中嶋聡

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中嶋 聡
NF-Satoshi-Nakajima20120310.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 秋田県北秋田市
生年月日 1969年3月27日(47歳)
身長
体重
182 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1986年 ドラフト3位
初出場 1987年10月18日
最終出場 2015年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 北海道日本ハムファイターズ (2007 - 2015)

中嶋 聡(なかじま さとし、1969年3月27日 - )は、元プロ野球選手捕手)・野球指導者。

1987年昭和62年)に阪急ブレーブスへ入団してから、西武ライオンズ横浜ベイスターズ北海道日本ハムファイターズでプレー。日本ハム時代の2007年から2015年までは、一軍バッテリーコーチを兼務していた。

2015年には、選手としての一軍実働年数が29年に到達するとともに、工藤公康と並ぶNPB最長記録を達成。同年限りで引退したことによって、阪急への在籍経験がある現役選手[1]はNPBから姿を消した。

愛称はサメで、妻はモデル中嶋愛漫画家制野秀一義父にあたる。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

秋田県立鷹巣農林高校から、1986年度プロ野球ドラフト会議で阪急ブレーブスから3位指名を受け、入団。

阪急時代[編集]

1988年10月23日[2]ダブルヘッダーで開催された阪急としての西宮球場最終戦(対ロッテ27回戦)にて、ダメ押しとなる3ラン本塁打[3]を放ち、同郷である山田久志[4]の引退試合に花を添えた。

オリックス時代[編集]

1989年、球団名がオリックス・ブレーブス[5]に変わってからは、正捕手だった藤田浩雅の不調により正捕手の座を掴む。球界随一の強肩もさることながら、打撃センスに優れ、俊足で盗塁も果敢に挑戦し走攻守すべての面を持ち合わせていたため、一時は「メジャーリーグに一番近い捕手」とまで言われた[6]。四番打者を務めたこともある。しかし、90年代中盤あたりから徐々に打撃が低迷し、藤田とのトレードで読売ジャイアンツ(巨人)から加入した高田誠や若手の三輪隆との併用となっていたが、自慢の強肩は衰えず、1995年には佐藤義則の当時球界最年長ノーヒットノーランに貢献し[6]この年のリーグ優勝、翌年のリーグ連覇、日本一に貢献する。

1990年10月6日の対ロッテオリオンズ戦では、満塁インフィールドフライをわざと落球し併殺を狙ったが、逆にロッテに点を与えてしまった[7]

西武時代[編集]

1997年、オフにフリーエージェント宣言し、メジャーリーグ挑戦を表明[6]。複数の球団と接触し、アナハイム・エンゼルスの入団テストを受けた[6]。一時は入団が決まりかけたが、エンゼルス側が提示した契約条件が、3番手の捕手として起用が前提のマイナー契約であったため、メジャーリーグ移籍を断念。国内球団の移籍に的を絞り、西武ライオンズ日本ハムファイターズが中嶋の獲得に乗り出したが、最終的に西武へ移籍[8]

1998年日本シリーズで不調のベテラン伊東勤に代わり一時的な活躍こそしたが、長年西武一筋で信頼感のある伊東から正捕手の座を奪うことはできなかった。その後、1999年に入団した松坂大輔専用の捕手として起用されることが増えたが、打撃の低迷に加えて西武が若手捕手育成の方針を取ったため次第に出場機会が減っていった。

2000年和田一浩背番号を交換したが、中嶋によると「(当時の)背番号5は、捕手の番号でないような気がするから」という理由により、当時は捕手登録ながら、既に外野手としての出場が多かった和田に持ちかけたものだという[9]。また、同年5月20日長野オリンピックスタジアムで初めて行われた古巣オリックス戦で、2回裏にテリー・ブロウズから同スタジアムの公式戦第1号本塁打を左翼スタンドに放っている。

2002年、大半を二軍で過ごし、同年オフに富岡久貴と共に石井義人細見和史との2対2の交換トレードで横浜ベイスターズへ移籍する。

横浜時代[編集]

