稲田直人

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稲田 直人
20120320 Naoto Inada,infielder of the Tohoku Rakuten Golden Eagles,at Yokohama Stadium.JPG
楽天時代
(2012年3月20日、横浜スタジアムにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県廿日市市
生年月日 (1979-11-06) 1979年11月6日(37歳)
身長
体重
177 cm
79 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手
プロ入り 2003年 ドラフト5位
初出場 2006年6月18日
最終出場 2012年8月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

稲田 直人(いなだ なおと、1979年11月6日 - )は、広島県廿日市市出身の元プロ野球選手内野手)。右投左打。引退後は、野球解説者スポーツキャスター

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

1979年に廿日市市で生まれる。中学までは投手だったが、広陵高校遊撃手に転向。2年次の夏からレギュラーとなり、秋季は中国地区大会にも進出したが、準々決勝で敗れた。3年夏の全国高等学校野球選手権広島大会では3回戦で広島県瀬戸内高等学校に敗れている。卒業後は駒澤大学へ進学し、同野球部では1年次からレギュラーを務め、4年秋に大学日本一となった。東都大学リーグ通算88試合出場、294打数73安打、打率.248、0本塁打、21打点。

大学卒業後は、社会人野球NKKへ入団。先頭打者として第73回都市対抗野球大会ベスト8進出に貢献し、若獅子賞を獲得した。その後、日本鋼管(NKK)と川崎製鉄との経営統合によってJFEスチールが発足し、野球部も統合されJFE西日本となった後も、そちらに移籍しプレーを続け、2003年第74回都市対抗野球大会では1回戦で敗退したが遊撃手としての守備力が買われ、同年秋のドラフト会議北海道日本ハムファイターズに5巡目で指名され、入団。

日本ハム時代[編集]

入団当初は金子誠を脅かす即戦力として期待されたが、2004年2005年ともに一軍出場なし。イースタン・リーグでは打率.273(2005年)を残したほか、遊撃手のみでは活躍の場が得られないとして、二塁手を中心に内野の4ポジション全てで起用された。

2006年6月18日に一軍初出場を果たし、同年7月1日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(札幌ドーム)では、プロ初打席で二塁打を放った。7月9日の対西武ライオンズ戦(インボイスSEIBUドーム)では三塁手として初先発起用され、以降はホセ・マシーアス飯山裕志との併用で出場する機会も増えた。

2007年は開幕から一軍入りし、一塁手・三塁手、または代打で起用された。9月からは一塁手のレギュラーとして起用され、ポストシーズンでも10試合中8試合に先発出場。先発でない試合でもベンチでムードメーカーとしての役割を果たし、一軍に定着した。

2008年も開幕を一軍で迎えるが、死球による手の骨折で離脱。復帰後もベンチを暖めることが多かった。打率が低迷する時期が長かったが、6月17日の対広島東洋カープ戦(広島市民球場)でスタメン起用されると猛打賞を記録し、故郷に錦を飾った。

2009年は一塁に高橋信二、三塁に小谷野栄一が定着したために出場機会が減少するが、試合終盤の守備要員で起用されるだけでなく、8月6日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)では9回表に決勝適時打を放つなど、代打の打率が4割を超える活躍を見せた。同年11月25日、加藤武治松家卓弘関口雄大との交換トレードで、坂元弥太郎松山傑と共に横浜ベイスターズへ移籍した。背番号は32

横浜時代[編集]

横浜時代(2010年)

2010年は開幕一軍メンバーに入るものの、22試合の出場に留まった。オフに背番号を00に変更した。

2011年は左の代打や、ブレット・ハーパーの守備固めとして起用された。7月10日の中日ドラゴンズ戦では代打で決勝適時打を打ち、三浦大輔のシーズン初勝利を演出した。一軍で61試合に出場したが、10月9日に球団から戦力外通告を受けた[1]。 その後、12月6日に東北楽天ゴールデンイーグルスが獲得を発表[2]

楽天時代[編集]

2011年12月8日に川島亮加藤大輔定岡卓摩と共に入団会見を行った。背番号は0。 しかし、2012年は一軍では2試合のみの出場に終わり、シーズン終了後の11月4日、戦力外通告を受けた[3]。同年11月17日、現役引退を発表[4]

引退後[編集]

一時は楽天球団スタッフに就任する予定と報じられた[5][6]が、2013年より、札幌テレビ放送(STV)・STVラジオGAORA専属契約を結び、野球解説者・スポーツキャスターに就任すると発表[7][8]。1月29日放送の『どさんこワイド』より活動を開始した[9]。 初年度のみテレビ中継での試合解説を担当しなかったが[10]、2014年度からはテレビ中継時の解説も行っている。2016年は北海道文化放送の中継にも出演した。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2006 日本ハム 33 72 63 5 17 3 2 0 24 3 0 0 4 1 3 0 1 14 1 .270 .309 .381 .690
2007 83 175 160 15 44 2 1 0 48 14 0 1 8 2 5 1 0 23 3 .275 .293 .300 .593
2008 99 211 185 10 41 1 1 0 44 12 3 0 18 0 6 1 2 13 2 .222 .254 .238 .492
2009 65 67 65 4 18 3 0 0 21 7 1 0 0 0 2 0 0 7 1 .277 .299 .323 .622
2010 横浜 22 24 21 3 6 1 0 0 7 1 0 0 1 0 2 1 0 3 0 .286 .348 .333 .681
2011 61 42 42 4 10 1 0 0 11 2 0 0 0 0 0 0 0 11 0 .238 .238 .262 .500
2012 楽天 2 4 4 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .250 .250 .250 .500
通算:7年 365 595 540 41 137 11 4 0 156 39 4 1 31 3 18 3 3 71 8 .254 .280 .289 .571

記録[編集]

背番号[編集]

  • 54 (2004年 - 2007年)
  • 5 (2008年 - 2009年)
  • 32 (2010年)
  • 00 (2011年)
  • 0 (2012年)

関連情報[編集]

書籍[編集]

連載[編集]

  • 稲田直人のお悩み相談室→稲田直人のお悩み相談室2008→イナダの部屋(日本ハム選手時代、同球団公式情報誌『Fighters Magazine』に連載)

出演[編集]

※特記ない限りSTVでの番組。

脚注[編集]

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  1. ^ 2012年の選手契約について”. 横浜ベイスターズ (2011年10月9日). 2013年3月16日閲覧。
  2. ^ 契約合意に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年12月6日). 2011年12月6日閲覧。
  3. ^ 来季の選手契約に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2012年11月4日). 2012年11月4日閲覧。
  4. ^ 稲田直人選手の現役引退に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2012年11月18日). 2012年12月28日閲覧。
  5. ^ 楽天・稲田が現役引退、今後はスタッフに”. サンケイスポーツ (2012年11月17日). 2013年3月12日閲覧。
  6. ^ 楽天・稲田が現役引退、球団スタッフに転身”. スポーツニッポン (2012年11月17日). 2013年3月12日閲覧。
  7. ^ STV広報のツイッター・2013年1月25日
  8. ^ 『プロ野球コンプリート選手名鑑2013年度版』P255より、STVラジオの解説者として稲田のプロフィールが掲載。
  9. ^ 『どさんこワイド』2013年1月29日放送分「特集コーナー」後記(STV公式サイト内)より、同番組スポーツキャスターへの就任についてつづられている。
  10. ^ ただし、3塁側ベンチサイドにあるカメラマン席に陣取り、そこからレポートすることが度々あった。

参考資料[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]