服部泰卓

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服部 泰卓
Yasutaka Hattori.jpg
ロッテ時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 徳島県美馬市
生年月日 1982年9月10日(33歳)
身長
体重
173 cm
71 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2007年 大学生・社会人ドラフト1巡目
初出場 2010年3月21日
最終出場 2014年9月24日
年俸 1,800万円(2015年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

服部 泰卓(はっとり やすたか、1982年9月10日 - )は、大阪府高槻市生まれ・徳島県美馬市出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物[編集]

プロ入り前[編集]

高槻市で出生後に、実父の転勤に伴って転居を繰り返した。小学校5年生の時に、徳島県美馬市へ転入した[1]

徳島県立川島高校では1年夏からベンチ入りした[2]が、同年秋に肘を故障し本格的な投球練習ができなくなった[3]。3年春の県大会では投打の柱としてベスト4進出に貢献し[4]、第3シードとなった夏の県大会では自身も135km/hの速球を武器に大会ナンバーワン投手という評価を得ていた[5]。しかし3回戦で阿竹智史を擁する徳島商と対戦し、リズムに乗れずにコールドで敗れている[5]

駒澤大学へ進学すると、4年生の秋季リーグ戦では3連続完封勝利を含む[6]6勝4敗の成績で初めてベストナインに選ばれた[7]。東都大学1部リーグでの通算成績は40試合に登板し11勝7敗、防御率2.04、110奪三振だった。

大学卒業後に、トヨタ自動車へ入社した。2年目の2006年には、上野弘文などとともに主力投手として活躍[8]都市対抗では、予選4試合全てで先発を任された[9]。また、同年には、第23回ハーレムベースボールウィーク第15回アジア大会で日本代表に選ばれている。

2007年には、トヨタ自動車のエースとして都市対抗に出場。NTT西日本との1回戦で、3塁を踏ませずに完封勝利を収めた[10]。また、秋の日本選手権では、登板した4試合中3試合で完投勝利を記録。チームの初優勝に貢献するとともに、最優秀選手のタイトルを獲得した。この年には、公式戦で通算19勝1敗という好成績を残した[1]ことから、投手として社会人ベストナインにも選ばれた。

2007年の大学・社会人ドラフト会議では、重複指名による抽選で大場翔太の交渉権を逃した日本ハム長谷部康平の交渉権を逃した埼玉西武ライオンズおよび、千葉ロッテマリーンズから1巡目で指名。抽選でロッテが交渉権を獲得した末に、契約金1億円+出来高5,000万円、年俸1,500万円(金額は推定)という条件で入団した[11]

プロ入り後[編集]

2008年には、イースタン・リーグ公式戦20試合に登板。しかし、2勝6敗、防御率6.99という成績にとどまった。

2009年には、1月19日に一般女性と結婚。イースタン・リーグ公式戦では、23試合の登板で、4勝3敗、防御率4.32という成績を残した。しかし、この年までは一軍公式戦への登板機会がなかった。

2010年には、プロ入り後初めて、公式戦の開幕を一軍で迎えた。一軍公式戦への初登板も果たしたが、全体では8試合の登板で9失点を喫したため、防御率は14.29に達した。

2011年には、一軍公式戦5試合に登板。一軍初ホールドを記録したが、通算の投球回数はわずか1回3分の2で、防御率も2年連続で10点台を記録した。

2012年には、イースタン・リーグ34試合に登板。3勝0敗、防御率4.30という成績を残したが、3年振りに一軍公式戦への登板がなかった。

2013年には、4年振りに公式戦の開幕を一軍で迎えると、オリックスバファローズとの開幕戦(3月29日・QVCマリンフィールド)の延長12回表2死から8番手投手として登板。ベンチ登録の投手では最後の登板だったが、左打者の糸井嘉男を3球で抑えると、その裏にチームが逆転サヨナラ勝ちを収めたため一軍で初めての勝利投手になった[12]。この試合以降は、左打者対策の救援要員として一軍に定着。一軍公式戦で自己最多の51試合に登板するとともに、防御率3.38を記録した。通算投球回数が32回にもかかわらず、被本塁打数はわずかに1本で、自身と同じく伸び悩んでいた左腕投手の古谷拓哉と共にチームのシーズン3位に貢献した。

2014年にも、公式戦の開幕を一軍で迎えた。一軍公式戦全体では、通算9試合に登板。しかし、投球回数は8回3分の2にとどまったうえに、被本塁打数が2本、防御率が8点台と振るわなかった。

2015年には、イースタン・リーグ33試合に登板。2勝1セーブ、防御率4.91という成績を残したが、一軍公式戦への登板機会はなかった。10月3日に球団から戦力外通告を受けた[13]ことを機に、現役を引退[14]

プレースタイル[編集]

内外角に投げ分けるコントロール[15]と安定感があり、高速スライダーカーブスクリューボールなどを投げる[1]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2010 ロッテ 8 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 36 5.2 15 0 4 0 0 5 0 0 9 9 14.29 3.39
2011 5 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 8 1.2 4 0 0 0 0 1 0 0 2 2 10.80 2.50
2013 51 0 0 0 0 2 1 0 20 .667 139 32 31 1 10 0 3 21 1 1 12 12 3.38 1.28
2014 9 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 48 8.2 14 2 8 0 2 3 0 0 8 8 8.31 2.54
通算:7年 73 0 0 0 0 2 1 0 22 .667 231 48.0 64 3 22 0 5 30 1 1 31 31 5.81 1.79
  • 2014年度シーズン終了時

記録[編集]

背番号[編集]

  • 20 (2008年 - 2015年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c 朝日新聞、2007年11月20日付朝刊、徳島地方面
  2. ^ 朝日新聞、1998年6月27日付朝刊、徳島地方面
  3. ^ 朝日新聞、1999年7月20日付朝刊、徳島地方面
  4. ^ 朝日新聞、2000年6月28日付朝刊、徳島地方面
  5. ^ a b 朝日新聞、2000年7月21日付朝刊、徳島地方面
  6. ^ 毎日新聞、2009年5月9日付朝刊、P.12
  7. ^ 読売新聞、2004年11月6日付朝刊、P.18
  8. ^ 毎日新聞、2006年6月8日付朝刊、愛知地方面
  9. ^ 毎日新聞、2006年8月27日付朝刊、愛知地方面
  10. ^ 毎日新聞、2007年8月27日付朝刊、愛知地方面
  11. ^ 読売新聞、2007年12月7日付朝刊、P.23
  12. ^ 服部 わずか3球でうれしいプロ初勝利!”. スポニチannex (2013年3月29日). 2013年4月8日閲覧。
  13. ^ 来季契約について 千葉ロッテマリーンズ公式サイト 2015年10月3日閲覧。
  14. ^ 惜別球人2015【ロッテ】服部 泰卓投手 スポーツニッポン 2015年12月22日閲覧。
  15. ^ 読売新聞、2007年11月20日付朝刊、P.27

関連項目[編集]

外部リンク[編集]