真喜志康永
| 東北楽天ゴールデンイーグルス ヘッドコーチ #74 | |
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西武プリンスドームにて(2016年) | |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 出身地 | 沖縄県沖縄市 |
| 生年月日 | 1960年5月3日(58歳) |
| 身長 体重 |
172 cm 74 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 内野手(主に遊撃手) |
| プロ入り | 1986年 ドラフト3位 |
| 初出場 | 1987年4月10日 |
| 最終出場 | 1993年10月4日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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真喜志 康永(まきし やすなが、1960年5月3日 - )は、元プロ野球選手(内野手)・野球指導者(コーチ)である。選手としては近鉄バファローズに所属した。
現在は東北楽天ゴールデンイーグルス一軍ヘッドコーチ。
来歴・人物[編集]
沖縄県沖縄市出身。沖縄高校を卒業後、社会人野球の東芝に進むと、遊撃手としての高い守備力が注目されるようになる。1986年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズに3位で指名され、契約金と年俸それぞれ4,500万円、520万円(いずれも推定)で契約を結び入団[1]。
プロ1年目の1987年は前年のレギュラーだった村上隆行の負傷もあって4月10日の開幕戦に遊撃手として先発出場し、村田兆治から本塁打を放つという華々しいデビューを飾る。7月にはジュニアオールスターゲームに最年長で参加し、三塁打を含む2安打を記録して敢闘賞を受賞[2]。村上の打撃が不振だったシーズン後半には再び一軍でスタメン起用されるようになった[3]。
翌1988年は村上が外野手にコンバートされ、安達俊也とレギュラーを争いながら遊撃手としてレギュラークラスとなる。7月5日にはピッチアウトされた球に飛びついて決勝スクイズを決めるなど出番を増やしていき、10.19の両試合を含む(第2試合ではホームランを放っている[4])76試合にスタメン出場を果たしている。 1989年は米崎薫臣が入団してライバルが増えたが97試合に先発出場し、日本シリーズでも全試合にスタメンで起用された。同年オフの契約更改では年俸が78%増の2,560万円(推定)となっている[5]。その後は徐々に出場機会が減少し、1993年オフには200万円減の年俸1,650万円(推定)で契約を更改した[6]。翌1994年は一軍での出場がなく、同年で現役を引退し、そのまま近鉄で一軍守備走塁コーチを務めている[7]。
2004年に近鉄とオリックスが合併しオリックス・バファローズとなった際には新監督の仰木彬からコーチ就任を要請され[8]、2007年までオリックスで一軍守備走塁コーチを務めた。2008年に、かつての同僚である梨田昌孝が監督に就任した北海道日本ハムファイターズに一軍内野守備コーチとして就任し梨田が監督を務めた2011年まで一軍、2012年シーズンからは同球団の二軍内野守備コーチを務めた。2013年より再びオリックス・バファローズの一軍守備走塁コーチを務める。2015年10月3日に来年度の契約更新を行わない旨を通告された[9]。10月13日に2016年から梨田が監督に就任する、東北楽天ゴールデンイーグルス一軍内野守備走塁コーチに就任することが発表された[10]。 2018年からは二軍育成コーチを努めていたが一軍では6勝19敗1分と最下位に沈み、守備や走塁にも細かなミスが目立っていたため、4月30日の試合終了後から立石充男と入れ替えになる形で一軍内野守備走塁コーチに配置転換された[11]。6月16日に、最下位の責任を取って梨田が辞任し、一軍ヘッド兼打撃コーチの平石洋介が監督代行に就任。それに伴い、平石を支えるべく、ヘッドコーチ格としてベンチ専従となる。(一軍内野守備走塁コーチの肩書は変わらない。)2019年は一軍ヘッドコーチ。
詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1987 | 近鉄 | 77 | 136 | 122 | 12 | 18 | 1 | 0 | 2 | 25 | 6 | 2 | 1 | 8 | 1 | 5 | 0 | 0 | 28 | 2 | .148 | .180 | .205 | .385 |
| 1988 | 112 | 246 | 221 | 26 | 42 | 11 | 1 | 3 | 64 | 14 | 3 | 1 | 13 | 0 | 12 | 0 | 0 | 39 | 1 | .190 | .232 | .290 | .521 | |
| 1989 | 113 | 337 | 295 | 35 | 75 | 14 | 3 | 7 | 116 | 30 | 2 | 3 | 18 | 1 | 22 | 0 | 1 | 37 | 5 | .254 | .307 | .393 | .700 | |
| 1990 | 35 | 64 | 57 | 6 | 10 | 2 | 0 | 2 | 18 | 3 | 0 | 1 | 3 | 0 | 4 | 0 | 0 | 8 | 1 | .175 | .230 | .316 | .545 | |
| 1991 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 1993 | 30 | 33 | 28 | 1 | 5 | 2 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 0 | 5 | 1 | .179 | .281 | .250 | .531 | |
| 通算:6年 | 370 | 817 | 724 | 80 | 150 | 30 | 4 | 14 | 230 | 53 | 7 | 6 | 43 | 2 | 47 | 0 | 1 | 117 | 10 | .207 | .256 | .318 | .573 | |
記録[編集]
背番号[編集]
- 12 (1987年 - 1994年)
- 89 (1995年 - 2012年)
- 84 (2013年 - 2015年)
- 74 (2016年 - )
脚注[編集]
- ^ 読売新聞、1986年12月6日付朝刊、P.17
- ^ 読売新聞、1987年7月25日付朝刊、P.15
- ^ 週刊ベースボール、1988年5月16日号、P.27
- ^ “[http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20171019-10 【プロ野球デキゴトロジー/10月19日 時間との戦い。運命の「10.19」【1988年10月19日】]”. 週刊ベースボール編集部 (2017年10月19日). 2018年8月3日閲覧。
- ^ 読売新聞、1989年12月8日付朝刊、P.19
- ^ 読売新聞、1993年12月3日付朝刊、P.23
- ^ 朝日新聞、1997年12月3日付朝刊、P.25
- ^ 朝日新聞、2004年10月25日付朝刊、P.17
- ^ コーチ退団のお知らせオリックス・バファローズ球団公式サイト2015年10月3日配信
- ^ 新任コーチに関して 楽天公式サイト2015年10月13日配信
- ^ “コーチ人事に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス. (2018年5月1日) 2018年5月1日閲覧。
関連項目[編集]
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