渡辺直人

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渡辺 直人
東北楽天ゴールデンイーグルス 打撃コーチ兼内野手 #26
N watanabe20190516.jpg
東京ドームにて(2019年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県牛久市
生年月日 (1980-10-15) 1980年10月15日(39歳)
身長
体重
173 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 2006年 大学生・社会人ドラフト5巡目
初出場 2007年4月17日
年俸 1,700万円(2019年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 東北楽天ゴールデンイーグルス (2020 -)

渡辺 直人(わたなべ なおと、1980年10月15日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属する茨城県牛久市出身のプロ野球選手内野手)。右投右打。2020年からは、楽天の現役選手としては初めてコーチ(一軍打撃コーチ)を兼務する[2]

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

野球を始めたのは小学3年生。牛久市立下根中学校茨城県立牛久高校城西大学[3]を経て、三菱ふそう川崎に入社。

遊撃手として入社1年目の2003年、3年目の2005年都市対抗野球大会優勝を経験、2006年には第16回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表として全9試合に出場し打率.357、社会人ベストナインに選ばれる。

楽天時代[編集]

2006年のNPB大学生・社会人ドラフト会議で、東北楽天ゴールデンイーグルスから5巡目で指名。を受け、入団。背番号は社会人時代と同じ2

2007年は開幕を二軍で迎えたが、4月17日に一軍登録され、同日のソフトバンク戦7回裏にリック代走として一軍初出場し、8回表からは遊撃の守備に就いた。翌18日には遊撃手として初めて先発出場し、3回裏の初打席は杉内俊哉の初球を二塁ゴロ、7回裏にはプロ初安打となる一塁内野安打で出塁し、鷹野史寿の右前安打で一塁から生還、初得点。7月24日の埼玉西武ライオンズ戦の9回表に初本塁打を記録した。遊撃手のレギュラーとなり、8月23日のロッテ戦で、サヨナラエラーを含む3失策をしている。打率は3割前後を保ち、一時は新人王有力候補とも言われた。後半は鉄平に代わって1番を務めることも増え、最終的な打率は.268、リーグ7位の25盗塁、成功率.833。新人として両リーグ唯一の規定打席に到達した。なお渡辺の規定打席到達は、楽天の生え抜き選手初の快挙でもある。三振率.105はチームメイトのリックと並んでリーグ最少だった。

2008年1月30日、球団から入籍が発表された。開幕戦には「1番・遊撃手」で出場。「出塁率を上げる」という目標から打席で粘って四死球で出塁というスタイルで高出塁率を維持。一時期は打率が2割台ながら出塁率が4割を超えていた時期もあった。しかし、交流戦で三盗の際ヘッドスライディングをした際に肩を負傷。怪我の影響で打撃不振に陥り、後半は下位打線を打ったり他の選手にスタメンを譲ったりすることが多くなった。打率は.251と規定打席到達では26位と振るわなかったものの、盗塁数は前年より増えて34盗塁とリーグ2位、盗塁成功率は.850であった。死球は22個とダントツだった(シーズン記録では2004年城島健司と同数の5位)。

2009年の開幕戦は「9番・遊撃手」で出場。6月5日の東京ヤクルトスワローズ戦で6回裏に、二塁手小坂誠が遊撃の守備に就き、遊撃手の渡辺は初めて二塁の守備に就いた。翌6日には二塁手として先発出場した。1番の他に2番での先発出場も多くなり、3年連続でチームトップとなる26盗塁を記録した。このシーズンは守備が安定し、6失策と初めて失策が一桁に止まり、守備率.988でリーグトップを記録した。

2010年は115試合に出場したものの、マーティ・ブラウン新監督の若手重視の起用と自身の不調が重なって規定打席には到達せず、成績も全体的に過去最低となった。守備率は.984で遊撃手として2年連続パ・リーグ守備率1位となった。

異例の契約更改後の金銭トレード[編集]

