多村仁志

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多村 仁志 (多村 仁)
20130923 Hitoshi Tamura, outfielder of the Yokohama DeNA BayStars, at Yokohama Stadium.JPG
DeNA時代(2013年9月23日、横浜スタジアム)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県厚木市
生年月日 (1977-03-28) 1977年3月28日(39歳)
身長
体重
180 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1994年 ドラフト4位
初出場 1997年4月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2006年

多村 仁志(たむら ひとし、本名:多村 仁(読み同じ)、1977年3月28日 - )は、神奈川県厚木市出身の元プロ野球選手外野手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

横浜高校時代は斉藤宜之紀田彰一クリーンナップを組み3年生の春夏連続(1994年)で甲子園に出場。第66回選抜高等学校野球大会の一回戦で、赤星憲広擁する大府高校と対戦した。高校通算14本塁打。1994年のドラフト4位で横浜ベイスターズに入団。背番号は52

横浜時代[編集]

1995年1996年は一軍出場がなく、1996年オフに行われた教育リーグにおいて本塁打、打点の記録を樹立。1997年4月4日開幕戦の対中日ドラゴンズ戦で公式戦初出場。この試合はナゴヤドーム初の公式戦で、多村は7回表に開幕投手盛田幸妃代打として登場。プロ初打席は山本昌から外野フライに終わった。4月8日、対阪神タイガース戦で田村勤からプロ入り初安打を記録。

2000年に背番号を55に変更。一軍復帰を果たし、外野レギュラーの波留敏夫の故障などもあり、主に代打、途中出場で一軍に定着した。84試合に出場し、打率.257、7本塁打の成績を残した。しかし、2001年は33試合の出場、打率.163、1本塁打に終わった。

2002年は5本塁打、81試合に出場。2003年に自己最多の91試合に出場した。規定打席には届かなかったが、打率.293、18本塁打を記録したほか、14盗塁を記録した。

2004年に背番号を6に変更。開幕戦でプロ入り初の先発出場、8月15日に日本人打者として球団では田代富雄以来23年ぶりとなる30本塁打を記録。10月6日に日本人打者として球団初の40本塁打を達成。3割、40本、100打点は球団初の記録。盗塁は10盗塁を記録し、2年連続の二桁盗塁を記録した。

2005年4月5日の対読売ジャイアンツ戦にてダン・ミセリからプロ初となるサヨナラ適時打を放つ。この年からセ・パ交流戦が始まり、通算12本塁打で初代本塁打王(他3人)となる。6月18日の試合終了時点で打率.344、21本塁打で暫定的に二冠王に立っていたが、事故により前半戦は欠場した。7月29日の対広島東洋カープ戦から復帰し、9月17日の対巨人戦で、8回に通算100号本塁打を達成し、チーム日本人初となる2年連続の3割30本を達成した。

2006年ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出され全試合に出場し、好守や特大本塁打など3本塁打、9打点はチーム本塁打王、打点王だった。公式戦に入っても4月4日の対中日ドラゴンズ戦(横浜スタジアム)で9回裏に岩瀬仁紀から同点2ランを放っていたが、6月7日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(フルキャストスタジアム宮城)で本塁突撃時のクロスプレーの際に肋骨を4本折る重傷を負い長期離脱。シーズンの大半を欠場する。12月5日寺原隼人と1対1の交換トレードで福岡ソフトバンクホークスへ移籍することが発表された。背番号は横浜時代と同じ6

ソフトバンク時代[編集]

2007年開幕戦に3番で出場し2本塁打を放つなど3安打猛打賞を記録、このシーズン中に4度の肉離れをしつつも初めてシーズン中に一度も二軍に落ちることなく、自己最多の132試合に出場し、打率.271、13本塁打、68打点に終わった。北京オリンピック野球代表候補に選出された(背番号は1番)が治療の為に直前にメンバーから外れた。

2008年4月25日の対千葉ロッテマリーンズ戦で3回表の守備中に大塚明の左中間への打球を追って左翼手長谷川勇也に突っ込まれ、右足腓骨を骨折、前半戦を棒に振った。9月上旬から復帰し、2試合連続で猛打賞を記録している。2009年に登録名を多村 仁志(読みは同じ)に変更。打率.282、17本塁打、57打点の成績を収め、海外移籍も可能となるFA権を取得したが、権利を行使せず残留する。

