ダブリン
| ダブリン Baile Átha Cliath Dublin | |||||
|---|---|---|---|---|---|
上から: サミュエル・ベケット橋、ダブリンコンベンションセンター、オコンネル橋、トリニティ・カレッジ、カスタム・ハウス、ダブリン城 | |||||
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| 位置 | |||||
![]() ダブリン州内のダブリンの位置 | |||||
| 座標 : 北緯53度20分34秒 西経6度15分58秒 / 北緯53.34278度 西経6.26611度 | |||||
| 行政 | |||||
| 国 | |||||
| 地方 | レンスター | ||||
| 州 | ダブリン州 | ||||
| 市 | ダブリン | ||||
| 地理 | |||||
| 面積 | |||||
| 市域 | 114. 99 km2 | ||||
| 人口 | |||||
| 人口 | (2011年現在) | ||||
| 市域 | 1,110,627[1]人 | ||||
| 都市圏 | 1,904,806人 | ||||
| その他 | |||||
| 等時帯 | 西ヨーロッパ時間 (UTC+0) | ||||
| 夏時間 | 西ヨーロッパ夏時間 (UTC+1) | ||||
| 郵便番号 | D1-24, D6W | ||||
| 市外局番 | (+353)1 | ||||
| 公式ウェブサイト : www.dublincity.ie/ | |||||
ダブリン(英: Dublin [ˈdʌblᵻn]、アイルランド語:Baile Átha Cliath [ˈbˠalʲə aːhə ˈclʲiə]、Bleá Cliath [blʲaˈklʲiə] または Dubh linn)は、アイルランド島東部の都市で、アイルランドの首都である。リフィー川河口に位置し、その南北に町が広がる。
アイルランドの政治・経済・交通・文化の中心地であり、アイルランドの全人口の3分の1がダブリン首都圏に集中するアイルランド国内最大の都市である。欧州有数の世界都市であり、重要な金融センターの一つになっている。
市内にはアイルランド人の権利の拡大に尽力した人々やイギリスからの独立運動のために命を落とした活動家の名前が記念日や通りの名前に多く見られる。ダニエル・オコンネルに因む町の目抜き通りのオコンネル通り[2]やパトリック・ピアースにちなむピアース通り、コノリー駅などが例に挙げられる。これらは本来は別の名前がつけられていたが、1921年の独立[3]後に改名されたものである(オコンネル通りはかつてはサックビル通りと呼ばれていた)。
目次
歴史[編集]
ダブリンは、アイルランドの歴史の中でしばしば重要な役割をはたしてきた。
2世紀のアレクサンドリアの地理学者プトレマイオスの文献にエブラナとしるされている地が現在のダブリンとされる。住民であるケルト人は291年、レンスター軍との戦いで勝利をおさめた。ダブリンのアイルランド語の名称ブラー・クリーは、この勝利のあとにつけられた名称と考えられている。
先史時代・古代[編集]
450年ごろにパトリキウスによってキリスト教に改宗する。9世紀半ば頃、リフィー川から攻め上がってきたノルマン人ヴァイキングが、ここにあったケルト人の町を破壊して城砦を築き、これをゲール語で「黒い水たまり」を意味する「ドゥヴ・リン」Dubh Linn と呼んだのが町の英名の由来とされている。現在のダブリン城の地下にはその当時の遺構がうかがえ、またこの城の裏の庭がそのかつて「黒い水たまり」と呼ばれていた地域である。
中世[編集]
