長谷部康平

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長谷部 康平
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岐阜県関市
生年月日 1985年5月21日(31歳)
身長
体重
173 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2007年 大学生・社会人ドラフト1巡目
初出場 2008年5月15日
年俸 1,400万円(2016年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

長谷部 康平(はせべ こうへい、1985年5月21日 - )は、岐阜県関市出身のプロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学2年で野球を始めると、中学時代には岐阜中濃シニアでプレー。愛知県杜若高等学校時代には、後に名城大学を経て中日ドラゴンズへ入団する山内壮馬とエースの座を争いながら、背番号1番と10番を交互に付け合った。ちなみに、在学中には春・夏とも全国大会への出場経験がなく、3年生夏の愛知県大会でベスト4に入ったことが最高の成績だった。

愛知工業大学への進学後に、1年春の愛知大学野球リーグ戦で初登板。3年時からエースとなり、3年生としては唯一人第35回日米大学野球、第3回世界大学野球選手権の代表に選出される。4年秋の名古屋商大とのリーグ開幕戦にて17奪三振を記録。同年8月、北京五輪プレ大会に選出され優勝に貢献。同年11月、第37回IBAFワールドカップに選出され、抑えとして5試合に登板、無失点の好投を見せる。同年12月、プロ野球選手で構成された北京五輪アジア予選メンバーに唯一アマチュアから選出され優勝を果たす。リーグ戦通算21勝21敗、防御率2.39。北京五輪アジア予選メンバーは、楽天を除く11球団からの選手で構成されていたが、大会準備期間中に楽天が長谷部をドラフトで引き当てたため、全球団が揃うこととなった[注釈 1]

2007年の大学・社会人ドラフト大場翔太加藤幹典とともに「大学BIG3」と呼ばれ注目を浴び[1]中日広島ロッテ西武、楽天の5球団から1位指名を受けた。抽選の結果、楽天が交渉権を獲得。契約金1億円、年俸1500万円+出来高5000万円で仮契約した[2]背番号は「20」。

プロ入り後[編集]

2008年
プロ入り初の対外試合となった2月25日のヤクルトとの練習試合と、続く3月2日のロッテとのオープン戦の計2試合で合計9イニング投げ無失点、被安打はわずか1という好成績を残し、田中将大と左右の二本柱として期待を受ける。しかし、3月2日の試合中に左膝をひねり、後日の検査で左膝の半月板を損傷していたことが判明したため開幕は絶望となった。
5月14日、オリックス戦でプロ初登板初先発するも、試合開始直前に雨脚が強くなり、僅か2分、4球を投げたところで中断ノーゲームとなる。翌5月15日の同カードで中継ぎとして初登板。以降は先発として起用されるも、3回も持たずに降板に追い込まれる試合が相次ぐ。8月19日のオリックス戦で二番手で登板し、7回1/3を2失点に抑えるロングリリーフでプロ初勝利を挙げたが、結局1年目は1勝4敗、防御率9.93という成績に終わった。オフに手術を受ける。
2009年
手術の影響で春季キャンプは二軍スタートも監督の野村克也からの期待は高く、テレビのインタビューでは「先発は岩隈(久志)、田中(将大)は確定、あとは長谷部に出てきてほしい」と言われる。オープン戦での登板は1試合のみだったが、開幕一軍のメンバーに選ばれる。4月30日の日本ハム戦で5回1/3を自責点2で先発としての初勝利を果たし、初めて本拠地でヒーローインタビューを受けた。しかしシーズンを通して不安定な内容が多く、終盤には中継ぎに降格。5勝8敗、防御率は5.19といまひとつという成績に終わった。
2010年
春季キャンプは一軍スタートが決定していたが、キャンプ直前に左膝を負傷し、二軍スタートとなった。開幕は一軍となり、初登板は先発の青山浩二がプレイボール直後の2球で負傷したことによる緊急登板だったが、打線の大量援護もありシーズン初勝利を挙げた。しかし不安定な内容は相変わらずで、結局3勝に終わった。
2011年
開幕前の1月に結婚を発表[3][4]、7月には第一子となる長男が誕生した[5]。また、北京五輪アジア予選の日本代表監督として長谷部を抜擢した星野仙一が、この年から楽天の一軍監督に就任した。
シーズン終盤までは左肩痛もあり出番は無かったものの、8月末に一軍に昇格すると今までと違ったコントロールを重視した投球スタイルを披露。先発ローテーションに加わり、7試合で1勝0敗と勝ち星には恵まれなかったものの、防御率は2.55と安定した成績を残した[6]
2012年
オープン戦で打ち込まれ、ストレートが最速130km/h前半にとどまったこともあり、球団に手術を直訴し[7]、5月に左膝に自身の軟骨を移植する手術を行った[8][9]。3ヶ月は歩行もできず単調なリハビリとトレーニングだけの日々を過ごし[9]、一軍・二軍ともに登板なしに終わった[10]
2013年
2月の春季キャンプ中にブルペンで投球できるまで左膝が回復。長谷部自身も「長年の(左膝の)違和感が消えて、スムーズに腕が振れるようになった」と語っていた[9]。5月30日のイースタン・リーグ公式戦で実戦に復帰すると[8]、7月6日のソフトバンク戦に救援で635日振りの一軍公式戦登板を果たした[9]。2シーズン振りの先発登板になった同月15日のオリックス戦で6回無失点と好投した[11]が、左腕の救援要員が不足しているチーム事情などから、以降の登板ではショートリリーフやセットアッパーに起用されている。8月22日に実母が逝去したが、翌日に実家での通夜に参加すると、クリネックススタジアム宮城で2位・ロッテとの首位攻防3連戦を控えていたチームに戻って登板を志願。同月24日の同カードで8表1死から4番手で登板すると、打者2人を無安打に抑えた[12]。翌25日の対ロッテ戦で2シーズン振りの勝利を挙げると[13]、9月12日の同カード(QVCマリンフィールド)ではプロ入り初セーブを記録するなど[14]、チーム初のパシフィック・リーグ優勝に貢献。ロッテとのクライマックスシリーズのファイナルステージや、巨人との日本シリーズ第4戦(10月30日東京ドーム)でも救援登板を果たしたが、日本シリーズでは2回1失点で敗戦投手になった。
2014年
この年にニューヨーク・ヤンキースから入団したケビン・ユーキリスが背番号20を付けることを希望したため[15]、背番号を17に変更。レギュラーシーズンでは、4年振りに開幕を一軍で迎える[16]と、一軍公式戦で自己最多の26試合に登板した。
2015年
2年連続の開幕一軍を逃したが、開幕直後の4月15日楽天Koboスタジアム宮城で催された巨人とのイースタン・リーグ公式戦に先発投手として登板。公式戦では2013年7月のオリックス戦(前述)以来となる先発登板ながら、5回を投げて被安打1の無失点に抑えた[17]。この結果を受けて、同月22日にシーズン初の出場選手登録を果たしたが、救援で2試合に投げただけで登録を抹消。5月29日に再び登録されると、翌30日の巨人戦で、延長11回表に登板した。しかし、地元・仙台育英高校出身の橋本到に適時打を浴びるなど、2点を失った末に敗戦投手になった。結局、この試合の翌日(同月31日)に再び登録を抹消されると、一軍への復帰を果たせないままシーズンを終了。シーズン終了後の11月29日には、背番号を30に変更することが球団から発表された[18]
2016年
二軍生活が長く、9月15日に一軍登録されたが、同月27日オリックス戦では3つの四球を出し、1つもアウトを取れずに降板。翌日抹消され、10月1日に、球団より戦力外通告を受け「他の球団から声がかかれば分かりませんが、引退だと思います。トライアウトは受けません。やれることはやりました」と現役引退を示唆した[19][20]。12月2日、自由契約公示された[21]

