大久保博元

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大久保 博元
H ohkubo20150703.jpg
東京ドームにて(2015年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県東茨城郡大洗町
生年月日 (1967-02-01) 1967年2月1日(53歳)
身長
体重
180 cm
108 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1984年 ドラフト1位
初出場 1985年7月30日
最終出場 1995年6月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
デーブ おおくぼ
デーブ 大久保
本名 大久保 博元
生年月日 (1967-02-01) 1967年2月1日(53歳)
出生地 日本の旗 日本
茨城県東茨城郡大洗町
国籍 日本の旗 日本
身長 180cm
職業プロ野球選手野球解説者タレントプロゴルファー
活動期間 1996年 - 2007年2016年 -
事務所 デーブカンパニー(1996年 - )
ソニー・ミュージックアーティスツ(2016年 -)
公式サイト SMA公式
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大久保 博元(おおくぼ ひろもと、芸名:デーブ大久保(デーブおおくぼ)、1967年2月1日 - )は、茨城県東茨城郡大洗町出身の元プロ野球選手捕手)・コーチ監督野球解説者野球評論家タレント経営者YouTuber

愛称はデーブブーちゃんDaveDavy

経歴[編集]

現役時代[編集]

水戸商業では2年次の1983年夏、捕手として出場した茨城大会で決勝に進出するが、エースの加茂川重治を擁する茨城東高に敗退。3年次の1984年夏も茨城大会で敗れて甲子園には出場できなかったが、高校通算52本塁打を記録した。

1984年のドラフト広澤克実のクジを外した西武ライオンズから1位指名を受けて入団し[1]、契約金4500万円で[2]1985年の卒業式では母校に100万円を小切手で寄付した[3]。入団当時から長打力があり、1986年の1年間は1A・サンノゼ・ビーズに野球留学のため渡米し、引率を担当した和田博実二軍打撃コーチに「デーブ大久保」の愛称を付けられた。帰国した1987年にはジュニアオールスターゲームでMVPを獲得し、1989年にはイースタン記録の24本塁打・70打点でイースタン二冠王に輝くが[4]、当時は正捕手に伊東勤が定着しており、守備難と肥満体型が広岡達朗監督に嫌われたことにより起用されることが少なかった。後任監督の森祇晶にもリードを評価されず、ほとんどが代打指名打者[5]としての出場であった。1989年途中にオレステス・デストラーデが入団すると、指名打者での出場も無くなり二軍生活が続く。