これにつづく3世紀の間、アイルランドの住民はデーン人からたびたびダブリンを奪回した。1171年、デーン人はイングランドのヘンリー2世にひきいられたアングロ・ノルマン人によって追放された。ヘンリー2世は翌1172年にダブリンに宮廷をおき、ここをイングランドの都市ブリストルの属領とした。こうしてダブリンはイングランドのアイルランド支配の拠点となったが、1534年に反乱がおき、アイルランドの愛国者フィッツジェラルドが一時支配した。
近世[編集]
17世紀、イギリスのピューリタン革命の間、ダブリンはクロムウェルの議会派勢力に包囲された。1798年のアイルランド民族主義組織ユナイテッド・アイリッシュメンの蜂起に際してはダブリン攻略の試みは失敗し、1803年、1847年、1867年にも蜂起がくりかえされた。1916年と1919年から1921年のアイルランド蜂起では、ダブリンははげしい戦場となっている。
歴代のアイルランド王や有力者、またアイルランドを植民地支配したイングランドもダブリン城に行政の拠点を置き、アイルランド独立にいたるまでアイルランドの行政と政治の中心であった。
17世紀末頃より、大陸から来たユグノーやフランドル人によって各種工業が発展し、18世紀には大英帝国第二の都市、ヨーロッパでも5番目に大きい都市となった。旧市街にはこの頃に建てられた建築物が数多く残っている。
イギリス植民地時代(近代)[編集]
1800年合同法がアイルランド議会にて可決、成立した。これにより、グレートブリテン王国との合同が成され、それとともにアイルランド議会は解散した。この頃より、ダブリンは政治的、経済的衰退に苦しんだ。
アイルランドは連合王国の他の地域と比較して、ベルファスト(造船とリンネル工業)などの一部の地域を除いて産業革命が進展しなかった。
1916年の復活祭蜂起、独立戦争、そして内戦はダブリンに物理的打撃を与えた。
独立後[編集]
英愛条約に基づき、1921年以降、ダブリンはイギリスの自治領「アイルランド自由国」の首都となった。自由国は独立の余波で破壊されたダブリンを再建し、立法機関であるウラクタスを設置した。1937年の新憲法施行により、「独立した民主的な国家」エールが成立した。
そして、1949年にアイルランドが英連邦より離脱し、共和制国家「アイルランド」の首都となった。
現在も、市の中心部のメリオン通りおよびメリオン・スクエア周辺にアイルランド共和国政府の議会や主要官庁が立ち並び、アイルランドの政治・経済・文化の中心として栄えている。
地理[編集]
アイルランド東部、アイリッシュ海にのぞむレンスター地方の都市。南部がウィックロー山地の一部になっているほか、地形はほぼ平らである。113kmにおよぶ海岸線には、リフィー川がそそぐダブリン湾のほか、多くの入り江や湾がある。ランベイ島やアイルランズ・アイ島などの島は、行政上ダブリン州に属している。ダブリンの地形はほぼ平坦で、市内中央部を東西に流れるリフィー川によって南北に分けられており、川にかかる10の橋の中ではオーコンネル橋が有名である。14kmにわたる環状道路が19世紀末の市街地をかこんでいるが、市域はその外側にも広がっている。リフィー川に面した港には大型船舶用の埠頭があり、ロイヤル運河とグランド運河の2つの大運河がダブリンとシャノン川をむすんでいる。
政府官庁や企業のオフィス、文化施設、またグラフトン通りなどの高級ショッピング街や中流階級の住宅地は町の南側に集中している。これに対して北側は庶民の住む下町地域であり、庶民のためのショッピング施設などが立ち並んでいる。
歴史的建造物の多くは、リフィー川南岸の旧市街にある。ダブリン城にはかつてイギリスのアイルランド総督府がおかれていた。ダブリン城の近くには、アイルランド聖公会の聖三位一体大聖堂(いわゆるクライストチャーチ大聖堂)がある。ほど近い所にあるゴシック建築の聖パトリック大聖堂は、やはりアイルランド聖公会に属しているが、アイルランド聖公会の司教は通常、聖三位一体教会を司教座聖堂として使用している。かつて聖パトリック大聖堂で主席司祭であったスウィフトは、自らの職場であったこの大聖堂に埋葬されている。なお、カトリック教会のダブリン司教は聖マリア臨時司教座聖堂を職場としている(ただしカトリック教会では今もダブリン司教の本来の任地は聖三位一体大聖堂としている)。
