今江敏晃

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今江 敏晃
東北楽天ゴールデンイーグルス #8
Toshiaki Imae.jpg
ロッテ時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府向日市
生年月日 1983年8月26日(32歳)
身長
体重
180 cm
89 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 2001年 ドラフト3巡目
初出場 2002年4月28日
年俸 2億円+出来高(2016年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2006年

今江 敏晃(いまえ としあき、1983年8月26日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属する京都府向日市出身のプロ野球選手内野手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

少年野球チームは向陽オックスに所属。中学3年生の時には、全日本中学野球選手権大会 ジャイアンツカップで全国優勝[1]を果たすと、ボーイズリーグの世界選抜として世界大会でも優勝。PL学園高で1年生時から4番に座り、2000年夏の甲子園に出場するも、3回戦で敗退。当時の同級生には朝井秀樹桜井広大小斉祐輔らがいる。また1学年上に中尾敏浩がおり、二遊間を組んだ。高校通算本塁打は30本[2]

2001年のドラフト会議千葉ロッテマリーンズから3巡目指名を受け、入団。背番号は、PL学園高出身の先輩の得津高宏がかつて着けていた25

ロッテ時代[編集]

2002年には、4月28日に、地元・関西の大阪ドームで開かれた対大阪近鉄バファローズ戦9回表に代打で一軍デビュー。同月30日の対福岡ダイエーホークス戦(千葉マリンスタジアム)では、遊撃手として一軍初のスタメン出場を果たした。その後に一時出場選手登録を抹消されるが、抹消後は二軍のレギュラーを獲得。後半戦に再び一軍へ登録されると、9月30日の対西武ライオンズ戦(西武ドーム)で一軍初安打。一軍公式戦全体には、15試合に出場。通算25打席で打率.200という成績ながら、2打点を記録したほか、5安打のうち3本が二塁打であった。

2003年には、イースタン・リーグの選抜選手としてフレッシュオールスターに出場。1-3で迎えた8回裏1死満塁の打席で走者一掃の逆転三塁打を放ったことから、MVPに選出された。しかし、一軍公式戦には5試合の出場で、6打数2安打(打率.333、1二塁打)という成績にとどまった。

2004年遊撃手のレギュラーに小坂誠がいたため、強肩を生かして外野手へのコンバートを打診されたが、内野手をやりたいという自身の希望で三塁手にコンバート。6月から初芝清マット・フランコらと三塁手のレギュラーを争う活躍を見せ、6月にはプロ初本塁打を記録。しかし、投球を手に受けたこと(スイングしていたため、判定はストライク)による故障により41試合の出場に留まる。

背番号8の今江(ロッテ時代の2011年8月6日)

2005年は背番号をかつて「ミスターロッテ」と呼ばれ、三塁手でもあった有藤道世[3]が背負っていた8に変更。9番三塁手として初の開幕スタメンを果たす。三塁手としてレギュラーに定着すると、一気にチームトップとなる132試合に出場、球団史上歴代5位となるシーズン22試合連続安打を記録、8月の月間打率は4割を超え、一時は打率がリーグ1位に。その後も調子を維持し初の規定打席と3割に到達。またこの年のパリーグ最多二塁打となる35二塁打を記録。リーグ優勝時は、チームが内野手を全て使い切ったため三塁を初芝清に譲り、二塁で優勝の瞬間を迎えた。日本シリーズでは、第1戦・第2戦で8打席連続安打、シリーズ打率.667と新記録を達成し、日本シリーズMVPにも選出される。こうした活躍を高く評価され、三塁手部門のベストナインと初のゴールデングラブ賞を受賞。

2006年開幕前の3月に、第1回WBCの日本代表に選出された[4]。この大会では、5試合に出場し4打点を挙げ、世界一に貢献。

シーズンでは前半は2番に起用されることが多かったが、調子の波が激しく打撃が安定しなかった。三塁のレギュラーは守ったものの結局最後まで不調に終わり、打率を大きく下げた。最後のパリーグ東西対抗にて3ランを含む3安打でMVPとなる。この年も連続でゴールデングラブ賞を受賞(2回目)。

