大久保博元

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大久保 博元
読売ジャイアンツ 一軍打撃チーフコーチ #88
H ohkubo20150703.jpg
東京ドームにて(2015年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県東茨城郡大洗町
生年月日 (1967-02-01) 1967年2月1日(55歳)
身長
体重
180 cm
108 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1984年 ドラフト1位
初出場 1985年7月30日
最終出場 1995年6月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
デーブ おおくぼ
デーブ 大久保
本名 大久保 博元
生年月日 (1967-02-01) 1967年2月1日(55歳)
出生地 日本の旗 日本
茨城県東茨城郡大洗町
国籍 日本の旗 日本
身長 180cm
職業プロ野球選手野球解説者タレントプロゴルファー
活動期間 1996年 - 2007年2016年 -
事務所 デーブカンパニー(1996年 - )
ソニー・ミュージックアーティスツ(2016年 -)
公式サイト SMA公式
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デーブ大久保
人物
生誕 1967年2月1日
国籍 日本の旗 日本
職業 野球解説者
YouTube
チャンネル
活動期間 2020年6月5日 -
ジャンル プロ野球
登録者数 32万人
総再生回数 201,646,419 回
事務所(MCN デーブカンパニー有限会社
チャンネル登録者数・総再生回数は
2022年7月29日時点。
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大久保 博元(おおくぼ ひろもと、1967年2月1日 - )は、茨城県東茨城郡大洗町出身の元プロ野球選手捕手)・コーチ監督野球解説者野球評論家。愛称はデーブブーちゃん。現役引退後はデーブ大久保名義でタレント活動を行うほか、2020年からはYouTuberとしての活動も行っている。また、2000年よりプロゴルファーとしても活動を行う。

経歴[編集]

プロ入りまで[編集]

水戸商業では2年次の1983年夏、捕手として出場した茨城大会で決勝に進出するが、エースの加茂川重治を擁する茨城東高に敗退。

3年次の1984年夏も茨城大会で敗れ、甲子園には出場できなかったものの高校通算52本塁打を記録。

西武時代[編集]

1984年度ドラフト会議にて広澤克実のクジを外した西武ライオンズから1位指名を受け、入団[1]。契約金は4,500万円で[2]1985年の卒業式では母校に100万円を小切手で寄付した[3]

入団当時から長打力が注目され、1986年の1年間は1A・サンノゼ・ビーズに野球留学のため渡米したことがある。引率を担当した和田博実二軍打撃コーチから、太っている体型から「デーブ」というあだ名を付けられた。

帰国した1987年にはジュニアオールスターゲームでMVPを獲得し、1989年にはイースタン記録となる24本塁打・70打点でイースタン二冠王に輝くが[4]、当時は正捕手に伊東勤が定着しており森祇晶監督にリードを評価されず、捕手としての先発出場は無くほとんどが代打や指名打者での出場であった。

1988年以降はタイラー・リー・バンバークレオオレステス・デストラーデの加入で、指名打者での出場もなくなり二軍生活が続いた。

巨人時代[編集]

1992年5月11日中尾孝義捕手との交換トレード読売ジャイアンツへ移籍。このトレードは、西武では活躍の場がない大久保のために、同じ茨城県出身である球団管理部長の根本陸夫が主導したトレードであった。

巨人ではいきなり正捕手として起用され、6月には月間MVPを獲得し、オールスター前までに打率.300・12本塁打を放つ活躍を見せた。大久保が本塁打を打った試合は必ず勝利していたため、「大久保が打てば負けない」というジンクスまで生まれ、藤田元司監督の進言もあって球団から前半戦終了時に2000万円のボーナスを得た。しかし、2000万円という金額については藤田も想定外であり、「大久保だけボーンと2000万円…。これはみんな、雰囲気悪くなりますよ。チームじゅうで、雰囲気が悪いんです。いや、これには、まいりました」[5]と後に述べている。大久保も、オールスター後は大きく失速し、チームが優勝を争った終盤戦には村田真一に正捕手の座を奪われた。