旧市街にはアイルランド銀行や、18世紀建造のカスタム・ハウス(税関)、アイルランド高等裁判所のあるフォー・コーツ、国会議事堂としてつかわれるレンスター・ハウスなどがみられる。市内には、オコンネル、政治家で弁論家のバーク、作家ゴールドスミスなど著名人の銅像が多い。西の郊外には、動物園や温室、森林公園、大統領官邸がある広大なフェニックス公園が広がる。
気候[編集]
北海道よりも遥かに高緯度に位置するが、メキシコ湾流の影響により冬の平均気温は東京都心と大差がなく、氷点下になる日も少ない。夏は涼しく、上がっても20℃を少し超える程度であり、25℃を超えることはめったにない。日によっては真冬並みに寒いこともある。年間降水量は日本よりも少ないが、雨の日が多く、特に冬は雨が多い。
| ダブリンの気候 | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
| 最高気温記録 °C (°F) | 16.6 (61.9) |
15.3 (59.5) |
21.3 (70.3) |
20.5 (68.9) |
23.4 (74.1) |
25.1 (77.2) |
27.6 (81.7) |
28.7 (83.7) |
23.9 (75) |
21.2 (70.2) |
18.0 (64.4) |
16.2 (61.2) |
28.7 (83.7) |
| 平均最高気温 °C (°F) | 7.6 (45.7) |
7.5 (45.5) |
9.5 (49.1) |
11.4 (52.5) |
14.2 (57.6) |
17.2 (63) |
18.9 (66) |
18.6 (65.5) |
16.6 (61.9) |
13.7 (56.7) |
9.8 (49.6) |
8.4 (47.1) |
12.8 (55) |
| 日平均気温 °C (°F) | 5.0 (41) |
5.0 (41) |
6.3 (43.3) |
7.9 (46.2) |
10.5 (50.9) |
13.4 (56.1) |
15.1 (59.2) |
14.9 (58.8) |
13.1 (55.6) |
10.6 (51.1) |
7.0 (44.6) |
5.9 (42.6) |
9.6 (49.3) |
| 平均最低気温 °C (°F) | 2.5 (36.5) |
2.5 (36.5) |
3.1 (37.6) |
4.4 (39.9) |
6.8 (44.2) |
9.6 (49.3) |
11.4 (52.5) |
11.1 (52) |
9.6 (49.3) |
7.6 (45.7) |
4.2 (39.6) |
3.4 (38.1) |
6.4 (43.5) |
| 最低気温記録 °C (°F) | −9.4 (15.1) |
−6.2 (20.8) |
−6.7 (19.9) |
−3.7 (25.3) |
−1.0 (30.2) |
1.5 (34.7) |
4.8 (40.6) |
4.1 (39.4) |
1.7 (35.1) |
−0.6 (30.9) |
−3.4 (25.9) |
−10.1 (13.8) |
−10.1 (13.8) |
| 降水量 mm (inch) | 69.4 (2.732) |
50.4 (1.984) |
53.8 (2.118) |
50.7 (1.996) |
55.1 (2.169) |
56.0 (2.205) |
49.9 (1.965) |
70.5 (2.776) |
66.7 (2.626) |
