糸井嘉男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
糸井 嘉男
阪神タイガース #7
Itoi yoshio.jpg
オリックス時代
(2016年5月17日 こまちスタジアムにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府与謝郡与謝野町[1]
生年月日 (1981-07-31) 1981年7月31日(35歳)[2]
身長
体重
187[2] cm
88[2] kg
選手情報
投球・打席 [2]投左[2]
ポジション 外野手
プロ入り 2003年 自由獲得枠[2]
初出場 2007年[2]
年俸 2億8,000万円(2017年)
※2017年から4年契約、総額18億[3]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2013年

糸井 嘉男(いとい よしお、1981年7月31日 - )は、阪神タイガースに所属する京都府与謝郡与謝野町出身[4]プロ野球選手外野手)。

NPB史上初の6年連続打率3割・20盗塁ゴールデングラブ賞達成者[5]および、NPB史上最年長盗塁王記録保持者[6]。愛称は「超人[7][6]ヨッピ[8]

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

中学時代は学校の野球部に所属し軟式でプレー。無名の選手だった。3年時、勝てば府大会へと繋がる試合の直前、練習中に糸井がベンチに座りこんでいたのを見つけた顧問の教師に「帰れ!」と怒鳴られ、帰宅してしまう[9][10]。そのためチームも早々に敗退してしまい、強豪校からの誘いを受けられず、岩滝町に隣接する宮津市にある宮津高校に進学した[9]

高校入学直後に中学時代から割れていた膝の皿を手術[11]。リハビリを行い2年時にようやく走れるようになる[9]。2年の春先の練習試合で復帰登板を果たすが一人に投げ終えた所ですぐに肩の痛みを発症し降板[11][12]。今度は肩を手術することとなり、その後医師の許可が降りた3年春からようやく復帰[12]。実質3年時の4ヵ月しかプレーしていなかったが、投手として阪神のスカウトからも注目される[12]。それでもドラフト会議での指名が確実ではなかったことから4年後を見据え、近畿大学に進学した[13]

近大野球部では、1年秋から先発を務めていた同学年でエースの野村宏之や、1学年下の貴志款八(その後日本新薬)の陰に隠れ、3年時の2002年春まで関西学生野球連盟のリーグ戦出場がなかった。しかし同年の秋季リーグでデビューを果たすと、4年時の春季リーグではエースとして2度の完封勝利を含む5連勝(無敗)の大活躍でリーグMVP・最優秀投手・ベストナインの三冠に輝いた。大学通算成績は9勝1敗であった。同期には田中雅彦中村真人らがいる。

2003年11月19日に行われたプロ野球ドラフト会議北海道日本ハムファイターズに自由獲得枠で指名され入団。背番号は「26」。

プロ入り後[編集]

日本ハム時代[編集]

2004年~2005年は、2年間は一軍登録されることはなく、二軍では通算36試合に登板し、8勝9敗3セーブ防御率は4.86であった。

2006年4月25日に正式に外野手コンバート。投手として結果を残すことは出来なかった糸井だが、高田繁GMに野手としての素質を見込まれての転向であった。すると転向僅か5ヶ月にして9月度のイースタン・リーグ月間MVPを受賞(月間打率.397)。2軍のシーズン成績は打率.306、8本塁打、8盗塁を記録。シーズン中の一軍出場はなかったが、11月のアジアシリーズでは出場登録28人枠入りし、11月11日のチャイナスターズ(中国野球リーグ選抜チーム)戦にて途中出場で1軍初出場を果たした。

2007年、2年目にして開幕一軍入りを果たすが、結果を残せずすぐに二軍落ち。その後故障もあったが9月に再昇格し、プロ初安打・初盗塁を記録。しかしその盗塁の際に足を痛めてしまい、すぐに登録抹消となった。二軍では同僚の金子洋平に次ぐイ・リーグ2位の12本塁打をはじめ、打率.319、長打率.579、14盗塁と好成績を残した。

2008年左翼手として初の開幕戦先発出場を果たすものの、3月30日に楽天戦で負った肉離れを押して試合に出続けた事により、故障箇所を悪化させてしまい二軍落ち。一軍復帰後にはプロ入り初を含む5本塁打を打つ。クライマックスシリーズ第1ステージでは1番打者に抜擢された。

2009年は前年に続き開幕スタメン[14]。6月に1軍では初の月間MVPを受賞。「不安ばっかりだったが、必死に練習してきた。起用してくれた監督、コーチ、そして転向を打診してくれた高田監督に感謝したい」と秘めた思いを口にした[14]。7月には監督推薦によりオールスターゲームにも初出場を果たした[15]。初の規定打席に到達し、ゴールデングラブ賞およびベストナインを初受賞した。

2010年6月15日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では1試合4二塁打を放った。イチロー井口資仁ら好打者に並ぶ史上10人目の記録だが「ホンマですか。必死なだけです」と語った[16]。7月1日には、選手間投票により2年連続でのオールスターゲーム選出を果たす。本拠地最終戦の9月26日の西武戦(札幌ドーム)では9回裏にサヨナラ打を放ち、勝利を引き寄せた[16]。オフに背番号は同年まで坪井智哉がつけていた「7」に変更された。背番号7に変更された際、「坪井さんの付けてた背番号なので相当な重みを感じています。」とコメントしていた。この記事を見た坪井は自身の公式ブログで「涙が出そうになった」とコメントし、『7番似合ってるやん!』と糸井にメールしたことを明かしている[17]。2年連続となるゴールデングラブ賞を受賞した。