1993年は開幕から村田との併用で起用されていたが、ハイペースで本塁打を量産し、5月27日ヤクルト戦(神宮)ではプロ入り初盗塁を決めたが、その試合で高津臣吾から死球を受け、左手首を骨折。9月まで長期にわたり、戦線離脱した復帰後には10月2日翌3日広島戦(東京D)では初めて4番・一塁手で先発出場し、結果は7打数1安打1打点で、2日に秋村謙宏から放ったソロ本塁打で記録したものであった。同年は巨人の日本人選手では原辰徳松井秀喜に次ぐ10本塁打を打ったが、本塁打以外で挙げた打点が2しかなかったため、16打点であった。オフに年俸3,100万円で契約更改した[6]

1994年は、劇的なサヨナラ本塁打を複数放つなど打撃は良いものの、リードやキャッチングの面から再び村田が正捕手となり、二番手捕手や代打要員にとしての起用が主だった。9月10日の広島戦(東京D)で3-11と大きくリードされた6回1死に打席に立った大久保は、2球目の直後に後ろを振り向くと、西山秀二と球審に怒りの表情でクレームをつけ始めた。ネクストサークルの福王昭仁と一塁ベースコーチの中畑清一軍打撃コーチが慌てて駆けつけて仲裁に入ったが、これは西山の故意死球をほのめかすささやきに大久保が過剰反応したものであった。プレー再開後も怒りが覚めやらぬ大久保は1-1から望月秀通の直球を思い切り空振りした後、フルカウントから外角低めに落ちる球を空振り三振に倒れ、まんまと広島バッテリーの術中にはまった悔しさがさらなる怒りを呼んだのか、直後に大久保はバットを2度にわたり、地面に叩きつけ、荒々しく放り投げた。ヘルメットもグラウンドに投げ捨て、大暴れするなど大人げない行動にスタンドは唖然としたが、「みんなスカート履いて野球やってるよ」と、闘志を前面に出さない選手達に不満を抱いていた長嶋茂雄監督は、逆に大久保のファイトを買った[7][8]9月17日阪神戦(東京D)では、中西清起からサヨナラ2ラン本塁打を放った時には大口を開けて泣き出し、8月下旬から2勝12敗と低迷していたチームも再び盛り返し、中日との10.8決戦を制し、4年ぶりのリーグ優勝を果たした[7]。古巣・西武との日本シリーズでは、10月26日の第4戦(西武球場)9回2死で杉山賢人から同点本塁打を放ち、日本一に貢献。

1995年は1994年オフからの契約更改交渉が長引き、自費キャンプとなり、サインをしたのが2月のキャンプ初日になった。2年ぶりに開幕戦捕手として出場し、斎藤雅樹の2年連続開幕戦完封勝利に貢献したが、4月26日の広島戦(広島市民)で空振りした際にバランスを崩し、しりもち。足首を骨折。7月24日福岡ドームで行われた、NPB球団に所属する外国人選手選抜チームと日本人選手選抜チームが対戦した「阪神大震災復興支援チャリティードリームゲーム」では、外国人選手に捕手がいなかったため、自身のあだ名「デーブ」が外国人みたいだということと海外留学経験があり英語が話せるという理由で、その登録名で外国人チームに入れられた。もう1人の捕手として、当時ロッテの正捕手であった定詰雅彦が「ジョー」の登録名で出場している。

同年に28歳で現役を引退したが、後年、引退理由については故障ではなく、コーチとの確執が原因であることを明かしている[9]。故障(骨折)しているので、当時それが引退理由と思われていた。

引退後[編集]

解説者・タレント・プロゴルファー活動[編集]

肉蔵でーぶ外観

引退後の1996年、個人事務所「デーブカンパニー」を設立し、フジテレビ(2000年 - 2007年)・ニッポン放送(1996年 - 2007年)野球解説者、サンケイスポーツ野球評論家(2000年 - 2007年)となる傍らで、「デーブ大久保」名義でタレント活動を始めた。