69.7 (2.744) |
64.7 (2.547) |
75.6 (2.976) |
732.7 (28.846) |
| 平均降水日数 | 18 | 14 | 16 | 14 | 16 | 14 | 13 | 15 | 15 | 16 | 16 | 18 | 185 |
| % 湿度 | 86 | 84 | 82 | 79 | 76 | 76 | 78 | 81 | 82 | 85 | 86 | 86 | 82 |
| 平均月間日照時間 | 56 | 71 | 112 | 156 | 183 | 180 | 167 | 158 | 129 | 96 | 72 | 53 | 1,433 |
| 出典: Met Éireann | |||||||||||||
政治[編集]
ダブリンはアイルランドの首都であり、アイルランド国民議会(ウラクタス、ドイル・エアランとシャナズ・エアランの二院で構成)の所在地である。アイルランド憲法においては、ダブリン及びその近郊に議会を開くことを義務付けている。
総選挙において、ダブリン5つの選挙区に分割されており、合計19のTDを選出する。選挙区と定数はダブリン中央 (3席)、 ダブリン湾北部 (5席)、 ダブリン北西 (3席)、 ダブリン南部 (4席)とダブリン湾南部 ( 4席 )となっている。
行政[編集]
ダブリン市の議会であるダブリン市議会(Comhairle Cathrach Bhaile Átha Cliath)は一院制であり、63議席で構成されている[4] 。ダブリンの市長は市議会より選出され、)委員会を組織する。委員会は住宅、交通行政、廃棄物処理、下水道及び都市計画などの分野への支出の年間予算を支出する。 市長には市議会の決定を実施する責任があり、過半数の議席を持つ政党または政党連合は、委員会のメンバーの人事権を行使できる。
2011年総選挙において、当時与党であった、フィアナ・フォイルは1議席を除く全議席を失った[5]。
経済[編集]
ダブリンはアイルランドの貿易の拠点で、家畜、農産物、スタウト・ビールなどの各種工業製品はここから輸出されている。かつては大英帝国第2の都市と呼称されるほどに栄えたものの、独立後アイルランド政府の保守政策と経済不況、またその結果としての人口の移民としての流出のために数十年にわたって寂れた。しかし欧州共同体への加入、そして1990年代に入ってからのIT・製薬・観光・金融産業などによる急激な経済成長により、かつての植民地時代の規模をはるかに超えた成長と人口増加が見られた。このため、不動産の高騰や交通渋滞など人口集中に伴う問題が多々起こり、町中のいたるところで街区の再開発が急ピッチで進められた。
近年の急激な経済成長のために人口が爆発的に膨張し、都市圏全体では100万人を超える。また、かつては世界最大の移民輸出国家であったが、中国・アフリカ・東欧諸国からの移民の増大が見られた。しかし2008年から経済成長に翳りが見え始め、2009年に入ってからは完全にバブル崩壊の状況である。2009年7月での失業率は11.9%。又、2009年9月発表では、2009年4月までの12ヶ月の間にアイルランドに入国した移民の数よりも、海外へ職を求め出国した数が上回る数字がでた。1995年以来初めてのことである。
金融サービスは、ダブリンが国際金融センターの一つとして発展するとともに重要な地位を占めるようになった。500以上の金融機関がIFSCプログラムの下で取引を行っている[6] 。ダブリンはアイルランドにおける金融の中心地である。 シティバンクや コメルツ銀行.などの外国銀行もダブリンに支店を設置している。主な取引所としては アイルランド証券取引所 (ISEQ),やインターネット・ニュートラル取引所 (INEX)、 アイルランド為替取引所 (IEX)などがある。 y Theatre]].