2011年、相手投手の攻めも厳しさを増し、リーグトップタイの19の死球を受ける[18]。8月に右手小指に死球を受けて骨折しながらも痛みを押して出場を続けた[18][19]。打率はリーグ2位の.319、本塁打も11本放ち3年連続の2ケケタ本塁打を記録した[18]。出塁率は12球団全選手の中で唯一4割を超え、最高出塁率を獲得し、「出塁は毎年意識しており、(タイトルを)獲得できて光栄」と喜びを語った[18]。31盗塁も自己最多でチームトップ[18]。3年連続でゴールデングラブ賞を受賞した[18]。12月13日、9,000万円増の年俸1億9,000万円(推定)でサインし、野手転向者としては石井琢朗が横浜時代の2005年の年俸2億5,000万円に次ぐ高額年俸となった[20]

2012年、打率は4年連続で3割を超える.304をマーク、出塁率は.404で2年連続で最高出塁率のタイトルを獲得[19]。しかし怪我を抱えてのプレーとなり、8月25日の試合前練習で左脇腹を痛め、翌日に登録抹消[19]。「負けられない戦いの中、怪我をして不甲斐なかった」と、患部が完治していない状態で9月7日に3番右翼でスタメン復帰し、7回に右前打を放って意地を見せた[19]。9月に打率.380、15打点でリーグ2位、出塁率.473、長打率.608はリーグトップの成績を記録し[21]、5本の先制打、1本の勝ち越し打を放ってチームの3年ぶりのリーグ制覇の大きな原動力となり[21]</ref>、3年ぶり2度目の月間MVPを獲得。打率は4年連続で3割を超える.304をマーク、出塁率は.404で2年連続で最高出塁率のタイトルも獲得[19]クライマックスシリーズファイナルステージ(札幌ドーム)では初戦と第2戦に2試合連続本塁打を放ちチームの日本シリーズ進出に貢献。初のクライマックス・シリーズMVPを受賞した[22]。オフの11月6日に、「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表に選出[23]。契約交渉では1,000万円増の2億円(推定)の翌年の年俸の提示を受け、これに保留[24]。球団はこのような評価となった理由を「糸井の成績は上がっているわけではない」とした。2度目の交渉からは代理人を伴ったものの交渉は上手くいかなかった[25]

オリックス時代[編集]

2013年1月25日、木佐貫洋大引啓次赤田将吾との交換トレードで、八木智哉と共にオリックス・バファローズへ移籍することが発表された[26]。激震が走った大型トレードに、チームメイトの武田勝は「痛手であることは間違いない。僕らも気持ちの整理をつけてキャンプに臨みたい」と語り[27]、日本ハム時代に一緒にトレーニングをする仲だったという元同僚で現テキサス・レンジャースダルビッシュ有も「糸井さんトレードとか、ありえん」と自身のツイッターにツイートし、衝撃が走ったことを素直に表現した[28]。翌26日にほっともっとフィールド神戸で記者会見した糸井は、「関西出身なので、小さいころからよくテレビで見ていた。優勝目指して頑張りたい」と抱負を語った[29]。なお背番号は日本ハム時代と同じ「7」となった。2月20日に第3回WBC日本代表選手28人に選出された[30][31]。この大会では全7試合に出場し、打率.286、1本塁打、7打点、OPS1.024を記録した[32]オールスターゲームにはファン投票にて両リーグ最多の票を得て出場した[33]。オフの契約更改では自己最高の2億5,000万円プラス出来高(推定)で契約を更改した。その会見の際に「今は将来のことは考えていない。(メジャーへの思いは)でっかい大胸筋の奥に秘めておきます。」と冗談混じりに大リーグ挑戦の思いを一時的に封印すると述べた[34]

2014年5月10日の日本ハム戦(ほっともっとフィールド神戸)では6回に5号先制3点本塁打を放ち、続く7回にも自身初の2打席連続本塁打となる6号ソロ本塁打を放った[35]。6月8日の広島東洋カープ戦(マツダ)ではプロ初の4番に座り、8号決勝2ラン本塁打を放った[36][37]。この試合以降4番として出場し、8月14日からは再び3番に戻ったが、多くの試合で4番として出場した[37]。シーズン終盤まで1位であった盗塁は、過去にパ・リーグでシーズン50試合以上で4番に座り盗塁王を獲得した選手はいないため、パ史上初の「4番で盗塁王」なるかと注目された[37]。7月18日、19日に行われたMAZDAオールスターゲーム2014には、487,246票で2年連続でファン投票両リーグ最多得票を集め[38]、選手間投票でも両リーグ最多得票で選出され[39]、6年連続での出場を果たした。自己最高の打率.331で初の首位打者、同じく出塁率.424で2年ぶり3度目の最高出塁率のタイトルを獲得。2年ぶり4度目のベストナインと、6年連続のゴールデングラブ賞にも選出された。シーズン終了後の日米野球2014には、日本代表[40]の3番打者として出場。契約更改では1億円増の年俸3億5, 000万円プラス出来高払い(推定)でサインしている[41]

