ボルドー

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ボルドー
Bordeaux

Coat of Arms of Bordeaux (Variant with grapes).svg

Montage Bordeaux.jpg

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) Flag of Nouvelle-Aquitaine.svg ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏
(地域圏首府)
(département) Flag of Gironde.svg ジロンド県
(県庁所在地)
(arrondissement) ボルドー
(郡庁所在地)
小郡 (canton) 8小郡庁所在地
INSEEコード 33063
郵便番号 33000, 33100, 33200, 33300, 33800
市長任期 ピエール・ユルミク(EELV
2020年-2026年
自治体間連合 (fr) ボルドー・メトロポール
人口動態
人口 239,399人
2011年
人口密度 4,850人/km2
地理
座標 北緯44度50分19秒 西経0度34分42秒 / 北緯44.838611度 西経0.578333度 / 44.838611; -0.578333座標: 北緯44度50分19秒 西経0度34分42秒 / 北緯44.838611度 西経0.578333度 / 44.838611; -0.578333
標高 平均:6 m
最低:1 m
最高:42 m
面積 49.36km2
ボルドー Bordeauxの位置(フランス内)
ボルドー Bordeaux
ボルドー
Bordeaux
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ボルドー(Bordeaux)は、フランス南西部の中心的な都市。ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏の首府、ジロンド県の県庁所在地[1]アキテーヌ公国の首府だった。

概要[編集]

ボルドーは、ガロンヌ川に面した港町[2]。市街地は川の湾曲部にそって三日月形に形成され、月の港と呼ばれる。世界遺産に登録された。

  • 市中心部から北側にかけては、都市計画による大通りがある。
  • 市の中心部から南側へかけては旧市街地であり、18世紀に城壁を取り壊し近代化の手が入ったが、狭くてまがった古い通りを多く残している[3]

2007年にボルドーの市街区域1810ヘクタールが世界遺産に登録された。18〜19世紀の都市計画によって生まれた調和のある街並みと、近年のガロンヌ河岸の歩行者空間と一体となった歴史的な再開発が評価された。

ボルドーワインの産地として世界的に有名。

地理[編集]

位置[編集]

ジロンド県におけるボルドー

ボルドーはフランス南西部の大西洋の近くに位置する。 直線距離でパリから498km、ポーから172km、トゥールーズから220km、ビアリッツから170km、サン・セバスティアンスペイン)から201km、アルカションから51kmの地点に位置する。

概論[編集]

街をガロンヌ川が横切っている[4]。港町であり外洋船舶が接岸可能である[5]。ボルドーにはガロンヌ川最下流の橋であるアキテーヌ橋(fr:pont d'Aquitaine)がある。

中心市街地開発[編集]

都市圏は急速に発展し、特に西方で強度のスプロール現象をもたらした。この現象は、特に、ボルドー都市圏の住居が3階建てを越えることがほとんどなく、その上、4階建ては市街地中心部に隣接した城郭外に存在するという事実と結びついている。

1960〜1970年代に中心市街地のメリアデック(Mériadeck)地区の改造が行われ、人と自動車の通行を分離するために道路の上に歩行者用の歩道が建設された。この事業の成果については論争がある。

2000年代初頭から、新たな中心市街地再開発が始まり、伝統重視、交通政策見直し(路面電車の復活[6]など)により大きく変貌した。

隣接コミューン[編集]

地質と地形[編集]

ボルドーの地形

ボルドー市街地の大部分が位置するガロンヌ川左岸は、ボルドー湖(Bordeaux-Lac)周辺のように多くの場合湿地である大平原を構成する。いくつかの丘があるにも関わらず、左岸の平均標高は低い。この草原は主に砂利(gravier)が堆積したものである。 都市圏西部はランド砂平野(plaine sableuse des Landes、fr:Landes de Bordeaux)上に一部重なる。そこでは土壌はやせ、水を透過し、熱を容易に貯蔵する。その土壌は完全にブドウ栽培に適合している。ボルドーの街は地質面で極めて類似するメドック(下流)とグラーヴ(上流)の間に位置する。