文化[編集]
町の南の郊外には、この町の生んだ20世紀を代表する作家、ジェイムズ・ジョイスが一時滞在していた建物が記念館として残っている。ジョイスにはこの地の人々の日常と町の歴史や苦難の過去を重ね写しにした佳作『ダブリン市民』という短編集もある。記念館はナポレオンの侵攻に備えて作られた見張り塔だった建物で、チェスの城の駒のかたちで異様な体をなしている。
ジョイスの代表作『ユリシーズ』は、ホメロス『オデュッセイア』の主人公2人に見立てたブルームとスティーヴン・ディーダラスが、ダブリンの町を知らず知らず互いを求めながらさまよう物語である。作品のなかの関係箇所と町のそこここの関連を表示した地図は、ダブリンを訪れた文学ファンの必須アイテムで、ダブリンの南郊にある南郊にある港町サンディコーヴにある塔、ジェームス・ジョイスタワー(元は、マーテルロータワー[7]といったもの。ジェームス・ジョイス記念館)で手に入れることが出来る。
また、この地の出身の哲学者にして、聖職者バークリ僧正は、アメリカに宣教に赴き、カリフォルニア大学バークリ校にその名前を残した。他にも聖パトリック大聖堂の首席司祭であったジョナサン・スウィフト、この町で生まれたオスカー・ワイルド、トリニティ大学出身でノーベル文学賞受賞者のサミュエル・ベケットなどこの町にゆかりのある文学者は多い。市の中心部にあるアイルランド・ライターズ・ミュージアムではこれらの文学者にゆかりの品が展示されている。
パブと音楽の町として観光客も多く、市内各地には無数のパブが建ち並んでいる。市内の各所では路上でパフォーマンスを繰り広げるミュージシャンの姿を見かける。ダブリン出身の有名なミュージシャンとしてU2やボブ・ゲルドフやマイ・ブラッディ・ヴァレンタインなどが挙げられる。市内中心部のテンプルバーはかつて荒廃していたが、政府の再開発計画によりパブ・ギャラリー・レストラン・カフェ・映画館・クラブ・ライブハウスなどの集中する観光名所・若者の地域として生まれ変わった。
教育[編集]
高等教育(第三レベル)[編集]
ダブリンはアイルランドの教育の主要な中心地である。3つの総合大学、ダブリン工科大学を始め、数多くの高等教育機関が所在している。
旧市街にあるトリニティ・カレッジは、アイルランド最古の大学の大学であり、ブリテン諸島の大学の中でもずば抜けた歴史と伝統を誇る。その歴史は16世紀まで遡る。旧図書館(オールド・ライブラリー)では、ケルト美術を代表する作品ケルズの書など、貴重な収蔵文献を見ることができる。また、市内中心部にある国立博物館には「タラのブローチ」など、多数のケルト美術の至宝が展示されている。町の歴史自体は決して古くはないが、市内の中心部には均整の取れた近世の美しい町並みが良く保存されており、観光客たちを楽しませている。 作家ジェームズ・ジョイスが学んだユニバーシティ・カレッジ・ダブリンはアイルランド国立大学を構成する大学のひとつで、アイルランド最大の総合大学である。おもな図書館はダブリン大学図書館、ロイヤル・ダブリン・ソサエティ図書館、国立図書館。そのほか、国立博物館、ナショナル・ギャラリー、19世紀末から20世紀初頭にかけてアイルランドの民族主義的文学運動の中心だった劇場アベイ座などがある。
初等・中等教育(第一・第二レベル)[編集]
アイルランド語学校[編集]
ダブリンにおいて10469人の学生がgaelscoileanna(アイルランド語小学校)かgaelcholáistí(アイルランド語高等学校)に所属しており、ダブリンは、アイルランドでも最大規模のアイルランド語学校がある。
交通[編集]
道路[編集]
アイルランドの道路交通網は主にダブリンを中心としている。 M50自動車専用道路はダブリンを半包囲する形で整備されており、国内の他の地域や北アイルランド方向の高速道路と接続している[8]。
2006年、交通渋滞問題解消の第一段階として、大型車対応のダブリン港トンネルが開通した[9]。 トンネルは ダブリン港や M1自動車専用道路、ダブリン空港と接続している。ダブリンは内側と外側の自動車専用道路に囲まれており、内側の自動車専用道路は、ジョージアン様式の街の中心部に接続しており、外側の自動車専用道路は、主にダブリン市内の2運河、大運河とロイヤル運河だけでなく、南北循環道路によって形成された自然な円に沿って整備されている。これらの自動車専用道路はほとんどが無料であるが、一部有料。このうち M50 は料金所が撤去されており、ETCを利用したり、インターネット[10]などから翌日午後8時までに通行料金を支払う仕組みである[11]。