2015年、オリックスの主将に就任[42]。一軍公式戦では、5月20日に通算1000安打[43]、7月30日に通算100本塁打、9月2日に通算1000試合出場[44]と節目の記録を次々と達成。その一方で、シーズン序盤から満身創痍の状態で出場を続けた結果、7月2日に右肘靱帯や右足首腱の損傷で戦線を離脱した[45]。そのまま前半戦を終えたが、外野手部門のファン投票で3位に選ばれたオールスターゲームには、指名打者として出場した。後半戦から復帰し、7月30日の日本ハム戦(わかさスタジアム京都)では、プロ入り後初めての地元・京都での公式戦に出場し凱旋を果たす。その試合では1回裏に8号先制2ラン本塁打を放つと、5回裏には勝利を決定づける9号3点本塁打を放ち、この本塁打で一軍公式戦通算100号本塁打を達成した[46]。同時に1試合における自己最多打点も記録。試合後のヒーローインタビューでは、「思いが詰まった球場で(通算100本塁打を)達成できて嬉しい。光栄です」と述べた[47]。ここから調子を上げ、8月は打率.293、6本塁打、18打点、出塁率.409、さらに9・10月は打率.330、出塁率.434、12打点と復調した[48]。シーズン終了後には、推定年俸2億8,000万円(7,000万円減)で契約を更改[49]。さらに、PRP療法(自身から採取した血小板で左膝組織の修復や再生を図る自己多血小板血漿療法)を受けることで、左膝の回復を図った[50]

2016年は開幕戦から10試合連続安打を記録[51]。4月13日の日本ハム戦(京セラドーム大阪)では、5回裏の打席で自身およびチームのシーズン初本塁打を放ち、前日にチームが至った2リーグ制導入後のワーストの開幕13試合連続本塁打無しという記録も止まった[52]。翌日の同カードでは、2試合連続本塁打(ソロ本塁打)でチーム唯一の得点を挙げ、チームにシーズン初の連勝をもたらした[53]オールスターゲームにも、前年に続いてパ・リーグ外野手部門のファン投票で3位に入り、8年連続で出場した。8年連続の出場は、この年の出場選手で最も長い[54]。8月13日の対西武戦(西武ドーム)第1打席で、一軍公式戦4000打数(NPBにおける通算打率の規定打数)に到達[注釈 1]。9月15日の日本ハム戦で1回表にルイス・メンドーサから初球で13号先頭打者本塁打を放ったことを皮切りに、公式戦では自身初の3打数連続本塁打を記録。「同一選手による1回表の先頭打者初球本塁打を含む1試合3本塁打」というNPB史上初の快挙も達成した[56][57]。さらに、次のカードの9月17日・18日のソフトバンク戦(福岡 ヤフオク!ドーム)でも本塁打を放ち、自身初の3試合連続本塁打を記録[58][59]。走塁面では、5月8日の千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)で、一軍公式戦通算200盗塁を記録[60]。35歳の誕生日を迎えた7月31日の対西武戦(京セラドーム大阪)でシーズン自己最多の34盗塁を記録する[61]と、8月下旬からは1番打者に起用された。9月6日のソフトバンク戦(福岡 ヤフオク!ドーム)の7回表にニ盗を成功させたことによって、シーズン50盗塁に到達[62][63][注釈 2]。シーズン終盤には、猛烈な勢いで盗塁数を増やしてきた金子侑司(西武)との間で、熾烈な盗塁王争いを展開。最終的に53盗塁で自身初の盗塁王を獲得した。35歳2ヶ月で盗塁王を獲得するのは史上最年長となる[65]。シーズン終了後にはゴールデングラブ賞(いずれもパ・リーグ外野手部門)を受賞。ゴールデングラブ賞への選出は通算7度目で、セ・パ両リーグの現役選手としては最も多い[66]

3月28日に取得していた国内FA権[67]を11月7日に行使することを表明[68]。11月10日付で、NPBからフリーエージェント宣言選手として公示された[69]。既にシーズン中から読売ジャイアンツ阪神タイガースなどの他球団が、糸井の獲得に興味を示していることを示唆する報道が相次でおり[70][71][72][73]、その一方で、オリックスも推定年俸総額18億円規模の4年契約を提示するなど慰留につとめていた[74][75][76]

阪神時代[編集]

2016年11月21日に、阪神タイガースが契約合意を正式発表[77]。契約期間は4年で、年俸総額は推定18億円以上(推定)[78]。背番号は7[79]

2017年金本知憲監督から早々に正中堅手の座を確約されていたが、1月の自主トレーニング中に右膝の関節炎が再発[80]。春季キャンプでは一軍の「沖縄組」へ参加したものの、本隊と別のメニューによる調整で患部のリハビリを優先させた[81]。3月15日の古巣オリックス戦(京セラドーム大阪)でオープン戦初出場[82]。3月31日のシーズン開幕戦(広島戦、マツダスタジアム)に「3番中堅手」として移籍後公式戦初出場を果たし、四球を選んだあとの3回無死一、ニ塁の第2打席で左中間越えの2点タイムリーツーベースを放った[83]。4回一死ニ塁でもダメ押しの右翼線適時打、7回にも左前打を放ち、この日3安打猛打賞の活躍でタイガースデビューを飾った[84]。移籍初戦でヒーローインタビューを受け、「いろんな意味で大事な試合に活躍できてよかった。一戦一戦、死ぬ気で戦うだけです!」と語った[85]

選手としての特徴[編集]

NPB入り後に投手から野手へのコンバートに成功した選手として知られ[86]、日本を代表する5ツールプレーヤーであり[87]、史上初の「6年連続打率3割・20盗塁ゴールデングラブ賞受賞」を成し遂げている[5]。しかし2015年には膝の故障によりその全てが途絶え(本塁打は17本を記録)、レギュラー定着後最低のシーズンとなったが[88]、オフに左膝の改善を図り、自身から採取した血小板を使って組織の修復や再生を図るPRP注射と呼ばれる治療を受けた[50]。すると2016年には再び打率.306と53盗塁をマークし、ゴールデングラブ賞を受賞。また17本塁打・70打点(共に自己2位)を記録。見事に復活を果たし、年を重ねるごとに進化している[88]