2003年、この年、横浜は前年までの正捕手谷繁元信がFAで中日へ移籍した為中嶋、若手の相川亮二、中日から移籍してきた中村武志によるハイレベルな正捕手争いが行われた。そして開幕戦では見事先発マスクを被ったが、故障もあり結果を残せない期間に中村の復調、相川の台頭で同年オフには構想外となり、金銭トレードで北海道日本ハムファイターズへ移籍。1997年のFA時から6年越しの日本ハム入団となった。

日本ハム時代[編集]

2004年、9月に横浜球団のキャンペーンガールをしていたモデルの制野愛(現在は中嶋愛)と入籍した。

2005年、当初3番手捕手のはずだったが、正捕手高橋信二の度重なる故障と實松一成の不調もあり、捕手でチーム最多の出場機会を得た。

2006年、先発出場はわずか2試合と激減したが、守護神マイケル中村との相性の良さから、試合後半を任される「抑え捕手」の地位を獲得。以後、マイケルが巨人へ移籍する2008年シーズン終了までマイケルの専属捕手のような状態だった[10]。結局、2006年は捕手としてはチーム最多の79試合に出場し、チームのリーグ優勝と日本シリーズ優勝に貢献した。また、6月19日の対阪神タイガース戦の試合前に行われたスピードガンコンテストで球速146km/hを叩き出し、中嶋より遥かに若い阪神・日本ハムの選手達を抑え優勝。強肩健在ぶりを大いにアピールした[11]

2007年、選手と一軍バッテリーコーチを兼任。以後は選手としての一軍登録抹消時はコーチ専任で一軍に帯同した。開幕直後に一軍登録を抹消されるも、調子の上がらないマイケルをサポートするため再度一軍へ昇格し、そのまま最後まで一軍で抑え捕手として活躍。この年唯一放った安打は、9月15日の対ソフトバンク戦で放ったダメ押しの3ランだった。

2008年も、シーズン後半からではあるが再度一軍へ昇格、抑え捕手を務めた。また、不調に陥った多田野数人をサポートする為に1試合のみではあるが2年ぶりに先発出場を果たした。

2009年大野奨太の入団とマイケルの巨人への移籍があって、捕手は鶴岡慎也と大野の併用が多くなったために出場機会がなかった。7月18日に一度登録されるも、試合の雨天中止により、出場しないまま登録抹消された。しかし、大野がインフルエンザに感染したため8月16日に急遽一軍登録され、その日の対埼玉西武ライオンズ戦(札幌ドーム)の9回からマスクを被りシーズン初出場を果たした。また、8月21日の対ソフトバンク戦では、ダルビッシュ有の先発捕手として出場し、自身も1安打を放った。さらに同年の日本シリーズでもマスクを被った。同年オフの高木晃次の引退により「阪急ブレーブスでのプレー経験がある唯一の現役選手」となった。

2010年4月2日に一軍登録され、対西武戦(札幌ドーム)に7回途中から出場し、実働年数が24年となった。これは歴代3位タイで、捕手では野村克也南海ロッテ西武)の26年に次ぎ単独2位の年数である。4月23日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では、カーライルの先発捕手として出場した。

2011年、鶴岡が開幕直前に離脱したこともあり、2007年以来4年ぶりに開幕戦から選手として一軍登録される。4月13日の西武2回戦(札幌ドーム)に9回表から出場、実働年数が25年となった。

2012年5月9日に一軍登録され、5月12日の西武7回戦(函館オーシャンスタジアム)で9回表に守備で出場し、実働年数が26年となり、野村、山本昌中日)と並び、歴代2位(野手では1位)の記録となった[12]

2013年9月28日の対オリックス戦(京セラドーム)で、この年初めて一軍公式戦に出場。野手としてのNPB一軍実働年数最多記録(27年)を達成した[13]

2014年6月27日の対楽天戦(札幌ドーム)8回表から捕手として出場。この年唯一の一軍公式戦出場であったが、野手としてのNPB一軍実働年数記録を28年に更新するとともに、パシフィック・リーグ公式戦での実働年数記録(27年)を達成した[14]

