小谷野栄一

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小谷野 栄一
オリックス・バファローズ #31
小谷野栄一20150305.JPG
2015年3月5日、京セラドーム大阪にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都江東区[辰巳]
生年月日 (1980-10-10) 1980年10月10日(36歳)
身長
体重
177 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手一塁手外野手二塁手
プロ入り 2002年 ドラフト5巡目
初出場 2003年9月25日
年俸 6,481万円(2017年)
※2015年から3年契約[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

小谷野 栄一(こやの えいいち、1980年10月10日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手内野手外野手)。愛称は「栄ちゃん」。

来歴・人物[編集]

プロ入り前[編集]

リトルシニアリーグでは江戸川区の江戸川南リーグに所属。松坂大輔とチームメイトだった。創価高校3年春(1998年)に甲子園(第70回選抜大会)に出場し、2回戦でPL学園高校のエース上重聡に完封負けを喫し自身は3番二塁手でフルイニング出場4打数無安打。

創価大学に内部進学し金森久朋と同級生、1年秋からレギュラーとして出場し、公式戦通算打率.343、打点53、ベストナインを4度、最多打点を2度獲得。1年時の明治神宮野球大会では青山学院大学と対戦し、石川雅規から6打数3安打(再試合を含む)を記録した。4年時の全国大学野球選手権では早稲田大学和田毅から4安打を放った。3、4年時には同大学の臨時コーチとして迎えられた山内一弘の指導を受けていた。4年生では日米大学野球選手権大会日本代表選手としても活躍。

2002年のドラフト会議日本ハムファイターズから5位指名を受け入団。

日本ハム時代[編集]

2003年
二軍で打率.303、イースタン・リーグ最多安打(111安打)、チームトップの14本塁打。同年終盤に一軍昇格し、プロ初出場・初安打を記録した。
2004年
5月23日大阪近鉄バファローズ戦で打ったプロ3本目の安打は初の適時打かつサヨナラ安打であり、このとき挙げた打点が初打点だった。
2005年
5月に一軍に再昇格し、6月の阪神タイガース戦でプロ初本塁打を記録。二塁手で6試合、左翼手で15試合、一塁手で20試合に起用され、長打力だけでなくユーティリティーぶりもアピールした。9月の札幌ドームでの試合前に新庄剛志森本稀哲稲葉篤紀石本努との5名で同じデザインのかぶりもの(新庄の顔を模った仮面で「SHINJO5」と命名)を被り、ユニフォームも全員で「背番号:1、背ネーム:SHINJO」のものを着用してシートノックを受けるというパフォーマンスを披露した[2]
2006年
外野手登録となる。一軍では先発出場は4試合のみで打率は1割台だった。二軍では打率.295、5本塁打を記録した。この年にパニック障害を発症、一時期は打席に立てなくなったこともある。現在でも完治はせずに闘病しながらグラウンドに立ち続けており、同じ病気で苦しむ人たちに勇気を与えている。
2007年
開幕二軍スタートも4月14日に一軍昇格。三塁手として87試合、一塁手として45試合、左翼手として12試合で起用され、中盤以降は三塁手のレギュラーに定着。セ・パ交流戦では6月23日の対阪神タイガース戦で優勝を決める決勝本塁打を放つなど、再三の殊勲打を放つ活躍を見せた。9月9日には勝負強さを買われてプロ入り後初となる四番で先発出場するなど、1、2番以外のすべての打順で出場した(他の年には二番打者としての先発出場があり、一番以外の全ての打順で先発出場を経験している)。
2008年
初めて開幕戦に先発出場するも開幕当初は不振でケガもあったが、その後徐々に調子を上げてきた。得点圏打率が3割を超え、60打点を挙げた。特に埼玉西武ライオンズとの対戦では打率3割、本塁打3、打点10、得点圏打率5割と勝負強さを発揮した。
2009年
序盤は4番を務め、その後6番・三塁手のレギュラーに定着し、初めて規定打席に到達した。9月まで打率3割をキープし、最終的には.296に終わったが、初球時の打率が.425と高く、初の二桁本塁打(11本)、リーグ6位の157安打、リーグ7位の82打点を記録した。シーズン中は本塁打を打った全ての試合で勝利した(日本シリーズ第3戦でも本塁打を打ったが、この試合では敗戦)。守備面では三塁手で134試合、一塁手で43試合に出場し、試合終盤に三塁から一塁へ移る場面がよく見られた。三塁守備でこの年リーグトップの守備率.982を残し、自身初のゴールデングラブ賞を受賞した。
2010年
主に4番に座り、チームで唯一全144試合に出場。4月は打率.238、OPS.588と不振にあえいだが、5月以降は打率.331、OPS.874と徐々に調子を上げ、8月には打率.364、2本塁打、29打点、OPS.908の活躍で月間MVPを獲得した。シーズンを通して左投手に対して打率.370、OPS.970と結果を残し、最終的には自己最高となる打率.311、109打点、OPS.811をマークし、自身初の打撃タイトルとなる最多打点を獲得。ゴールデングラブ賞とベストナインにも選出された。オフの契約更改では1億円プレーヤーに到達。また札幌ドームで優秀な成績を収めた選手に贈られる、札幌ドームMVP賞を受賞した。
2011年
オープン戦で右手首を骨折し、さらに5月24日横浜ベイスターズ戦で走塁中に脚を負傷し戦線離脱するなど故障に苦しむシーズンとなった。復帰後も不振が続き、リーグワーストの打率.237、同じくワースト2位の15失策を記録するなど攻守に精彩を欠いた。11月18日タレント亜咲美と結婚することを発表[3]
2012年
高校の先輩の栗山英樹が監督となる。他の主力選手の休養などから2番打者としての出場が多くなり、他は5~8番と役回りがめまぐるしく変化した。しかし、それに対応できず、持ち前の勝負強さが影を潜める。最終的に打率は定位置を確保した2007年以降では自己ワーストで、二年連続リーグワーストの.228に終わった。一方でリーグ最多の40犠打を記録し、守備では2年ぶりにゴールデングラブ賞を獲得した。11月に右肘を手術。
2013年
日本ハム時代(2013年)
開幕は3番で迎え、その後は主に5、6番を任された。打率は過去2年間より持ち直したものの、出塁率はリーグワースト3位、さらに守備面ではリーグワーストの19失策を記録するなど、課題の残るシーズンであった。シーズン中に国内FA権を取得し、去就が注目されたが、行使せず残留。
2014年
昨シーズン終了後、それまで左翼手として出場していた後輩の中田翔が三塁手に再転向。オープン戦では主に一塁の守備に就いた。しかし、中田の守備が安定せず、その影響で打撃不振に陥ったこともあり、終盤には「レフト中田・サード小谷野」という昨シーズンまでの守備位置に戻った。3月28日の開幕戦は「6番・サード」で先発出場、延長12回裏・一死満塁の場面で、レフト前にサヨナラタイムリーを放った。5月1日の西武戦で本塁でのクロスプレーで相手選手と交錯してしまい、右膝副靭帯損傷により約2ヶ月ほど離脱。さらに、離脱期間中に三塁手を務めた近藤健介が小谷野の復帰後も引き続き三塁手で起用されるなどもあり、出場試合数は84試合に留まる。
シーズン終了後に海外フリーエージェント権を行使。日本ハムからの残留要請に加え、西武、オリックスが獲得の意向を示し、11月26日札幌市内の球団事務所でオリックスへの移籍を表明。翌27日にはオリックスから3年契約3億円での獲得が発表された。