2010年シーズン終了後の12月1日に次年度年俸5300万円(推定)で楽天との契約更改を済ませていたが、8日に金銭トレードでの横浜ベイスターズ移籍の方針が両球団の間で決まり、練習先の千葉県から仙台に呼び戻された渡辺に9日に通告された[4][5][6][7][8]

この移籍は、メジャーリーグベースボール (MLB) から松井稼頭央岩村明憲両内野手を獲得したため同じ内野手である渡辺の出場機会が減少する可能性があった楽天と、内野手の補強を目指していた横浜との間で思惑が一致して決断されたとも報道された[6][8]が、一方でポスティングシステムによってMLB移籍を目指していた岩隈久志の入札金を補強費として見込んでいた楽天球団が、岩隈の残留によって入札金が入らず補強費不足となり、人的補償の無い金銭トレードに向かったとも報道された(ただし、球団側は否定している)[6][7]

同年オフに選手会副会長に就任し、プロ4年目でチームの精神的支えとなっていた選手の放出はチーム内に大きな波紋を呼び、渡辺の涙のトレード会見[7][9]の翌10日に契約更改に臨んだ鉄平(渡辺と合同自主トレをしてきた)、草野大輔(渡辺と社会人野球時代からの知己)、嶋基宏(渡辺と同期入団)が各々の記者会見の席上で、自らの話題よりも渡辺のトレードの件にふれて言葉をつまらせ、涙を流した[10][11][12][13]。11日には、山崎武司が「出すべき選手ではなかった」と渡辺のトレードに疑問を投げかけ[14]、前述の契約更改の様子を聞いたコーチの田淵幸一も「渡辺だけは出すべきじゃなかった」とコメントしたと報じられた[10]。同日夕方、仙台放送スポルたん!LIVE』に渡辺が急遽出演し、渡辺の特集が組まれた。鉄平、嶋、そして意図せずして今回のトレードの関連人物の1人となってしまった岩隈がスタジオに急遽駆けつけ、花束を渡した[15]

横浜・DeNA時代[編集]

2010年12月9日に金銭トレード横浜ベイスターズへ移籍[16]。12月21日に入団会見を行った[17]。背番号は楽天時代と同じ「2」。

横浜スタジアムにて (2011年)

2011年は実戦で一度も遊撃を守ることなく二塁にコンバートされたが、若手の特守にも志願して毎日参加しアピールを行った結果、4月12日の開幕戦でスタメンを勝ち取った。4月24日の阪神タイガース戦では下柳剛から自身2年ぶりとなる本塁打を放った。7月には監督推薦で自身初となるオールスターゲームに選出された。仙台で開催されたオールスター第三戦目では「9番・二塁手」としてスタメン出場、2安打を放ち、敢闘選手賞を獲得した[10]。夏場に調子を落とし藤田一也との併用の時期もあったが、正遊撃手の石川雄洋の怪我により9月終盤からは移籍後初となる遊撃に回った。最終的には、チーム方針により少なかった盗塁数以外は例年並みの成績を残した。

2012年はシーズン前の東日本大震災復興支援ベースボールマッチの日本代表に、DeNAから唯一選出された。シーズンに入ると、石川が事実上の二塁手コンバートとなり、遊撃手にはオープン戦で絶好調だった梶谷隆幸が入ったため、開幕からしばらくは控え続きとなる。梶谷の不振により4月後半からスタメン出場が続いたが、5月6日の中日ドラゴンズ戦で打球を捕球した際に左肩を強打し脱臼[18]し、残りの前半戦は治療のため二軍生活となった。復帰後は打撃不振に苦しみ、内村賢介の加入もあり出番が減少。打率も.224と伸び悩んだ。この年、プロ入り初の三塁守備に就いた。

2013年の開幕は一軍で迎えたものの[19]、14試合の出場で打率.143と打撃不振に陥り[20]、4月20日に一軍登録を抹消された[19]

西武時代[編集]

西武時代
(2013年7月31日、こまちスタジアムにて)

