牧田明久

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牧田 明久
A makida20160423.jpg
楽天選手時代
(2016年4月23日 西武プリンスドームにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福井県越前市
生年月日 (1982-06-03) 1982年6月3日(35歳)
身長
体重
182 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2000年 ドラフト5位
初出場 2005年7月19日
最終出場 2016年7月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

牧田 明久(まきだ あきひさ、1982年6月3日 - )は、福井県越前市出身の元プロ野球選手外野手、右投右打)。

大阪近鉄バファローズの最終年(2004年)に同球団へ所属していた選手の1人で、東北楽天ゴールデンイーグルスには、創設1年目の2005年から在籍。現役引退後の2017年からは、楽天の球団職員として「楽天イーグルスアカデミー」ジュニア部門のコーチを務めるかたわら、野球解説者としても活動している。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

1982年に福井県越前市に産まれる。北日野小学校に通いつつ、地元の少年野球チーム「北日野マウンテンズ」で小学2年生から野球を始める。ポジションは主に投手。部活動で野球を続けながら越前市立万葉中学校から高校は鯖江市にある鯖江高校に進学した。甲子園出場経験はない[1]。中学・高校時代は投手で4番を務めた。

2000年のドラフト会議大阪近鉄バファローズから5位指名を受け、入団。高校時代は投手として140km/h以上を計測していたが、50メートル6.0秒の俊足、高校通算8本塁打という打力を買われ、外野手として入団した。背番号は「63」。

近鉄時代[編集]

2001年 - 2004年
近鉄時代は二軍での打率も1割台後半から2割台前半という成績で、一軍昇格のきっかけを掴めずに終わった。守備では、入団1年目は外野に専念していたが、当時の近鉄はタフィ・ローズ大村直之礒部公一をはじめとして層が厚かったため、出番を増やすため三塁手の守備にも挑戦した。オフに選手分配ドラフトを経て新たに創設された東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。

楽天時代[編集]