オリックス時代[編集]

2015年

開幕戦を7番三塁手でスタメン出場した。その後も三塁手や一塁手としてスタメン出場を重ねるが、左脚を痛めた影響で月7日に登録抹消。一旦復帰するが、6月2日のDeNA戦で左脚の痛みが再発。結局、左太もも裏肉離れで翌日に抹消となった。シーズン終盤に復帰するが、前述したケガの影響から56試合の出場に終わった。

選手としての特徴[編集]

小谷野のスイング(2012年)

打撃[編集]

2010年にはボール球のスイング率が20パーセントを越えるなど選球眼には欠けるものの、打撃では弱点が少なく、外角球を右方向に運ぶ技術も備える[4]。 2007年から2010年まで得点圏打率.294を記録しており、特に2010年には同.350を残した勝負強い打撃も持ち味とする。しかし、統一球が導入された2011年からは通算打率.247と成績が落ち込んでいる。

守備・走塁[編集]

内野と外野の両方を守れるユーティリティープレイヤーで、入団時は内野手登録。2006年から外野手として登録されたが、2008年からは再び内野手登録となり、 2009年以降は一塁手、または三塁手として出場している。

2009年から2年連続でゴールデングラブ賞を獲得した三塁守備は打球反応が良く[4]、フライの処理に優れるが[5]、翌2011年は三塁守備でリーグワースト2位の15失策を記録しており、2013年にはリーグワーストの19失策を記録するなど、近年は守備面でも衰えを隠せなくなってきている。