2013年7月7日に、長田秀一郎との交換トレードで埼玉西武ライオンズへ移籍することが発表された[21][22][23]。背番号は8。7月12日に古巣の楽天戦(Kスタ宮城)で、3-3で迎えた延長12回表に、代打としてパ・リーグの公式戦へ2シーズン振りに出場。星野智樹から右翼線を破る二塁打を放ってから三塁まで進むと、犠飛によって決勝のホームを踏んだ[24]。後に打撃の調子を落としたものの、守備やバントが前提の代打(ピンチバンター)などで活躍。9月19日の対北海道日本ハムファイターズ戦では、6回裏の攻撃で右足首を負傷した浅村栄斗に代わって、7回表からプロ入り初めて一塁の守備に就いた。

2014年には、レギュラーシーズンの開幕を二軍で迎えたものの、開幕直後の4月2日に一軍へ昇格[25]。昇格後は、7月中旬まで打率3割を維持するなど好調で、主に「2番・遊撃手」としてスタメンに起用された。7月8日の対ロッテ戦では、延長12回裏1死2塁で迎えた打席で、移籍後初めてのサヨナラ安打を放っている[26]。実際にはパ・リーグの最終規定打席へ到達できず、9月の不調で打率も下がったものの、一軍公式戦全体では104試合の出場で、打率.260、打点26をマーク。また、犠打の成功は35回で、プロ入り後のシーズンでは最も多かった。

2015年には、レギュラーシーズンを一軍でスタート。出場機会は前年より減ったが、正三塁手の中村剛也に代わる守備要員として一軍に帯同した。

2016年には、浅村が事実上正二塁手に定着していたチーム事情の下で、二塁を除く内野の全ポジションに起用。中村が故障で離脱した際には、三塁手としてスタメンに起用される機会が増えた。この年も打席数が最終規定打席に満たなかったが、打率.309をマーク。本拠地の西武プリンスドームにおける主催公式戦に限れば、.352にまで達していた。

2017年には、新人内野手の源田壮亮が正遊撃手として定着したことなどから、公式戦への出場機会が減少。左投手の先発が予告されている試合で、指名打者としてスタメンに起用されることもあったが、出場選手登録を抹消された8月14日以降は一軍から遠ざかった。一軍公式戦への出場が32試合にとどまったことなどから、10月6日に球団から戦力外を通告

楽天への復帰後[編集]

2017年11月21日に、楽天へ8年ぶりに復帰することが発表された。年俸は1,500万円(金額は推定)で、背番号は26[27][28]。復帰時点での年齢は37歳で、現役の野手としてはチーム最年長、投手を含めれば同学年(1980年5月23日出生)の久保裕也に次ぐ年長であった。また、最初の在籍期間中に続いてチームメイトになった選手からは、復帰を我が事のように喜ぶ声が相次いで上がったという[29]

2018年には、レギュラーシーズンの開幕を一軍で迎えると、序盤戦にスタメンや代打で活躍[30]セ・パ交流戦期間中の6月中旬に出場選手登録をいったん抹消されたが、最初の在籍期間中のチームメイト(外野手)で同い年(1980年4月23日出生)の平石洋介が監督代行として一軍の指揮を始めた同月下旬からは、シーズン終了まで一軍に帯同した。8月24日の対日本ハム戦(札幌ドーム)では、5回表の打席で、移籍後の初本塁打を堀瑞輝からマーク。一軍公式戦での本塁打は、横浜時代の2011年4月24日に対阪神戦(甲子園)で放って以来7年振りであった[31]。一軍公式戦全体では、西武時代の前年から倍増以上の69試合に出場。打率.208ながら2本塁打を放ったことなどから、シーズン終了後の契約交渉では、推定年俸1,700万円という条件で契約を更改した[29]