ガロンヌ川右岸は平原から石灰岩台地にかわるので、全く違う様相である。標高は崖で90m近く上昇する。この台地上には、世界で最も高いワインを産するサン=テミリオンポムロールフロンサックといった世界的ブドウ園が、ボルドーから約20kmにわたって存在する。

気候[編集]

アキテーヌの気候は海洋性であり、冬はとても穏やかで、夏は暑いボルドーの特徴に表れている。降水は頻繁にあり、年間820mmの降水量が多い年で年150日、一年を通じて降る。夏には降水は暑さによる雷雨によって頻繁になる。1883年7月、フランスで最も多くかつてない30分間降水量を記録した降雨が、ボルドーで観測された。

平均気温は1月の6.4℃から8月の20.9℃で、年間平均気温は13.3℃である。ボルドーでは夏に15〜20日程度、気温が摂氏30度を超える日がある。最高気温は2003年夏に観測され、摂氏41度に達した。その夏、気温が摂氏35度を超える日が過去最高の12日間続いた。 ボルドーはしばしば年間2000時間を越えて2200時間にも達する沿岸部の長い日照時間の恩恵を享受している。

ボルドーは1985年1987年の厳冬、そして1988年から1992年にかけての乾燥でも知られる。より最近では、2002年から2005年の深刻な乾燥で知られている。

ボルドーは1892年8月16日観測の41.9度の最高記録気温と、1985年1月16日観測の-16.4度の最低記録気温と言った記録を持ち、Cfb(西岸海洋性気候)の気候区分に属する。年平均気温は13.3度である。

ボルドー・メリニャック (1971-2000)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C°F 10.0
(50)
11.7
(53.1)
14.5
(58.1)
16.5
(61.7)
20.5
(68.9)
23.5
(74.3)
26.4
(79.5)
26.6
(79.9)
23.7
(74.7)
18.8
(65.8)
13.4
(56.1)
10.7
(51.3)
18.1
(64.6)
日平均気温 °C°F 6.4
(43.5)
7.6
(45.7)
9.6
(49.3)
11.6
(52.9)
15.4
(59.7)
18.3
(64.9)
20.8
(69.4)
20.9
(69.6)
18.1
(64.6)
14.2
(57.6)
9.4
(48.9)
7.3
(45.1)
13.3
(55.9)
平均最低気温 °C°F 2.8
(37)
3.4
(38.1)
4.6
(40.3)
6.6
(43.9)
10.3
(50.5)
13.0
(55.4)
15.1
(59.2)
15.2
(59.4)
12.5
(54.5)
9.5
(49.1)
5.5
(41.9)
3.8
(38.8)
8.5
(47.3)
降水量 mm (inch) 92
(3.62)
83
(3.27)
70
(2.76)
80
(3.15)
84
(3.31)
64
(2.52)
55
(2.17)
60
(2.36)
90
(3.54)
94
(3.7)
107
(4.21)
107
(4.21)
984.2
(38.748)
平均月間日照時間 107 114 180 177 222 225 243 243 183 134 91 72 1,992
出典:Météo France

歴史[編集]

マネ作「ボルドーの港」(1871年)

ボルドーの町は紀元前300年ケルト系ガリア人によって創設され、ブルティガラと呼ばれた。

紀元前1世紀にはローマに占領されて主要な交易港となり、ワイン生産が盛んで商業地として栄えた。

4世紀には、アクイタニア・セクンダ属州の州都となり、大司教座がおかれた。5世紀にローマ帝国が崩壊した後にゲルマン民族の一派であるゴート人に支配された。732年にはイベリア半島から来たアブド・アル・ラフマーンのイスラム軍に占領されている。10世紀にはノルマン人ヴァイキングの侵略を受けた。

10世紀後半にポワトゥー伯家がアキテーヌ公となった。1154年、アキテーヌ女公エリアノールが、後のイングランド王となるヘンリー2世と結婚したため、イングランド王(プランタジネット家)がアキテーヌ公となり、アキテーヌ公爵領およびボルドーは12世紀から15世紀にかけてイングランドの支配下に入った(アンジュー帝国)。

