ・フロム・ロンドン 〜ウェンブリースタジアム1995』)[64]
2001年
2001 エコー賞「ベスト・インターナショナル・バンド」[65]
第15回日本ゴールドディスク大賞【洋楽】「ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」(『クラッシュ』)[66]
第2回My VH-1 Music Awards「Hottest Live Show」[67]
2002年
MTV Asia Awards「Favourite Rock Act」[30]
2004年
第32回アメリカン・ミュージック・アワード「功労賞」[5]
2005年
デジタル・エンターテイメント・グループ「Creative Excellence Award」(『ディス・レフト・フィールズ・ライト・ライヴ』)[68]
2005 ワールド・ミュージック・アワード「特別賞」[68]
2006年
2006 CMTミュージック・アワード「Collaborative Video Of The Year」(ボン・ジョヴィ&ジェニファー・ネトルズ「フー・セズ・ユー・キャント・ゴー・ホーム」)
「UK音楽の殿堂」[6]
2007年
第33回ピープルズ・チョイス・アワード「フェイバリット・ロック・ソング」(「フー・セズ・ユー・キャント・ゴー・ホーム」)
第49回グラミー賞「最優秀カントリー・コラボレーション賞」(ボン・ジョヴィ&ジェニファー・ネトルズ「フー・セズ・ユー・キャント・ゴー・ホーム」)[7]
2008年
2008 CMTミュージック・アワード「Best Collaborative Video」(ボン・ジョヴィ Feat.リアン・ライムス「ティル・ウィー・エイント・ストレンジャーズ・エニィモア」)
2010年
2010 MTVヨーロッパ・ミュージック・アワード「グローバル・アイコン賞」[69]
2014年
ビルボード・ミュージック・アワード 2014「トップ・ツアー・アーティスト」[70]

ディスコグラフィ[編集]

※日付は日本盤発売日。

オリジナル・アルバム[編集]

ベスト・アルバム[編集]

日本公演[編集]

1984年 - 1999年[編集]

公演回数 会場
SUPER ROCK '84 IN JAPAN
(出演:ホワイトスネイクマイケル・シェンカー・グループスコーピオンズ、ボン・ジョヴィ、アンヴィル
1984年 8月4日 001 ナゴヤ球場
8月6日 002 福岡スポーツセンター
8月8日 003 大阪南港
8月9日 004
8月11日 005 西武球場
8月12日 006
7800°FAHRENHEIT TOUR
1985年 4月20日 007 中野サンプラザ
4月21日 008
4月24日 009 名古屋市公会堂
4月25日 010 大阪厚生年金会館
4月28日 011 渋谷公会堂
4月29日 012
4月30日 013
5月2日 014 北海道厚生年金会館
JAPAN TOUR 1986[71]
1986年 8月11日 015 愛知厚生年金会館
8月12日 016 福岡サンパレス
8月13日 017 フェスティバルホール
8月14日 018
8月16日 019 神戸国際会館
8月18日 020 日本武道館
8月20日 021 横浜文化体育館
8月21日 022 宮城県民会館
8月23日 023 青森市文化会館
8月25日 024 北海道厚生年金会館
FromA LIVE-ALIVE '87 SPECIAL
BON JOVI[72]
1987年 9月24日 025 日本武道館
9月25日 026
9月28日 027
9月29日 028
9月30日 029
10月1日 030 横浜文化体育館
10月3日 031 愛知県体育館
10月5日 032 大阪城ホール
10月6日 033
10月7日 034 静岡産業館
Heat Beat Live '89 in Big Egg
【FINAL COUNT DOWN】
(出演:ボン・ジョヴィ、ラットキングダム・カム、ブリトニー・フォックス)[73]
1988年 12月31日 035 東京ドーム
Heat Beat Live '89 in Big Egg
【BLAST OFF TOKYO】
(出演:ボン・ジョヴィ、ラット、キングダム・カム)[74]
1989年 1月1日 036 東京ドーム
Sanyo Heat Beat Live '89
BON JOVI[74]
1989年 1月5日 037 大阪城ホール
1月6日 038
1月7日 - 大阪城ホール[75]
1月9日(振替公演) 039 大阪城ホール
1月10日 040 名古屋レインボーホール
1月11日 041
電話100年記念 NTTスーパーコミュニケーション
THE BIG JOINT TOUR
(出演:ボン、ジョヴィ、シンデレラスキッド・ロウ、クワイアボーイズ)[76]
1990年 12月31日 042 東京ドーム
電話100年記念 NTTスーパーコミュニケーション
BON JOVI[77]
1991年 1月3日 043 横浜アリーナ
1月5日 044 名古屋レインボーホール
1月8日 045 大阪城ホール
1月9日 046
Keep The Faith Tour[78]
1993年 6月2日 - 日本武道館[79]
6月3日 047 日本武道館
6月4日 048
6月6日(昼公演) 049 国立代々木競技場第一体育館
6月6日(夜公演) 050
6月7日 051
6月9日 052 大阪城ホール
6月10日 053
6月12日 054 広島サンプラザ
6月13日 055 名古屋国際会議場 センチュリーホール
6月16日 056 グリーンドーム前橋
6月17日 057 横浜文化体育館
JAPAN TOUR 1995[80]
1995年 5月13日 058 福岡ドーム
5月16日 059 阪急西宮スタジアム
5月19日 060 東京ドーム
VOLKSWAGEN PRESENTS
BON JOVI
Japan Tour 1996[81]
1996年 5月14日 061 福岡ドーム
5月16日 062 阪急西宮スタジアム
5月18日 063 横浜スタジアム
5月19日 064
5月20日 065