2019年には、一軍監督へ正式に就任した平石の下で、春季キャンプ後の2月末から3月上旬まで台湾遠征(Lamigoモンキーズとの2連戦)に帯同した。帯同中に右足首の関節を脱臼した[32]ものの、前年に続いて、レギュラーシーズンを一軍でスタート。5月9日の対ソフトバンク戦(楽天生命パーク)では、一軍公式戦におけるシーズン唯一の安打を、自身初の代打本塁打で記録した[33]。しかし、6月21日のDeNA戦(横浜)に代打で出場した際に右足首を再び痛めたため、翌21日付で出場選手登録を抹消[32]。抹消後に右足首の習慣性腓骨筋腱脱臼が判明したため、7月5日に患部の手術を受けた[34]。その影響で一軍公式戦の出場は過去最少の19試合(オール代打)にとどまったが、シーズン終了後の10月14日には、現役生活を続けながら2020年シーズンから一軍の打撃コーチを兼務することが発表された[2]。二軍監督の三木肇が平石に代わって一軍監督へ就任したことに伴う兼務[35]で、楽天の現役選手によるコーチ職の兼任は、球団史上初めてである[36]。その一方で、日本ハムの二軍育成コーチ兼捕手だった實松一成がこの年限りで現役を引退したことに伴って、「松坂世代」の野手としては最後のプロ野球選手になった[33]

選手としての特徴[編集]

打撃[編集]

渡辺の打撃フォーム(2013年)

右打ちを含めた粘り強さが光り[37]、2008年からは出塁率を上げるためファウルで粘って投手に球数を投げさせた上で四球を選んだり、死球で塁に出たりと出塁率は高い[38]。そのため三振が少なく、なかなか球を避けようとしないため死球の数が多いのも特徴である。1年目の2007年からリーグ6位の12死球を記録し、2008年は7月28日に2打席連続死球を記録し、オールスター前にもかかわらず20個に到達した。しかし、現在までに死球による故障離脱は1度もしていない。空振り自体も少なく、2011年はセ・リーグで規定打席に到達した選手の中で4番目の少なさだった[39]

守備[編集]

主に二塁・遊撃の守備をこなす。捕球からスローイングまでがスムーズで[37]、2009年、2010年と連続して遊撃手としてはリーグトップの守備率を記録した[40]。横浜では二塁手起用が多く、西武移籍後は途中出場が増えたこともあり内野全ポジションを守るユーティリティプレーヤーになった。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2007 楽天 119 472 410 60 110 17 1 2 135 26 25 5 16 2 32 0 12 43 6 .268 .329 .338 .667
2008 132 567 470 79 118 11 2 0 133 30 34 6 19 2 54 2 22 66 6 .251 .354 .283 .637
2009 125 547 463 79 128 24 2 1 159 28 26 7 19 3 55 1 7 69 13 .276 .360 .343 .703
2010 115 425 355 43 94 14 1 0 110 26 12 3 20 1 39 1 10 43 8 .265 .353 .310 .663
2011 横浜
DeNA
126 469 403 33 107 16 2 1 130 24 7 5 19 0 36 0 11 73 13 .266 .342 .323 .665
2012 70 213 174 19 39 4 0 0 43 10 2 4 5 0 24 0 10 27 1 .224 .351 .247 .598
2013 14 15 14 3 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 1 0 0 5 1 .143 .200 .143 .343
西武 56 177 139 9 28 3 1 0 33 4 3 2 23 1 9 0 5 19 6 .201 .273 .237 .510
'13計 70 192 153 12 30 3 1 0 35 4 3 2 23 1 10 0 5 24 7 .196 .266 .229 .495
2014 104 429 350 35 91 17 1 0 110 26 4 0 35 1 32 0 11 46 9 .260 .340 .314 .654
2015 83 188 158 20 43 7 1 0 52 23 1 0 10 1 14 0 5 26 2 .272 .348 .329 .679
2016 70 207 181 18 56 3 2 0 63 16 1 0 11 2 10 0 3 20 5 .309 .352 .348 .700
2017 32 79 68 3 16 7 0 0 23 3 0 0 4 0 7 0 0 14 2 .235 .307 .338 .645
2018 楽天 69 111 96 12 20 3 3 2 35 12 0 0 2 0 11 0 2 19 1 .208 .303 .365 .667
2019 19 19 16 1 1 0 0 1 4 1 0 0 1 0 1 0 1 7 0 .063 .167 .250 .417
NPB:13年 1134 3918 3297 414 853 126 16 7 1032 229 115 32 184 13 325 4 99 477 73 .259 .342 .313 .655
  • 2019年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更