イングランドとフランスとの戦い(百年戦争)で、フランス王はアキテーヌ公爵領をイングランドから奪い、1453年10月19日にボルドーが陥落し、イングランドは撤退した。しかしボルドーは1548年から1675年にかけてフランス王の支配に対して反逆した[7]

ボルドーは18世紀西インド諸島との貿易で黄金時代を迎える。

フランス革命時には、穏健共和派であるジロンド派の本拠地であった。ジャコバン派による恐怖政治の時代には、ボルドーのジロンド派に対して報復が何度もなされた。

1871年、普仏戦争が敗勢に陥る中、ボルドーで国民議会が開催され、ボルドーにフランス政府が置かれた。この時に、ティエールが行政長官に選ばれた[8]

第一次世界大戦中にも、ドイツ軍がパリ近郊まで迫ったため、フランス政府が首都機能をトゥールを経てボルドーに遷された。

第二次世界大戦でも1940年6月11日以降、首都機能はトゥールを経てボルドーに再移転した[9]。間もなくドイツ軍に占領された(政府はヴィシーに移転)。

1945年4月、連合軍の手によって解放された。当時、レジスタンス運動の指導者だったジャック・シャバン・デルマスが戦後の1947年から1995年まで長期に亘ってボルドー市長を務めた。

1995年から2004年までボルドー市長はアラン・ジュペが占めた。

交通[編集]

鉄道[編集]

1841年に、ボルドー - ラ・テスト鉄道によってラ・テスト=ド=ビュック との間で開業したのがボルドーにおける鉄道の始まりである。このボルドーの駅は、ボルドー=セギュール駅だった[10]

1852年パリ・オルレアン鉄道が、ボルドーとアングレームを結ぶ路線を開通させ、ボルドーとパリ間が鉄道で結ばれた。このボルドーの駅は、ガロンヌ川右岸(北岸)に位置するボルドー=オルレアン(Bordeaux-Orléans)駅(ボルドー=バスティード(Bordeaux-Bastide)駅)で、パリ、クレルモン=フェランリヨンとを結ぶ列車の起終点となった。ボルドー=セギュール駅との間はガロンヌ川でを隔てられピエール橋を馬車で渡る必要があった。

1853年、ボルドー - ラ・テスト鉄道はミディ鉄道(Compagnie des chemins de fer du Midi)に統合された。1855年に、ボルドー=サン=ジャン駅が作られ、ボルドー=セギュール駅は廃止された。

1900年頃のエッフェル橋

1860年に、この2つの鉄道会社の駅を鉄道で連絡しガロンヌ川を渡るエッフェル橋(2線)がギュスターヴ・エッフェルとポール・レニョー(Paul Régnauld)によって建設された。

1898年、より多くの旅客を迎えるため、サン=ジャン駅の現在の駅舎が建設された。その後、パリなどと結ぶ列車も起終点駅となった。

一方、オルレアン駅は、徐々にその価値を失い、1934年の2会社の合併(パリ=オルレアン鉄道とミディ鉄道)と1938年フランス国鉄(SNCF)設立とは、オルレアン駅の終焉をもたらした[11]

今日ボルドーは、パリとスペインの間における鉄道の要所となっている。ボルドーの中心駅(ボルドー=サン=ジャン駅)はTGVによってモンパルナス駅(パリ)、シャルル・ド・ゴール空港第2TGV駅(パリ)、トゥールーズイルンダクスアンダイエポーと結ばれている。またコライユTER、「ヴァンタドゥール」(Ventadour)によって、ナントペリグーモン=ド=マルサンリモージュリヨンクレルモン=フェランとも結ばれている。

2008年に、通行容量を増強するために、それまでのエッフェル鉄道橋に隣接して新たなガロンヌ川鉄道橋(4線)が建設され、2線の供用が開始された。またLGV南ヨーロッパ大西洋線(TGV高速新線)がボルドー駅まで乗り入れた(2017年7月2日開業)[12]モンパルナス駅(パリ)から最短で2時間10分でボルドー駅へ到着する。