1992年5月11日に、中尾孝義との交換トレード読売ジャイアンツへ移籍。これは、西武では活躍の場がない大久保のために、球団管理部長で実質的にゼネラルマネージャーの根本陸夫が主導したトレードであった。巨人ではいきなり正捕手として抜擢され、6月には月間MVPを獲得し、オールスター前までに打率.300・12本塁打を放つ活躍を見せる。大久保が本塁打を打った試合は必ず勝利していたため「“大久保が打てば負けない”」というジンクスまで生まれ、藤田元司監督の進言もあって球団から前半戦終了時に2000万円というボーナスを得た。大久保の責任ではないが、前半戦終了時という異例の時期に主軸選手の年俸クラスの巨額のボーナスが大久保一人に支給されたことで、球団内に気まずい空気が漂ってしまい、このボーナスは逆効果であった。藤田は「ポンと、渡しちゃった。例えば石毛と大久保に500万ずつとか…。(渡辺に対しての)自分の言葉が足りなかった。[6]」と振り返っている。オールスター後は1シーズンを乗り切るスタミナがないことが露呈し、8月前半には連続試合安打が途切れる。以後は閉幕まで54打数8安打・打率.148・1本塁打と大きく失速し、優勝争いの大事な時期には再び村田真一に正捕手の座を奪われた。1993年は開幕から村田との併用ながらハイペースで本塁打を量産し、5月27日ヤクルト戦(神宮)ではプロ入り初盗塁を決めるなどしていたが、その試合で高津臣吾から死球を受け左手首を骨折してしまい9月まで戦線離脱。翌28日の試合はこの死球が伏線となり、2度の乱闘騒動になって警告試合となった。復帰後は10月2日翌3日広島戦(東京D)では初めて4番・一塁手で先発出場し、結果は7打数1安打1打点で、2日に秋村謙宏から放ったソロ本塁打で記録したものであった。同年は巨人の日本人選手では原辰徳松井秀喜に次ぐ10本塁打を打ったが、オフに年俸3100万円で契約更改した[7]1994年は、劇的なサヨナラ本塁打を複数放つなど打撃は良いものの、リードやキャッチングの面から再び村田が正捕手となり、二番手捕手や代打要員に甘んじる。9月10日の広島戦(東京D)で3-11と大きくリードされた6回1死、打席に立った大久保は2球目の直後に後ろを振り向くと、西山秀二と球審に怒りの表情でクレームをつけ始めた。ネクストサークルの福王昭仁中畑清一塁コーチが慌てて駆けつけて仲裁に入ったが、これは西山の故意死球を仄めかす囁きに大久保が過剰反応したものであった。プレー再開後も怒りが覚めやらぬ大久保は1-1から望月秀通の直球を思い切り空振りした後、フルカウントから外角低めに落ちる球を空振りして三振し、まんまと広島バッテリーの術中にはまった悔しさがさらなる怒りを呼んだのか、直後に大久保はバットを2度にわたって地面に叩きつけて荒々しく放り投げた。ヘルメットもグラウンドに投げ捨て大暴れするなど大人げない行動にスタンドは唖然としたが、「みんなスカート履いて野球やってるよ」と、闘志を前面に出さない選手達に不満を抱いていた長嶋茂雄監督は、逆に大久保のファイトを買った[8]同17日阪神戦(東京D)で中西清起からサヨナラ2ラン本塁打を放った時には大口を開けて泣き出し、8月下旬から2勝12敗と低迷していたチームも再び盛り返し、中日との10.8決戦を制して4年ぶりのリーグ優勝を果たす[8]。古巣・西武との日本シリーズでは、10月26日の第4戦(西武球場)9回2死で杉山賢人から同点本塁打を放ち日本一に貢献。1995年は1994年オフからの契約更改が揉めに揉めてサインをしたのが2月のキャンプ初日になったものの、2年ぶりに開幕戦捕手として出場し斎藤雅樹の2年連続開幕戦完封勝利に貢献したが、4月26日の広島戦(広島市民)で空振りした際にバランスを崩して転倒し足首を骨折。7月24日福岡ドームでNPB球団に所属する外国人選手選抜チームと日本人選手選抜チームが対戦した「阪神大震災復興支援チャリティードリームゲーム」において、外国人選手に捕手がいなかったため、語学力を買われて「デーブ」の登録名で外国人チームに入れられた。もう1人の捕手として、当時ロッテの正捕手であった定詰雅彦が「ジョー」の登録名で出場している。同年に28歳で現役を引退したが、後年、引退理由について、故障ではなくコーチとの確執が原因であることを明かしている[9]

引退後[編集]

肉蔵でーぶ外観

引退後は1996年に個人事務所「デーブカンパニー」を設立し、フジテレビニッポン放送解説者、サンケイスポーツ評論家(1996年 - 2007年)となる。その傍らで「デーブ大久保」名でのタレント業も始め、1999年からは「週刊パーゴルフ」で始めた連載をきっかけに、プロゴルファーとしても活動する[4]2001年のクォリファイングトーナメントに挑戦し、最初の関門であるファーストクォリファイを突破してセカンドに進んだ。サードに進出することはできなかったものの、主催者推薦による出場が可能となり、2002年ダイヤモンドカップトーナメントでツアーデビュー。その後も12試合のレギュラーツアーに参戦したが、予選通過はなかった。