2010年5月8日の対埼玉西武ライオンズ戦で、6回にプロ通算150号本塁打を記録。5月26日からは小久保裕紀に代わりソフトバンクの4番として出場をし続ける。交流戦では史上最高打率の.415で首位打者を獲得。7月23日にはファン投票により16年目にして初のオールスター出場を果たし、福岡Yahoo! JAPANドームで開催された第1戦では4番で出場。8月24日の対オリックス戦では1回裏に近藤一樹から6年ぶりの満塁本塁打を打った。自己最多の140試合に出場。打率.324、27本塁打、166安打、出塁率.374を記録。2003年以来7年ぶりのリーグ優勝に貢献。100試合以上出場したシーズンでは初めて三振数が3桁を切った。外野手では最高得票でベストナインを獲得。11月15日にメジャーリーグ移籍も視野に入れてFA権を行使したが、ソフトバンクの会長の王貞治の一言により11月24日に残留を表明し、2011年1月28日に単年契約を結んだ。

ソフトバンク時代
(2011年7月20日、福岡ドームにて)

2011年4月23日の対ロッテ戦で日本プロ野球通算1000試合出場を達成。10月2日の対西武戦で、3回表に石井一久から右前適時打を放ち、日本プロ野球通算1000本安打を達成。100試合の出場で打率.241、4本塁打に終わった。しかし、初めての出場となった中日ドラゴンズとの日本シリーズでは、骨折をしながらも強行出場し、第3戦では、チーム初本塁打となる2点本塁打を放ちチームに勢いを与え、第5戦では2打点を挙げ日本一に。表彰式の際には、「MVPは多村だろ」と相手チームの中日勢から称賛された活躍をみせた。

2012年11月5日に、吉村裕基江尻慎太郎山本省吾との交換トレードで神内靖吉川輝昭とともに横浜DeNAベイスターズへ移籍。7年ぶりの古巣への復帰となった。背番号は横浜時代のプロ入り当初と同じ52に決まった。

DeNA時代[編集]

2013年4月11日の対広島戦(横浜)の6回に今季第1号となる代打本塁打を放つ[1]5月10日の対巨人戦(横浜)で、3対10と7点差をつけられた7回裏に代打で2ラン本塁打を放ち、その後1点差まで追い上げ、9対10で迎えた9回一死一、二塁から西村健太朗からプロ入り初[2]のサヨナラ3ラン本塁打を放った[3]。同試合で代打本塁打とサヨナラ本塁打を記録したのは日本プロ野球史上5度目で、巨人が7点差を逆転されたのは球団タイ記録となった[4]。同年はスタメンで出場することもあったが、レギュラーを奪取するまでには至らず96試合の出場に終わったが、12本塁打をマークした。シーズン終了後の11月20日に、球団から背番号が8に変更することが発表された[5]

2014年筒香嘉智梶谷隆幸が外野にコンバートされて、この2人がスタメンでほぼ固定され、残りの外野1枠を荒波翔金城龍彦などと日替わりオーダーで出場するか、右の代打要員となり、前年より少ない73試合の出場に終わった。

2015年には、一軍公式戦4試合に出場しただけで、本塁打を放てず5月3日に出場選手登録を抹消。抹消後には、若手選手の育成を重視するチーム事情から、イースタン・リーグ公式戦への出場機会が「1試合につき2打席」に限られた。実際には、この条件の下で、故障に見舞われることなく打率.319、7本塁打を記録[6]。しかし、一軍への復帰を果たせないまま、10月3日に球団から戦力外通告を受けた。12月2日付で、NPBから自由契約選手として公示。

中日時代[編集]

2015年11月10日草薙球場で開催された12球団合同トライアウトには参加しなかったものの、他球団での現役続行を模索しながら[7]、自主トレーニングに専念していたが、2015年12月末に、横浜時代のチームメイト・谷繁元信が一軍監督を務める中日ドラゴンズの関係者が多村に接触。多村自身も、横浜時代の2001年秋季キャンプで臨時コーチとして指導を受けた落合博満ゼネラルマネジャーとの面談で、野球への熱意が強いことを訴えた[8]

2016年1月15日に、育成選手として中日へ入団することを正式に発表[9]。この時点で、NPB史上最年長(38歳10ヶ月)の育成選手[10]および、中日の現役最年長野手になった[11]。背番号は215

多村自身は、2016年シーズンの支配下登録期限直前(7月30日)の時点で、翌2017年も現役生活を続けることを表明。中日球団も、育成選手契約の更新を検討していることが報じられた[12]。しかし、2016年10月1日に球団に自ら現役引退を表明した[13]。育成選手の場合は任意引退ができず自由契約選手として扱われる為、引退会見や引退試合ができていない。10月31日、自由契約公示された[14]。引退選手ではないので現役として復活する事ができる。