エピソード[編集]

2010年9月3日埼玉西武ライオンズ戦(Kスタ宮城)に先発した際、1回表に1番片岡易之から3者連続四球で無死満塁。続く4番ホセ・フェルナンデスにも四球を与え、押し出しで1点を失う。さらに5番中村剛也に満塁ホームランを打たれ5点目を失うも以降3人をいずれも三振で打ち取り、この回を終えた。投球内容は「四球-四球-四球-四球-本塁打-三振-三振-三振」。「野手の守備機会0で5失点」というイニングになった[22]

またこの試合の1回表で四球を選んだ1番片岡から4番フェルナンデスまでの4人は一回もスイングしておらず、中村の満塁ホームランがこの試合の両チーム初スイングとなった[23]

人物[編集]

杜若高校時代のチームメイトだった山内とは、卒業後も仲が良い。2007年の大学・社会人ドラフト会議では、抽選の末に長谷部の交渉権を獲得できなかった中日が、ドラフト1巡目での再入札を経て山内を獲得した。山内は2015年のシーズン終了後に中日から戦力外通告を受けたが、秋季キャンプでの入団テストを経て楽天に入団。2016年に再び長谷部のチームメイトになったが、2人とも球団から戦力外を通告されている[24]

また、2007年に楽天へ入団した永井怜とは大学時代からの知り合いでもある。2015年には、永井が現役を引退したことを機に永井の付けていた背番号30を引き継いだ。永井も背番号の変更が発表された直後に自身のtwitter公式アカウントを通じて長谷部への激励ツイートを発信している[25]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2008 楽天 13 6 0 0 0 1 4 0 0 .200 181 35.1 56 6 22 0 2 23 2 1 41 39 9.93 2.21
2009 25 20 0 0 0 5 8 0 1 .385 499 109.1 132 12 49 1 6 65 8 0 69 63 5.19 1.66
2010 10 8 0 0 0 3 5 0 0 .375 200 43.2 49 10 23 2 2 30 3 0 42 38 7.83 1.65
2011 7 7 0 0 0 1 0 0 0 1.000 140 35.1 26 0 13 0 0 20 1 0 11 10 2.55 1.10
2013 24 1 0 0 0 1 1 3 10 .500 135 34.1 24 1 10 0 2 31 0 0 7 7 1.83 0.99
2014 26 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 156 35.2 35 4 14 0 1 31 1 0 18 15 3.79 1.37
2015 3 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 24 4.0 6 0 6 0 0 3 0 0 5 4 9.00 3.00
2016 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 12 2.1 1 0 3 0 1 2 0 0 3 3 11.57 1.71
通算:8年 110 42 0 0 0 11 19 3 11 .367 1347 300.0 329 33 140 3 14 205 15 1 196 179 5.37 1.56
  • 2016年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録[編集]