2015年4月15日の対ロッテ戦(札幌ドーム)9回表に、捕手としてこの年初めて一軍公式戦に出場。工藤公康の持つ(投手を含めての)NPB一軍実働年数記録(29年)に並んだ[15]。その後は事実上バッテリーコーチに専念していたが、10月1日に現役引退を表明。日本ハム球団では、同日の対ロッテ23回戦(札幌ドーム)を、中嶋の引退試合として開催した[16]。その一方で、シーズン終了後には、自身の意向で一軍バッテリーコーチも退任した[1]。同年には山本昌(1983年のドラフトで中日へ入団)も現役を引退したため、昭和時代にNPBの加盟球団へ入団した現役選手は投手・野手ともにいなくなった。

引退後[編集]

2015年11月2日に引退記者会見を開くともに、翌2016年から日本ハムチーム統括本部のゼネラルマネジャー特別補佐に就任することが球団から発表された。11月27日付で、日本野球機構(NPB)から任意引退選手として公示[17]。2016年には、業務提携球団のサンディエゴ・パドレスにコーチとして派遣[18]アメリカへの滞在中には、マイナーリーグの巡回や、外国人選手のスカウティングを予定している[19]

人物[編集]

アマチュア球界でも中嶋の強肩は知れ渡っていて、古田敦也(当時トヨタ自動車硬式野球部)がプロ野球ドラフト会議の指名候補選手になった際、レギュラー獲りへの不安からか、地元球団で少年時代は前身の阪急のファンの上『阪急ブレーブスこども会』にも入会していたほどだったが「中嶋選手のいるオリックスだけは遠慮したい」と語っていた。

最初に入団した阪急で、山田久志、佐藤義則今井雄太郎といった超ベテラン投手陣の薫陶を受けた。

星野伸之は120キロ台の速球と80キロ台のスローカーブを武器にする投手で、1990年9月20日の対日本ハム戦(東京ドーム)で星野が田中幸雄に投じたすっぽ抜けたカーブを中嶋が右手で直接捕球し、星野を超える球速で返球したことで失笑が起こった。ベンチに帰り星野は「素手で取るなよ。ミットが動いてなかったぞ」と機嫌を悪くしていたが、中嶋は「ミットが届かなかったんです」と誤魔化し事態は収まった[20]

  • 星野は後に著書『真っ向勝負のスローカーブ』でこのときの“素手でキャッチ事件”を振り返り、“今となってはいい思い出である”と述べているほか、“中嶋はいい捕手だった”とも述べている。
  • この「素手キャッチ」は星野が投球練習をする時にもしばしば見られたことである。当時は「星野が中嶋に投げる球より、中嶋が星野に返す球の方が速い」とまで言われていた。

「捕手=巨漢・鈍足」といった従来のイメージを変えた選手の一人であり、オリックス時代にはプロ野球選手を最初にアイドル的に扱った雑誌・プロ野球aiに特集記事が度々掲載されるほどであった。

西武入団時には松坂大輔が先発する試合の出場が多かったが、松坂を大事に育てる意向だった当時の首脳陣は当時の正捕手だった伊東勤と組ませると松坂が乱調だった試合では(松坂の責任にできない関係上)伊東の責任になってしまう、さりとて既に球界を代表するキャッチャーでもあった伊東の責任にもできないため、中嶋と組ませれば「全て中嶋が悪い」で済ませられるから松坂の女房役になったのではないかと述懐している。

