ベイ・シティ・ローラーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ベイ・シティ・ローラーズ
Bay City Rollers
基本情報
出身地 スコットランドの旗 スコットランド エディンバラ
ジャンル ロック
ポップス
パワー・ポップ
活動期間 1965年 - 1981年
レーベル Bell/Arista
Epic
共同作業者 サクソンズ、ザ・ローラーズ
旧メンバー
メンバーを参照

ベイ・シティ・ローラーズBay City Rollers)は、イギリススコットランドエディンバラ出身のバンド。

1974年から1978年にかけて“タータン・ハリケーン”と呼ばれる、熱狂的な社会現象を巻き起こした人気アイドル・グループである。第二のビートルズとも呼ばれた。

概要・歴史[編集]

前身は1965年に結成された「サクソンズ(The Saxons)」というグループ。アラン(ベース)とデレク(ドラムス)のロングミュアー兄弟と4人の友人により結成され地元のパブ等で演奏するようになる。

タム・ペイトンがマネージャーになり、ロングミュアー兄弟は1968年にグループ名を「ベイ・シティ・ローラーズ」に改称。1971年夏にシングル「朝まで踊ろう(Keep on Dancing)」でデビューした。当時のリードボーカルはノビー・クラークであった。この曲は全英9位になるヒットとなり、のちにエリック・フォークナーが加入した。「ベイ・シティ」の名前はメンバーによると、アメリカ合衆国の地図を開きダーツの矢を投げたところ、矢がささった場所のミシガン州にBay Cityベイシティ)という名前をみつけ、これをグループ名につけた[1]。この話は日本で放映されたテレビ番組でも、取り上げられたことがある。

マネージャーのペイトンは、幾度かのメンバーチェンジを行い、1974年にレスリー・マッコーエン(リードボーカル)、エリック・フォークナー(リード・ギター)、スチュアート・ウッディ・ウッド(サイド・ギター後にベース)、アラン・ロングミュアー(ベース)、デレク・ロングミュアー(ドラム)という5人編成になってから、「バイ・バイ・ベイビー」「サタデー・ナイト」などのヒット曲を生み出し、本国イギリスを皮切りに、その後アメリカ日本など、世界中で人気を博した。日本でも度々来日公演が行われた。 大人気の中、年長者であるアラン・ロングミュアーが脱退し、イアン・ミッチェル(ギター)が新たに参加するが、同じ年にイアン・ミッチェルも脱退し、パット・マッグリン(ギター)が参加した。しかし、パット・マッグリンも短い期間で脱退となり、メンバーチェンジが激しい時期があった。

1978年秋の3度目の来日公演を最後に、レスリーが脱退。新たにラビットのダンカン・フォール(リードボーカル/ギター)が加入し、グループ名を「ザ・ローラーズ」に改称して活動を続けたが、1981年に解散した。

しかし、早くも1982年にはレスリーも参加して日本公演を行い、大盛況を得ている。これに気を良くしてか、翌年の夏、たった半年しか在籍していなかったイアン・ミッチェルとパット・マグリンも加えて東京で公演(パットいわく「やっぱり変な気がしたよ」。彼は前年にイギリス東芝の邦楽系レーベルから3度目のデビューをしていた)。同年12月には、イアンの元あったバンドにパットを加えて、横浜で公演(EPとLPも出ていた。好盤であったが、1枚で終わってしまった)。その2年後、どういう訳かBCRは再結成し、LPを1枚発表(日本のみ)。

その後、ボーカルのレスリーがリード・ギターのエリックとグループ名を巡って争ったことがあった。

1990年代になると『あの人は今!?』にも出演するなど、結局のところ繰り返し再結成は行われていたようである。初期のメンバーにはパイロットのデヴィッド・ペイトン、ビル・ライオールが在籍していた。ペイトンは日本でBeagle Hatとしても活動した。

メンバー[編集]

現在[編集]

最近のメンバー情報としては、レスリーがLes McKeown's Legendary Bay City Rollers、イアンがIan Mitchell's Bay City Rollersという名称でツアーグループとして活動している。

イアンは、2004年録音のライブCD「Live in Los Angeles」[2]をリリースしている。

2007年3月20日、LAのロイターが伝えたところによると、未支払いとなっている印税数百万ドルをめぐって、メンバーは当時在籍していた米国のレコード会社を訴えた。ニューヨーク地裁に提出された訴状などによると、同グループは世界中で少なくとも7000万枚のアルバムセールスがあったにも関わらず、アリスタ・レコード社が過去25年余りの間に支払った印税は25万4000ドル(約3000万円)だったという。ソニーBMG傘下のアリスタ・レコードの広報は、この件についてノーコメントの立場をとっている。

オーストラリアで2007年8月から9月にかけて、Countdown Spectacular 2コンサートが開催された。このコンサートは、1970年代から1980年代に現地で放映されていた、『Countdown』と呼ばれるテレビ音楽番組のリバイバル・コンサートで、レスリーが元ベイ・シティ・ローラーズとして出演している。同コンサートでは「二人だけのデート」「Give a little love(恋をちょっぴり)」「バイ・バイ・ベイビー」を歌った。

豆知識[編集]

  • 当時のグループの人気はすさまじく、英語も全くわからない未成年の日本人ファンが彼らに会う為、親に黙って渡英し行方不明になるという事件も起こった。発見されたときには、労働ビザ無しで日本食レストランの従業員として働いていたという。
  • ビーバップ・ハイスクール』の中間徹は、(ダブりなので同級生になった)泉今日子が「自己紹介」を課題に出し、今日子に気に入られようとして順子に「女の子の好む曲って何?」と訊ねて、オフコースとかユーミンと聞いた後、自己紹介でそれをソックリ提出するが、今日子が順子に渡してしまい、順子・水崎・ケン坊の3人は大爆笑。後に(彼らを知り尽くした)この3人がマジックで訂正版を書いて掲示板に張り出し、トオルの好きな歌手がベイ・シティ・ローラーズと書かれていた。

ディスコグラフィー[編集]

  • 『エジンバラの騎士(Rollin')』1974年
  • 『噂のベイ・シティ・ローラーズ(Once Upon A Star)』1975年
  • 『青春のアイドル(Wouldn't You Like It?)』1975年
  • 『青春に捧げるメロディー(Dedication)』1976年
  • 『恋のゲーム(It's a Game)』1977年
  • 『風のストレンジャー(Strangers in the Wind)』1978年
  • 『エレベーター(Elevator)』1979年
  • 『ザ・ヒーロー(Voxx)』1980年
  • 『リコシェ(Ricochet)』1981年

代表的な楽曲[編集]

カバー曲[編集]

  • 『二人だけのデート』:MTK2001年『君のそばにいたい』歌:ハッスル3

TV[編集]

  • 独占!ベイ・シティ・ローラーズ特集(1977年10月14日、フジテレビ

脚注[編集]

  1. ^ Bay City Rollers - History The Global Oneness Commitment(英語)
  2. ^ "Live in Los Angeles" CD - Recorded 2004, FLAT 5 PRODUCTIONS(英語)

外部リンク[編集]