2007年は5月に左手有鈎骨を骨折したのもあり、前年同様の打撃不振に陥り打率.249とさらに下げた。打順はほとんど8番か9番。また、故障により守備面でも不安があり堀幸一青野毅にポジションを譲ることもあったが、ゴールデングラブ賞を3年連続で受賞。

2008年は前2シーズンと打って変わって打撃好調を維持し、9月7日までに打率.309、12本塁打、55打点を挙げるものの、同日の対ソフトバンク戦で水田章雄より右上腕へ死球を受け右尺骨骨折し、登録抹消。結局一軍復帰を果たせぬままシーズン終了となった。また、この年は本塁打も2ケタを記録するなど打撃は好調だったものの守備では若干成績を落とし、特に補殺と併殺参加数は前シーズンまでと比べて少なかった(併殺参加数は2006年はリーグトップの24個だったがこの年はリーグ最少の4個しか記録できず。ワースト2位の草野大輔も13個記録していることからも少なさが分かる)。ゴールデングラブ賞を4年連続で受賞。

2009年7月5日西村徳文コーチがボビー・バレンタイン監督よりスタメンを告げられる際に、本来三塁で先発出場する予定だった今江の愛称である「ゴリ」と「」を聞きまちがえてしまい、堀幸一が2年ぶりにスタメン三塁で出場する珍事があった。結局堀は第1打席で犠牲フライを放ったのち、3回表の守備より今江と交代した。チーム4位の60打点を記録したものの、打率は.247と低調に終わり、2005年から受賞していたゴールデングラブ賞は小谷野栄一に譲ってしまった。

2010年はシーズン序盤は9番打者であったが、荻野貴司の故障後は2番に抜擢され、自己最多(リーグ3位)の犠打数を残した。シーズン終盤は清田育宏が2番に定着すると、5番や6番を任された。打率はリーグでも3位の.331と好調、本塁打を除いて自己最高のシーズンを送り、チームのクライマックスシリーズ進出にも貢献した。日本シリーズでも打率.444を記録し、2度目の日本シリーズMVPを獲得した。

2012年は、チームの主将に就任[5]。一軍公式戦では、通算136試合の出場で、6本塁打、打率.253、47打点を記録した。

2013年は主将の座を岡田幸文に譲った。5月15日巨人戦ではプロ入り後初の4番打者に入ると、そこからは4番に定着。本塁打こそ年間10本とクリーンアップとしては少なかったが、打率は.325パ・リーグ2位、守備率も三塁手リーグ1位の.969を記録し、攻守にわたりチームのクライマックスシリーズ進出に大きく貢献した。この年には海外FA権を取得したが、シーズン終了後の球団との契約交渉では、権利を行使しないまま新たに2年契約を結んだ。

2014年はふくらはぎの筋膜炎で開幕に間に合わず、4月1日の本拠地開幕戦から1軍に復帰した[6]。しかしわずか2週間後に腰痛で登録抹消となるなどシーズンを通して体のコンディションに苦しみ、打撃も前年に比べて安定せず、2番から9番まであらゆる打順で起用された。

2015年には、オープン戦で打率.313を記録。また、前年のシーズン中盤から4番を打っていたアルフレド・デスパイネが4月中旬まで母国・キューバの国内リーグに参加していた関係で、公式戦の開幕から4番打者を任された[7]。その一方で、5月22日の対オリックス戦(ほっともっとフィールド神戸)では、8回表の打席で佐藤達也から頭部に死球を受けて交代(佐藤は吉本文弘球審からの危険球宣告で退場)[8]。翌23日の同カード(京セラドーム大阪)では本塁打、6月3日の対阪神戦(甲子園)では単打を放てばサイクルヒットを記録できる状況(詳細後述)で最終打席を迎えたが、いずれも達成に至らなかった[9][10]。さらに、7月14日の対ロッテ戦(京セラドーム大阪)8回表の打席で、岸田護から死球を受けて左手を骨折[11]。9月11日の同カード(QVCマリンフィールド)で一軍に復帰するまで、約2ヶ月間の戦線離脱を余儀なくされた[12]。なお、7月16日には第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補へ選ばれた[13]。しかし、最終ロースターに残らなかったため、11月開催の大会には出場していない。