2005年
7月15日に負傷した飯田哲也に代わって一軍昇格。7月19日の対福岡ソフトバンクホークス戦(ヤフードーム)で代走として、プロ5年目にして一軍戦初出場を果たした。7月25日の対北海道日本ハムファイターズ戦(フルキャストスタジアム宮城)でのプロ初打席は死球となり、出塁後に初盗塁を記録した。7月30日の対埼玉西武ライオンズ戦(インボイスSEIBUドーム)で延長11回表に打席に立ち、勝利につながるプロ初安打を打った。8月3日、対千葉ロッテマリーンズ戦でサードゴロを打ち、初打点を記録。この年は一軍戦に主に代走としての出場で13試合に出場した。二軍ではチーム2位の74試合に出場、打率.242、7盗塁(チーム2位)を記録した。
2006年
開幕二軍スタートとなったが、二軍では初戦を除き4番を務めた。5月19日に一軍登録。シーズン前半は打撃好調だったが、6月9日の対広島東洋カープ戦(岡山県倉敷スポーツ公園野球場)で頭部に死球を受け戦線離脱。6月27日に復帰直後は打率1割台と低迷した。しかし守備では貢献し、リーグ10位・チームではトップとなる補殺5を記録した。一方、盗塁成功率が5割未満と盗塁技術に課題を残した。監督の野村克也に「我慢して使おうという気にさせてくれる」と評価された。
2007年
4月12日の対西武戦(Kスタ宮城)で先発の松永浩典からプロ初本塁打を放つ。5月3日の対ソフトバンク戦(ヤフードーム)で8回裏に公式戦では初めて三塁守備に就く(守備機会はなし)。8月4日のソフトバンク戦(フルキャスト宮城)で、本塁を狙った荒金久雄を好返球で封殺して逆転を阻止、球団史上初の「本拠地でのホークス戦6連勝」に貢献する。試合後、牧田の強肩について野村克也は「専守防衛の自衛隊のようだ」とコメントし[注釈 1]、以来「専守防衛」は牧田の代名詞となった。その後も守備固めとして多く起用され、初めてシーズン通して一軍に帯同した。また、鉄平の打撃不振もあって、相手投手次第では先発出場の機会も増えた。10月3日の対日本ハム戦(Kスタ宮城)で、本塁送球の際に右肘を痛め、12月に遊離軟骨の除去手術を受ける。秋季キャンプ、春季キャンプは別メニューで調整した。
2008年
前年に受けた右肘の手術の影響で一軍出場はなかった。二軍では40試合に出場し、打率.275、4本塁打、22打点の成績だった。守備では全力投球できないためか、左翼手としての出場が多かった。
2009年
監督の野村克也からの期待も大きく、自慢の強肩をオープン戦で披露し、開幕一軍入りを果たし、主に守備固めとして起用された。左投手が先発の時は時折スタメンで起用されたが、打撃で結果を残せず二軍と一軍を行き来するシーズンとなった。
2010年
開幕一軍入りを果たすとトッド・リンデン宮出隆自が不振に陥ったため左翼手としての出場機会が増加。8月13日の対ロッテ戦では成瀬善久から3年ぶりの本塁打を放つ。その後、長年に渡り課題とされていたバッティングで9月に月間4本塁打を記録し、終盤にはレギュラーとして定着。規定打席には達しなかったものの打率.291、6本塁打と長打力不足に喘ぐチームで奮闘した。反面、200打席近くに立ちながら4四球と選球眼に課題を残した。
2011年
キャンプの時点では右翼手のレギュラーを期待された[2]が、肩を痛めて開幕に間に合わず、復帰は6月半ばまでズレ込んだ。復帰直後は中村真人横川史学と併用で左翼手として起用されていたが、鉄平が不調で二軍落ちしてからは横川と併用で右翼手での出場が増えた。8月30日の対西武戦では2点リードの8回2死二・三塁の場面で中島裕之のライト前ヒットでホームに突入した二塁ランナー浅村栄斗を刺し、勝利に貢献した。夏場までは中々ヒットが出ず、スタメンを横川に譲ることも多かったが、9月に一気に調子を上げた事に加え、横川が二軍落ちしたため以降は右翼手のレギュラーとしてシーズン最後まで出場。一時は2割にも満たなかった打率は.268まで上がり、得点圏打率は.350を記録した。シーズンオフに背番号を5に変更した。
2012年
