デュースブルク
| 紋章 | 地図 | ||||||||||
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| 基本情報 | |||||||||||
| 連邦州: | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | ||||||||||
| 行政管区: | デュッセルドルフ行政管区 | ||||||||||
| 地域連合: | ルール地域連合 | ||||||||||
| ラインラント地域連合 | |||||||||||
| 行政区分: | 郡独立市 | ||||||||||
| 緯度経度: | 北緯51度26分 東経6度45分 | ||||||||||
| 標高: | 海抜 31 m | ||||||||||
| 面積: | 232.81 km² | ||||||||||
| 人口: |
498,110人(2017年12月31日現在) [1] | ||||||||||
| 人口密度: | 2,140 人/km² | ||||||||||
| 郵便番号: | 47001–47279 | ||||||||||
| 市外局番: | 0203、(一部 02065、02066、02841、02151) | ||||||||||
| ナンバープレート: | DU | ||||||||||
| 自治体コード: | 05 1 12 000 | ||||||||||
| UN/LOコード: | DE DUI | ||||||||||
| 市の構成: | 7 市区、 46 小街区 | ||||||||||
| 市庁舎の住所: | Burgplatz 19 47051 Duisburg | ||||||||||
| ウェブサイト: | www.duisburg.de | ||||||||||
| E-Mail: | info@stadt-duisburg.de | ||||||||||
| 行政 | |||||||||||
| 上級市長: | ゼーレン・リンク (SPD) | ||||||||||
| 住民 | |||||||||||
| 失業者数: | 38,550 (2006年9月現在) | ||||||||||
| 失業率: | 16.2 % (2006年9月現在) | ||||||||||
| 外国人: | 15.1 % (2006年1月現在) | ||||||||||
| 年齢構成: |
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デュースブルク(Duisburg, ドイツ語発音: [ˈdyːsbʊrk] (
音声ファイル)[2], デュースブルク方言:[ˈdyːsbʊə̯ç], [ˈdʏːsbʊʀə̆ɕ][3])は、ドイツ連邦共和国の都市。ノルトライン=ヴェストファーレン州に属し、世界有数の河港を持つ。人口は約50万人。
日本語表記[編集]
ラインラント周辺では独特の綴りをもつ固有名詞[4][5]があり、この都市名もその1つである[6]。事典、辞書ではドイツ語の標準(規範)発音 [ˈdyːsbʊrk] をカタカナ転写したデュースブルクがもっぱら採用されている[7]。一方でデュイスブルクと表記されることもあり[8]、この他にも様々な表記がある[9]。
地勢・産業[編集]
ライン川とルール川の合流地点に位置する工業都市。世界でも有数、ドイツ国内では最大[10]の河港を有する。近隣の都市としては、約25キロ南にデュッセルドルフ、25キロ東にゲルゼンキルヒェン、20キロ南西にクレーフェルトが位置する。約30キロ北西には、古代ローマの植民市を起源とするクサンテンが位置する。
歴史[編集]
ライン川とルール川の合流点という重要性に注目した古代ローマ帝国の集落が起源で、1世紀の遺跡が発見されている。その後、交易の場として発展し、1290年には帝国自由都市となり、15世紀初めにはハンザ同盟に参加した。しかし、17世紀後半にはブランデンブルク=プロイセンに支配されることとなり、帝国自由都市を称することも禁止された。
ここに大学設置を計画したユーリヒ=クレーヴェ=ベルク公ヴィルヘルム5世は、メルカトルを招いた。しかし、皇帝とローマ教皇による大学設置の許可がなかなか与えられないため、メルカトルは、1559年に設立された専門学校で教鞭をとっている。ヴィルヘルム5世が没した後の1655年にようやく大学が設置され、神学、法学、医学、哲学を擁し、デュースブルクは大学都市として発展した。しかし、1818年にプロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム3世によって廃止され、大学図書館蔵書の大部分は、同年にボンに新設されたボン大学へ移された。現在デュースブルクにある大学は、その後の1891年に設立されたもので、2003年にエッセン大学と合併されてデュースブルク=エッセン大学となった。