楽天時代[編集]

2015年でロッテとの2年契約が満了したことを受けて、同年シーズン終了後の11月10日に、前述の海外FA権を行使することを表明[14]。翌11日には、NPBから海外フリーエージェント宣言選手として公示された[15]。ロッテでは基本としてFA権行使表明選手の残留を認めない方針を立てているため、同じパシフィック・リーグ東北楽天ゴールデンイーグルスが、公示を機に今江の獲得交渉を開始[16]11月27日には今江との契約で合意に達したこと[17]12月9日に開かれた入団会見では、ロッテ時代に続いて背番号8を着用することが発表された。

楽天がFA権の行使を宣言した選手を他球団から獲得した事例は、中日ドラゴンズに在籍していた中村紀洋と2009年から2年契約を結んで以来2例目である[18]。なお、ロッテ球団は2016年1月13日に、今江の移籍に関する補償措置として楽天球団に金銭(推定1億6,000万円)の支払いを求めた[19]

2016年には、ロッテ時代の2014年に発症した左ふくらはぎ痛が、春季キャンプ直前の自主トレーニング中に再発。その後の検査で左ふくらはぎ筋炎と診断されたため、キャンプのスタートを二軍で迎えた[20]

プレースタイル[編集]

打席に立つ今江
(ロッテ時代の2010年10月13日、東京ドーム

打撃[編集]

広角にライナー性の強い打球を放つ打撃を持ち味とする[21]。2008年にはボール球スイング率36.6パーセント、翌2009年には同43.2パーセントを記録するなど、ボール球でも強引に振りにいく積極的な打撃を見せ[22]、それ故に四球は少ない。

守備・走塁[編集]

守備では三塁手として起用され、2005年シーズン中盤まで、半身に構える独特のスタンスで守備に就いていた。三塁守備は打球反応や出足の速さ、グラブ捌き、スローイングのいずれも高いレベルにあり[21]、ライナー性の打球やフライに強く[23]、2005年から4年連続でゴールデングラブ賞を受賞した。

走塁面では盗塁の試行数は多くないものの、右打者ながら一塁到達まで3.85秒を記録するなど全力疾走を怠らない[24]

人物[編集]

  • 愛称は「ゴリ」。
  • 2004年に10歳年上の女性と結婚し、翌年10月のプレーオフ開催中に第1子が誕生した。
  • 2005年シーズンには一時首位打者争いをするなど頭角を表す。西岡剛と共に「ボビーチルドレン」と呼ばれた。
  • 2010年までの応援歌はイ・ジョンヒョンの「ワ」が原曲。以前は石井浩郎伊与田一範の応援歌として使われており、2003年に伊与田が戦力外通告を受け退団したため、2004年から「ワ」に変わった(2010年はマイナーチェンジし、より原曲に近くなった)。「ワ」以前は同じイ・ジョンヒョンの「ヌ」を応援歌として使用していた。2011年から『ソウルキャリバーII』のBGM「Brave Sword,Braver Soul」に変更された。
    • 2006年シーズンの一時期、登場曲にえちうらの「曖昧な態度やめて」とともに「ワ」を使っていた。
  • イチローの大ファンである[25]
  • 幼少期に両親の影響で巨人を応援していたことから、現在も長嶋茂雄を敬愛。前述したジャイアンツカップの表彰式や、2015年第17回ゴールデンスピリット賞表彰式(詳細後述)では、長嶋から直々に祝福を受けている[1]
  • 2015年1月に野球界を代表して「Athlete Dresser Award 2015」の1人に選ばれるほど、普段からファッションへの関心が高い[26]

社会貢献活動[編集]

ロッテ時代の2006年に『24時間テレビ 「愛は地球を救う」29』(日本テレビ)で「群馬アトム」(群馬県障がい者野球チーム)に所属する投手の練習映像を偶然見たことをきっかけに、同年11月から「群馬アトム」との交流を開始。自身が出場する試合に関係者を定期的に招待したり、シーズン終了後に練習へ参加したりするなど、現在まで交流を続けている[27]