シーズン開始前から中軸として期待され、開幕戦は3番でスタメン出場。その後もクリーンアップとして起用されるが、交流戦辺りから打撃不振と怪我によってレギュラーの座を外され、以降準レギュラーとして下位打線を打つようになる。前半戦はサッパリだったものの後半戦になるとやや持ち直し、9月19日の対ロッテ戦(東京ドーム)では自身初の満塁本塁打[3]を含む2本塁打7打点の活躍で、2008年にホセ・フェルナンデスが記録した1試合の打点の球団記録に並んだ[4]。規定打席にはわずかに届かなかったものの、共にチームトップの9本塁打と53打点を記録した。一方で打率は.225という低さで、レギュラーを奪い返すまでには至らなかった。守備ではリーグ2位の補殺数と守備率10割を記録した。
2013年
3月30日の対ソフトバンク戦(福岡 ヤフオク!ドーム)で決勝の本塁打を放つ[5]など、5番打者として活躍していた。しかし、4月21日の対ロッテ戦で、打席でのスイング中に左手首を負傷。同月24日に「左橈側手根伸筋腱部分断裂で全治3~4週間」と診断されたことから、戦線を離脱した[6]。7月30日の一軍復帰後は、クリーンアップが銀次(3番)、アンドリュー・ジョーンズ(4番)、ケーシー・マギー(5番)でほぼ固定されていたことなどから、主に左投手が登板する試合でスタメンや代打に起用。読売ジャイアンツとの日本シリーズでは、11月3日のシリーズ第7戦(クリネックススタジアム宮城)で、巨人の先発が左腕投手の杉内俊哉だったことから、「9番・中堅手」でスタメンに出場。楽天の2点リードで迎えた4回裏の第2打席では、2番手で登板した右投手の澤村拓一からソロ本塁打を放った[7]。チームはこの試合で球団初の日本一となったが、シーズン終了後の12月に「自分は年間を通じて活躍していない」という理由で優勝記念旅行への参加を辞退した[8]
2014年
6月3日の対阪神タイガース戦(楽天Koboスタジアム宮城)では1点差で迎えた9回裏の第4打席で呉昇桓からサヨナラ打2点適時三塁打を放っている[8]
2015年
球団創設当初からのチームメイトだった中島俊哉が前年限りで現役を引退したため、選手分配ドラフトにより近鉄もしくはオリックスから楽天に移籍した選手では、チーム内に所属する唯一の現役選手になった。
序盤は代打や守備固めなどが、主な起用方法だったが、主力の相次ぐ不振、怪我で6月から2番で固定された。6月の打率は.370と好調で7月も好調を維持していたが、7月5日日本ハム戦で内野ゴロの際に左太ももを痛めた。その後は代打で5試合連続出塁など5打数4安打と結果を残すも、7月16日に登録を抹消された。9月に復帰してからは、やや成績を落としたものの、シーズン通算では打率.311を記録した。シーズン終了後には、ドラフト会議を経て入団した茂木栄五郎が背番号5を着用する関係で、背番号を25に変更した[9]
2016年
楽天球団創設当初からのチームメイトだった小山伸一郎が、前年限りで現役を引退。この年から投手コーチに転身したため、楽天球団に創設当初から所属する唯一の現役選手になった。さらに、大阪近鉄時代のチームメイトで選手分配ドラフトを経てオリックス・バファローズに入団した近藤一樹7月17日東京ヤクルトスワローズへ移籍。この移籍によって、同ドラフトで移籍した球団に一貫して在籍する現役選手および、大阪近鉄への在籍経験があるパ・リーグの現役選手は牧田が最後になった。
一軍公式戦では打率.355を記録したものの、新人・若手野手が相次いで一軍に台頭したこと[10]もあって、出場試合数は移籍後最少の16試合にとどまった。出場選手登録を抹消された7月12日以降は一軍復帰を果たせず、シーズン終了後の10月24日に、球団から戦力外通告を受けた[11]
牧田自身は、「今年ダメだったら、もう後がない」という決意でシーズンに臨んでいた。さらに、「自分は楽天が好きで、この球団で(現役生活を)終わりたかった。家族も(本拠地のある)仙台の街を気に入っているので、他のチームでのプレーをどうしても考えられなかった」として、戦力外通告を機に現役を引退[12]。牧田の引退によって、楽天球団の創設メンバーであった現役選手が、NPBの全12球団から姿を消した[10][注釈 2]。なお、球団では11月23日のファン感謝デーで、栗原健太長谷部康平との合同引退セレモニーを開催。牧田自身は、翌24日付で、NPBから任意引退選手として公示された[13]

