ギネス家

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ギネス家: Guinness family)は、イギリスアイルランドの財閥・貴族。

アーサー・ギネス1759年ダブリンで創業したビール醸造会社ギネスの事業によって巨万の財を築いたのに始まる。子孫・一族は数多く、醸造業に留まらず、政界・金融業界・宗教界など様々な分野に門葉を広げている。貴族としてはアイヴァー伯爵家とその分流であるモイン男爵家の2家がある(また貴族ではないが、この二家の本家筋として(アシュフォードの)準男爵家がある)。

歴史[編集]

1759年アイルランドダブリンセント・ジェイムズ・ゲート英語版の休業状態の醸造所をアーサー・ギネス(1725–1803)が賃借し、ビール醸造会社ギネスを創業した[1]

ギネスの事業は大成功をおさめ、アーサーの死後事業は、その次男アーサー・ギネス2世(1768–1855)に継承された[2]。彼は1818年アイルランド銀行副頭取、1820年にアイルランド銀行頭取に任じられ、これをきっかけに金融分野でもギネスの影響力は大きく高まっていく[3]

アーサー2世は1820年頃に金融業に集中するために醸造業を離れており、醸造業はその三男であるベンジャミン・ギネス(1798–1868)が指導していくようになる。彼の代にも事業はどんどん拡大していった[4]。彼は保守党庶民院議員としても活躍していたので1867年4月15日(アシュフォードの)準男爵に叙せられている[5]

初代準男爵ベンジャミンの死後、ギネスの事業はその三男であるエドワード・ギネス(1847–1927)によって継承された。彼の代にギネスは世界トップ企業となった[6]。彼は1919年9月30日連合王国貴族アイヴァー伯爵に叙せられた[7][8]

初代アイヴァー伯の死後はその長男2代アイヴァー伯爵ルパート・ギネス(1874–1967)が事業を継承した。彼が会長をしていた時期の1954年にギネスは宣伝のためにギネスブックを作るようになった[9]。1962年に2代伯が引退した後はその孫である3代アイヴァー伯爵ベンジャミン・ギネス英語版(1937–1992)が事業を継承した。1986年に3代伯が会長を辞すと創業以来初めてギネス一族ではない人間アーネスト・ソンダースが会長に就任した。以降ギネスはギネス家の直接的な一族支配企業ではなくなった[10]

一族には政治家になった者も多い。初代準男爵ベンジャミンの長男アーサー・ギネス英語版(1840–1915)は醸造事業を弟エドワード(初代アイヴァー伯爵)に譲って政治に専念し、保守党の庶民院議員として活躍した後、1880年5月1日に連合王国貴族爵位アーディローン男爵に叙せられた。彼がギネス一族で初めて貴族に叙せられた者だったが、子供がなかったのでこの爵位は彼一代で絶えている[11]。また初代アイヴァー伯の三男ウォルター・ギネスも保守党の政治家として閣僚職を歴任し、1932年に連合王国貴族爵位モイン男爵に叙されているが(貴族として現在まで続いているギネス家はアイヴァー伯爵家とこのモイン男爵家のみ)[12]、中東大臣在職中にパレスチナのユダヤ人居住制限派と見做されてパレスチナのユダヤ人ゲリラ組織の恨みを買い、大英帝国半植民地エジプトにおいて暗殺された。この事件はパレスチナのユダヤ人社会に衝撃をもたらし、1948年のイスラエル建国の際に英国政府の態度が硬化するなどシオニズム運動の大きな打撃となった[13]

始祖アーサーの弟サミュエル・ギネス(-1795)の孫にあたるロバート・ラウンデル・ギネス英語版(1789–1857)は1836年マーチャント・バンク英語版ギネス・マーン社英語版を創業しており、この家系も現在に至るまで国際金融の世界で活躍を続けており、「金融のギネス一族」と呼ばれている[14]。また始祖アーサーの末息子ジョン・グラッタン・ギネス(1783–1850)の子ヘンリー・グラッタン・ギネス英語版(1835–1910)とその子供は聖職者が多く、中国をはじめとするアジアでのキリスト教伝道に尽力し、「神のギネス一族」と呼ばれている[15]

ギネス一族[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ マンスフィールド 2012, p. 90-92.
  2. ^ マンスフィールド 2012, p. 122-123.
  3. ^ マンスフィールド 2012, p. 126-127.
  4. ^ マンスフィールド 2012, p. 131/133/141-142.
  5. ^ Lundy, Darryl. “Sir Benjamin Lee Guinness, 1st Bt.” (英語). thepeerage.com. 2016年9月6日閲覧。
  6. ^ マンスフィールド 2012, p. 151.
  7. ^ Heraldic Media Limited. “Iveagh, Earl of (UK, 1919)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年9月6日閲覧。
  8. ^ Lundy, Darryl. “Edward Cecil Guinness, 1st Earl of Iveagh” (英語). thepeerage.com. 2016年9月6日閲覧。
  9. ^ マンスフィールド 2012, p. 277/280/295.
  10. ^ マンスフィールド 2012, p. 299-302.
  11. ^ Lundy, Darryl. “Arthur Edward Guinness, 1st and last Baron Ardilaun of Ashford” (英語). thepeerage.com. 2016年9月6日閲覧。
  12. ^ Heraldic Media Limited. “Moyne, Baron (UK, 1932)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年9月6日閲覧。
  13. ^ マンスフィールド 2012, p. 289-290.
  14. ^ マンスフィールド 2012, p. 202.
  15. ^ マンスフィールド 2012, p. 202-250.

参考文献[編集]

  • マンスフィールド, スティーヴン 『ギネスの哲学 地域を愛し、世界から愛される企業の250年』 英治出版2012年ISBN 978-4862761149