メドックへ向うTER路線へは、トラムC線がCracovie駅から分岐しBlanquefort駅まで乗り入れている(2016年12月17日開業、fr:Tram-train du Médoc)。

航空[編集]

ボルドー・メリニャック空港は市中心部から西へ約10km離れたメリニャックに位置する。2019年の旅客数は770万人だった。毎日140便以上がボルドーと世界60都市を結んでいる。
空港には、ロカード11b出口からアクセスできる。またバス路線が市内中心部と結んでいる(サン=ジャン駅直行シャトルバスJet'Bus、もしくはTBCのバス1系統)。

市内公共交通[編集]

ボルドーとその都市圏(ボルドー都市共同体(CUB))の公共交通路線網は、Tram et Bus de la CUB(CUBのトラムとバス、略称はTBC)が運営する。事業経営面は公共サービス委託契約によって、ケオリ・グループの企業であるケオリ・ボルドー(Keolis Bordeaux)により経営されている。TBCは、トラムB線の開業に伴う路線再編後の2004年7月3日に発足した。

TBCの路線網は次の通り:

  • トラム4路線(A線、B線、C線、D線)
  • ボルドー及びその都市圏における定期路線バス65路線
    • Flexoサービス
    • Resagoサービス
  • ButCUBサービス(船)

路線網はボルドー都市共同体内の27コミューン(基礎自治体)において、午前5時から翌午前1時まで運行している。

トラム[編集]

ボルドーではトラムの運行が2003年12月21日に始まった(A線)[13][14]。歴史的中心地区には、地表集電方式(APS)を採用し架線を張っていない。

A線は2003年12月21日に、ジャック・シラクとアラン・ジュペ市長の臨席の下、メリアデック(Mériadeck)とロルモン及びスノン(Cenon)の間で開通した。

B線及びC線の開業は、2004年春に予定されていたが、APSの故障に起因する技術的問題のため部分的な遅れが発生した。最終的にC線は2004年4月24日にカンコンス(Quinconces)とサン=ジャン駅(gare Saint-Jean)の間で開業した。B線は同年5月15日にカンコンスとサン=ニコラ(Saint-Nicolas)間、2.2kmの区間で部分的に開業したが、キャンパス及びペサック方面の残りの区間の開業はTBCが他のトラムを再編した同年7月3日だった。

D線(北西のCantinolleへ延びる)は2019年に開業した。

また開業済路線の末端部での延長も計画されている。A線が空港まで延長予定で、2023年開業を目指している。

道路[編集]

ボルドーはヨーロッパ大西洋側の道路交通の要所であり、パリおよび北ヨーロッパから、スペイン大西洋岸へ行くためには通らなければならない経路にある。ボルドーからパリへはオートルート A10を通じて、ペリグーリモージュブリーヴクレルモン=フェランへはオートルート A89を通じて、トゥールーズへはオートルート A62を通じて、モン=ド=マルサンポーへはオートルート A65を通じて、バイヨンヌやスペインへはオートルート A63を通じて、それぞれ結ばれている[15]

ボルドーは45kmに亘る自動車専用環状道路を備えている(オートルート A630、ロカード(rocade)と呼ばれている)。フランスの都市環状道路として最長のもので、他都市へ向かうオートルートにつながっている。夏季、バカンス、通勤時間帯には頻繁に渋滞する。西側区間では片側2車線、東側区間では片側3車線となっている。現在、西側区間の一部(A63と10番出口の間)で片側3車線化の再整備が行われており、長期的には全区間において片側3車線化が計画されている。約30の可変案内標識が、ドライバーに対して、都市圏内で問題が発生している箇所とは異なる経路や、交通障害や事故の発生が想定される箇所を避ける経路を案内している。また、料金所は一箇所も存在しない。最高速度は90km/h(2007年6月21日午前6時以降、それ以前は110km/h)、重量車両は80km/hである。

市内中心のサン・クロワ通り付近から南へロカードへつながる自動車専用放射道がある。

中心市街地はブールバールによって囲まれている。中心市街地では、自動車無しの日「ボルドーの日曜日(« Dimanche à Bordeaux »)」が毎月第一日曜日に行なわれている[16]