2008年には渡辺久信監督の強い要望により、古巣・西武に一軍打撃コーチとして16年ぶりに復帰。MLB流の早朝練習「アーリー・ワーク」を取り入れ、10数通りのケースバッティングを叩き込み直し、打線を機能させる意識改革を行った。アーリー・ワークについては、野村克也も自著の「あぁ、監督」で一定の評価をしていた。自身の一軍半が長かった経験から、一軍コーチと二軍コーチの綿密な連絡の有無が若手の成長に影響を与えるという考えで、コーチ陣会議を開催して円滑な選手育成を行った。大久保自身が現役時代に、二軍コーチに言われて改善した点を一軍昇格後に一軍コーチから否定されるという経験を何度もして、改善方法がわからなくなったことがあるとコメントしている。ベンチでは「野次将軍」を担当していた。5月7日日本ハム戦(西武D)で、9回裏に片岡易之ダルビッシュ有からサヨナラ安打を放ち勝利したが、ベンチを飛び出て喜びの余りバッターランナーの片岡を追いかけたところ両足大腿部の肉離れで歩行に難を生じ、細川亨クレイグ・ブラゼルに抱えられてベンチ裏のトレーナーズルームに運ばれた。この前日の6日にはヒラム・ボカチカがサヨナラ本塁打を放ったが、既に大久保の右足には異変が起きていた。2009年はコーチ職を離れて編成部プロ担当を1年間務め、2010年には二軍打撃コーチとして現場に復帰したが、7月22日に西武球団はコーチとして不適切な行為があったため同日付で大久保をコーチから外し、球団本部長付とすることを発表した[10]。球団は選手ら関係者へのヒアリングの結果、大久保が暴力行為を行っていたことが認められたため、同29日に大久保を解雇したことを発表した[11]。退団後はコーチ時代に実践したノウハウを活用して、一般向けの野球指導を行う「デーブベースボールアカデミー」を開講し、少年野球の選手・指導者を中心に指導を行っている。赤坂英一の著書『プロ野球 二軍監督-男たちの誇り-』によれば、入塾する子供の保護者に対しては西武球団を解雇された経緯を必ず説明し、納得を得たうえで入塾してもらっているとある。プロ復帰を目指している古木克明もトライアウトを受けるまで、ここで指導を受けていた。2012年には東北楽天ゴールデンイーグルス一軍打撃コーチに就任し[12]、同年シーズン終了後には二軍監督に就任[13]2014年5月星野仙一監督が腰椎椎間板ヘルニア胸椎黄色靱帯骨化症で休養、佐藤義則が監督代行を務めていたが、7月2日より大久保が監督代行を務めることが発表された。佐藤は投手コーチに専念し、二軍は酒井勉が二軍監督代行を務めることになった[14]。前年リーグ優勝したことで星野が指揮を執ることになっていた同年のオールスターの指揮については辞退している[15]7月24日に星野の監督復帰に伴い二軍監督に復帰し[16]、シーズン終了後に星野の退任により二軍監督から監督に昇格することが決定し、10月14日に就任が発表された[17]2015年は序盤こそ勝率.500前後を維持するも、6月セ・パ交流戦終了後以降は次第に失速してチームの借金は2桁に達し、順位も最下位に後退。クライマックスシリーズ進出の可能性が完全に消滅した9月22日、シーズン終了を以って辞任することを発表する[18][19]。退任発表時は1つでも上の順位を目指すとしていたが、10月3日にチームの最下位が確定。同6日のシーズン最終戦であるロッテ戦(コボスタ宮城)で退任。なお、楽天監督退任を受けて横浜DeNAベイスターズ中畑清監督が大久保のコーチ入閣をフロントに要請したが、高田繁らフロントの反対で横浜入りは立ち消えになった。ちなみに要請を却下された中畑も不服として監督を辞任している[20]

2016年3月4日、自身も食品衛生管理者の資格を取得して新橋に居酒屋「肉蔵デーブ」を開業し[21]、フジテレビ解説者・サンケイスポーツ評論家に復帰したほか、タレントとしても9年ぶりに活動を再開。また、2018年にはプロゴルファーとしての活動も再開し、12年ぶりに下部ツアーであるAbemaTVツアーのHEIWA・PGM Challenge II ~ Road to CHAMPIONSHIPに出場した。

人物[編集]

