ボン

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ボン
Bonn
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ボンの市章
市章
位置
ドイツ内のボンの位置の位置図
ドイツ内のボンの位置
座標 : 北緯50度44分 東経7度6分 / 北緯50.733度 東経7.100度 / 50.733; 7.100
歴史
軍駐屯地 紀元前1世紀
行政
ドイツの旗 ドイツ
  ノルトライン=ヴェストファーレン州
 行政管区 ケルン行政管区de
 郡 独立市
 市 ボン
上級市長 Ashok-Alexander Sridharan
ドイツキリスト教民主同盟
地理
面積  
  市域 141.22 km2
標高 45.6 – 194.8 m
人口
人口 (2019年12月31日現在)
  市域 329,673人
    人口密度   2,334人/km2
  備考 Bevölkerung der Gemeinden Nordrhein-Westfalens am 31. Dezember 2019 – Fortschreibung des Bevölkerungsstandes auf Basis des Zensus vom 9. Mai 2011
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
郵便番号 53111–53229
市外局番 0228
公式ウェブサイト : http://www.bonn.de/
ボン大聖堂

ボンBonn)は、ドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州に属する都市である。同国で19番目に大きな都市で、ジーベンゲビルゲ山脈の北部にあるライン川沿いのケルンの南約20 km に位置する。人口は329,673人(2019年12月31日現在)。

分断時代の1949年から1990年まで西ドイツ首都であり、ドイツ再統一後も首都機能を分担する。

1288年ケルン大司教はヴォリンゲンの戦いでの敗北(Niederlage bei Worringen)の後、本拠地をボン(詳しくはBonn-Poppelsdorf)とブリュール(Brühl)に移した[1]1525年以降ボンはケルン大司教区の首都(Hauptstadt des Erzstifts)となり[2]、その地位は19世紀初頭まで続いた。この地に生まれた作曲家ベートーヴェンの祖父・父・本人はいずれもボンにおいてケルン大司教(選帝侯)に仕えていた。祖父は宮廷楽長、父は宮廷音楽家、本人は宮廷付オルガン奏者として[3]1786年ボン大学が設置され、ベートーヴェンはこの大学で学んでいる[4]。ボンはまたシューマンの終焉の地としても知られている。なお、 ゲオルク・フォルスター(1754-1794)は1790年3月末にケルン大司教のボン博物標本室を訪れ、その「美しい鉱物収集」を称賛している[5]

ノーベル賞受賞者を輩出するボン大学は、ケルン大司教の居館だった美しい建物を利用している[6]

ボン大聖堂(Münster St. Martin)はローマ皇帝コンスタンティヌス大帝の母ヘレナが設立したと伝えられ、14世紀にはドイツ王の戴冠式(1314年 Friedrich der Schöneフリードリヒ美王、 1346年 Karl IV. カール4世)も催された由緒ある教会で、後期ロマネスク様式の美しい建物である[7]

地勢[編集]

ライン川沿いに位置する。50キロほど南東にコブレンツ、25キロほど北西にケルン、35キロほど北にレーヴァークーゼンが位置している。

歴史[編集]

最初にこの地に居住していたのは、ケルト人である。80年ころ、ローマの軍駐屯地となり、フランク王国の時代には周辺地域(Gau)の中心地となるが、9世紀には荒廃する。殉教者を記念して建立された墳墓教会(Grabkirche)の近くに集落ができ、カロリング朝においては、Villa Basilica(「中央教会のまち」ほどの意味か)と呼ばれる。Kanonikerstift(仮訳「司教座教会参事会」)が発展した。12世紀以降、 ケルン大司教が「都市領主」(Stadtherr)としてボンに君臨し、17世紀には、ボンが大司教の居所(Residenz)となった[8]。この間、13世紀以降、諸都市は都市同盟として自己を主張するようになるが、1302年に成立した中部ライン都市同盟にはボンも参加している[9]。 「ボンの製靴工ツンフトは、1500年頃、既存の聖母兄弟団の枠の中に成立したのであるが、この兄弟団は職業的に特定のグループだけをメンバーとしていたわけではなく、メンバーの中には女性も含まれていた」[10]18世紀末、ナポレオンによって占領されたが、19世紀初頭のウィーン体制の発足とともにプロイセンの支配下におかれた。典型的な文教都市であったが、第二次世界大戦中は1944年2月〜1945年2月までの間に72回も空襲を受け、伝統あるボン大学も全焼するなど被害を受けた。