ガロンヌ川渡河[編集]

ガロンヌ川には長い間、橋が架かっておらず、ボルドーの市民は、敵に対する自然の防御とみなしていた。

自転車[編集]

2001年6月、市長は4500台以上の自転車を無償で配置した[19]

レンタサイクルシステムは2010年2月20日よりボルドー都市共同体により運営されている。VCUBは合計1545台の自転車がボルドー市内において300m間隔で配置されている99箇所を含めた、合計139箇所のステーションに配置されている。

人口[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2012年
249 688 266 662 223 131 208 159 210 336 215 363 232 260 241 287

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[20]、2004年以降INSEE[21][22]

観光[編集]

ペイ・ベルラン塔(サン・タンドレ大聖堂)

3ヶ所がフランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のモニュメントとして1998年に世界遺産に登録されている。

  • サン・タンドレ大聖堂
  • サン・スラン大寺院
  • サン・ミッシェル大寺院

また、市内の歴史地区が「月の港ボルドー」の名で、2007年に世界遺産に登録された。

旧市街地をサント=カトリーヌ通り(Rue Sainte-Catherine)が南北に貫き、歩行者空間となっている。

文化施設[編集]

博物館・美術館[編集]

劇場[編集]

  • 大劇場

教育[編集]

1441年に開学したボルドー大学を始め、ボルドー政治学院などグランゼコールなどの高等教育機関が多く、国立司法学院も置かれている。町全体の学生数は7万人で、ヨーロッパ最大の学生街となっている。

スポーツ[編集]

姉妹都市・提携都市[編集]

出身有名人[編集]

出典[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ フランス革命期にはジロンド派の地盤であった。
  2. ^ 大西洋河口(ジロンド三角江の河口)までは100km。
  3. ^ 仏ボルドーでビル2棟倒壊、3人負傷」(AFP、2021年6月22日)
  4. ^ ガロンヌ川はその先で、フェリー以外では渡河不能のジロンド三角江に流れ込む。
  5. ^ ただし現在は外洋船舶の大多数はジロンド川下流の港、主にル・ヴェルドン=シュル=メールを利用する。
  6. ^ Une renaissance urbaine et économique
  7. ^ それまでのイングランドの支配下では、自治を許され支持していたため。
  8. ^ 1880年ごろから、ブドウのべと病を防ぐボルドー液が使われ始めた。
  9. ^ フランス政府、ツールからボルドーへ移転(『東京日日新聞』昭和15年6月15日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p373 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  10. ^ 現在のペサック通りに面した位置にあった。
  11. ^ オルレアン駅は廃止されてから長い間、幾度もの計画中止とノワール・デジール (fr:Noir Désir)のコンサートの後、オルレアン駅の建物は映画館へと転用された。
  12. ^ Site internet officiel consacré à ce sujet et administré par RFF
  13. ^ トラム導入が決まる以前は、VAL方式軽量自動地下鉄によるメトロ建設計画(1986年発表)があった。しかし調査の結果、建設費は計画された15.7kmと6.3kmの2路線のみで70億フラン近いものであり、市負担分も3億フランと著しく高くボルドーに適合していないと判断された。
  14. ^ ただし、これ以前にもボルドーではトラムが運行されていた。1946年には38路線があったが、その後、廃業した。
  15. ^ ボルドー大バイパスの研究が2003年より開始された。これは国際的な自動車交通を迂回させる目的でA10とA63をブライとボルドー西部に位置するメドックを経由して結ぶ計画だった。
  16. ^ Bordeaux>Cadre de vie >Circuler, stationner >En véhicule particulier >Restrictions de circulation
  17. ^ Les ponts de Bordeaux
  18. ^ Bordeaux : un tour de ville en 101 monuments, Édition Le Festin, juillet 2008.
  19. ^ Voir le site de la mairie
  20. ^ Bordeaux - Notice Communale
  21. ^ Insee - Statistiques locales
  22. ^ Insee - Institut national de la statistique et des études économiques

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公式
メディア
観光