一塁到達まで4.37秒と足も遅くなく、時折盗塁もマークする脚力があるが[4]、通算の盗塁成功率は69パーセントと低い。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2003 日本ハム 4 9 8 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .125 .222 .125 .347
2004 18 37 33 5 3 1 0 0 4 2 0 0 1 0 2 0 1 9 0 .091 .167 .121 .288
2005 48 101 95 11 22 4 0 3 35 15 1 0 1 0 5 0 0 26 4 .232 .270 .368 .638
2006 17 26 21 0 3 0 0 0 3 1 0 0 3 0 2 0 0 6 1 .143 .217 .143 .360
2007 113 398 364 39 92 12 1 5 121 37 5 1 10 4 16 0 4 57 6 .253 .289 .332 .621
2008 120 425 379 32 95 21 1 6 136 60 0 0 9 6 29 1 2 83 6 .251 .303 .359 .662
2009 138 581 530 65 157 33 4 11 231 82 7 1 16 2 27 3 6 95 21 .296 .336 .436 .772
2010 144 614 569 73 177 41 0 16 266 109 8 3 6 7 29 2 3 87 17 .311 .344 .467 .811
2011 129 525 473 43 112 21 1 5 150 47 1 1 6 7 35 1 4 90 17 .237 .291 .317 .608
2012 134 550 478 31 109 20 1 3 140 39 6 2 40 1 27 0 4 72 8 .228 .275 .293 .568
2013 139 559 512 57 141 23 1 3 175 46 2 5 8 10 26 0 3 77 9 .275 .309 .342 .651
2014 84 274 243 22 72 21 0 4 98 29 0 1 5 1 22 1 3 40 4 .296 .361 .403 .764
2015 オリックス 56 206 183 19 54 9 0 4 75 22 0 1 5 2 13 1 3 22 7 .295 .348 .410 .758
2016 50 189 177 14 44 6 0 4 62 13 1 0 8 0 3 0 1 30 3 .249 .265 .350 .615
NPB:14年 1194 4494 4065 391 1082 205 9 64 1497 502 31 15 118 40 237 9 34 695 103 .266 .309 .368 .677
  • 2016年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]

年度 一塁 二塁 三塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2003 - 3 7 5 0 1 1.000 - -
2004 2 7 1 1 0 .889 10 12 11 0 3 1.000 2 1 0 0 0 1.000 -
2005 20 70 5 0 7 1.000 6 8 0 0 3 1.000 - 15 15 1 0 0 1.000
2006 1 2 0 0 0 1.000 - - 4 8 1 0 0 1.000
2007 45 185 10 0 13 1.000 - 87 40 146 3 18 .984 12 17 1 0 0 1.000
2008 70 262 16 0 25 1.000 - 72 28 81 4 8 .965 36 54 2 0 0 1.000
2009 43 103 6 0 7 1.000 - 134 88 233 6 22 .982 -
2010 9 15 0 1 2 .938 - 143 72 256 12 17 .965 -
2011 8 26 2 0 4 1.000 - 127 70 216 15 16 .950 -
2012 10 16 5 0 2 1.000 - 131 82 220 10 12 .968 -
2013 41 101 6 1 5 .991 - 132 89 203 18 17 .942 -
2014 24 98 9 0 4 1.000 - 59 33 89 6 8 .953 -
2015 24 125 6 0 6 1.000 - 42 23 70 4 6 .959 -
2016 21 94 6 0 10 1.000 - 41 23 57 3 4 .964 -
通算 318 1104 72 3 85 .997 19 27 16 0 7 1.000 970 549 1571 81 128 .963 67 94 5 0 0 1.000
  • 2016年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 53 (2003年 - 2004年)[注 3]
  • 31 (2005年 - 2009年、2015年 - )
  • 5 (2010年 - 2014年)

登場曲[編集]

  • AI 『It's show time』
  • NYCCA 『Keep on trying』
  • NYCCA 『NO.1』
  • NYCCA & Def Tech 『grand slam』 - 友人である両グループが小谷野のために書き下ろした曲。[6]
  • ハジ→ 『おまえに。』

関連情報[編集]

著書[編集]

  • 『心で勝つ 技で勝つ』(2010年04月 潮出版社)

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 2リーグ制導入以降、シーズン本塁打20未満で最多打点のタイトルを獲得したのは両リーグを通じて1993年ロバート・ローズ横浜ベイスターズ)以来史上5人目(6度目)。パシフィック・リーグに限定すると1951年と翌1952年飯田徳治南海ホークス)以来58年ぶりで、日本ハムおよびその前身球団の選手としては史上初。
  2. ^ 同じ2010年に井口資仁千葉ロッテマリーンズ)も達成しているが、シーズン終了直後に比べると小谷野のほうが早い。
  3. ^ 元々は50に内定していたが、53に変更された。このとき同時に53に内定していた紺田敏正52に変更となっている。

出典[編集]

  1. ^ オリックス小谷野けがで現状維持更改…2年分暴れる - 野球”. 日刊スポーツ (2016年12月2日). 2016年12月5日閲覧。
  2. ^ 前代未聞!? 「新庄劇場」の数々新庄カウントダウン プロ野球 : nikkansports.com、2015年8月29日閲覧。
  3. ^ 小谷野がタレント亜咲美と結婚「良い時も悪い時も支えてくれた」 - スポーツニッポン 2011年11月18日
  4. ^ a b c 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰 『プロ野球スカウティングレポート2011』 廣済堂出版、2011年、150-151頁。ISBN 978-4-331-51519-8
  5. ^ Baseball Lab守備評価~Third BasemanSMR Baseball Lab
  6. ^ 2014年選手登場曲北海道日本ハムファイターズ、2016年11月11日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]