1999年から『週刊パーゴルフ』で始めた連載をきっかけに、プロゴルファーとしても活動する[4]2001年クォリファイングトーナメントに挑戦し、最初の関門であるファーストクォリファイを突破してセカンドに進んだ。サードに進出することはできなかったものの、主催者推薦による出場が可能となり、2002年ダイヤモンドカップトーナメントでツアーデビュー。その後も12試合のレギュラーツアーに参戦したが、予選通過試合はなかった。

指導者として[編集]

2008年渡辺久信監督の強い要望により、古巣・西武に一軍打撃コーチとして16年ぶりに復帰。

メジャー流の早朝練習「アーリー・ワーク」を取り入れ、10数通りのケースバッティングを叩き込み直し、打線を機能させる意識改革を行った。アーリー・ワークについては、野村克也も自著の『あぁ、監督』で一定の評価をしていた[10]。自身の一軍半が長かった経験から、一軍コーチと二軍コーチの綿密な連絡の有無が若手の成長に影響を与えるという考えで、コーチ陣会議を開催して円滑な選手育成を行った。

ベンチでは「野次将軍」を担当していた。5月7日日本ハム戦(西武ドーム)で、9回裏に片岡治大ダルビッシュ有からサヨナラ安打を放ち、勝利したがベンチを飛び出て喜びの余りバッターランナーの片岡を追いかけたところ、両足大腿部の肉離れで歩行に難を生じ、細川亨クレイグ・ブラゼルに抱えられ、ベンチ裏のトレーナーズルームに運ばれた。この前日の5月6日には、ヒラム・ボカチカがサヨナラ本塁打を放ったが、既に大久保の右足には異変が起きていた。医師からは肥満体であることが指摘された。

2009年はコーチ職を離れ、編成部プロ担当を1年間務め、2010年には二軍打撃コーチとして現場に復帰したが、7月22日に西武球団から、コーチとして不適切な行為があったとして、同日付で大久保をコーチから外し、球団本部長付とすることが発表された[11]。球団は選手ら関係者へのヒアリングの結果、大久保が暴力行為を行っていたことが認められたため、同29日に大久保を解雇したことを発表した[12]

退団後は、プロ野球コーチとしてのノウハウを活用して、一般向けの野球指導を行う「デーブベースボールアカデミー」を開講し、少年野球の選手・指導者を中心に指導を行っている。

2012年東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍打撃コーチに就任し[13]、同年シーズン終了後には二軍監督へ異動[14]

2014年5月星野仙一監督が腰椎椎間板ヘルニア胸椎黄色靱帯骨化症で休養となり、佐藤義則が監督代行を務めていたが、7月2日より大久保が監督代行を務めることが発表された。佐藤は投手コーチに専念し、二軍は酒井勉が二軍監督代行を務めることになった[15]。前年リーグ優勝したことで、星野が指揮を執ることになっていた同年のオールスターの指揮については辞退している[16]7月24日に星野の監督復帰に伴い、二軍監督に復帰したが[17]、シーズン終了後に星野の退任・球団副会長への異動に伴い、大久保が二軍監督から監督に昇格することが決定し、10月14日に就任が発表された[18]

監督を務めた2015年は、序盤こそ勝率.500前後を維持するも、6月のセ・パ交流戦終了後以降は次第に失速。チームの借金は2桁に達し、順位も最下位に後退。クライマックスシリーズ進出の可能性が完全に消滅した9月22日に、シーズン終了をもって辞任することを発表した[19][20]。退任発表時は1つでも上の順位を目指すとしていたが、10月3日にチームの最下位が確定し、同6日のシーズン最終戦であるロッテ戦(コボスタ宮城)を以って退任となった。

楽天監督退任を受け、横浜DeNAベイスターズ中畑清監督が、大久保のコーチ入閣をDeNAフロントに要請したが、高田繁GMを始めとしたフロント陣の反対で、横浜入りは立ち消えになった。ちなみに要請を却下された中畑も、不服として監督を辞任している[21]

監督退任以降[編集]

2016年3月4日食品衛生管理者の資格を取得し、東京新橋に居酒屋「肉蔵でーぶ」を開業。その傍ら、フジテレビの野球解説者、サンケイスポーツの野球評論家としての活動を再開している。