打撃[編集]

8打席に1つ近い割合で四球を選ぶ選球眼を持ち、またカウントに応じて打球方向を変える器用さも持つ[89]

芯でボールを捉えた時に日本人離れした打球の速さと飛距離を見せるパワーを持ち[90]、広い札幌ドームでも左方向に本塁打を放つことができる技術がある[91]。レギュラー定着後8シーズンのうち統一球導入年の2011年2012年以外の全6シーズンで15本塁打以上を記録している。打者転向当初の2008年から2010年までは左投手に対して打率.278と苦手にしていたが、2011年からは対左通算打率.304と克服した[89]

打率と出塁率では、前述したように、2016年シーズン中にNPBの通算成績規定を満たした。通算出塁率.392は、NPB現役選手の最高記録である。また、現役選手からただ1人、歴代出塁率ランキングベストテンにランクイン(史上6位)。さらに、通算打率.302は史上21位で、現役選手では内川聖一に次ぐ2位に相当する[92](いずれも2016年終了時点)。

守備[編集]

一塁到達まで基本的に4秒を切り、バントヒットで一塁到達3.54秒を計測したこともある脚力を生かした広い守備範囲と[93]、投手として最速150km/h台を記録したこともある、遠投120メートルの[94]強肩から繰り出す力強い送球を持ち味とした守備は他の選手を圧倒し、その評価は高い[95]

中堅では、後方の打球に強く、2010年にはUZR0.9を記録[96]。2012年には、右翼守備でUZR25.9を記録[97]。一方で自ら「内野手みたい」と語るなどのポカも多く[98]、2010年から3年連続で外野手リーグ最多失策を記録。2013年には失策数を1に留め、外野手としてリーグ4位の守備率.995を記録したが[99]、UZRは右翼守備でマイナスを記録した(-10.2)[100]

走塁[編集]

牽制でベースに戻ることひとつ取っても、研ぎ澄まされたセンスと能力を持ち合わせていて、盗塁の失敗率が低い[101]。また、スタートを判断する嗅覚に優れている[101]2015年は膝の故障の影響で11盗塁とその数は減少したが、この年のオフに上述のPRP注射を受けたことに加えて膝に負担のかからない走り方をマスターしたことで[102]。2016年9月6日に50盗塁に到達。プロ野球で35歳以上の選手が50盗塁以上を記録した前例は、1983年福本豊が35歳11か月で54盗塁したのみで、糸井は33年振り史上2人目の快挙を成し遂げた[64]。福本、大石大二郎の34歳11ヶ月を上回る35歳2ヵ月での受賞で、史上最年長盗塁王となった。その背景には、その年に就任したヘッドコーチの西村徳文と打撃コーチの高橋慶彦から、「もっと走れる」と言われ上限を定めずに走るようになった影響がある[103]

人物[編集]

父はトライアスロンの元選手で、母はバレーボールの元国体選手[104]。祖父は元高校体育教師で、教え子には野村克也がいる[89]

オリックス移籍後の2015年には、当時の森脇浩司一軍監督からの任命を受けて、野球人生で自身初の主将に就任した[105]。しかし、チームは優勝候補と目されながら、森脇がシーズン途中で休養(後に監督を辞任)するなど低迷。糸井自身も、「(前年の好成績から)長打を増やすことを意識し過ぎたことに加えて、主将の肩書がプレッシャーになった」と述懐するなど、開幕から極度の打撃不振に見舞われた[106]。2016年には、前年途中から一軍監督代行を務めていた福良淳一新監督の方針で主将を置いていないが、糸井は「(2015年限りで)主将をクビになった」と受け止めていた[107]

日本ハム時代から打席に入る際の登場曲としてSMAPSHAKEを使用[108][8]。オリックス時代には、本拠地の京セラドーム大阪やほっともっとフィールド神戸では、「二人ならヤレルヤ~♪」というサビの部分の歌詞を「糸井ならヤレルヤ~♪」に変えたうえで、同球団のファンがサビを合唱することが恒例になっていた。糸井自身は、阪神へ移籍した2017年以降も、「SHAKE」を登場曲に使い続けることを明言している[109]

オリックスから阪神への移籍については、移籍が決定した際に、「毎日悩みに悩んできた。」「今までどんなときも温かく声援くださったオリックスファンの皆さんには感謝の気持ちでいっぱい。その想いも踏まえた上でやはり今回の決断に至った中には、野球人として成長するために自分の中で変化というものが必要ではないかと考え、自分を奮い立たせて新しい環境でチャレンジすることにより更に成長出来るのではないかという強い思いと、そして何より金本監督の熱意に心を打たれたことがあった」と述べている[110]。移籍が正式に発表される直前(2016年11月23日)には、退団が決定していたにもかかわらず、オリックスのファン感謝イベントに出席。大声援で迎えられ、「(自分の名前の入った)旗を振っていてくれたり、タオルを掲げてくれていたので何か出来ることあるかな思っていた」と自身のバットに「ありがとう」と記してファンに手渡しし、最後はハイタッチして回るなど4年間を過ごした「どんなときも応援してもらえてありがたい。最後にみんなに会えてよかった」というファンに感謝の気持ちを示した[111]。同年11月25日に開かれた阪神への入団会見には、およそ200人もの報道陣が集結。糸井は、12台のテレビカメラを前に、阪神のイメージを「記者が多いなと。熱狂的なファンとマスコミのイメージが大半ですね」と表現した。また、「チームがトップに立つために、金本監督を胴上げするために一つでもチームに貢献したいなと思います」と語っている[112]。さらに、翌26日にゲストで出演した『せやねん!』(MBSテレビ制作の生放送番組)では、2017年の公約として「お立ち台(公式戦でのヒーローインタビュー)7回」を挙げた[113]