普段は近視のためコンタクトレンズを着用しているが、2005年シーズンの一時期だけ眼鏡を掛けてプレーしていた。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1987 阪急
オリックス
2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
1988 74 145 135 7 24 8 1 2 40 14 1 1 3 2 3 0 2 34 1 .178 .204 .296 .501
1989 121 373 320 31 75 9 2 5 103 26 2 2 15 1 35 0 2 67 6 .234 .313 .322 .635
1990 95 318 286 46 81 9 4 12 134 39 8 2 8 2 19 0 3 62 4 .283 .332 .469 .801
1991 129 471 430 49 109 22 3 12 173 48 4 5 7 1 30 0 3 85 3 .253 .306 .402 .708
1992 115 408 342 44 85 13 0 6 116 33 5 4 16 5 37 2 8 68 15 .249 .332 .339 .671
1993 55 174 148 7 22 3 0 0 25 4 1 1 8 0 16 0 2 41 5 .149 .241 .169 .410
1994 37 107 94 11 30 6 0 4 48 19 0 0 2 2 9 0 0 23 2 .319 .371 .511 .882
1995 101 345 303 33 81 13 1 3 105 33 0 1 7 2 33 1 0 61 8 .267 .337 .347 .684
1996 98 292 257 17 57 6 1 1 68 24 1 0 12 3 18 0 2 59 4 .222 .275 .265 .540
1997 73 195 169 15 37 6 0 2 49 14 2 2 9 0 14 0 3 44 4 .219 .290 .290 .580
1998 西武 60 124 106 8 25 4 1 2 37 7 0 3 6 0 7 0 5 24 4 .236 .314 .349 .663
1999 72 193 155 10 30 4 0 0 34 16 2 1 12 5 20 0 1 31 8 .194 .282 .219 .501
2000 78 217 182 19 43 6 0 2 55 26 0 0 13 3 17 0 2 33 7 .236 .304 .302 .606
2001 65 154 123 7 25 6 0 1 34 14 0 1 15 2 14 1 0 34 4 .203 .281 .276 .557
2002 49 85 74 7 12 1 0 1 16 2 1 0 3 0 7 0 1 22 2 .162 .244 .216 .460
2003 横浜 19 60 56 4 12 1 0 0 13 3 0 0 1 0 2 0 1 10 2 .214 .254 .232 .486
2004 日本ハム 39 72 66 4 13 3 0 0 16 7 0 0 3 1 2 0 0 17 2 .197 .217 .242 .460
2005 79 186 171 8 32 4 0 1 39 11 0 0 7 1 7 0 0 38 4 .187 .218 .228 .446
2006 79 30 29 0 6 2 0 0 8 5 0 0 0 0 0 0 1 6 1 .207 .233 .276 .509
2007 60 15 15 1 1 0 0 1 4 3 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .067 .067 .267 .333
2008 22 4 4 1 3 0 0 0 3 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .750 .750 .750 1.500
2009 3 4 3 1 1 0 0 0 1 0 0 1 1 0 0 0 0 1 0 .333 .333 .333 .667
2010 7 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2011 10 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2012 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2013 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2014 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2015 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
通算:29年 1550 3977 3473 330 804 126 13 55 1121 349 27 24 148 30 290 4 36 767 86 .232 .295 .323 .618
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はNPBにおける歴代最高

年度別守備成績[編集]

年度 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1987 2 0 0 0 -
1988 74 30 17 13 .433
1989 120 619 58 9 13 6 .987 87 62 25 .287
1990 94 527 43 8 6 8 .986 59 41 18 .305
1991 128 739 77 10 11 11 .988 78 55 23 .295
1992 104 599 49 5 6 4 .992 64 41 23 .359
1993 55 37 27 10 .270
1994 28 27 20 7 .259
1995 96 611 59 7 7 4 .990 69 46 23 .333
1996 97 502 40 2 3 1 .996 63 50 13 .206
1997 66 11 11 67 49 18 .269
1998 54 19 8 11 .579
1999 72 29 17 12 .414
2000 72 46 30 16 .348
2001 64 29 18 11 .379
2002 48 11 6 5 .455
2003 19 16 15 1 .063
2004 37 18 14 4 .222
2005 79 356 26 2 2 4 .995 44 32 12 .273
2006 78 141 7 0 1 0 1.000 10 8 2 .200
2007 60 76 2 0 0 1 1.000 3 3 0 .000
2008 22 21 0 0 0 0 1.000 1 1 0 .000
2009 3 7 2 0 0 0 1.000 2 2 0 -
2010 7 8 0 0 0 0 1.000 0 0 0 -
2011 10 12 0 0 0 1 1.000 0 0 0 -
2012 3 5 0 0 0 0 1.000 1 1 0 .000
2013 2 2 1 0 0 1 1.000 1 1 0 .000
2014 1 0 0 0 0 0 1.000 0 0 0 .000
2015 2 1 0 0 0 0 1.000 0 0 0 .000
通算 1497 811 564 247 .305