2012年8月1日、こまちスタジアムにて。
  • 出身地の水戸は巨人ファンが多く、大久保も幼少の頃から巨人ファンであり、血液型はG型と答えるほどである。西武から巨人に移籍し、初めてユニフォームを受け取った夜はユニフォームを着て就寝した。
  • 巨人に移籍した当初、藤田の下へ挨拶に行った際に「太っていることなんか気にする必要ないぞ。うちにだって太っている選手はたくさんいるんだ。体は資本だ。気にするな」と言われ、宿舎の食堂で1人で食事を摂っていたところ、藤田が通りがかり「なんだデーブ、そんな量で足りるのか?今日はよく練習していたんだ、もっと食べろよ」と言うなり大型のステーキを2枚注文し、用意されたステーキを大久保は感激のあまり泣きながら食べた。当時を振り返った大久保は「この監督のためなら死んでもいい」とコメントしているが[22]、リード面でミスをしたりする時の藤田の怒りは凄まじいもので、叱られてしばらくはトイレにいけないくらい体が硬くなってしまうほどであった。ところが、怒られた翌日には「よう、デーブ、おはよう」と、昨日の怒りなどすっかり忘れたようにニコニコ挨拶するさっぱりした人物でもあった[23]。引退時には藤田の家を訪ね、「僕に痩せろと言わなかったのは藤田さんだけ」と語った。藤田は毎日のように「おまえ、その体を保つのにはうんと走らなきゃいかんなぁ」と言っていたが「痩せろ」「体重を減らせ」とは言わなかった。それが大久保には嬉しかったという。走れば痩せるだろうというのが藤田の真意であったが、このことを感謝された藤田は「人の心を傷つける言葉を使っちゃいけないな」と改めて気付いたという[24]。藤田が亡くなると真っ先に弔問に駆けつけ、「本当にありがとうございました」と号泣しながら何度も頭を下げていた。
  • 藤田以外に同郷の根本のことも父親のように慕っている。二軍暮らしが続いている大久保が首脳陣の自分への扱いに不満を言いに根本のところに行ったところ「いちいち一人一人の社員(選手)のことなんか心配できるか、馬鹿野郎!」と怒鳴られたが、実際には根本は出番のない大久保に配慮しており、1992年の巨人へのトレードは大久保に配慮した根本がまとめた話であった。そのトレードでチームを離れる際にも「おまえは西武の人間なんだから、困ったら西武に戻ってこい」と言葉をかけてくれたという。そうした面倒見のよさに感動する反面、西武時代、選手が街中でトラブルなどに巻き込まれたりすると根本が仲介に赴き、必ず瞬く間に事件がなかったことになってしまい、根本の人脈の広さに驚いたりすることもあったという。根本の自宅にもよく招かれ、夫人特製のすき焼きが振る舞われた[25]。割り下に牛乳が入る独特の風味で、工藤公康は「美味しくない」と敬遠して次に呼ばれた時にはステーキが振る舞われたが[26]、大久保は20回以上食べた[27]

コーチ時代の不祥事[編集]

2008年[編集]

2009年度も引き続き打撃コーチを務める予定であったが、11月12日、知人女性が大久保から暴行を受けたとして警視庁品川署被害届を提出していることが発覚[28]。大久保は「刑事罰を受けるようなことは自分の中ではしていない。殴ってはいない」と否定したが、2日後の14日傷害の疑いで書類送検されるに至った。この件について大久保は球団から厳重注意処分を受け、優勝パレードなどの球団行事への参加を自粛し、その後も登板日漏洩疑惑といった問題を相次いで報じられる。12月9日にはコーチ職を解かれ、編成部プロ担当となることが決定した。知人女性への暴行事件は会見では暴行を否定していたが、検察側の調べでは容疑を認めたため、東京区検が2009年3月13日までに傷害罪で略式起訴東京簡裁同27日検察側の請求通り大久保に罰金20万円の有罪判決を出した。

2010年[編集]