また、2018年にはプロゴルファーとしての活動も再開し、12年ぶりに下部ツアーであるAbemaTVツアーの「HEIWA・PGM Challenge II 〜 Road to CHAMPIONSHIP」に出場している。

2021年8月に心筋梗塞を発症したが、のちに復帰[22]

2022年10月13日、2023年より読売ジャイアンツの一軍打撃チーフコーチに就任することが発表された[23]

人物[編集]

2012年8月1日、こまちスタジアムにて。
  • 出身地の水戸は巨人ファンが多く、大久保も幼少の頃から巨人ファンだった。
  • 巨人に移籍した当初、藤田の下へ挨拶に行った際に「太っていることなんか気にする必要ないぞ。うちにだって太っている選手はたくさんいるんだ。体は資本だ。気にするな」と言われ、宿舎の食堂で1人で食事を摂っていたところ、藤田が通りがかり「なんだデーブ、そんな量で足りるのか? 今日はよく練習していたんだ、もっと食べろよ」と言うなりステーキ2枚を注文し、用意されたステーキを大久保は感激のあまり泣きながら食べた。当時を振り返った大久保は「この監督のためなら死んでもいい」とコメントしているが[24]、リード面でミスをしたりする時の藤田の怒りは凄まじいもので、叱られてしばらくはトイレにいけないくらい体が硬くなってしまうほどであった。ところが、怒られた翌日には「よう、デーブ、おはよう」と、昨日の怒りなどすっかり忘れたようにニコニコ挨拶するさっぱりした人物でもあった[25]。引退時には藤田の家を訪ね、「僕に痩せろと言わなかったのは藤田さんだけ」と語った。藤田は毎日のように「おまえ、その体を保つのにはうんと走らなきゃいかんなぁ」と言っていたが「痩せろ」「体重を減らせ」とは言わなかった。それが大久保には嬉しかったという。走れば痩せるだろうというのが藤田の真意であったが、このことを感謝された藤田は「人の心を傷つける言葉を使っちゃいけないな」と改めて気付いたという[26]。藤田が亡くなると真っ先に弔問に駆けつけ、「本当にありがとうございました」と号泣しながら何度も頭を下げていた。
  • 藤田のほか、根本のことを「親父」と呼び、父親のように慕っている。二軍暮らしが続いている大久保が首脳陣の自分への扱いに不満を言いに根本のところに行ったところ「いちいち一人一人の社員(選手)のことなんか心配できるか、馬鹿野郎!」と怒鳴られたが、実際には根本は出番のない大久保に配慮しており、1992年の巨人へのトレードは大久保に配慮した根本がまとめた話であった。チームを離れる際にも「お前は西武の人間なんだから、困ったら西武に戻ってこい」と言葉をかけてくれたという。そうした面倒見のよさに感動する反面、西武時代、選手が街中でトラブルなどに巻き込まれたりすると根本が仲介に赴き、必ず瞬く間に事件がなかったことになってしまい、根本の人脈の広さに驚いたりすることもあったという。根本の自宅にもよく招かれ、夫人特製のすき焼きが振る舞われた[27]。割り下に牛乳が入る独特の風味で、工藤公康は「美味しくない」と敬遠し、次に呼ばれた時にはステーキが振る舞われたが[27]、大久保は20回以上食べた[28]
  • 同じ母子家庭出身の愛甲猛は後年「お世辞とかじゃなくて応援していた」と語っている[32]
  • 2020年から配信している自身のYouTubeチャンネル「デーブ大久保チャンネル」の中ではMCを務め、ライオンズ・ジャイアンツ有名OBだけでなく幅広い球界関係者のゲストが「肉蔵でーぶ」店内でデーブ相手に面白いウラ話を饒舌に語っている。

コーチ時代の不祥事[編集]

2008年[編集]

2008年に引き続き2009年度も引き続き西武の打撃コーチを務める予定で発表されていたが、11月12日、知人女性が大久保から暴行を受けたとして警視庁品川署に被害届を提出していることが発覚[33]