2000年 -[編集]

公演回数 会場
JAPAN TOUR 2000
2000年 7月12日 066 東京ドーム
7月13日 067
7月15日 068 ナゴヤドーム
7月18日 069 福岡ドーム
7月20日 070 大阪ドーム
ONE WILD NIGHT TOUR
2001年 3月28日 071 横浜アリーナ
3月29日 072
3月31日 073 大阪ドーム
4月3日 074 ナゴヤドーム
4月5日 075 東京ドーム
BON JOVI - MTV NATIONWIDE LIVE
2002年 9月11日 076 Zepp Tokyo
BOUNCE WORLD TOUR 2003
2003年 1月8日 077 札幌ドーム
1月11日 078 大阪ドーム
1月12日 079
1月14日 080 福岡ドーム
1月16日 081 東京ドーム
1月17日 082
1月19日 083 横浜アリーナ
1月21日 084 ナゴヤドーム
BON JOVI
HAVE A NICE DAY
Supported by RAV4
2006年 4月8日 085 東京ドーム
4月9日 086
4月12日 087 ナゴヤドーム
4月14日 088 大阪ドーム
4月15日 089
4月18日 090 札幌ドーム
ASAHI SUPER DRY
THE SUPER DRY LIVE
(出演:ボン・ジョヴィ、DREAMS COME TRUEMALCO
2007年 6月28日 091 神戸ワールド記念ホール
6月30日 092 日本武道館
WOWOW presents
Lost Highway
supported by LAWSON
2008年 1月11日 093 ナゴヤドーム
1月13日 094 東京ドーム
1月14日 095
1月16日 096 京セラドーム大阪
THE CIRCLE TOUR
2010年 11月30日 097 東京ドーム
12月1日 098
Because We Can: The Tour
2013年 12月3日 099 京セラドーム大阪
12月4日 100 東京ドーム

タイアップ曲[編集]

映画使用曲[編集]

公開年 タイトル 映画タイトル 備考
1987年 エッジ・オブ・ア・ブロークン・ハート 『ファット・ボーイズの突撃ヘルパー』(Disorderlies) 日本では劇場未公開
1990年 ヤツらは町へ ネイビー・シールズ』(Navy Seals) シン・リジィカバー
1991年 ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ ハーレーダビッドソン&マルボロマン』(Harley Davidson and the Marlboro Man) 日本では1992年公開
1994年 グッド・ガイズ・ドント・オールウェイズ・ウェア・ホワイト 『カウボーイ・ウェイ/荒野のヒーローN.Y.へ行く』(The Cowboy Way) 日本では劇場未公開
1999年 リアル・ライフ エドtv』(EDtv) 日本では2000年公開
2001年 リヴィン・オン・ア・プレイヤー ロック・スター』(Rock Star)
2003年 チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』(Charlie's Angels: Full Throttle)
2004年 スクービー・ドゥー2 モンスターパニック』(Scooby-Doo 2: Monsters Unleashed)
2007年 ロスト・ハイウェイ 団塊ボーイズ』(Wild Hogs) 日本では2008年公開
ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ

日本国内でのタイアップ曲[編集]

タイトル タイアップ先 備考
1988年 プライス・オブ・ラヴ TBS系『日立 世界・ふしぎ発見!』エンディング・テーマ
リヴィン・オン・ア・プレイヤー 富士フイルムAXIACMソング CMにはメンバーも出演した
バッド・メディシン SANYO CDラジカセ「ZooSCENE」・家庭用ビデオ規格「S-VHS」CMソング
2000年 サンキュー テレビ朝日系ドラマ『29歳の憂うつ パラダイスサーティー』主題歌
セイヴ・ザ・ワールド ギャガ映画『U-571』日本版イメージ・ソング 映画にはジョンが出演している
2002年 バウンス フジテレビ系ドラマ『ダブルスコア』挿入歌
ディスタンス アサヒビールスーパードライ」CMソング
2005年 ハヴ・ア・ナイス・デイ TOYOTARAV4」CMソング
2006年 J SPORTSJ SPORTS STADIUM』テーマソング
2008年 ロスト・ハイウェイ NHK総合テレビNHK BS1メジャーリーグ中継』エンディング曲
2009年 ウィー・ワーント・ボーン・トゥ・フォロー Wii専用ゲームソフト「ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル クリスタルベアラー」CMソング
2010年 禁じられた愛 日清食品カップヌードル」CMソング 替え歌で使用された
2011年 ウィー・ワーント・ボーン・トゥ・フォロー J SPORTS『メジャーリーグ中継』テーマソング