19世紀以降は、産業革命が進展する中で、ライン川とルール川が交わり、石炭資源がある利点を生かし、工業都市として成長した。第二次世界大戦で荒廃したが、戦後復興を果たした。1975年、周辺の地域を合併して現在のデュースブルクが形成された。
文化[編集]
メルカトル図法で知られるゲラルドゥス・メルカトルがデュースブルクで没した。聖ザルヴァトール教会に埋葬されている。
- 1877年に設立されたデュースブルク・フィルは、ブルックナーの交響曲第9番のドイツ初演を行ったことでも有名。1930年代にはオイゲン・ヨッフムが音楽監督であった。
芸術[編集]
- タイガー・アンド・タートル-マジック・マウンテン - ジェットコースターをモチーフにしたインスタレーション[11]。
スポーツ[編集]
- MSVデュースブルク - 当地を本拠地とするサッカークラブチーム。
- FCR2001デュースブルク - 女子サッカークラブチーム、なでしこジャパンの安藤梢選手が一時在籍していた。
- フュクセ・デュースブルク - ドイツアイスホッケー3部リーグに所属しているアイスホッケークラブチーム。
デュースブルク出身の著名人[編集]
- ユルゲン・ヒングゼン - 陸上競技選手
友好都市[編集]
ポーツマス(イギリス)1950年
カレー(フランス)1964年
ロメ(トーゴ)1973年
武漢(中国)1982年
ビリニュス(リトアニア)1985年
ガズィアンテプ(トルコ)2005年
ペルミ(ロシア)2007年
サン・ペドロ・スーラ(ホンジュラス)2008年
フォートローダーデール(アメリカ合衆国)2011年
脚注[編集]
- ^ Amtliche Bevölkerungszahlen auf Basis des Zensus vom 9. Mai 2011から引用
- ^ Das Aussprachewörterbuch (6 ed.). Duden. p. 287. ISBN 978-3-411-04066-7.
- ^ なお他言語の発音は以下の通り。オランダ語では[ˈdœysbʏrx](ダイスビュルフ)、フランス語(綴りはDuisbourg)では[dɥisbuʁ]、英語では[ˈduːəsbə(r)g], [ˈduːzbə(r)g], [ˈdjuːzbə(r)g]。
- ^ “Schreibung rheinischer Ortsnamen”. LVR-Institut für Landeskunde und Regionalgeschichte. 2016年8月20日閲覧。
- ^ de:Rheinische Ortsnamen, de:Dehnungszeichen#Dehnungs-i を参照。
- ^ 「ui は特定の名称では長く、閉じられた ü [yː] で発音する:Duisburg [ˈdyːsbʊrk], Juist [jyːst] 」( Das Aussprachewörterbuch (6 ed.). Duden. p. 104. ISBN 978-3-411-04066-7.
- ^ 世界大百科事典 第2版、日本大百科全書、ブリタニカ国際大百科事典、百科事典マイペディア、大独和辞典、クラウン独和辞典、新アポロン独和辞典、マイスター独和辞典、プログレッシブ和英中辞典(第3版)、ジーニアス英和大辞典など。
- ^ 在デュッセルドルフ日本国総領事館、ドイツ大使館 ドイツ総領事館、『記者ハンドブック 第12版 新聞用字用語集』(共同通信社)、『朝日新聞の用語の手引』、その他マスメディア等。
- ^ 「ジュイスブルク」「ジュースブルク」「ドゥイスブルク」「ドイスブルク」「デュイスブルグ」「デュースブルグ」「ジュイスブルグ」「ジュースブルグ」「ドゥイスブルグ」「ドイスブルグ」「デュイスバーグ」「デュースバーグ」「ジュースバーグ」「ドゥイスバーグ」「ドイスバーグ」「デュイスブール」など。
- ^ “ドイツ連邦共和国概略”. ドイツ大使館 ドイツ総領事館. 2014年7月1日閲覧。
- ^ 『世界の美しい階段』 エクスナレッジ、2015年、197頁。ISBN 978-4-7678-2042-2。
外部リンク[編集]
- デュースブルクの公式ホームページ (ドイツ語)
- Duisburg Tourist Information(英語)