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牧野塁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
牧野 塁
オリックス・バファローズ 投手コーチ #73
広島時代
(2009年3月31日 ナゴヤ球場にて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都
生年月日 (1974-07-17) 1974年7月17日(50歳)
身長
体重
182 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1992年 ドラフト3位
初出場 1993年9月24日
最終出場 2009年8月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

牧野 塁(まきの るい、1974年7月17日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手投手)、野球解説者野球監督プロ野球コーチ。右投右打。

経歴

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プロ入り前

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横浜・緑東シニアから山梨学院大学附属高校へ進み、2年秋の県大会で優勝する[1]が関東大会では初戦で大友進が先発する日立工に敗退。3年夏は県大会準々決勝で延長12回を投げて14奪三振も惜敗[2]1992年度ドラフト会議にてオリックス・ブルーウェーブから3位指名を受けて入団。

プロ入り後

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オリックス時代

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1993年9月24日の対千葉ロッテマリーンズ戦(グリーンスタジアム神戸)でプロ初登板初先発を果たしたが6回0/3を3失点(自責点1)で敗戦投手となった。この年は3試合に登板したが勝ち星は得られなかった。同年以降は毎年一軍登板するものの登板数は10試合を超えるか超えないか程度に限られる。

2000年は中継ぎで34試合に登板し、防御率3.14と比較的安定した投球だった。

2001年2002年は登板数が激減した。

2003年は自己最多の49試合に登板した。先発での登板も10試合あり、自身初のシーズン100投球回に到達した。しかし、この年のオリックスの投手陣はチーム防御率がリーグ5位の日本ハムファイターズ(4.88)より1点以上も悪い5.95の最下位であり、牧野も防御率5.05と安定感を欠きチーム防御率に足並みを揃える形となった。オフに斉藤秀光谷中真二との2対2の交換トレードで、葛城育郎と共に阪神タイガースへ移籍。

阪神時代

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2004年は中継ぎで27試合に登板し、防御率2.48と安定した投球だった。

2005年はチームの新しいリリーフ陣JFKの球史に残る鉄壁のリレーが確立されたこともあり2試合しか登板できなかった。

2006年ウエスタンリーグで20試合に登板して自責点0の好成績だったが、一軍では前年に確立したJFKリレーが充実していたこともあり一軍昇格は叶わず、シーズン途中、坂克彦との交換トレードで東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。

楽天時代

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9月22日の西武戦に先発し、7回を無失点に抑え勝利投手となる。一軍で7回までを無失点に抑えたのは自身初。同年は15試合に登板(先発5回)して、2勝0敗0S、投球回43.1、31奪三振、防御率2.49という好成績を残した。

2007年は18試合に登板したが1勝に留まった。

2008年は1試合しか投げれず7月18日佐竹健太との交換トレードで広島東洋カープへ移籍。

広島時代

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移籍後は6試合に登板した。

2009年は14試合の登板に留まり、10月9日に戦力外通告を受けた[3]12球団合同トライアウトに参加したが、獲得球団はなく、現役を引退した。

引退後

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2010年から2011年までの2年間横浜ベイスターズ打撃投手を務めた[4][5]2012年からは楽天の球団職員となり、楽天主催試合のテレビ(スカパー!)、インターネット中継の解説者をしながら、東北楽天ゴールデンイーグルスベースボールスクールのジュニアコーチとして子供達に野球指導をおこなった。