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b Bon Jovi - ボン・ジョヴィ - キューブミュージック・2014年8月11日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h Bon Jovi – Chart History” (English). Billboard 200. ビルボード. 2014年10月8日閲覧。
  3. ^ a b c d e Bon Jovi – ChartHistory” (English). Billboard Hot 100. ビルボード. 2014年10月8日閲覧。
  4. ^ a b c 第3回日本ゴールドディスク大賞”. 日本レコード協会 (1989年). 2014年10月8日閲覧。
  5. ^ a b c The AMAs | Winners Search”. アメリカン・ミュージック・アワード. Disc Clark. 2014年10月12日閲覧。
  6. ^ a b Bon Jovi to be inducted into U.K. Music Hall of Fame” (English). 米国作曲家作詞家出版者協会(ASCAP) (2006年9月11日). 2014年10月11日閲覧。
  7. ^ a b c Bon Jovi” (English). GRAMMY.com. ナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンス(NARAS). 2014年10月8日閲覧。
  8. ^ Songwriters Hall of Fame – Jon Bon Jovi Exhibit Home” (English). Songwriters Hall of Fame. 2014年10月8日閲覧。
  9. ^ Songwriters Hall of Fame – Richie Sambora Exhibit Home” (English). Songwriters Hall of Fame. 2014年10月8日閲覧。
  10. ^ a b 2008年のニュース”. ユニバーサルミュージック. 2014年10月8日閲覧。
  11. ^ a b Top 25 Tours of 2010” (English). ビルボード (2010年12月8日). 2014年10月11日閲覧。
  12. ^ a b 2013年度「最も稼いだコンサート・ツアー」海外ランキング、発表”. BARKS (2014年1月2日). 2014年3月30日閲覧。
  13. ^ a b ボン・ジョヴィのジョン・ボン・ジョヴィ、リッチー・サンボラの脱退を明かす”. RO69. ロッキング・オン (2014年11月15日). 2015年8月15日閲覧。
  14. ^ シンコー・ミュージック・ムック アーカイブ・シリーズVol.2 ボン・ジョヴィ 2002, pp. 35-36.
  15. ^ ドラマで主演した伊藤かずえもカバーしている。
  16. ^ a b c d e f BIOGRAPHY”. ユニバーサルミュージック. 2014年10月9日閲覧。
  17. ^ a b c d e BON JOVI | Artist | Official Charts” (English). The Official Charts Company(OCC). 2014年10月9日閲覧。
  18. ^ 1989 MTV Video Music Awards”. MTV. バイアコム. 2014年10月10日閲覧。
  19. ^ 2007年のニュース”. ユニバーサルミュージック. 2014年10月10日閲覧。
  20. ^ Jon Bon Jovi – Chart History” (English). Billboard Hot 100. ビルボード. 2014年10月9日閲覧。
  21. ^ 伊藤政則 (1992年). ボン・ジョヴィ『キープ・ザ・フェイス』のアルバム・ノーツ [ブックレット]. 日本フォノグラム.
  22. ^ ザ・ベスト・オブ・ボン・ジョヴィ クロス・ロード”. ORICON STYLE. 2014年10月10日閲覧。
  23. ^ THE RECORD 平成7年12月号 No.433 (PDF)”. 日本レコード協会. p. 5. 2014年10月10日閲覧。
  24. ^ シンコー・ミュージック・ムック アーカイブ・シリーズVol.2 ボン・ジョヴィ 2002, pp. 142-144.
  25. ^ a b シンコー・ミュージック・ムック アーカイブ・シリーズVol.2 ボン・ジョヴィ 2002, p. 163.
  26. ^ ジーズ・デイズ”. ORICON STYLE. 2014年10月10日閲覧。
  27. ^ Next 100 Years”. ORICON STYLE. 2014年10月10日閲覧。
  28. ^ 7月12日(水) ボン・ジョヴィ@東京ドーム・レポート!”. BARKS (2000年7月19日). 2014年3月30日閲覧。
  29. ^ ウェンブリー・スタジアム、夏のコンサートに間に合わず”. BARKS (2006年4月3日). 2014年10月10日閲覧。
  30. ^ a b 2002年のニュース”. ユニバーサルミュージック. 2014年10月10日閲覧。
  31. ^ ボン・ジョヴィの『Bounce』、米国でリリース”. BARKS (2002年10月9日). 2014年3月30日閲覧。
  32. ^ a b 2003年のニュース”. ユニバーサルミュージック. 2014年10月10日閲覧。
  33. ^ ハブ・ア・ナイス・デイ〜スペシャル・エディション”. ORICON STYLE. 2014年10月10日閲覧。
  34. ^ ボン・ジョヴィ、洋楽バンドで23年ぶりの…”. ORICON STYLE (2005年9月6日). 2014年3月30日閲覧。
  35. ^ 2006年のニュース”. ユニバーサルミュージック. 2014年10月10日閲覧。
  36. ^ ロスト・ハイウェイ〜リミテッド・エディション”. ORICON STYLE. 2014年10月10日閲覧。
  37. ^ BON JOVI、新アルバムで偉業達成、テレビ出演時観覧募集も!”. BARKS (2007年6月19日). 2014年3月30日閲覧。
  38. ^ ボン・ジョヴィ、日本、アメリカ、ヨーロッパチャート完全制覇”. BARKS (2007年6月29日). 2014年3月30日閲覧。