年度別守備成績[編集]


一塁 二塁 三塁 遊撃
















































2007 - - - 119 156 329 13 65 .974
2008 - - - 131 186 360 16 62 .972
2009 - 5 8 10 0 1 1.000 - 124 175 337 6 78 .988
2010 - - - 111 165 312 8 58 .984
2011 - 97 230 267 9 54 .982 - 21 33 50 1 11 .988
2012 - 4 10 4 1 0 .933 1 0 0 0 0 ---- 48 63 143 6 19 .972
2013 1 2 0 0 0 1.000 21 48 52 1 10 .990 32 19 39 1 2 .983 2 2 2 0 1 1.000
2014 4 18 3 0 0 1.000 1 0 0 0 10 .000 39 10 37 0 4 1.000 85 107 181 4 30 .986
2015 12 24 4 0 4 1.000 3 7 5 1 2 .923 38 8 33 1 3 .976 34 28 43 3 11 .959
2016 16 59 6 1 2 .985 1 1 0 0 0 1.000 49 33 69 1 9 .990 7 3 7 0 1 1.000
2017 - - 7 4 11 0 2 1.000 -
2018 - 15 24 34 0 2 1.000 20 4 11 1 1 .938 8 6 9 0 2 1.000
通算 33 103 13 1 6 .991 147 328 372 12 69 .983 186 78 200 4 21 .986 690 924 1773 57 338 .979
  • 2019年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 2 (2007年 - 2013年途中)
  • 8 (2013年途中 - 2017年)
  • 26(2018年 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 楽天 - 契約更改 - プロ野球. 日刊スポーツ. 2019年3月3日閲覧。
  2. ^ a b “新任コーチに関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス. (2019年10月14日). https://www.rakuteneagles.jp/news/detail/00002519.html 2019年10月21日閲覧。 
  3. ^ 竹原直隆と同期。
  4. ^ トレードのお知らせ」 横浜ベイスターズ(2010年12月9日)、2011年11月18日閲覧。
  5. ^ トレードのお知らせ」 東北楽天ゴールデンイーグルス(2010年12月9日)、2011年11月18日閲覧。
  6. ^ a b c 岩隈残留“余波”…楽天、契約更改済みの生え抜き放出」 Sponichi Annex(2010年12月9日)、2011年11月18日閲覧。[リンク切れ]
  7. ^ a b c 渡辺、横浜に金銭トレード河北新報(2010年12月10日)、リンク切れ。
  8. ^ a b 楽天・渡辺直、横浜へトレードデイリースポーツ(2010年12月9日)、2011年11月18日閲覧。
  9. ^ 【楽天】渡辺「離れるのは寂しい…」日刊スポーツ(2010年12月9日)、2011年11月18日閲覧。
  10. ^ a b c 渡辺 古巣・楽天の本拠地で恩返しの敢闘選手賞受賞Sponichi Annex(2010年7月25日)、2011年11月18日閲覧。
  11. ^ 楽天3選手号泣更改…渡辺直トレードで」 デイリースポーツ(2010年12月10日)、2011年11月18日閲覧。
  12. ^ 渡辺トレードに楽天号泣更改サンケイスポーツ(2010年12月11日)、リンク切れ。
  13. ^ 渡辺トレードに男3人涙、涙、涙」 河北新報(2010年12月11日)、リンク切れ。
  14. ^ 人気と戦力以外に必要なことがある! 楽天が渡辺直人と共に放出したもの。」 Sports Graphic Number(2010年12月14日)、2011年11月18日閲覧。
  15. ^ 2010年12月11日放送の仙台放送スポルたん!LIVE』より。
  16. ^ トレードのお知らせ”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2010年12月6日). 2016年11月15日閲覧。
  17. ^ 渡辺選手 入団会見」 横浜ベイスターズ(2010年12月21日)、2011年11月18日閲覧。
  18. ^ “渡辺直、左肩脱臼「大丈夫だと思うけど怖さがある」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年5月7日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/05/07/kiji/K20120507003196380.html 2013年5月2日閲覧。 