投手記録
打撃記録

背番号[編集]

  • 20 (2008年 - 2013年)
  • 17 (2014年 - 2015年)
  • 30 (2016年)

登場曲[編集]

  • 「言えないよ」 JAMOSA(2008年)
  • 「One Love feat.般若, dNessa」 Equal(2009年)
  • 「Better Days feat.Def Tech」 BENNIE K(2010年)
  • 「My Treasure」 清水翔太(2011年 - 2012年)
  • 「希望の歌」 高橋優(2013年 - 2014年)
  • 「I Don't Want To Miss A Thing」 Aerosmith(2015年)
  • 「終わりなき旅」 Mr.Children(2016年)

代表歴[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ その後、オリックス加藤大輔が外れたため、最終代表メンバーは再び11球団からの構成となった。

出典[編集]

  1. ^ 過去にはこんなBIG3が “最強”は法政三羽烏」 Sponichi Annex(2011年10月27日)、2011年11月16日閲覧。
  2. ^ 楽天・長谷部 1億円仮契約」 読売新聞(2007年12月6日)、2011年11月16日閲覧。
  3. ^ 長谷部康平選手、入籍のお知らせ」 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年1月9日)、2011年11月16日閲覧。
  4. ^ 長谷部が結婚「今年こそチームの力に」」 Sponichi Annex(2011年1月10日)、2011年11月16日閲覧。
  5. ^ 長谷部康平選手 第一子誕生のお知らせ」 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年8月2日)、2011年11月16日閲覧。
  6. ^ 「AURORA VISION」『週刊ベースボール』2011年11月14日号、ベースボール・マガジン社、雑誌20442-11/14、47頁。
  7. ^ “21か月ぶりに復帰の長谷部、4回完全!”. スポーツ報知. (2013年7月6日). http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20130706-OHT1T00084.htm 2013年7月6日閲覧。 
  8. ^ a b “復帰の長谷部「ダメージはない」”. nikkansports.com. (2013年5月31日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130531-1135750.html 2013年5月31日閲覧。 
  9. ^ a b c d “長谷部お帰り635日ぶり1軍 4回完全救援”. nikkansports.com. (2013年7月6日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20130706-1153098.html 2013年7月6日閲覧。 
  10. ^ “登板ゼロ、長谷部500万減”. nikkansports.com. (2012年11月29日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20121129-1053263.html 2012年12月5日閲覧。 
  11. ^ “楽天・長谷部、2年ぶり先発で好投「緊張した」”. SANSPO.com (サンケイスポーツ). (2013年7月15日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20130715/gol13071521390002-n1.html 2013年9月13日閲覧。 
  12. ^ “亡き母告別式の日に…楽天 長谷部 ベンチで号泣 弔い完璧救援”. スポニチアネックス (スポーツニッポン). (2013年8月24日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/08/25/kiji/K20130825006479890.html 2013年9月13日閲覧。 
  13. ^ “楽天・長谷部、ばつの悪い2年ぶりの白星”. SANSPO.com (サンケイスポーツ). (2013年8月25日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20130825/gol13082522360004-n1.html 2013年9月13日閲覧。 
  14. ^ “【楽天】長谷部初S「知りませんでした」”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2013年9月12日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130912-1188334.html 2013年9月13日閲覧。 
  15. ^ “楽天助っ人ユーキリス背番号は愛着ある20”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2014年1月8日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140108-1241022.html 2014年1月8日閲覧。 
  16. ^ “楽天2014年開幕登録一覧”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2014年3月26日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140326-1275762.html 2015年12月1日閲覧。 
  17. ^ “楽天長谷部5回0封 一軍昇格をアピール”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2015年4月15日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1462219.html 2015年12月1日閲覧。 
  18. ^ 背番号変更について 東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト(2015年11月29日)
  19. ^ 来季の選手契約に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト (2016年10月1日). 2016年10月1日閲覧。
  20. ^ 楽天戦力外の長谷部は引退へ「やれることはやった」”. 日刊スポーツ (2016年11月5日). 2016年11月5日閲覧。
  21. ^ 自由契約選手|2016年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2016年12月2日). 2016年12月3日閲覧。
  22. ^ 2回途中9失点KO…長谷部半泣き Sponichi Annex(2010年9月4日)、2014年8月15日閲覧。
  23. ^ 満塁男だ!おかわり君ド派手復帰後初アーチ! Sponichi Annex(2010年9月4日)、2014年8月15日閲覧。
  24. ^ 楽天 07年ドラフト1位の長谷部ら7選手に戦力外通告(『日刊スポーツ2016年10月1日付記事)
  25. ^ 永井が2015年11月29日に発信したツイートを参照

関連項目[編集]

外部リンク[編集]