選手としての特徴[編集]

多村の打撃フォーム(ソフトバンク時代)

打撃[編集]

強く柔軟なリストを活かしたスイングから広角に長打を打ち分ける打撃を持ち味とし[15]、ボールを手元まで引きつけて右方向に長打を放つ技術に加え[16]、ソフトバンク移籍後2010年までの通算得点圏打率.322と状況に関わらず自分の打撃ができる柔軟さも兼ね備える[17]

守備[編集]

球界屈指の身体能力の高さを誇り、優れた打球判断を生かした広い守備範囲にも定評があり[15]、2010年にはリーグの右翼手中2位のUZR2.3を残した[18]

走塁[編集]

一塁到達まで4秒を切る俊足も兼ね備え[19]、レギュラーに定着した2003年、2004年と二年連続で二桁盗塁を記録した。

人物[編集]

外野守備や走塁・さらにファッションにもこだわりがあり、用具にも刻まれている「6TOOLS(6ツール)」は、5TOOLS(5ツール=打撃技術、パワー、足、守備、肩)+ファッションを意味しており、公式サイト名(現在は閉鎖)にもなっていた(当初は"S"が無く、「6TOOL」だった)。公式サイトによると、2009年よりファッションをメンタリティに変更したとしている。

横浜時代の2001年のキャンプで、臨時コーチの落合からそれまでのロバート・ローズを参考にした打撃フォームからの改造を勧められたことをきっかけに神主打法に変えて[20]パワーと確実性を兼ね備えた主力打者に成長[8]。3年後の2004年に40本塁打、2005年に31本塁打を放つ一方で、規定打席に到達しての打率3割を3回記録した。このような経緯から、多村は落合を「恩人」として敬愛している[8]。中日の育成選手として現役生活を続けることが発表された際には、「支配下登録選手に戻ることで、落合に恩返しをしたい」との抱負を述べていた[8]

第1回WBCでの活躍からキューバではとても尊敬されており、フレデリク・セペダは多村がソフトバンク時代に使っていたバットを使用しているといわれ、グリップにも「H6」と刻まれている[21]。また、セペダと同じ2014年に日本でプレーしたユリエスキ・グリエルも多村をキューバではレジェンドだと名前をあげている。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1997 横浜 18 27 26 2 7 1 0 1 11 4 0 0 0 1 0 0 0 9 0 .269 .259 .423 .682
2000 84 245 226 21 58 6 1 7 87 29 2 0 0 2 13 3 4 64 3 .257 .306 .385 .691
2001 33 54 43 8 7 2 0 1 12 2 0 0 0 0 8 2 2 15 1 .163 .321 .279 .600
2002 81 196 183 23 43 8 0 5 66 16 3 1 2 0 9 1 2 54 1 .235 .278 .361 .639
2003 91 260 242 29 71 12 0 18 137 46 14 7 1 0 12 1 5 65 7 .293 .340 .566 .906
2004 123 492 449 80 137 19 2 40 280 100 10 7 1 1 39 0 2 126 8 .305 .363 .624 .986
2005 117 499 450 71 137 26 2 31 260 79 2 4 0 1 43 1 4 108 6 .304 .369 .578 .947
2006 39 145 127 24 35 3 0 8 62 20 5 1 0 1 14 2 3 29 5 .276 .359 .488 .847
2007 ソフトバンク 132 553 509 61 138 28 3 13 211 68 3 2 2 1 38 0 3 117 8 .271 .325 .415 .739
2008 39 158 149 17 45 6 1 3 62 15 0 1 0 1 6 0 2 29 6 .302 .335 .416 .752
2009 93 338 308 39 87 17 1 17 157 57 0 1 0 4 22 1 4 66 11 .282 .334 .510 .844
2010 140 559 513 74 166 33 1 27 282 89 2 2 0 3 33 2 10 93 11 .324 .374 .550 .924
2011 100 356 323 28 78 16 0 4 106 36 1 1 0 1 29 0 3 66 11 .241 .309 .328 .637
2012 79 218 200 16 50 9 1 4 73 20 0 1 0 0 18 0 0 43 7 .250 .312 .365 .677
2013 DeNA 96 277 238 26 62 11 1 12 111 39 1 1 0 3 33 0 3 54 5 .261 .354 .466 .820
2014 73 166 147 11 40 5 1 4 59 23 0 2 1 1 15 1 1 23 4 .272 .345 .401 .747
2015 4 8 7 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .143 .250 .143 .393
通算:17年 1342 4551 4140 531 1162 202 14 195 1977 643 43 31 7 20 333 14 49 962 94 .281 .340 .478 .819