2017年から阪神でチームメイトになる西岡剛とは、自身と同じパ・リーグの球団出身である縁で、阪神への移籍前から親交がある。糸井の阪神移籍に際しては、西岡が同球団で2016年まで付けていた背番号7を糸井に譲渡する意向を示したうえで、背番号を5に変更した。西岡もロッテに入団した2003年から延べ12年間にわたって背番号7を付けていたが、糸井が阪神でも7番の着用を希望していることを知ったため、「糸井さんは自分より実績がある」という理由で背番号を譲ることを決意。糸井の移籍交渉中には、糸井本人に連絡したうえで、「背番号を7番にするなら、気分よく(阪神に)来て下さい」とのメッセージを伝えたという[79]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2007 日本ハム 7 11 11 1 1 0 0 0 1 0 1 0 0 0 0 0 0 1 0 .091 .091 .091 .182
2008 63 205 188 19 45 14 1 5 76 21 13 3 5 0 10 1 2 53 6 .239 .285 .404 .689
2009 131 496 425 74 130 40 3 15 221 58 24 6 18 1 46 8 6 93 6 .306 .381 .520 .901
2010 138 583 488 86 151 33 3 15 235 64 26 8 13 1 71 2 10 94 7 .309 .407 .482 .889
2011 137 578 489 72 156 30 0 11 219 54 31 6 9 2 59 2 19 91 5 .319 .411 .448 .859
2012 134 597 510 72 155 21 3 9 209 48 22 9 0 1 75 2 11 86 9 .304 .404 .410 .813
2013 オリックス 141 601 524 75 157 33 2 17 245 61 33 9 0 3 66 1 8 93 6 .300 .384 .468 .852
2014 140 590 502 73 166 36 2 19 263 81 31 9 0 4 70 7 14 73 7 .331 .424 .524 .948
2015 132 565 484 61 127 22 0 17 200 68 11 4 0 1 72 2 8 78 10 .262 .366 .413 .779
2016 143 616 532 79 163 24 1 17 240 70 53 17 0 2 75 5 14 84 13 .306 .398 .451 .849
NPB:10年 1166 4842 4153 612 1251 254 15 125 1909 525 245 71 45 15 544 30 85 746 69 .301 .392 .460 .852
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 2016年度シーズン終了時

[2]

年度別打撃成績所属リーグ内順位[編集]

























O
P
S
2007 26 パ・リーグ - - - - - - - - - -
2008 27 - - - - - - - - - -
2009 28 7位 - 1位 - - - 7位 6位 4位 3位
2010 29 - - 6位 10位 - - 5位 5位 6位 7位
2011 30 2位 - - - - - 5位 1位 4位 2位
2012 31 3位 2位 - - - - 6位 1位 8位 4位
2013 32 10位 9位 2位 - - - 3位 9位 9位 9位
2014 33 1位 3位 1位 - 8位 5位 3位 1位 3位 3位
2015 34 - - - - 9位 - - 10位 - -
2016 35 4位 5位 - - - - 1位 5位 10位 4位
  • -は10位未満(打率、出塁率、長打率、OPSは規定打席未到達の場合も-と表記)

[114]

年度別打撃成績所属チーム内順位[編集]

























O
P
S
2007 26 日本ハム - - - - - - - - - -
2008 27 - 10位 8位 5位 6位 7位 3位 - - -
2009 28 2位 6位 1位 5位 3位 6位 2位 2位 2位 1位
2010 29 3位 4位 3位 3位 3位 3位 2位 2位 1位 1位
2011 30 1位 1位 2位 - 4位 2位 1位 1位 1位 1位
2012 31 1位 1位 4位 2位 4位 4位 1位 1位 3位 1位
2013 32 オリックス 2位 2位 1位 2位 2位 3位 1位 2位 2位 2位
2014 33 1位 1位 1位 5位 3位 2位 1位 1位 1位 1位
2015 34 1位 1位 1位 - 1位 1位 3位 1位 1位 1位
2016 35 1位 1位 2位 2位 2位 2位 1位 1位 2位 1位

* -は10位未満(打率、出塁率、長打率、OPSは規定打席未到達の場合も-と表記)

年度別守備成績[編集]



外野












2006 日本ハム 3 0 0 0 0 .000
2007 61 112 4 2 1 .983
2008 125 234 7 2 2 .992
2009 138 302 4 5 0 .984
2010 136 286 9 7 1 .977
2011 131 266 8 5 0 .982
2012 125 194 5 1 1 .995
2013 オリックス 104 103 1 0 0 1.000
2014 139 223 5 3 3 .987
2015 88 119 3 0 0 1.000
2016 118 174 4 6 0 .967
NPB:10年 1064 1910 49 31 8 .984

WBCでの成績[編集]

















































O
P
S
2013 日本 7 31 21 4 6 2 0 1 11 7 2 0 1 0 6 0 3 2 0 .286 .500 .524 1.024

[115]

