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ヘルシンボリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヘルシンボリ
Helsingborg
スウェーデンの旗
ヘルシンボリの市章
市章
位置
ヘルシンボリの位置の位置図
ヘルシンボリの位置
座標 : 北緯56度03分 東経12度43分 / 北緯56.050度 東経12.717度 / 56.050; 12.717
行政
 スウェーデン
 地方 スコーネ地方
  スコーネ県の旗 スコーネ県
  ヘルシンボリ
地理
面積  
  市域 38.41 km2 (14.83 mi2)
人口
人口 (2020年現在)
  市域 113,816人
    人口密度   2,529人/km2
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
公式ウェブサイト : https://helsingborg.se

ヘルシンボリ(Helsingborg [hɛlsɪŋˈbɔrj] ( 音声ファイル))はスウェーデン南部スコーネ県の都市。人口は113,800。

産業

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  • 家具小売業イケアの本社機能がある。
  • 禁煙用ガム『ニコレット』の工場がある。
  • オーレスン水道を挟んで4キロの対岸は、デンマークヘルシンゲルである。フェリーが頻繁に往来していて、30分程度でヘルシンゲルに到着できる。デンマークは北欧一酒税が低いため、スウェーデンから酒類の買い出しにデンマークへ渡る人が多く、また対岸のクロンボー城を見学したついでに、フェリーでこの街を訪れる観光客もいる。

歴史

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古代~中世
ヘルシンボリは、現在のスウェーデン南部スコーネ地方で最も古い都市の一つとされる。10世紀頃にはすでに人が定住していたとされ、公式には「1085年5月21日から永続的定住地があった」と記録されている。[1] 地理的にデンマークとの間のオーレスン海峡(Öresund)の最も狭い部分に位置し、古くから交通と交易の要衝であった。[2] 中世にはデンマーク王国の支配下にあり、1429年以降は海峡通航税「スンド税(Sound Dues)」が導入された。これは海峡を通る全ての交易船に課され、デンマーク王室の主要な財源の一つとなった。[3] この地理的重要性から、都市はしばしば軍事的な争奪の舞台となった。[4]

近世~スウェーデンへの編入
1657年から1658年にかけてのデンマーク=スウェーデン戦争を経て、1658年のロスキレ条約(Treaty of Roskilde)により、スコーネ地方を含む南部デンマーク領がスウェーデンに割譲され、ヘルシンボリもスウェーデン領となった。[3][1] 同年3月5日、スウェーデン王カール10世グスタフがこの地に上陸し、スコーネの支配を宣言した記録が残る。[3]

その後もデンマークは地域奪還を試み、1710年3月10日の「ヘルシンボリの戦い」でスウェーデン軍が勝利したことで、スコーネ地方のスウェーデン帰属が事実上確定した。[5]

近代・産業化
19世紀半ば以降、鉄道・港湾・造船業の発展とともに産業都市として急速に成長した。1850年に約4,000人だった人口は、1890年に約2万人、1930年には約5万6,000人に増加した。[3] また、デンマークとの鉄道連絡船(トレインフェリー)など国際交通の要衝としても発展した。[3]

近現代
20世紀以降は、戦争や領土争いの時代を経て平和な港湾都市として発展している。デンマークのヘルシンオーとのフェリー航路などを通じて、現在も北欧の交通と文化交流の拠点となっている。[6]

1955年には、都市の国際的デザイン・住宅博覧会のヘルシンボリ国際博覧会(H55 Helsingborg Exhibition)が開催された。 この博覧会は、1955年6月10日から8月28日にかけて、住宅・インテリア・応用芸術をテーマに、スウェーデン・ヘルシンボリ市が主催し、約10ヵ国が参加した。[7] この博覧会は、戦後の新しい生活様式やスカンジナビアン・モダン・デザインの発展を象徴する出来事とされており、住宅・インテリア・工業デザインが一般家庭にもたらす可能性を広く提示した。[8]

ヘルシンボリ出身の人物

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スポーツ

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脚注

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外部リンク

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