  39. ^ BON JOVI、貫禄の日本ツアー@東京ドーム ライブレポ”. BARKS (2008年1月17日). 2014年3月30日閲覧。
  40. ^ 2008年コンサート・ツアー収益No.1はボン・ジョヴィ”. BARKS (2008年12月13日). 2014年3月30日閲覧。
  41. ^ FINAL FANTAGY CRYSTAL CHRONICLES: The Crystal Bearers”. スクエア・エニックス. 2014年10月10日閲覧。
  42. ^ ザ・サークル〜デラックス・エディション”. ORICON STYLE. 2014年10月10日閲覧。
  43. ^ ボン・ジョヴィ洋楽史上最多5作目首位「日本のファンに感謝」”. ORICON STYLE (2009年11月10日). 2014年3月30日閲覧。
  44. ^ ボン・ジョヴィ、記録達成おめでとう”. BARKS (2009年11月10日). 2014年3月30日閲覧。
  45. ^ Search Past Tony Awards Winners and Nominees” (English). アメリカン・シアター・ウィング. 2014年10月11日閲覧。
  46. ^ ボン・ジョヴィ、東京ドームが大合唱!”. MTVジャパン. MTVネットワークス・ジャパン (2010年12月2日). 2014年10月10日閲覧。
  47. ^ 「ボン・ジョヴィ」ギタリストのリッチー・サンボラ、アルコール依存症治療のためリハビリ入所へ。”. Techinsight. ディアプロダクツジャパン (2011年5月2日). 2014年10月10日閲覧。
  48. ^ BURRN!シンコーミュージック・エンタテイメント2013年4月、4頁。
  49. ^ ボン・ジョヴィのリッチー・サンボラ、新作『ホワット・アバウト・ナウ』のツアーから離脱”. RO69. ロッキング・オン (2013年4月4日). 2014年10月10日閲覧。
  50. ^ ボン・ジョヴィ、ティコ・トーレスの入院で南米ツアーが延期に”. RO69. ロッキング・オン (2013年9月13日). 2014年10月10日閲覧。
  51. ^ 緊急手術を受けていたボン・ジョヴィのティコ・トーレスがツアーに復帰”. RO69. ロッキング・オン (2013年10月11日). 2014年10月10日閲覧。
  52. ^ 【ライブレポート】ボン・ジョヴィ来日公演100回目、旅はまだまだ続く”. BARKS (2013年12月5日). 2014年3月30日閲覧。
  53. ^ Bon Jovi インサイド・アウト”. NY ANNIVERSARY LIVE!. マイシアター、ライブ・ビューイング・ジャパン. 2014年10月11日閲覧。
  54. ^ ボン・ジョヴィ、名盤『NEW JERSEY』が幻の『サンズ・オブ・ビーチズ』として復活?”. BARKS (2014年6月11日). 2014年7月10日閲覧。
  55. ^ RICHIE SAMBORA | LINE UP”. SUMMER SONIC 2014. クリエイティブマン. 2014年10月11日閲覧。
  56. ^ ボン・ジョヴィ、これまでバンドを支えてくれた世界中のファンへ贈る"ファン・アルバム" 8/21発売決定!”. ユニバーサルミュージック (2015年7月17日). 2015年8月15日閲覧。
  57. ^ 1987 MTV Video Music Awards”. MTV. バイアコム (1987年9月11日). 2014年10月11日閲覧。
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  59. ^ 第8回日本ゴールドディスク大賞”. 日本レコード協会 (1994年). 2014年10月11日閲覧。
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  65. ^ Suche nach: Bon Jovi” (German). Deutsche Phono-Akademie. 2014年10月11日閲覧。
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  68. ^ a b 2005年のニュース”. ユニバーサルミュージック. 2014年10月10日閲覧。
  69. ^ “グローバル・アイコン賞の紹介”. MTVジャパン (MTVネットワークス・ジャパン.): 該当時間: 00:28. (2010年11月7日). http://www.mtvjapan.com/video/event/34342 2014年10月11日閲覧。 
  70. ^ Winners List-Billboard Music Awards 2014” (English). ビルボード. 2014年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月11日閲覧。
  71. ^ History of UDO Artists 1986”. ウドー音楽事務所. 2014年10月8日閲覧。
  72. ^ History of UDO Artists 1987”. ウドー音楽事務所. 2014年10月8日閲覧。
  73. ^ History of UDO Artists 1988”. ウドー音楽事務所. 2014年10月8日閲覧。
  74. ^ a b History of UDO Artists 1989”. ウドー音楽事務所. 2014年10月8日閲覧。
  75. ^ 昭和天皇崩御のため、開催が自粛された。
  76. ^ History of UDO Artists 1990”. ウドー音楽事務所. 2014年10月8日閲覧。
  77. ^ History of UDO Artists 1991”. ウドー音楽事務所. 2014年10月8日閲覧。
  78. ^ History of UDO Artists 1993”. ウドー音楽事務所. 2014年10月8日閲覧。
  79. ^ ジョンが第1子出産に立ち会ったため、6月6日に振替となった。
  80. ^ History of UDO Artists 1995”. ウドー音楽事務所. 2014年10月8日閲覧。
  81. ^ History of UDO Artists 1996”. ウドー音楽事務所. 2014年10月8日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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