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
年齢による記録
  • 35歳以上のシーズン50盗塁:53盗塁(2016年、35歳)※史上2人目[64][103]
  • 史上最年長盗塁王:35歳(2016年)[116]
連続記録
  • 6年連続打率3割・20盗塁・ゴールデングラブ賞:2009年〜2014年 ※史上単独1位[5]
  • 6年連続打率3割・20盗塁:2009年〜2014年 ※史上1位タイ(松井稼頭央と並ぶ。)
  • 6年連続打率3割・ゴールデングラブ賞:2009年〜2014年 ※史上2位(イチローに次ぐ。)
  • 6年連続打率3割:2009年〜2014年 ※史上8位タイ
通算記録
  • 打率.301(史上21位、現役選手中2位)[117]
  • 出塁率.392(史上6位、現役選手中1位)

※2016年度シーズン終了時点

オールスターゲーム
  • 出場:8回 (2009年 - 2016年)
  • ファン投票選出:5回 (2012年 - 2016年)
  • ファン投票両リーグ最多得票:2回 (2013年 - 2014年)
  • 敢闘選手賞:1回 (2013年第1戦)
その他の記録

背番号[編集]

  • 26 (2004年 - 2010年)
  • 7 (2011年 - )

登場曲[編集]

代表歴[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ この試合が終了した時点で、通算打率がNPB歴代23位の.300(4003打数1202安打)になった[55]
  2. ^ NPBの一軍公式戦で35歳以上の選手がシーズン50盗塁を達成した事例は、通算盗塁数のNPB記録を保持している福本豊1983年に35歳で達成して以来、33年振り史上2人目である[64]

出典[編集]