2019年1月12日、四国アイランドリーグplus徳島インディゴソックス監督に就任することが発表された[6]。就任後最初のシーズンとなった2019年前期に半期優勝[7]、および年間総合優勝を達成した[8]。過去に徳島でリーグ優勝を達成した監督(ほかに斉藤浩行島田直也養父鐵)はいずれもその時点でNPBでの指導者歴を持たなかったが、牧野もそれに続く形となった。BCリーグ優勝チームの栃木ゴールデンブレーブスと対戦したグランドチャンピオンシップも3勝2敗で制し[9]、就任初年度で「独立リーグ日本一」となった。選手育成でも手腕を発揮し、ドラフト会議では上間永遠岸潤一郎埼玉西武ライオンズの7、8位、平間隼人読売ジャイアンツの育成1位で指名された[10]。球団は牧野の手腕を見込み、シーズン途中から翌年の続投に向けて交渉を進めたが、10月のプロ野球・ドラフト会議後に牧野から出された金銭面などの条件で折り合いが付かず[10]、シーズン終了後の11月9日、任期満了と「一身上の都合」を理由に退任することが発表された[11]

同年11月10日にBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサス監督に就任予定と報じられ[12]、11月15日に正式に就任が発表された[13]。就任から2シーズン目となる2021年にリーグ優勝を達成し[14]、アイランドリーグとBCリーグの両方で優勝監督となった。群馬では通算3シーズン指揮を執り、2022年シーズン終了後に任期満了による退任が発表された[15]

2022年12月28日、2023年1月1日付でオリックス・バファローズのスカウトに就任することが発表された[16]。1年間スカウトを務めた後、12月2日、2024年からは投手コーチとして現場復帰する事が発表された[17]

選手としての特徴

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150km/hを超える速球とスライダーで投球の大半を組み立てるが、制球に難があり毎年のようにフォーム改造があり当初はオーバースローだったが最終的にはスリークォーターに落ち着いた。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1993 オリックス 3 2 0 0 0 0 2 0 -- .000 55 12.0 11 2 9 0 0 12 0 0 10 8 6.00 1.67
1994 5 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 19 4.0 3 1 4 0 0 4 0 0 3 3 6.75 1.75
1995 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 15 2.2 6 1 1 0 0 4 0 0 5 5 16.88 2.63
1996 7 3 0 0 0 2 1 0 -- .667 98 21.2 19 3 13 2 1 14 0 1 10 9 3.74 1.48
1997 11 0 0 0 0 1 2 0 -- .333 69 15.1 19 6 4 0 0 21 3 0 13 13 7.63 1.50
1998 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 6 0.2 0 0 4 0 0 1 0 0 1 1 13.50 6.00
1999 17 1 0 0 0 1 1 0 -- .500 88 20.1 22 4 7 0 1 23 1 0 12 8 3.54 1.43
2000 34 0 0 0 0 2 3 2 -- .400 212 48.2 36 8 33 0 1 44 2 0 19 17 3.14 1.42
2001 3 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 15 3.1 3 1 1 0 0 5 0 0 2 1 2.70 1.20
2002 7 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 36 8.2 8 2 1 0 1 7 0 0 6 6 6.23 1.04
2003 49 10 0 0 0 2 7 0 -- .222 458 101.2 112 15 46 0 3 86 4 0 64 57 5.05 1.55
2004 阪神 27 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 139 32.2 32 3 11 0 0 33 4 0 9 9 2.48 1.32
2005 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 11 2.0 2 2 3 0 0 2 0 0 2 2 9.00 2.50
2006 楽天 15 5 0 0 0 2 0 0 1 1.000 181 43.1 41 7 11 0 1 31 4 0 14 12 2.49 1.20
2007 18 4 0 0 0 1 3 0 3 .250 154 34.0 41 7 13 0 0 29 1 0 24 19 5.03 1.59
2008 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 5 1.0 2 1 0 0 0 1 0 0 1 1 9.00 2.00
広島 6 2 0 0 0 0 1 0 0 .000 72 15.1 18 2 9 0 1 7 0 0 9 6 3.52 1.76
'08計 7 2 0 0 0 0 1 0 0 .000 77 16.1 20 3 9 0 1 8 0 0 10 7 3.86 1.78
2009 14 0 0 0 0 0 2 0 0 .000 87 21.1 18 5 5 0 1 13 1 0 10 10 4.22 1.08
通算:17年 222 27 0 0 0 13 23 2 4 .361 1720 388.2 393 70 175 2 10 337 20 1 214 187 4.33 1.46