また、東日本大震災2011年)では、当時住んでいた千葉県浦安市内の自宅が液状化現象の被害を受けた。この経験に加えて、ロッテ球団の職員に被災地・福島県いわき市の出身者がいることから、現地の小・中学校を定期的に訪問。現在では、「今江スマイルプロジェクト」と称して、以下の活動も長期にわたって続けている。このような活動が評価されたことから、2015年のシーズン終了後には、第17回ゴールデンスピリット賞を受賞した[27]

  • ペットボトルのキャップの選別作業で生計を立てている障がい者の社会進出を支援する目的で、キャップの収集を呼び掛けるとともに、集まったキャップを選別作業所へ随時届けている[27]
  • ロッテ時代には、千葉マリンスタジアム(QVCマリンフィールド)での主催公式戦に、県内の児童養護施設の関係者を定期的に招待。シーズン終了後も、施設を訪問することによって、施設で暮らす子どもたちと定期的に交流している。2015年9月には、白血病を患う少年と、その家族を試合に招いたこともあった[28]
  • 「ミルフィーユ小児がんフロンティアーズ」(小児がん患者を支援するNPO法人)の理事を、夫婦で務めている。2010年からは、「公式戦1打点につき1万円」という単位で、同法人への寄付を開始。2015年までに、総額で303万円の寄付金を贈呈した[27]。また、同法人を通じて、小児がんや脳性まひを抱える少年少女と交流する機会を定期的に設けている。

2015年11月26日のゴールデンスピリット賞授賞式では、副賞の200万円を寄付することを表明するとともに、(当時未発表だった)楽天への入団が決まった場合にも活動を継続することを示唆[1]。楽天への入団発表直後(同年12月15日)には、ロッテ時代に続いていわき市を訪れるとともに、現役を引退してからも同市との交流を続ける意向を示している[29]

エピソード[編集]