大久保は「刑事罰を受けるようなことは自分の中ではしていない。」と否定したが、2日後の14日婦女暴行の疑いで書類送検されるに至った。この件について大久保は球団から厳重注意処分を受け、優勝パレードなどの球団行事への参加を自粛した。

12月9日にはコーチ職を解かれ、編成部プロ担当に異動となることが発表された。知人女性への暴行事件は会見では暴行を否定していたが、検察側に対して本人が容疑を全面的に認めたため、東京区検に2009年3月13日までに傷害罪で略式起訴され、東京簡裁3月27日、検察側の請求通り、大久保に罰金20万円の有罪判決を出した。

2010年[編集]

2010年度に二軍打撃コーチとして復帰するも、選手に対する暴力問題で解任された。

解任後、大久保は西武球団を相手に地位保全と報酬の仮払いを求めた仮処分申請を東京地裁に行ったが、東京地裁は11月19日に申請を却下し、これに対し、東京高裁に即時抗告を行ったが、12月28日に東京高裁は即時抗告を却下した。2011年1月27日、大久保は西武球団を相手に契約解除の無効、未払い報酬の支払い、名誉毀損に対する損害賠償2,000万円を求め、東京地裁に提訴した[34]

西武球団は当初、どの選手に暴力行為を行っていたかなどを明らかにしなかったが、大久保が菊池雄星を名指しして出廷を求めるなどしたため、2月16日に暴行を受けたのが菊池だったことを球団として公表した。自主練習であった「アーリー・ワーク」を遅刻したら球団非公認の私設の罰金を徴収していた(つまり恐喝罪に該当する)が、それに反発した菊池が告げ口したと見なして、大久保が菊池に暴力を働いたことを、球団が問題視したことが明らかになった[37]

後に『週刊ポスト』の取材で、この謹慎期間中に自殺未遂をしたことを告白しているが真相は定かではない[要出典]。2012年から楽天のコーチ就任が決定したことに伴い、西武に対する訴訟については請求を放棄し、裁判が終結した[38]。後に楽天とのコーチ契約の交渉の中で、西武との訴訟を取り下げることが楽天球団から条件として要請されたことを明かした。

2016年2月、シニアディレクターに就任していた渡辺を通じて、西武球団及び菊池と和解している。また、2021年8月18日、自身のYouTubeチャンネルにおいて暴言はあったものの暴行の事実はなかったこと、上記の和解の際に菊池から謝罪を受けたことを話している[39]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1985 西武 5 4 4 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .250 .250 .250 .500
1987 56 78 71 4 17 1 0 3 27 17 0 0 0 2 2 0 3 18 1 .239 .282 .380 .662
1988 13 13 10 1 1 0 0 0 1 1 0 0 1 0 2 0 0 5 0 .100 .250 .100 .350
1989 11 14 13 1 1 0 0 1 4 1 0 0 0 0 1 0 0 5 0 .077 .143 .308 .451
1990 13 18 16 2 3 0 0 2 9 2 0 0 0 0 2 0 0 5 1 .188 .278 .563 .840
1991 5 8 8 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 .000 .000 .000 .000
1992 巨人 84 285 260 37 72 14 0 15 131 43 0 0 0 1 20 9 4 48 7 .277 .337 .504 .841
1993 40 121 110 14 24 2 0 10 56 16 1 0 0 0 9 3 2 29 3 .218 .289 .509 .798
1994 62 130 119 14 35 2 0 9 64 18 0 0 0 1 9 4 1 27 2 .294 .346 .538 .884
1995 14 25 24 2 4 1 0 1 8 2 0 0 0 0 0 0 1 8 0 .167 .200 .333 .533
通算:10年 303 696 635 75 158 20 0 41 301 100 1 0 1 4 45 16 11 147 15 .249 .308 .474 .782

年度別守備成績[編集]