記録

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初記録

背番号

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  • 61(1993年 - 1996年)
  • 13(1997年 - 2003年、2008年途中 - 2009年)
  • 35(2004年 - 2006年途中)
  • 53(2006年途中 - 2007年)
  • 14(2008年 - 同年途中)
  • 102(2010年 - 2011年)
  • 79(2019年)
  • 77(2020年)
  • 61(2021年 - 2022年)
  • 73(2024年 - )

脚注

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  1. ^ '94スポニチプロ野球手帳 スポーツニッポン新聞社編
  2. ^ ベースボールマガジン1993年春季号「高校新卒ルーキーくん33人の実績」ベースボールマガジン社
  3. ^ 戦力外通告のお知らせ”. 広島東洋カープ (2009年10月9日). 2009年12月5日閲覧。[リンク切れ]
  4. ^ “牧野が現役引退…横浜で打撃投手に”. デイリースポーツ. (2009年12月3日). http://www.daily.co.jp/baseball/carp/2009/12/04/0002558544.shtml 2009年12月5日閲覧。 
  5. ^ “裏方スタッフ10人解雇…横浜”. スポーツ報知. (2011年10月25日). オリジナルの2018年10月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111026211137/http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20111024-OHT1T00294.htm 2018年1月17日閲覧。 
  6. ^ 徳島IS 新監督 『牧野 塁』氏 就任のお知らせ - 四国アイランドリーグニュースリリース(2019年1月12日)
  7. ^ “徳島が前期優勝 四国ILプラス”. 徳島新聞. (2019年6月5日). https://www.topics.or.jp/articles/-/211396 2019年6月5日閲覧。 
  8. ^ “徳島、2年ぶり王者 愛媛に競り勝つ /四国ILプラスCS第3戦”. 徳島新聞. (2019年9月24日). https://www.topics.or.jp/articles/-/261261 2019年9月24日閲覧。 
  9. ^ “徳島インディゴ2年ぶり3度目日本一 GCS、栃木に逆転勝ち”. 徳島新聞. (2019年10月15日). https://www.topics.or.jp/articles/-/271171 2019年10月16日閲覧。 
  10. ^ a b “インディゴ、牧野監督が退任”. 徳島新聞. (2019年11月10日). https://www.topics.or.jp/articles/-/282072 2019年11月14日閲覧。 
  11. ^ 徳島IS 牧野塁監督 退任のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2019年11月9日)
  12. ^ “BCリーグ・群馬ダイヤモンドペガサス 新監督に牧野塁氏”. 上毛新聞. (2019年11月10日). http://ms.jomo-news.co.jp/ns/9615733116274798/news.html 2019年11月10日閲覧。 
  13. ^ 来季新監督決定のお知らせ - ベースボール・チャレンジ・リーグ(2019年11月15日)
  14. ^ 群馬ダイヤモンドペガサス ルートインBCリーグ優勝決定 - ベースボール・チャレンジ・リーグ(2021年10月4日)2021年10月4日閲覧。
  15. ^ 牧野塁監督退任のお知らせ - 群馬ダイヤモンドペガサス(2022年11月16日)2022年11月16日閲覧。
  16. ^ “【オリックス】来年1月1日付の人事を発表 松井雅人氏、別府修作氏がスコアラー 球団OBの牧野塁氏はスカウト、山本和作氏は広報に”. スポーツ報知. (2022年12月28日). https://hochi.news/articles/20221228-OHT1T51106.html?page=1 2022年12月29日閲覧。 
  17. ^ オリックス、来季のコーチ陣発表 安達が兼任、牧野氏が入閣…中嶋政権4年目”. Full-Count (2023年12月2日). 2023年12月2日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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