西ドイツの首都として[編集]

ドイツ国の首都であったベルリンは、大戦後には東ドイツ内の飛地と化し、連合国軍の占領下でもある西ベルリン西ドイツの首都たることは事実上不可能であった。ボンが暫定首都に選ばれたのは、初代首相コンラート・アデナウアーの意向が大きく影響を与えたとされる。アデナウアーら主要政治家は、将来東西ドイツが統一された暁にはベルリンが再び首都になるべきだと考えており、フランクフルト・アム・マインハンブルクといった大都市では、首都としての発展がいずれ恒久的な既成事実既得権益として定着し、ベルリンへの遷都が困難になりかねないという恐れが予見された。そこで小規模な古くからの文教都市で、なおかつ地理的にも西ドイツの中央部に位置していたボンに白羽の矢が立った。

1969年にはバート・ゴーデスベルク(Bad Godesberg)と合併している。この頃より、早期の東西ドイツ統一は期待できないとの認識が強まり、恒久的な首都機能の整備が行われるようになった。

東西統一後[編集]

1990年東西ドイツ統一により、ベルリンへの遷都が政治日程に浮上した。一方で、オランダのように名目上の首都をベルリンと定め、実質的な首都機能はボンに残すべきであるとする主張もドイツ南西部を中心に支持を集めていた。議論の末、1991年連邦議会において首都機能のベルリン移転決議が可決された[11]。しかし、ボンの地域経済への配慮に加え、EUNATOの本部のあるブリュッセルに近いという利点を活用するため、1994年の「ベルリン・ボン法(「ドイツ統一のための1991年6月20日の連邦議会の決議」実施に関する法律)」によって、ボンは「連邦都市 (Bundesstadt)」であると規定され、連邦首都 (Bundeshauptstadt)ベルリンと並んで国家の中枢機能を引き続き保持することが定められた。

それにより1998年11月の大統領府移転を皮切りに、連邦議会1999年9月7日に移転)、連邦参議院2000年9月29日に移転)、首相府2001年5月2日に移転)および9の省庁をベルリンに移転し[12]、約11,500人の職員がベルリンに転勤した[13]。一方、6つの省をボンに残留させることに加え、既にベルリンにあった連邦政府機関のいくつかを逆にボンに移転し(ベルリンからボンに転勤した職員数は約4,400人)、さらにライン=マイン地方にあった連邦政府機関をボンに移転集約させることとなった(職員数約2,300人)[13]。結果、ボンには教育学術省、環境省、食糧農林省、経済協力省、国防省、保健省、カルテル庁、保険庁、金融機関庁、保険制度監督庁、食糧森林庁、農業市場制度庁、会計検査院、中央鉄道庁などの省庁が置かれることになった。大統領首相の官邸もベルリンの官邸とは別にボン滞在時に用いる第二官邸として維持され、ベルリンに移転した省庁の支所もボンに設けられている(ボンに置かれた省庁の支所もベルリンに設けられる)。2011年時点で、連邦官僚18,000人のうち8,000人がボンに勤めている[14]

加えて、1995年から10年間、年間15億ユーロ[15](約28億マルク[13])の補償金が連邦よりボンに支払われ、これを元にIT産業等の育成・誘致が行われた。国営事業を前身とする民営会社であるドイツテレコムドイツポストポストバンクドイツ語版もボンに本社・本店を置く。

また、国連キャンパスプロジェクトにより、旧議員会館ビルのランガー・オイゲンドイツ語版を全面改装し、2006年より持続可能な開発を管轄する国連機関を賃料無償で入居させている。これにより、2014年までに18の国連機関が設置され(ドイツ全体にある国連機関は27)、ボンにおいて約1,000人のスタッフが雇われている[16]

首都機能移転開始の1994年から2011年の間に、ボン都市圏における雇用は14.4%増加している[14]

音楽[編集]

ベートーヴェンの生家である「ベートーヴェン・ハウス」がある。音楽家パブロ・カザルスフランコ政権を支持する国(西ドイツを含む)への訪問を生涯拒んだが、ベートーヴェン・ハウスだけは「この家はドイツでの治外法権である」と述べている。

