真喜志康永

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真喜志 康永
Y makishi20160423.jpg
西武プリンスドームにて(2016年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 沖縄県沖縄市
生年月日 (1960-05-03) 1960年5月3日(62歳)
身長
体重
172 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手(主に遊撃手
プロ入り 1986年 ドラフト3位
初出場 1987年4月10日
最終出場 1993年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

真喜志 康永(まきし やすなが、1960年5月3日 - )は、沖縄県沖縄市出身の元プロ野球選手内野手)・野球指導者(コーチ)。選手としては近鉄バファローズに所属した。

来歴・人物[編集]

沖縄高校を卒業後、社会人野球東芝に進むと、投手から転向した遊撃手としての高い守備力が注目されるようになる。1985年都市対抗野球ではレギュラーで準優勝。翌年は補強選手でベスト8[1]1986年のプロ野球ドラフト会議近鉄バファローズに3位で指名され、契約金と年俸それぞれ4,500万円、520万円(いずれも推定)で契約を結び入団[2]

1987年は前年のレギュラーだった村上隆行の負傷もあって4月10日開幕戦に遊撃手として先発出場し、村田兆治から本塁打を放つという華々しいデビューを飾る。7月にはジュニアオールスターゲームに最年長で参加し、三塁打を含む2安打を記録して敢闘賞を受賞[3]。村上の打撃が不振だったシーズン後半には再び一軍でスタメン起用されるようになった[4]

1988年は村上が外野手にコンバートされ、安達俊也とレギュラーを争いながら遊撃手としてレギュラークラスとなる。7月5日の対阪急ブレーブス戦(西京極)では、9回同点の1死1・3塁の場面で相手投手の山田久志ピッチアウトした球に飛びついて決勝スクイズを決めるなど出番を増やしていき、10.19の両試合を含む(第2試合ではホームランを放っている[5])76試合にスタメン出場を果たしている。

1989年米崎薫臣が入団してライバルが増えたが97試合に先発出場し、日本シリーズでも全試合にスタメンで起用された。同年オフの契約更改では年俸が78%増の2,560万円(推定)となっている[6]。その後は徐々に出場機会が減少。

1993年オフには200万円減の年俸1,650万円(推定)で契約を更改した[7]

1994年は一軍での出場がなく、同年で事実上現役を引退し、そのまま近鉄で一軍守備走塁コーチを務めた[8]。ただし、コーチ就任初年度の1995年のみ形式的に選手登録が行われていたため、当時出版された選手名鑑では選手兼任扱いだった。

2004年に近鉄とオリックスが合併しオリックス・バファローズが誕生すると、新監督の仰木彬からコーチ就任を要請され[9]、以後2007年まで一軍守備走塁コーチを務めた。

2008年に、かつての同僚である梨田昌孝が監督に就任した北海道日本ハムファイターズに一軍内野守備コーチとして就任し、2012年シーズンからは二軍内野守備コーチを務めた。

2013年より再びオリックス・バファローズの一軍守備走塁コーチを務め、2015年限りで退任[10]

10月13日、2016年から梨田が監督に就任する東北楽天ゴールデンイーグルスに、一軍内野守備走塁コーチとして在籍することが発表された[11]2018年からは二軍育成コーチを努めていたが一軍では6勝19敗1分と最下位に沈み、守備や走塁にも細かなミスが目立っていたため、4月30日の試合終了後から立石充男と入れ替えになる形で一軍内野守備走塁コーチに配置転換された[12][13]。6月16日に、最下位の責任を取って梨田が辞任し、一軍ヘッド兼打撃コーチの平石洋介が監督代行に就任。これまでは一塁ベースコーチも務めていたが、平石の補佐役としてベンチ専従となった[14][注 2]。その後、2019年は一軍ヘッドコーチ[15]2020年は育成総合コーチ[16]2021年から2022年まで再び一軍ヘッドコーチを務め、2022年限りで退任した[15]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1987 近鉄 77 136 122 12 18 1 0 2 25 6 2 1 8 1 5 0 0 28 2 .148 .180 .205 .385
1988 112 246 221 26 42 11 1 3 64 14 3 1 13 0 12 0 0 39 1 .190 .232 .290 .521
1989 113 337 295 35 75 14 3 7 116 30 2 3 18 1 22 0 1 37 5 .254 .307 .393 .700
1990 35 64 57 6 10 2 0 2 18 3 0 1 3 0 4 0 0 8 1 .175 .230 .316 .545
1991 3 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1993 30 33 28 1 5 2 0 0 7 0 0 0 1 0 4 0 0 5 1 .179 .281 .250 .531
通算:6年 370 817 724 80 150 30 4 14 230 53 7 6 43 2 47 0 1 117 10 .207 .256 .318 .573

記録[編集]

背番号[編集]

  • 12(1987年 - 1994年)
  • 89(1995年 - 2012年、2021年 - 2022年)
  • 84(2013年 - 2015年)
  • 74(2016年 - 2020年)

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 登録のみ1995年まで。
  2. ^ 役職名は一軍内野守備走塁コーチのまま変更はなかった。

出典[編集]

  1. ^ 都市対抗野球大会60年史 日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  2. ^ 読売新聞、1986年12月6日付朝刊、P.17
  3. ^ 読売新聞、1987年7月25日付朝刊、P.15
  4. ^ 週刊ベースボール、1988年5月16日号、P.27
  5. ^ 【プロ野球デキゴトロジー/10月19日 時間との戦い。運命の「10.19」【1988年10月19日】”. 週刊ベースボール編集部 (2017年10月19日). 2018年8月3日閲覧。
  6. ^ 読売新聞、1989年12月8日付朝刊、P.19
  7. ^ 読売新聞、1993年12月3日付朝刊、P.23
  8. ^ 朝日新聞、1997年12月3日付朝刊、P.25
  9. ^ 朝日新聞、2004年10月25日付朝刊、P.17
  10. ^ コーチ退団のお知らせオリックス・バファローズ球団公式サイト2015年10月3日配信
  11. ^ 新任コーチに関して 楽天公式サイト2015年10月13日配信
  12. ^ “楽天、仕切り直しへ打撃&内野守備コーチ配置転換”. 日刊スポーツ. (2018年5月1日). https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/201805010000104_m.html 2022年10月15日閲覧。 
  13. ^ コーチ人事に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2018年5月1日). 2018年5月1日閲覧。
  14. ^ “楽天、一部コーチの配置転換を発表”. サンケイスポーツ. (2018年6月18日). https://www.sanspo.com/article/20180618-D77FLIAMBVIUBIV34NWJNKEKTA/ 2022年10月15日閲覧。 
  15. ^ a b “楽天・真喜志ヘッドコーチが契約満了 16年からチーム支える”. スポーツニッポン. (2022年10月3日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/10/03/kiji/20221003s00001173651000c.html 2022年10月15日閲覧。 
  16. ^ 楽天の真喜志康永1軍ヘッドコーチが育成総合コーチに… 各球団発表、18日の人事は”. Full-Count (2019年10月18日). 2022年10月15日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]