  • ゴリという愛称からかファンからバナナをプレゼントされたことがある。しかし、今江の好物はソーセージであり、公式サイトの好きな食べ物の欄にソーセージと書くほどである(千葉マリンスタジアムで販売されるマッチカードプログラムの4コマ漫画でもネタにされた)。
    • 2008年シーズンは故障でファーム調整に入った後、“クライマックスシリーズに一緒に行こう!”と、本人と同じ背番号のユニフォーム・同じリストバンドを着けさせ、サングラスを掛けさせたゴリラのぬいぐるみが“本人代理”としてベンチに同席した。
  • 横浜DeNA神内靖投手とは同級生で京都のリトル・リーグ時代から対戦しており現在も交友がある。プロ野球選手として初めての対戦となった試合で、今江は当時福岡ダイエー所属の神内からプロ入り一号本塁打を放っている。この時、今江は骨折からの復帰戦で放った本塁打であり、当時交際していた現在の夫人へとそのボールを渡そうとしていた為、様々な手を尽くしてそのボールを得たという。
  • 2006年ワールド・ベースボール・クラシックの二次予選・韓国戦でセンター金城龍彦からの返球を落としてしまい、さらに「落としていない」とアピールする間にバッターランナーに二塁への進塁を許してしまった(記録にはエラーはついていない)。結果的にこのアピールによって決勝点を挙げられ、「もう日本に帰っても生きていけない」と考えるほどに思いつめたという。しかし決勝では2点タイムリーを放った。
  • そのWBCでチームメイトだった岩村明憲メジャーリーグに移籍する際、アメリカの公式サイトにて写真が岩村ではなく今江だった、という事件が起きた。偶然にも、マリーンズの三塁手の前任者・初芝清にも同様の事件が起きている(アメリカのスポーツニュース番組でイチローの紹介があった時の顔写真が初芝だった)。
  • 2006年12月28日の契約更改時、当初は「推定300万増の年俸5800万円」と報道された。しかし翌日、今江自身が「300万アップではなく、1000万アップ」と異例の修正コメントを提出。増額公開の理由は「これだけ貰う選手である、というプライドがある。そして球団に評価して貰ったということを伝えたかった」と表明した。
  • 京成バス幕張本郷駅千葉マリンスタジアム間路線でのロッテ選手音声による自動放送車内アナウンスが流されており、そのうち今江は「皆が気持ちよく利用出来るよう、空き缶、新聞・雑誌は車内に置き去らず、持ち帰って」といった内容を担当している。
  • ピアノが上手で、母校の卒業式に訪れてピアノを演奏したことがある。
  • ロッテ時代の2006年6月11日には、千葉マリンスタジアムの対読売ジャイアンツ(巨人)戦3回表2死1塁で、かつてのチームメイトであった李承燁がロッテ先発の渡辺俊介からライトスタンドへ本塁打を放った。しかし、一塁から本塁へ生還した小関竜也が三塁を踏み忘れていたことを、三塁手の今江が三塁塁審の西本欣司にアピール。さらに、西本が小関の得点の取り消しを宣告されたことによって、スリーアウトチェンジで巨人の攻撃が終了した。ちなみに、公式記録では、李承燁の一打が単打として扱われている。
  • ロッテ時代の2015年には、佐藤健加藤茶マーくん(球団公式マスコットキャラクター)などと共に、親会社の製品(アイスクリーム)である「」のミュージックビデオ「爽だ♪いい湯だな♪2015」へ出演。同年4月13日からは、この動画が同製品のスペシャルサイトで配信された[30]7月12日の対福岡ソフトバンクホークス戦(QVCマリンフィールド)の試合前には、チームメイトの角中勝也香月良仁と共に、親会社の製品である冷菓を球場のゲート付近で数量限定販売。今江は、「クーリッシュ」の売り子を務めた[31]
  • 2015年5月8日には、QVCマリンフィールドの対西武戦6回表1死2・3塁で、三塁手として栗山巧のファウルフライを追っていた今江が西武の三塁コーチ・奈良原浩と衝突。今江が左手に付けていたグラブが弾かれるほどの激しい衝突だったが、三塁塁審の敷田直人は、奈良原に対して守備妨害を宣告した[32]
  • 2015年6月3日の対阪神戦(前述)では、4回表の第2打席で二塁打を放ったものの、チームは6回裏終了の時点で8点差を付けられていた。しかし、7回表に先頭打者として第3打席で三塁打を放つと、2死1・2塁で迎えた第4打席に松田遼馬からシーズン初本塁打(3点本塁打)を記録。この本塁打でチームを同点に導いたばかりか、今江自身にもサイクルヒット達成の可能性が残った。しかし今江は、9回表2死3塁で迎えた最終打席に、安打性のレフトフライで凡退。チームも延長10回裏に、鳥谷敬犠牲フライでサヨナラ負けを喫している[10]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2002 ロッテ 15 25 25 0 5 3 0 0 8 2 0 0 0 0 0 0 0 7 1 .200 .200 .320 .520
2003 5 6 6 0 2 1 0 0 3 1 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .333 .333 .500 .833
2004 41 149 136 12 35 8 2 1 50 18 0 1 3 2 5 0 3 21 1 .257 .295 .368 .663
2005 132 509 461 58 143 35 3 8 208 71 4 1 10 5 22 4 11 62 16 .310 .353 .451 .804
2006 126 489 457 49 122 25 2 9 178 47 3 2 11 3 17 0 1 74 9 .267 .293 .389 .682
2007 102 338 305 32 76 14 2 9 121 42 0 0 12 4 13 1 3 55 8 .249 .283 .397 .680
2008 117 450 405 57 125 37 4 12 206 55 3 1 14 6 19 1 6 48 7 .309 .344 .509 .853
2009 113 441 409 35 101 19 2 9 151 60 2 3 12 2 12 0 6 60 17 .247 .277 .369 .646
2010 140 596 531 74 176 37 1 10 245 77 8 3 30 5 22 0 8 66 10 .331 .364 .461 .825
2011 134 543 499 53 134 30 1 8 190 51 2 1 10 6 20 0 8 48 13 .269 .304 .381 .685
2012 136 501 446 45 113 21 3 6 158 47 0 3 23 8 19 0 5 37 15 .253 .287 .354 .641
2013 132 551 508 44 165 26 0 10 221 74 5 2 2 11 26 2 4 45 12 .325 .355 .435 .790
2014 120 478 445 48 120 23 3 10 179 54 1 1 4 1 23 2 5 43 13 .270 .312 .402 .714
2015 98 400 373 40 107 18 4 1 136 38 2 2 0 2 16 1 9 35 17 .287 .330 .365 .695
NPB:14年 1411 5476 5006 547 1424 297 27 93 2054 637 30 20 131 55 214 9 69 603 139 .284 .319 .410 .733
  • 2015年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]