  1. ^ 糸井、新天地デビューへ故郷・京都与謝野町で大応援団結成
  2. ^ a b c d e f g h i j 年度別打撃成績【糸井嘉男(阪神タイガース)】
  3. ^ 【糸井、4年総額18億円で阪神入り決定!「金本監督を男にできるように」”. サンスポ. 2017年3月25日閲覧。
  4. ^ 糸井、新天地デビューへ故郷・京都与謝野町で大応援団結成
  5. ^ a b c 継続することの難しさ…内川と糸井の連続記録に黄信号BASEBALL KING 2016年11月29日閲覧
  6. ^ a b 糸井偉業挑む!セでも盗塁王 来季も達成なら55年ぶりスポニチアネックス 2016年11月29日閲覧
  7. ^ 阪神糸井「超人宣言」36歳でキャリアハイ目指す2016年11月29日閲覧
  8. ^ a b c 糸井SMAP存続に「ヨッピハッピシェイクやね」日刊スポーツ 2017年1月3日閲覧
  9. ^ a b c 第9回 糸井 嘉男選手(宮津-オリックス・バファローズ)「高校時代は実質4か月しかプレーしていなかった」1/3高校野球ドットコム 2016年2月4日
  10. ^ 電撃移籍のWBCキーマン糸井嘉男の超人伝説「俺はケガにも気づかない(笑)」2/2現代ビジネス 2013年2月8日
  11. ^ a b 電撃移籍のWBCキーマン糸井嘉男の超人伝説「俺はケガにも気づかない(笑)」1/2現代ビジネス 2013年2月8日
  12. ^ a b c 第9回 糸井 嘉男選手(宮津-オリックス・バファローズ)「高校時代は実質4か月しかプレーしていなかった」2/3高校野球ドットコム 2016年2月4日
  13. ^ 第9回 糸井 嘉男選手(宮津-オリックス・バファローズ)「高校時代は実質4か月しかプレーしていなかった」3/3高校野球ドットコム 2016年2月4日
  14. ^ a b 『北海道日本ハムファイターズ パ・リーグ優勝 2009オフィシャルグラフィックス』 北海道新聞社、2009年、70頁。ISBN 978-4-89453-523-7
  15. ^ 『北海道日本ハムファイターズ パ・リーグ優勝 2009オフィシャルグラフィックス』 北海道新聞社、2009年、35頁。ISBN 978-4-89453-523-7
  16. ^ a b 『北海道日本ハムファイターズ 2010オフィシャルグラフィックス』 北海道新聞社、2010年、42頁。ISBN 978-4-89453-577-0
  17. ^ プロの(T . T)坪井智哉オフィシャルブログ「TSUBOCHIKA SPIRITS」、2013年1月24日。
  18. ^ a b c d e f 『北海道日本ハムファイターズ 2011オフィシャルグラフィックス』 北海道新聞社、2011年、42頁。ISBN 978-4-89453-628-9
  19. ^ a b c d e 『北海道日本ハムファイターズ パ・リーグ優勝 2012オフィシャルグラフィックス』 北海道新聞社、2012年、64頁。ISBN 978-4-89453-672-2
  20. ^ ハム糸井3年連続3割評価で9000万増
  21. ^ a b 2012年9月度「日本生命月間MVP賞」受賞選手 (パシフィック・リーグ)NPB公式サイト 2017年1月21日閲覧
  22. ^ ファイターズが3年ぶり4度目のCS制覇!MVPは糸井選手 北海道日本ハムファイターズ (2012年11月6日) 2016年9月8日閲覧
  23. ^ 侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月14日閲覧
  24. ^ ハム糸井沈黙は金ならず…2億円保留日刊スポーツ、2012年12月7日。
  25. ^ ハム糸井越年「納得するまでやる」日刊スポーツ、2012年12月22日。
  26. ^ トレード(2012年度シーズン終了後 ~ )”. 日本野球機構. 2015年10月31日閲覧。
  27. ^ 日本ハムナイン動揺 糸井トレードに武田勝絶句「痛手 間違いない」
  28. ^ ダル 糸井の電撃移籍に衝撃「糸井さんトレードとか、ありえん」
  29. ^ 移籍の糸井「優勝目指し頑張る」 オリックスが入団会見
  30. ^ 2013 Tournament Roster WBC公式サイト 英語 2015年4月2日閲覧
  31. ^ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表メンバー 日本野球機構オフィシャルサイト (2013年2月20日) 2015年4月2日閲覧
  32. ^ 日本代表個人成績 NPB.jp 日本野球機構 2016年9月8日閲覧
  33. ^ ファン投票結果 マツダオールスターゲーム2013 NPB.jp 日本野球機構
  34. ^ オリックス糸井、大リーグ挑戦は「大胸筋の奥に秘めておく」5千万円増の年俸2億5千万円
  35. ^ オリックス・糸井、会心2発!初の連発で日本ハム戦連敗止めた
  36. ^ オリ糸井、つなぐ意識で8号2ラン
  37. ^ a b c 糸井嘉男 パ・リーグ初の4番で盗塁王なるか!?BASEBALL KING 2014年8月19日
  38. ^ マツダオールスターゲーム2014 ファン投票結果 日本野球機構オフィシャルサイト 2015年12月18日閲覧
  39. ^ マツダオールスターゲーム2014 選手間投票結果 NPB.jp 日本野球機構
  40. ^ 2014年10月9日 侍ジャパン「2014 SUZUKI 日米野球」出場選手発表! 侍ジャパン公式サイト (2014年10月9日) 2015年3月26日閲覧
  41. ^ オリックス・糸井、3億5000万円で更改 パ首位打者 日本経済新聞(2014年12月15日) 2016年9月8日閲覧
  42. ^ オリ糸井3・5億円 来季の主将に任命 プロ野球ニュース : nikkansports.com 2014年12月15日
  43. ^ a b オリ・糸井が1000安打達成「うれしいです」 SANSPO.COM(2015年5月20日) 2015年12月18日閲覧
  44. ^ a b オリックス糸井、通算1000試合出場を達成 nikkansports.com(2015年9月2日) 2016年2月25日閲覧
  45. ^ 糸井、右肘靱帯と右足首腱損傷 復帰まで3~4週間nikkansports.com(2015年7月5日) 2016年4月17日閲覧
  46. ^ 糸井 故郷で2発!プロ入り通算100本塁打到達 Sponichi Annex(2015年7月30日) 2016年2月25日閲覧
  47. ^ オリ糸井「やりました!」 地元京都で2発“故郷に錦”100号
  48. ^ 7糸井 2015年月別成績 オリックス・バファローズ 選手名鑑
  49. ^ オリックス・糸井が2億8000万円で更改「僕もトリプルスリーを目指したい」 SANSPO.COM(2015年12月17日) 2016年2月25日閲覧
  50. ^ a b オリックス糸井 最高にいい状態
  51. ^ 連続3割はストップも…首位打者争い常連の2人に復活の兆しベースボールチャンネル(2016年6月1日) 2016年9月19日閲覧
  52. ^ オリックス小田サヨナラ打、糸井はチーム初本塁打 nikkansports.com(2016年4月14日) 2016年4月17日閲覧
  53. ^ 糸井二試合連続本塁でオリックス連勝
  54. ^ オリックス・糸井、球宴では盗塁決める デイリースポーツ online(2016年6月28日) 2016年6月29日閲覧
  55. ^ オリックス糸井が4000打数到達、プロ通算打率3割の領域に。史上最年長タイ盗塁王も射程圏内ベースボールチャンネル(2016年8月14日)同日閲覧