年度 試合 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率 失策
1987 6 3 3 0 .000 0
1988 3 3 3 0 .000 0
1989 3 3 3 0 .000 1
1990 3 2 1 1 .500 0
1991 3 6 4 2 .333 0
1992 75 52 38 14 .269 2
1993 28 29 22 7 .241 3
1994 46 25 15 10 .400 2
1995 8 14 9 5 .357 1
通算 175 137 98 39 .285 9

年度別監督・コーチ成績[編集]

年度 球団 順位 試合 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差 チーム
本塁打
チーム
打率
チーム
防御率
年齢
2015年 楽天 6位 143 57 83 3 .407 33.0 84 .241 3.84 48歳
通算:2年 160 65 92 3 .414 Bクラス1回

※通算成績には2014年楽天での監督代行17試合(7月3日から7月23日、8勝9敗)を含む

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 45 (1985年 - 1992年途中)
  • 22 (1992年途中 - 1995年)
  • 96 (2008年、2010年)
  • 95 (2012年 - 2015年)
  • 88 (2023年 - )

出演番組[編集]

テレビ[編集]

以下、フジテレビの番組

ラジオ[編集]

以下ニッポン放送の番組
以下文化放送の番組

その他[編集]

映画[編集]

CM[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 【ドラフト会議物語22】目玉は明大コンビの広沢、竹田。西武は3人で終了【1984年】”. 週刊ベースボールマガジンONLINE. ベースボール・マガジン社 (2018年10月15日). 2020年11月29日閲覧。
  2. ^ 大久保博元「表も裏も世話になった“心の親父”元西武監督の根本陸夫さん」『zakzak』、2011年3月1日。2020年11月29日閲覧。
  3. ^ 西武の新人捕手 卒業式で母校に100万円寄付」『Sponichi Annex』。2020年11月29日閲覧。オリジナルは2008年3月1日掲載。
  4. ^ a b 大久保博元のプロフィール”. 株式会社RIGHTS.(ライツ). 2020年11月29日閲覧。
  5. ^ https://www.1101.com/webshinsho/03/fujita/15.html
  6. ^ 【12月9日】1993年(平5) デーブ大久保激怒!「言いたくないけど余計な金使うから…」」『Sponichi Annex』、2008年12月1日。2020年11月29日閲覧。
  7. ^ a b 久保田龍雄 (2020年5月15日). ““故意死球”ほのめかしにブチギレ… デーブ大久保の「感情暴走」珍事件”. dot.. 朝日新聞社. 2020年11月29日閲覧。
  8. ^ 所ひで (2020年8月26日). “長嶋監督がまさかの反応!デーブ大久保「バット叩き割り」後に“悟ったこと””. アサ芸プラス. 徳間書店. 2020年11月29日閲覧。
  9. ^ 大久保博元「いま明かす巨人引退の真相…あのコーチが引き金だ」『夕刊フジ』、2011年10月20日。2020年9月7日閲覧。
  10. ^ 野村克也 『あぁ、監督 名将、奇将、珍将』角川書店角川oneテーマ21〉、2009年、[要ページ番号]頁。ISBN 978-4-04-710183-8 
  11. ^ 雄星らに暴力のデーブ電撃解任のワケ 過剰な罰金制度めぐり」『ZAKZAK』、2010年7月23日。2011年11月1日閲覧。オリジナルの2010年7月25日時点におけるアーカイブ。
  12. ^ 大久保前コーチを解雇 西武、暴力行為などが理由」『産経MSN』、2010年7月29日。2011年11月1日閲覧。オリジナルの2010年8月1日時点におけるアーカイブ。
  13. ^ 来季のコーチ契約について”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年10月31日). 2011年11月1日閲覧。
  14. ^ 来季の2軍チーム体制に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス オフィシャルサイト (2012年10月9日). 2020年11月30日閲覧。
  15. ^ 楽天 デーブ2軍監督が1軍代行監督に 2日から指揮」『スポーツニッポン』、2014年7月2日。2020年11月30日閲覧。