  19. ^ a b 出場選手登録 - 横浜DeNAベイスターズ公式 2013年7月8日閲覧
  20. ^ 西武長田とDeNA渡辺直が交換トレード - nikkansports.com 2013年7月7日配信 2013年7月8日閲覧
  21. ^ トレードのお知らせ - 埼玉西武ライオンズ公式 2013年7月7日配信 2013年7月8日閲覧
  22. ^ 渡辺 直人選手と埼玉西武・長田 秀一郎選手のトレードについて - 横浜DeNAベイスターズ公式 2013年7月7日配信 2013年7月8日閲覧
  23. ^ 渡辺直人選手 入団会見 - 埼玉西武ライオンズ公式 2013年7月10日
  24. ^ 渡辺直、西武移籍後初打席で二塁打→生還 日刊スポーツ 2013年7月13日
  25. ^ 公示(出場選手登録・抹消) - 埼玉西武ライオンズ公式 2014年4月2日
  26. ^ 西武渡辺、移籍後初サヨナラ打で3連勝 - 日刊スポーツ 2014年7月9日
  27. ^ 【渡辺直人選手】契約合意に関して東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト
  28. ^ <楽天>渡辺直8季ぶり復帰会見「ファンのため全力でプレー」”. 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS (2017年12月1日). 2018年6月25日閲覧。
  29. ^ a b “戦力外経験した39歳渡辺直人「楽天で野球…幸せ」”. 日刊スポーツ. (2018年12月16日). https://www.nikkansports.com/baseball/column/bankisha/news/201812160000110.html 2019年10月21日閲覧。 
  30. ^ “楽天渡辺直人 輝くいぶし銀、古巣への恩返しと覚悟”. 日刊スポーツ. (2018年4月17日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201804170000241.html 2019年10月21日閲覧。 
  31. ^ “7年ぶり弾!楽天渡辺直人「甘い球来たらいこうと」”. 日刊スポーツ. (2018年8月24日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201808240000744.html 2019年10月21日閲覧。 
  32. ^ a b “楽天渡辺直人が右足首手術 今季中の復帰絶望的に”. スポーツニッポン. (2019年7月2日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/07/02/kiji/20190701s00001173414000c.html 2019年11月2日閲覧。 
  33. ^ a b “松坂世代・楽天渡辺直人弾 同世代現役は藤川ら8人”. 日刊スポーツ. (2019年5月9日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201905090001160.html 2019年10月21日閲覧。 
  34. ^ “楽天渡辺直人が右足首手術 今季中の復帰絶望的に”. 日刊スポーツ. (2019年7月5日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201907050001120.html 2019年10月21日閲覧。 
  35. ^ “楽天、来季コーチ人事発表 引退の元燕・館山昌平が入閣、渡辺直人が選手兼任コーチ”. Full-Count (Creative2). (2019年10月14日). https://full-count.jp/2019/10/14/post573119/ 2019年10月14日閲覧。 
  36. ^ “楽天 渡辺直が打撃コーチ兼任へ 的確に助言できる貴重な存在として評価”. スポーツニッポン. (2019年10月13日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/10/13/kiji/20191012s00001173318000c.html 2019年10月14日閲覧。 
  37. ^ a b 『プロ野球カラー名鑑2007』ベースボール・マガジン社、2007年、129頁。ISBN 978-4-583-61449-6
  38. ^ 今までの横浜ナインの野球感を覆す、カウント1-3における渡辺直人の選択。Sports Graphic Number(2010年12月27日)、2011年11月18日閲覧。
  39. ^ 週刊ベースボール』2011年12月19日号、ベースボール・マガジン社、 12頁、 雑誌20443-12/19。
  40. ^ 人気と戦力以外に必要なことがある! 楽天が渡辺直人と共に放出したもの。 Sports Graphic Number(2010年12月14日)、2011年11月18日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]