また、中心地から少し離れたエンデニッヒにはシューマンが最期を迎えた療養所を改装したシューマン記念館がある。シューマンと妻のクララは市街にあるアルター墓地に埋葬されている。ベートーヴェンの母や、シラーの妻シャルロッテが埋葬されているのも同じ墓地である。

交通[編集]

ボンのトラム

中心となる駅はボン中央駅である。ボンの鉄道はとなりのケルンの鉄道網と一体化しており、2つの鉄道路線によって結ばれている。高速鉄道ICEケルン中央駅かボン東方のジークブルク駅が最寄り駅となる。市内路線としてボンLRT輸送システムと路線バスが運行されている。

ボンのケルン-ボン空港は多くのヨーロッパの都市と低価格で結ばれていて、アメリカ合衆国ニュージャージー州にあるニューアーク・リバティー国際空港ニューヨーク市)への直行便(コンチネンタル航空)が運航されている。

高速道路はアウトバーン 59デュッセルドルフ方面、アウトバーン 555がケルン方面、アウトバーン 565が南西方面に伸びている。

ライン川には港湾施設があり、コンテナ船を受け入れる設備がある。旅客輸送も行われており、ケルンやデュッセルドルフと結ばれている。

教育[編集]

ボン大学

スポーツ[編集]

姉妹都市[編集]

Bad Godesberg地区

Beuel 地区

Hardtberg 地区

出身の有名人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. V. München/Zürich: Artemis & Winkler 1991 (ISBN 3-8508-8905-X), Sp. 1267.
  2. ^ Gerhard Köbler: Historisches Lexikon der deutschen Länder, 6. Aufl. München: Beck 1988 = Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1999, S. 316.
  3. ^ 青木やよひ『ベートーヴェンの生涯』平凡社新書 2009、2刷 2010、15・16頁、44-46頁。
  4. ^ 青木やよひ『ベートーヴェンの生涯』平凡社新書 2009、2刷 2010、45頁。
  5. ^ ゲオルク・フォルスター著・船越克己訳『ニーダーラインの光景』大阪公立大学共同出版会 2012 (ISBN 978-4-901409-86-5)、23頁。
  6. ^ Michael Imhof / Stephan Kemperdick: Der Rhein. Kunst und Kultur von der Quelle bis zur Mündung. Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 2004 (ISBN 3-534-17215-9), S. 125.
  7. ^ Michael Imhof / Stephan Kemperdick: Der Rhein. Kunst und Kultur von der Quelle bis zur Mündung. Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 2004 (ISBN 3-534-17215-9), S. 122-123.
  8. ^ Dieter Berger: de:Duden, geographische Namen in Deutschland: Herkunft und Bedeutung der Namen von Ländern, Städten, Bergen und Gewässern, Bibliographisches Institut, Mannheim/Wien/Zürich 1993 (ISBN 3-411-06251-7), S. 60. - Lexikon des Mittelalters. Bd. II. München/Zürich: Artemis 1983 (ISBN 3-7608-8902-6), Sp. 426-428. - エーディト・エネン著 佐々木克巳訳 『ヨーロッパの中世都市』岩波書店、1987年、(ISBN 4-00-002373-X) 、111頁には12-13世紀のボンの都市図、110頁にはその説明がある。
  9. ^ エーディト・エネン著 佐々木克巳訳 『ヨーロッパの中世都市』岩波書店、1987年、(ISBN 4-00-002373-X) 、213-214頁。
  10. ^ エーディト・エネン著 佐々木克巳訳 『ヨーロッパの中世都市』岩波書店、1987年、(ISBN 4-00-002373-X) 、293頁。
  11. ^ 賛成338、反対320。 Bonn to Berlin move still controversial The Local (2011年6月15日)
  12. ^ https://www.jetro.go.jp/ext_images/jfile/report/05000436/05000436_003_BUP_0.pdf
  13. ^ a b c ドイツの首都機能移転 - 国会等の移転ホームページ - 国土交通省 2017年5月5日閲覧
  14. ^ a b Memo From Berlin: The Fate of Germany’s Two Capital Cities ニューヨーク・タイムズ (2011年6月23日)
  15. ^ ペーター・ロンドルフ経済・科学担当公使へのインタビュー 国土交通省 国土計画局 首都機能移転企画課(2009年12月2日)
  16. ^ Stadt Bonn - Organisationen der Vereinten Nationen in Bonn ボン市 2017年5月7日閲覧(同5月3日最終更新の版)

外部リンク[編集]