ダブリンのバスは、約200路線の広範なネットワークで構成されている。 これらの大部分は、ダブリンバスが運営しているが、中小バス会社のバス運行事業を行っている。 運賃は一般的に移動した距離に基づいて、ステージシステムで計算されます。 ほとんどのサービスに適用運賃やいくつかの異なるレベルがあります。 2012年に導入された、「リアルタイム旅客情報」システムはダブリンバスにて採用されており、導入したバスは位置決定のGPSに基づいて、次のバスの到着時刻に関する情報を中継して表示する。 国家運輸局は、ダブリンのバスと鉄道サービスの統合のためのプリペイドスマートカードの導入に携わってた。
鉄道と路面電車[編集]
イルンロード・エールン(アイルランド語: Iarnród Éireann)により、インターシティ、コミューター、および DART (Dublin Area Rapid Transit) が運行されている。ダブリン・ヒューストン駅とダブリン・コノリー駅はダブリンの主要ターミナル駅である。DARTはダブリンの沿岸に沿って運行しており、ダンドークやラウス郡のドロイダなどのベットタウンと接続している。また、近郊路線としては「Greystones」があり、これはウィックリー州より接続している。路線全体の旅客数はそれぞれ年間1600万人と1170万人だった[12]。
また、中心市街地をルアス (Luas)と呼ばれる路面電車が2方向に運行されている。ルアスは2004年開業し、22.7キロメートル(36.5マイル)、54停留所の2本の路面電車ラインから成る。
飛行機[編集]
ダブリン空港が北部に存在し、エアリンガスやライアンエアーをはじめとして国内外を結んでいる。
船舶[編集]
ダブリン港よりフェリーが、ウェールズのホリーヘッドとを結んでいる(ステナ・ラインとアイリッシュ・フェリーによる運航)。ユーロ・ライン・バス (Eurolines) により、ロンドンやエジンバラへの長距離バスが、これらのフェリーを経由して運行されている。
映画[編集]
- ONCE ダブリンの街角で - ダブリンを舞台にしたアイルランド映画。2007年制作。
スポーツ[編集]
アイリッシュ・ベースボール・リーグのダブリン・ブラックソックス、ダブリン・ハリケーンズ、ダブリン・スパルタズが本拠地としている。
姉妹都市[編集]
脚注[編集]
- ^ “Census of Population 2011”. Profile 1 - Town and Country. Central Statistics Office. p. 11 (2012年4月26日). 2014年1月16日閲覧。
- ^ 1882年、リフィー川沿いに彼の像が立てられ、またカーライル橋がオコンネル橋と改名されて以来、この通りがオコンネル通りと呼ばれるようになった。オコンネルは、1841年、カトリック教徒で初めてのダブリン市長になった弁護士。
- ^ アイルランド独立戦争を参照のこと。
- ^ “Local Elections 2014”. Dublin City Council. 2014年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月13日閲覧。
- ^ “Constituency Commission Report 2012”. Constituency Commission. 2014年7月22日閲覧。
- ^ “I.F.S.C”. I.F.S.C.ie (2010年6月21日). 2010年1月21日閲覧。
- ^ 19世紀にナポレオンの侵攻に備えてイギリス海軍が建設した要塞の一つ。
- ^ “E-Flow Website”. eFlow. 2011年7月29日閲覧。
- ^ https://www.eflow.ie/
- ^ https://www.eflow.ie/
- ^ http://www.ikikou.com/archives/78 支払いを怠ると罰金が課され、たとえばレンタカーを利用していた場合は、その分が料金に追加される。
- ^ “DART (Dublin Area Rapid Transit)”. 2011年7月28日閲覧。
外部リンク[編集]
- 公式
- ダブリン市公式サイト (英語)
- 観光
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