二塁 三塁 遊撃
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2002 2 0 0 0 0 ---- 9 5 9 1 0 .933 4 1 3 1 0 .800
2003 1 0 0 0 0 ---- 2 1 1 0 0 1.000 -
2004 - 41 32 55 3 4 .967 -
2005 1 0 1 0 0 1.000 132 99 264 9 24 .976 -
2006 - 125 78 225 12 24 .962 -
2007 - 99 64 183 5 6 .980 -
2008 - 117 98 174 6 4 .978 -
2009 - 111 86 185 9 13 .968 -
2010 - 137 125 257 17 28 .957 -
2011 - 127 91 200 6 9 .980 -
2012 - 134 106 209 11 10 .966 -
2013 - 130 83 202 9 19 .969 -
2014 - 117 77 159 10 13 .959 -
通算 4 0 1 0 0 1.000 1162 847 1949 92 150 .968 4 1 3 1 0 .800
  • 2014年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
日本シリーズ記録
  • 初打席本塁打:2005年10月22日、対阪神タイガース1回戦(千葉マリンスタジアム)、1回裏に井川慶から左越先制ソロ ※史上13人目
  • 最多連続打席安打:8本(2005年10月22日 - 23日)
  • 最多連続打数安打:8本(2005年10月22日 - 23日)
  • 1試合最多安打:4本(史上20人目22、23回目)(2005年10月22、23日)

背番号[編集]

  • 25 (2002年 - 2004年)
  • 8 (2005年 - )

関連情報[編集]

出演[編集]

テレビ番組

脚注[編集]

  1. ^ a b c 【Gスピリット賞】今江、新天地でも「活動続けます」憧れミスターと野球談議に花”. スポーツ報知 (2015年11月26日). 2015年11月27日閲覧。
  2. ^ 『プロ野球全記録 (2002年版)』、実業之日本社、25頁。ISBN 4-408-61577-3
  3. ^ 他での使用例 : オリコンスタイル[1]2015年9月11日閲覧
  4. ^ 2006 Tournament Roster WBC公式サイト 英語 2015年8月2日閲覧
  5. ^ 今江が新主将に就任 PL主将時代のトラウマと決別”. スポニチ Sponichi Annex (2012年2月1日). 2012年2月6日閲覧。
  6. ^ 今江が1軍合流 本拠地開幕戦から出場へ”. スポニチ Sponichi Annex (2014年3月31日). 2015年1月13日閲覧。
  7. ^ デスパイネいないね…好調ロッテ今江、開幕4番指名”. 日刊スポーツ (2015年3月22日). 2015年11月26日閲覧。
  8. ^ ロッテ今江「耳すれただけ。大丈夫」頭部死球で交代”. 日刊スポーツ (2015年5月22日). 2015年11月26日閲覧。
  9. ^ ロッテ今江悔し「ファウルで終わった」サイクル逃す”. 日刊スポーツ (2015年5月23日). 2015年11月26日閲覧。
  10. ^ a b ロッテ今江、単打残しサイクル逃す「持ってない…」”. 日刊スポーツ (2015年6月3日). 2015年11月26日閲覧。
  11. ^ ロッテ今江、岸田の死球で左手骨折 全治6~8週間”. 日刊スポーツ (2015年7月14日). 2015年11月26日閲覧。
  12. ^ ロッテ、逆転負けも2カ月ぶり復帰今江が好打好守”. 日刊スポーツ (2015年9月11日). 2015年11月26日閲覧。
  13. ^ トップチーム第一次候補選手発表!11月に行われる「WBSC世界野球プレミア12」へ向けて65名が名を連ねる 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年7月16日) 2015年8月4日閲覧
  14. ^ ロッテ今江が海外FA権行使「決断に本当に悩んだ」日刊スポーツ(2015年11月10日)
  15. ^ 2015年度 フリーエージェント宣言選手 - 2015年11月17日閲覧
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]