現役引退後[編集]

楽天球団の職員へ転身するとともに、2017年1月10日付で、スクール部ベースボールグループに配属[14]。球団が運営する「楽天イーグルスアカデミー」で、ジュニア部門のコーチを務める[12][15]

その一方で、2017年4月6日には、J SPORTS STADIUMの楽天×ソフトバンク3回戦(楽天Koboパーク宮城)中継で野球解説者としてデビュー(楽天イーグルスアカデミーでの同僚・牧野塁とのダブル解説)。以降も、アカデミーのコーチ業と並行しながら、TBCラジオなどの楽天戦中継で解説を務めている。

選手としての特徴[編集]

楽天時代の打撃フォーム(2009年8月24日 西武第二球場にて)
楽天時代の打撃フォーム(2009年8月24日 西武第二球場にて)

2011年の秋季キャンプでは、新しく打撃コーチに就任した大久保博元に「中島裕之西武)や中村剛也(西武)よりもいい。(本塁打)20本は打てる」と評価された[16]

例年、秋になると打撃の調子が上がる傾向がある[17]。 また、気温が低い開幕直後のKスタでの試合でも好打を見せる。 2012年は西武戦を得意としていた[18]

人物[編集]

憧れの選手は新庄剛志[17][19]

  • 2006年日本ハム戦で、牧田が二塁打を打った際、二塁に立った牧田がセンター方向を見ると新庄が手を振ってくれたという。また、新庄に憧れているという話が本人に伝わり、新庄からバットをもらえたと喜んでいた[19]
  • プロ入り時の背番号の「63」は自身の誕生日の6月3日にも因むと共に、新庄が阪神入団当時につけていた背番号でもあり、「昔からあこがれていた新庄さんの最初の背番号と同じ番号なので、もう変えられないです」と週刊ベースボールのインタビューで発言している。2011年のシーズンオフに背番号が「5」に変わることが発表された際にも、新庄が阪神時代などにつけていたことを踏まえて「新しい番号は嬉しい」とコメントしている[16]

2006年11月27日に11歳年上の会社員の女性と入籍。その後、2007年4月11日に第一子となる女児が誕生、2009年12月9日には第二子となる女児が誕生した[20]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2005 楽天 13 11 10 1 2 0 0 0 2 1 1 0 0 0 0 0 1 2 0 .200 .273 .200 .473
2006 62 144 125 8 28 1 0 0 29 8 5 6 3 0 13 0 3 21 3 .224 .312 .232 .544
2007 97 177 162 18 43 6 0 1 52 9 4 4 4 0 11 0 0 28 2 .265 .312 .321 .633
2009 37 24 24 7 3 1 0 0 4 2 0 0 0 0 0 0 0 6 1 .125 .125 .167 .292
2010 81 190 182 22 53 15 3 6 92 16 2 0 1 1 4 0 2 26 3 .291 .312 .505 .818
2011 76 215 194 18 52 15 0 2 73 21 2 2 4 4 8 0 5 27 8 .268 .308 .376 .684
2012 123 425 378 38 85 11 1 9 125 53 5 7 10 4 23 1 9 49 11 .225 .283 .331 .614
2013 27 90 81 15 18 3 1 2 29 7 0 0 1 0 7 0 1 6 1 .222 .292 .358 .650
2014 77 204 184 13 43 5 1 2 56 17 0 1 5 0 12 0 3 18 7 .234 .291 .304 .596
2015 82 172 151 17 47 5 1 1 57 14 4 3 2 2 14 0 3 14 7 .311 .376 .377 .754
2016 16 34 31 2 11 0 0 0 13 2 0 0 1 0 2 0 0 2 3 .355 .394 .419 .813
通算:11年 691 1686 1522 159 385 62 7 23 532 150 23 23 31 11 94 1 27 199 46 .253 .306 .350 .656

年度別守備成績[編集]


三塁 外野














2005 - 8 5 0 0 0 1.000
2006 - 53 90 5 2 0 .979
2007 1 0 0 0 0 ---- 92 113 4 1 0 .992
2009 - 33 24 1 0 0 1.000
2010 - 78 96 4 1 0 .990
2011 - 73 126 3 0 2 1.000
2012 - 121 218 9 0 2 1.000
2013 - 25 57 1 0 0 1.000
2014 - 66 81 3 3 0 .966
2015 - 71 66 0 1 0 .985
2016 - 12 10 1 1 0 .917
通算 1 0 0 0 0 ---- 632 886 31 9 4 .990
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録[編集]

初記録
その他の記録
  • 1試合7打点:2012年9月19日、対千葉ロッテマリーンズ22回戦(東京ドーム) ※楽天球団記録タイ

背番号[編集]