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
その他記録

背番号[編集]

  • 53 (1987年 - 1988年)
  • 27 (1989年 - 1997年、2011年 - 2015年)
  • 5 (1998年 - 1999年)
  • 22 (2000年 - 2002年)
  • 35 (2003年)
  • 32 (2004年 - 2010年)

脚注[編集]

  1. ^ a b 引退の日本ハム中嶋、兼任バッテリーコーチも退任へ - 日刊スポーツ2015年10月12日配信
  2. ^ 同日はナゴヤ球場にて中日×西武の日本シリーズ第2戦が開催されていたが、同年は雨天中止による順延が多数発生した為公式戦最終日が日本シリーズ開催期間中の同日までずれ込んでいた。
  3. ^ この本塁打が阪急球団最後の本塁打。同時に昭和時代最後の公式戦本塁打となった。
  4. ^ 山田の出身地・秋田県能代市は、中嶋の出身地・北秋田市と隣接している。
  5. ^ 1991年にオリックス・ブルーウェーブへ名称変更。
  6. ^ a b c d 【レジェンドの決断 中嶋聡2】強肩と経験…戦力であり続けた29年”.  スポーツニッポン. 2016年1月22日閲覧。
  7. ^ インフィールドフライが宣告された時点で打者走者は自動的にアウトとなるため、他の走者はフォースの状態ではなくなる。よって、満塁の場面でも本塁に触れただけでは三塁走者をアウトには出来ない。同様のミスは、達川光男広島)も1991年に犯している。
  8. ^ 【12月6日】1999年(平11) 良妻・中嶋聡、“松坂査定”で年俸4%ダウンで済んだスポーツニッポン2008年12月6日配信
  9. ^ ベースボールマガジン』より。
  10. ^ 一例として、2007年9月24日の対福岡ソフトバンクホークス戦(札幌ドーム)の4-4で迎えた9回表二死、一打負け越しのピンチの場面で日本ハムはマイケルを起用した。しかし、9回裏には打力のある捕手・高橋信二に打順が回るため、高橋はそのままにして中嶋が一球毎にベンチから高橋にサインを送った。結果はマイケルが打者1人を打ち取ってこのピンチを凌ぎ、予定通り高橋は次打席終了をもって中嶋と交代した。
  11. ^ 1995年のオールスターゲームでも146km/hを記録している。
  12. ^ 9回に今季初マスク…ハム中嶋が実働26年目に到達 スポニチアネックス 2012年5月12日閲覧
  13. ^ 中嶋が野手最長の実働27年 ノムさん抜くも「深い感想ない」スポーツニッポン2013年9月28日配信
  14. ^ ハム中嶋兼任コーチ偉大な1軍実働28年ニッカンスポーツ2014年6月27日配信
  15. ^ ハム中嶋がプロ野球タイ実働29年「感慨なんて」日刊スポーツ2015年4月15日配信
  16. ^ ニュース | 中嶋聡バッテリーコーチ兼捕手が 現役を引退 | 北海道日本ハムファイターズ - 2015年10月1日配信、2015年10月3日閲覧
  17. ^ 2015年度 任意引退選手 - 2015年11月28日閲覧
  18. ^ 中嶋聡氏がチーム統轄本部GM特別補佐に就任日本ハムファイターズ
  19. ^ 日本ハム中嶋氏がフロント転身 GM付きで米国滞在 - 日刊スポーツ2015年10月31日配信
  20. ^ 別冊宝島 プロ野球「絶対エース」の豪腕伝説より

関連項目[編集]

外部リンク[編集]