年度別守備成績[編集]


外野







1997 7 5 1 0 0 1.000
2000 72 130 5 1 1 .993
2001 27 27 2 0 0 1.000
2002 69 84 3 1 1 .989
2003 85 122 2 2 1 .984
2004 119 243 6 3 2 .988
2005 115 240 5 3 1 .988
2006 34 58 0 1 0 .983
2007 126 223 2 2 1 .991
2008 36 71 0 1 0 .986
2009 79 120 3 1 1 .992
2010 136 226 3 2 0 .991
2011 83 136 2 2 0 .986
2012 48 85 0 1 0 .988
2013 69 96 5 0 0 1.000
2014 44 63 1 0 1 1.000
2015 3 2 0 0 0 1.000
通算 1152 1931 40 20 9 .990

表彰[編集]

  • ベストナイン:1回 (2010年)
  • 優秀JCB・MEP賞:1回 (2004年)
  • 厚木市民功労賞 (2006年) ※WBC優勝貢献を称えて
  • 紫綬褒章 (2006年) ※WBC優勝貢献を称えて

記録[編集]

初記録
節目の記録
本塁打に関する記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 52 (1995年 - 1999年、2013年)
  • 55 (2000年 - 2003年)
  • 6 (2004年 - 2012年)
  • 8 (2014年 - 2015年)
  • 215 (2016年)

登録名[編集]

  • 多村 仁 (たむら ひとし、1995年 - 2009年5月21日)
  • 多村 仁志 (たむら ひとし、2009年5月22日 - )

脚注[編集]

  1. ^ 試合結果 スポーツニッポン2013年4月11日配信
  2. ^ 多村 復帰即プロ入り初の劇弾「出来すぎですね。すみません」スポーツニッポン2013年5月10日配信
  3. ^ 多村 劇的サヨナラ3ラン!DeNA 巨人に今季初勝利スポーツニッポン2013年5月10日配信
  4. ^ 週刊ベースボール2013年5月27日号107ページ
  5. ^ 背番号変更のお知らせDeNA球団公式サイト2013年11月20日配信
  6. ^ 38歳の現役続行決意 多村の背中押した“まだ、できる”金言とはスポーツニッポン.2015年11月2日
  7. ^ DeNA岡島、多村、東野に戦力外も現役続行希望日刊スポーツ.2015年10月4日
  8. ^ a b c d DeNA戦力外多村 落合GMに救われた 育成からノリさんのようにスポニチアネックス 2016年1月16日配信
  9. ^ 育成選手として多村仁志選手が入団中日ドラゴンズ公式サイト 2016年1月15日
  10. ^ 熱血38歳・多村、中日と最年長育成契約 落合GMにも直訴(3)サンケイスポーツ 2016年1月16日
  11. ^ DeNA戦力外の多村が中日と育成契約 背番215日刊スポーツ 2016年1月15日
  12. ^ 【中日】多村、今季は支配下登録見送り…来季も現役続行希望スポーツ報知 2016年7月30日
  13. ^ “【中日】多村が現役引退を表明「もう痛い思いをしなくていいのかな」”. スポーツ報知. (2016年10月1日). http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20161001-OHT1T50064.html 2016年10月1日閲覧。 
  14. ^ 自由契約選手(育成選手)”. 日本野球機構公式サイト (2016年10月31日). 2016年11月1日閲覧。
  15. ^ a b 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰 『プロ野球スカウティングレポート2011』 廣済堂出版、2011年、34-35頁。ISBN 978-4-331-51519-8
  16. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2005』 白夜書房、2005年、27頁。ISBN 4-86191-015-3
  17. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』 白夜書房、2011年、132頁。ISBN 978-4-86191-710-3
  18. ^ Baseball Lab守備評価~Right FielderSMR Baseball Lab
  19. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2007』 アスペクトムック、2007年、7頁。ISBN 978-4-7572-1338-8
  20. ^ しかしこの時は完全に受け入れたわけではなく翌2002年の秋季キャンプ以降は再びローズ打法に戻しており、最終的には両者の折衷といえる現在のフォームに落ち着いている。
  21. ^ ““キューバの至宝”セペダ憧れの日本人選手は「H6」”. 東スポWeb. (2014年5月16日). http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/267155/ 2014年5月18日閲覧。 
  22. ^ 過去20年で最高の外野手は誰だ?~記録で見る真実の「守備力」~プロ野球 - Number Web - ナンバー、2016年3月17日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]