  • 63 (2001年 - 2011年)
  • 5 (2012年 - 2015年)
  • 25 (2016年)

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 野村はヤクルトスワローズ監督時代、宮本慎也にも同様のコメントをしている。
  2. ^ 牧田と同じく大阪近鉄球団の出身で、楽天球団創設初年度から2011年まで所属した岩隈久志投手は、2017年MLBで現役生活を続ける。また、大阪近鉄出身・楽天球団の創設メンバーで2016年に阪神タイガースを戦力外になった坂克彦は、BASEBALL FIRST LEAGUE06BULLSに入団し、NPB復帰を目指している。

出典[編集]

  1. ^ 楽天野球団発行「ホームゲームプログラム vol.6 福盛和男、牧田明久特集」
  2. ^ “右翼候補・牧田 開幕微妙…楽天新外国人緊急補強も”. Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年2月20日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/02/20/kiji/K20110220000282580.html 2011年11月18日閲覧。 
  3. ^ “牧田 満塁弾&3ラン「地球が止まらないことを祈ります」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年9月20日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/09/20/kiji/K20120920004151740.html 2012年9月21日閲覧。 
  4. ^ “楽天が初回に7点奪う猛攻で圧勝”. DAAILY SPORTS ONLINE (デイリースポーツ): p. 1. (2012年9月20日). http://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2012/09/19/0005391295.shtml 2012年9月21日閲覧。 
  5. ^ “楽天・牧田 手応えV1号 5番起用に一発回答”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年3月31日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/03/31/kiji/K20130331005511700.html 2013年4月24日閲覧。 
  6. ^ “牧田 左手首の腱部分断裂で登録抹消、21日ロッテ戦で痛める”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年4月24日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/04/24/kiji/K20130424005675650.html 2013年4月24日閲覧。 
  7. ^ “【楽天】牧田ソロ本塁打「声援が後押し」”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ). (2013年11月3日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20131103-1213340.html 2013年11月5日閲覧。 
  8. ^ a b “楽天牧田サヨナラ打 32歳誕生日自ら祝う”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ). (2014年6月4日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140604-1311944.html 2014年6月10日閲覧。 
  9. ^ 背番号変更について 東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト(2015年11月29日)
  10. ^ a b “楽天最後の創設メンバー牧田が今季限りで引退へ”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2016年11月15日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1738309.html 2016年11月15日閲覧。 
  11. ^ 来季の選手契約に関して 東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト(2016年10月24日)
  12. ^ a b “楽天創設メンバー牧田はジュニアコーチで第2の人生”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2017年1月7日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1738309.html 2017年1月8日閲覧。 
  13. ^ 任意引退選手|2016年度公示”. 日本野球機構 (2016年11月24日). 2016年11月24日閲覧。
  14. ^ “新規採用に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス. (2017年1月10日). http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/7058.html 2017年1月11日閲覧。 
  15. ^ “後藤光尊ジュニアコーチ・牧田明久ジュニアコーチ就任のお知らせ”. 東北楽天ゴールデンイーグルス. (2017年1月10日). http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/7056.html 2017年1月11日閲覧。 
  16. ^ a b デーブ太鼓判!!牧田20本打つ…楽天”. スポーツ報知. 2011年11月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月22日閲覧。
  17. ^ a b “楽天・牧田 季節ごとに改名? 春久→夏久→明久”. Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年12月13日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/12/13/kiji/K20111213002232720.html 2011年12月13日閲覧。 
  18. ^ “星野監督予言「あいつが打つ」”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2012年9月25日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20120925-1022878.html 2012年11月11日閲覧。 
  19. ^ a b 牧田明久です。”. 楽天イーグルスファームブログ. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2006年10月26日). 2011年11月18日閲覧。
  20. ^ 牧田明久選手に第二子(次女)が誕生”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2009年12月9日). 2011年11月18日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]