2010年度に二軍打撃コーチとして復帰するも、選手に対する暴力問題で解任された。解任後、大久保は西武球団を相手に地位保全と報酬の仮払いを求めた仮処分申請を東京地裁に行ったが、東京地裁は11月19日に申請を却下。これに対して、東京高裁に即時抗告を行ったが、12月28日に東京高裁は即時抗告を却下。年明けの2011年1月27日、西武球団を相手に契約解除の無効、未払い報酬の支払い、名誉毀損に対する損害賠償2000万円を求め、東京地裁に提訴した[29]。西武は当初、どの選手に暴力行為を行っていたかなどを明らかにしなかったが、大久保が菊池雄星を名指しして出廷を求めるなどしたため、2月16日に暴行を受けたのが菊池だったことを球団として公表した。自主練習であった「アーリー・ワーク」を遅刻したら罰金という制度を強制的に行い、それに反発した菊池が告げ口したと見なして同選手に暴力を働いたことを問題視されたことが明らかになった引用エラー: <ref> タグに対応する </ref> タグが不足していますの存在、球団が当該選手の入団経緯を考慮して強く言えない立場にあった事実、大久保と西武球団の間にあった長期的な確執が解雇に決定的な影響を与えたと窺わせる記述もある。</ref>。後に「週刊ポスト」の取材で、この謹慎期間中に自殺未遂をしたことを告白している。2012年から楽天のコーチに就任することが決定したのに伴い、西武に対する訴訟については請求を放棄し、裁判が終結した[30]。後に楽天とのコーチ契約の交渉の中で、契約の条件として西武との訴訟を取り下げることを要請されていたことを明かした。

2016年2月にシニアディレクターの渡辺を通じて西武球団及び菊池と和解した。

2014年[編集]

2014年2月16日のキャンプ全体練習後に、柿澤貴裕に対しての守備練習の一環で個別にノックをしていたところ、柿澤が突然意識を失って昏倒した。柿澤は、トレーナーから心肺蘇生術として胸骨圧迫マッサージを3度受けた末に意識を回復した。その直後に病院で「脱水症状による意識喪失発作」と診断されたため、入院と再検査を経て2日後の18日からキャンプに復帰した。楽天球団は、水分を取れる練習環境にありながら、脱水症状で意識を失ったという事実を重視し、柿澤、大久保および二軍のコーチ陣・トレーナー陣を厳重注意に処した[31]。しかし、大久保は、柿澤は二軍監督がAEDを持ってきた時立ち上がったと証言している。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1985 西武 5 4 4 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .250 .250 .250 .500
1987 56 78 71 4 17 1 0 3 27 17 0 0 0 2 2 0 3 18 1 .239 .282 .380 .662
1988 13 13 10 1 1 0 0 0 1 1 0 0 1 0 2 0 0 5 0 .100 .250 .100 .350
1989 11 14 13 1 1 0 0 1 4 1 0 0 0 0 1 0 0 5 0 .077 .143 .308 .451
1990 13 18 16 2 3 0 0 2 9 2 0 0 0 0 2 0 0 5 1 .188 .278 .563 .840
1991 5 8 8 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 .000 .000 .000 .000
1992 巨人 84 285 260 37 72 14 0 15 131 43 0 0 0 1 20 9 4 48 7 .277 .337 .504 .841
1993 40 121 110 14 24 2 0 10 56 16 1 0 0 0 9 3 2 29 3 .218 .289 .509 .798
1994 62 130 119 14 35 2 0 9 64 18 0 0 0 1 9 4 1 27 2 .294 .346 .538 .884
1995 14 25 24 2 4 1 0 1 8 2 0 0 0 0 0 0 1 8 0 .167 .200 .333 .533
通算:10年 303 696 635 75 158 20 0 41 301 100 1 0 1 4 45 16 11 147 15 .249 .308 .474 .782

年度別守備成績[編集]

年度 試合 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率 失策
1987 6 3 3 0 .000 0
1988 3 3 3 0 .000 0
1989 3 3 3 0 .000 1
1990 3 2 1 1 .500 0
1991 3 6 4 2 .333 0
1992 75 52 38 14 .269 2
1993 28 29 22 7 .241 3
1994 46 25 15 10 .400 2
1995 8 14 9 5 .357 1
通算 175 137 98 39 .285 9

年度別監督成績[編集]

年度 球団 順位 試合 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差 チーム
本塁打
チーム
打率
チーム
防御率
年齢
2015年 楽天 6位 143 57 83 3 .407 33.0 84 .241 3.84 48歳
通算:2年 160 65 92 3 .414 Bクラス1回