  56. ^ 日本ハム連敗 糸井に3発被弾、金子に6回1死まで無安打、大谷は3三振
  57. ^ a b 糸井 初回表の先頭打者初球本塁打を含む3発は史上初スポーツニッポン(2016年9月14日)同月19日閲覧
  58. ^ 【オリックス】糸井が手がつけられない!3試合で13打数9安打、4本塁打5打点
  59. ^ 3戦連発に酔う糸井=プロ野球・オリックス
  60. ^ a b オリックス・糸井が通算200盗塁達成 本盗で201個目 Sponichi Annex(2016年5月8日) 2016年5月22日閲覧
  61. ^ 35歳オリ糸井 自己最多34盗塁 盗塁王なら最年長スポーツニッポン(2016年8月1日) 2016年6月29日閲覧
  62. ^ オリ糸井・50盗塁の大台到達「もう一切走りません」サンケイスポーツ(2016年9月6日)同月19日閲覧
  63. ^ オリックス糸井 両リーグトップ50盗塁日刊スポーツ(2016年9月6日)同月19日閲覧
  64. ^ a b c 糸井、35歳以上で2人目のシーズン50盗塁!福良監督「元気ですね」スポーツ報知(2016年9月6日)同月19日閲覧
  65. ^ オリ 糸井が途中交代、単独盗塁王ならず 金子侑と分け合うスポーツニッポン(2016年10月1日)同月2日閲覧
  66. ^ 【オリックス】FAの糸井、両リーグ最多7度目「三井ゴールデングラブ賞」受賞スポーツ報知(2016年10月18日)同年11月29日閲覧
  67. ^ 糸井がFA権取得
  68. ^ 糸井がFA宣言「自分が成長できると思うところで」
  69. ^ 2016年度フリーエージェント宣言選手
  70. ^ FA市場の目玉は外野手、外野手の層が薄い球団は?
  71. ^ [1]
  72. ^ [2]
  73. ^ 糸井嘉男、衰え知らずの35歳はどこへ行く 巨人?阪神!?それとも…
  74. ^ オリックスオーナーが糸井引き留め厳命、大型契約へ中島以上の契約も
  75. ^ 糸井、残留も選択肢「オリックスで優勝したい」球団首脳が交渉で確認
  76. ^ オリックス・宮内オーナー FA権の糸井に残留懇願「今後もなくてはならない選手」
  77. ^ 糸井嘉男選手との契約合意について阪神タイガース公式サイト 11月21日
  78. ^ 糸井の入団、阪神が発表=4年契約、18億円超-プロ野球時事通信 2016年11月21日
  79. ^ a b 西岡、背番号7→5 糸井に男気譲渡「負けないようにやっていきたい」デイリースポーツ 2016年11月23日
  80. ^ 阪神に不安材料…糸井が古傷右ヒザ違和感「関節炎」日刊スポーツ 2017年1月25日
  81. ^ 阪神糸井「無理ですね」リハビリ順調も中旬合流×」日刊スポーツ 2017年2月8日
  82. ^ [http://www.iza.ne.jp/kiji/sports/news/170316/spo17031608330031-n1.html 阪神・糸井、いきなり虎初ヒット出たァ!金本監督「安心しきっとる」 ]
  83. ^ 糸井、阪神初ヒットは2点タイムリーツーベース 開幕戦2打席目に貴重な一打
  84. ^ 糸井が3安打3打点の満点虎デビュー「一戦一戦、死ぬ気で戦う」
  85. ^ 糸井が3安打3打点の満点虎デビュー「一戦一戦、死ぬ気で戦う」
  86. ^ 投手から野手転向 開花した糸井、雄平の才能に続くのは誰
  87. ^ 打者転向からトリプルスリーを狙える存在へ糸井嘉男にかかる'史上9人目'にかかる期待
  88. ^ a b 30代で成績が向上した野手といえば…BASEBALL KING 2016年10月17日
  89. ^ a b c 『週刊プロ野球データファイル』2011年31号、ベースボール・マガジン社、雑誌27743-11/16、5-6頁。
  90. ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰 『プロ野球スカウティングレポート2011』 廣済堂出版、2011年、152-153頁。ISBN 978-4-331-51519-8
  91. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』 白夜書房、2010年、90頁。ISBN 978-4-86191-595-6
  92. ^ 日本野球機構 打率【通算記録】
  93. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2010』 アスペクトムック、2010年、264-265頁。ISBN 978-4-7572-1744-7
  94. ^ 今年も糸井伝説誕生の予感 「クリロナ目指す」発言の真意とは?”. exciteニュース (2015年2月17日). 2015年8月23日閲覧。
  95. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』 白夜書房、2011年、58頁。ISBN 978-4-86191-710-3
  96. ^ Base[ball Lab守備評価~Center FielderSMR Baseball Lab
  97. ^ DELTA OFFICIAL WEB SITE コラム 2013年1月24日
  98. ^ ハム糸井ポカ厳禁!「1つだけにします」日刊スポーツ、2011年12月22日。
  99. ^ 2013年度 パシフィック・リーグ 個人守備成績(規定以上) 2014年3月2日閲覧。
  100. ^ 『2014プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2014年、221頁。ISBN 978-4-905411-17-8
  101. ^ a b オリックス糸井、史上最年長盗塁王なるか。ハイペースで量産「スタートを判断する嗅覚がすごい」【どら増田のオリ熱コラム#78】
  102. ^ オリックス糸井「おかげさまで最高にいい状態」
  103. ^ a b 歴代盗塁王と35歳の壁。オリックス・糸井嘉男の史上最年長盗塁王は実現するか!?デイリーニュースオンライン 2016年9月6日
  104. ^ 第42回受賞・糸井嘉男選手|三井ゴールデングラブ賞特別インタビューズ
  105. ^ オリ糸井3・5億円 来季の主将に任命プロ野球ニュース : nikkansports.com 2014年12月15日
  106. ^ 最下位オリ糸井が吐露した「打撃不振の原因」と「主将の重圧」(2)日刊ゲンダイDIGITAL 2015年5月2日
  107. ^ オリックス糸井が勝ち越し二塁打 前主将、今季の浮上期す快音朝日新聞DIGITAL 2016年4月3日
  108. ^ a b c d 2012年選手登場曲.北海道日本ハムファイターズ.2017年4月11日閲覧。
  109. ^ 阪神糸井、登場曲はSMAPの「SHAKE」継続日刊スポーツ 2016年11月26日
  110. ^ 糸井4年総額18億円で阪神入り
  111. ^ 阪神入りの糸井、オリックスファンに感謝バットで別れ
  112. ^ 糸井入団会見に報道陣200人目の金本監督を胴上げする
  113. ^ 阪神・糸井、来季公約はお立ち台7回
  114. ^ パシフィック・リーグ リーダーズ(打撃部門) 日本野球機構
  115. ^ 日本代表個人成績 NPB.jp 日本野球機構 2017年4月11日閲覧
  116. ^ 阪神・糸井、両リーグで達成が期待される記録とは… BASEBALL KING. (2016年12月1日).
  117. ^ 日本野球機構 打率【通算記録】
  118. ^ 糸井&桑原 プロ野球史上初!同日2本のプレーボール弾!

関連項目[編集]

外部リンク[編集]