  16. ^ 楽天・大久保2軍監督が1軍を指揮 球宴は「辞退させてもらう」」『サンケイスポーツ』、2014年7月2日。オリジナルの2014年7月6日時点におけるアーカイブ。
  17. ^ コーチ人事に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス オフィシャルサイト (2014年7月24日). 2020年11月30日閲覧。
  18. ^ 楽天大久保新監督「優勝して恩返し」」『日刊スポーツ』、2014年10月14日。2014年10月14日閲覧。
  19. ^ 東北楽天ゴールデンイーグルス [@Rakuten__Eagles]. "本日の試合後、大久保博元監督が責任をとり今シーズン限りでユニフォームを脱ぐことを発表しました。 残り試合を全力で闘い、5位、4位と1つでも上の順位を目指します。 #rakuteneagles" (ツイート). Twitterより2020年11月30日閲覧
  20. ^ rakuteneagles.officialの投稿(1029899723721147) - Facebook
  21. ^ 中畑監督辞任 本当の理由は「デーブ入閣却下」」『東スポWeb』、2015年10月6日。2020年11月30日閲覧。
  22. ^ “デーブ大久保氏 2カ月前に心筋梗塞で倒れていた「生死をさまよった」と告白”. デイリースポーツ online. (2021年10月13日). https://www.daily.co.jp/baseball/2021/10/13/0014758777.shtml 2021年10月14日閲覧。 
  23. ^ 来季のコーチングスタッフについて”. 読売巨人軍公式サイト. 2022年10月13日閲覧。
  24. ^ 『プロ野球歴代監督の「采配力と人間力」』宝島社〈別冊宝島 1647〉、2000年、112頁。ISBN 978-4-7966-7156-9 
  25. ^ 大久保博元「G笑撃!“脱ぎ芸”披露…オヤジの言葉に全員が泣いた」『zakzak』、2011年8月25日。2020年11月30日閲覧。
  26. ^ 藤田元司 (2002年11月15日). 体温のある指導者。藤田元司。 第15回 あれは、まちがいでした. インタビュアー:糸井重里. ほぼ日刊イトイ新聞.. http://www.1101.com/education_fujita/2002-11-15.html 2013年1月28日閲覧。 
  27. ^ a b 高橋安幸 『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』集英社、2016年、12頁。ISBN 978-4-08-780799-8 
  28. ^ 高橋安幸 2016, p. 29
  29. ^ “東亜学園イケメン主将大久保はデーブJr.”. 日刊スポーツ. (2008年7月3日). https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/sensyuken/2008/chihou/news/p-bb-tp3-20080703-379106.html 2020年10月4日閲覧。 
  30. ^ 土井麻由実@Smile - Facebook
  31. ^ 大久保博元コーチのレッスンの様子をご紹介!バッティングは足の上げ方が重要”. LINEを使った指導で必ず成長出来る!デーブ大久保スマホ野球塾ブログ (2020年3月26日). 2020年10月4日閲覧。
  32. ^ 第一話 愛甲さん登場 「俺の周りは不良しかいなかった」 デーブ大久保チャンネル 2021/10/25 (2022年5月11日閲覧)
  33. ^ 中日スポーツが「独占スクープ」と題して最初に報道している[要出典]
  34. ^ 大久保元コーチ 西武球団を提訴[リンク切れ] - 2011年1月27日
  35. ^ 暴行された選手側にも問題事象があったり、本件に対して球団に虚偽の告発を行っていた。
  36. ^ 赤坂英一 2011, pp. &#91, 要ページ番号&#93,
  37. ^ 赤坂英一の著書『プロ野球 二軍監督-男たちの誇り-』によれば、公式発表とは異なる事実[35]の存在、球団が当該選手の入団経緯を考慮して強く言えない立場にあった事実、大久保と西武球団の間にあった長期的な確執が解雇に決定的な影響を与えたとうかがわせる記述もある[36]
  38. ^ 大久保氏が請求放棄=西武前コーチ裁判”. 時事通信 (2011年10月19日). 2011年10月29日閲覧。[リンク切れ]
  39. ^ デーブが感じた中田翔への栗山監督の言葉の真意”. youtube. デーブ大久保チャンネル. 2021年8月20日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]