※通算成績には2014年楽天での監督代行17試合(7月3日から7月23日、8勝9敗)を含む

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 45 (1985年 - 1992年途中)
  • 22 (1992年途中 - 1995年)
  • 96 (2008年、2010年)
  • 95 (2012年 - 2015年)

関連情報[編集]

出演番組[編集]

フジテレビフジテレビ739→フジテレビONE
テレビ朝日系
日本テレビ系
ニッポン放送
文化放送

映画[編集]

CM[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 【ドラフト会議物語22】目玉は明大コンビの広沢、竹田。西武は3人で終了【1984年】
  2. ^ 表も裏も世話になった“心の親父”元西武監督の根本陸夫さん
  3. ^ 西武の新人捕手 卒業式で母校に100万円寄付
  4. ^ a b 大久保博元のプロフィール 株式会社RIGHTS.(ライツ)
  5. ^ ベースボールレコードブック1988
  6. ^ [1]
  7. ^ 【12月9日】1993年(平5) デーブ大久保激怒!「言いたくないけど余計な金使うから…」
  8. ^ a b “故意死球”ほのめかしにブチギレ… デーブ大久保の「感情暴走」珍事件
  9. ^ いま明かす巨人引退の真相…あのコーチが引き金だ”. 夕刊フジ. 2020年9月7日閲覧。
  10. ^ 雄星らに暴力のデーブ電撃解任のワケ 過剰な罰金制度めぐり”. ZAKZAK (2010年7月23日). 2011年11月1日閲覧。
  11. ^ 大久保前コーチを解雇 西武、暴力行為などが理由”. 産経MSN (2010年7月29日). 2011年11月1日閲覧。[リンク切れ]
  12. ^ 来季のコーチ契約について”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年10月31日). 2011年11月1日閲覧。
  13. ^ 来季の2軍チーム体制に関して2012年10月9日 東北楽天ゴールデンイーグルス オフィシャルサイト
  14. ^ 楽天 デーブ2軍監督が1軍代行監督に 2日から指揮スポーツニッポン2014年7月2日配信
  15. ^ 楽天・大久保2軍監督が1軍を指揮 球宴は「辞退させてもらう」サンケイスポーツ2014年7月2日配信
  16. ^ コーチ人事に関して 楽天球団公式サイト2014年7月24日配信
  17. ^ 楽天大久保新監督「優勝して恩返し」 日刊スポーツ 2014年10月14日閲覧
  18. ^ 楽天イーグルスさんはTwitterを使っています: "本日の試合後、大久保博元監督が責任をとり今シーズン限りでユニフォームを脱ぐことを発表しました。 残り試合を全力で闘い、5位、4位と1つでも上の順位を目指します。 #rakuteneagles" - 2015年9月22日配信、Twitter
  19. ^ 9月22日(火・祝)マリーンズ 8-2 イーグルス... - 楽天イーグルス【公式】(RakutenEagles) - 2015年9月22日配信、Facebook
  20. ^ [2]
  21. ^ ごぶさた!前楽天監督デーブ氏、都内に居酒屋オープン 自ら厨房に2016年3月5日 スポニチアネックス2016年3月14日閲覧
  22. ^ 別冊宝島 プロ野球 歴代監督の「采配力と人間力」P112)
  23. ^ http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20110825/bbl1108251009000-n1.htm
  24. ^ 糸井重里 (2002年11月15日). “第15回 あれは、まちがいでした”. ほぼ日刊イトイ新聞. 2013年1月28日閲覧。
  25. ^ 高橋安幸「根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男」2016年9月30日、集英社ISBN 4087807991、p12。
  26. ^ 高橋、p12
  27. ^ 高橋、p.29
  28. ^ 中日スポーツが「独占スクープ」と題して最初に報道している。
  29. ^ 大久保元コーチ 西武球団を提訴 - 2011年1月27日
  30. ^ 大久保氏が請求放棄=西武前コーチ裁判”. 時事通信 (2011年10月19日). 2011年10月29日閲覧。
  31. ^ 柿澤貴裕選手の報道に関して東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト(2014年2月27日配信)、2014年3月16日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]