薮田安彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
薮田 安彦 (藪田 安彦)
2012marines yabuta.jpg
QVCマリンフィールドにて(2012年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府岸和田市
生年月日 (1973-06-19) 1973年6月19日(43歳)
身長
体重
183 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1995年 ドラフト2位
初出場 NPB / 1996年5月31日
MLB / 2008年4月5日
最終出場 NPB / 2012年10月6日
MLB / 2009年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2006年

薮田 安彦(やぶた やすひこ、本名:藪田 安彦(読み同じ)、1973年6月19日 - )は、大阪府岸和田市出身の元プロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

上宮高校時代は主に控え投手で、一つ後輩の西浦克拓などの影に隠れて目立つ存在ではなかった。 新日本製鐵広畑に進み、球速変化球に磨きをかけ、この時点で投手としての原形は完成したと言える。

ロッテ時代[編集]

1995年ドラフト千葉ロッテマリーンズに2位で指名され入団。

1996年先発として起用され、完封勝利も達成。だが最終成績は4勝6敗だった。

1997年には規定投球回に到達したが、5勝9敗と勝ち星を伸ばすことはできなかった。

1998年は2勝9敗、防御率4.84とさらに調子を落とした。

1999年は5勝を挙げるも完全復活とはならなかった。

2000年はわずか2試合しか登板できず、プロ入り初の未勝利でシーズンを終えた。

2001年は先発だけでなく、中継ぎでも起用されるなど27試合に登板した。防御率は3点台後半と安定感は今ひとつだった。

2002年は3試合しか登板できず、1勝に終わった。

2003年は5勝6敗、防御率5.90でシーズンを終えた。

ボビー・バレンタイン監督が就任した2004年に中継ぎへ転向。ブライアン・シコースキーの退団で右のリリーフが手薄になっていたこともあり、この年リーグ最多の66試合登板。中継ぎ転向後、先発時代は140km/hそこそこだった球速が150km/h近くを計測するようになった。また防御率も9年目で初の2点台となる2.79の数字を残した。同年のチームは終盤プレーオフ争いを演じた。惜しくも4位に終わり、プレーオフ進出はならなかったものの翌年2005年以降の人気急上昇の礎を築く年にもなった。

2005年、中継ぎ投手部門のファン投票1位により、プロ10年目でオールスターに初出場。チーム最多の51試合に登板し、31年振りの優勝と日本一に貢献。藤田宗一小林雅英とのロッテの勝利の方程式YFKと称された[1]

2006年ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出。中継ぎとして4試合に登板し(4回1/3を投げて自責点1)日本チームの優勝に貢献。アメリカ戦では窮地の場面でアレックス・ロドリゲスを三振に取ると、ボブ・デービッドソンによるタッチアップの誤審があった次の回という苦しい場面でデレク・リージョニー・デイモンから三振を奪うなど完璧な投球を披露した。一方シーズンでは47試合に登板し、引き続き好投した。

2007年、58試合に登板し、4勝6敗4S、防御率2.73。38ホールドで自身初のタイトル最優秀中継ぎ投手を獲得した。小林雅不在の終盤戦には守護神としても活躍した。一方延長戦などの接戦では打ち込まれることもあったが、小林雅英は27セーブを挙げるも安定感を欠き、藤田は防御率10点を超える極度の不振だったが、この年のYFKの中では一番安定感のある投球を披露した。 オフには団野村を代理人とし、海外FA権を行使。

ロイヤルズ時代[編集]

2007年11月28日カンザスシティ・ロイヤルズと総額600万ドルの2年契約を交わした(2008年250万ドル+2009年300万ドル、オプションとして3年目 延長が破棄された場合には違約金50万ドル)。

2008年、26試合に登板して防御率5.46、マイナーでも12試合で防御率5.40と結果が残せず、8月2日に戦力外となり40人枠から外されたが、1か月で再昇格。しかし11月4日に再度降格となった。オフにはFAで他球団移籍も可能だったがマイナー行きを受け入れた。

2009年スプリングトレーニングに招待選手として参加。しかしオープン戦7試合に登板するも12安打8失点と結果を残せず、3月22日にマイナー行きを通告された。AAA級オマハで26試合に登板し2勝1敗、防御率3.55。8月24日、この年初のメジャー昇格を果たした。オフにはロイヤルズが選択権を行使せず自由契約となった。

ロッテ復帰[編集]

2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて

2009年11月23日に千葉ロッテマリーンズへ復帰し、11月28日に入団会見が行われ背番号は49に決まった。翌年3月9日には登録名の姓を本名の「田」から略字を使った「田」に変更している。

2010年は開幕当初は、抑えに起用予定の小林宏之が故障で出遅れたため、暫定的抑えを任されたが、小林の復帰後はセットアッパーとなり、小林は一軍昇格後に抑えを任された。自身もシーズンを通して活躍。特にクライマックスシリーズから日本シリーズでは7試合に登板して防御率0.00と際立った活躍を見せた。ペナントレースでは3位に終わったが、2005年以来のクライマックスシリーズで勝利し、日本シリーズに進出。日本一に貢献した。

2011年は、小林の移籍に伴い自身初のシーズンを通してのクローザーの役目を任される。防御率・WHIPは高水準を記録し、ブラウンセーブは2回、31セーブを記録するなど自身の役割を充分に全うしたシーズンとなった。しかしチームは最下位に沈んだ。リーグ3位とはいえ、前年度日本一のチームが翌年最下位に終わったのはパ・リーグ初。

2012年も昨シーズンに引き続きクローザーを務めた。8月30日、通算1000投球回数達成。「正直、ここまでこられるとは思っていませんでした」と謙虚にコメントした。しかし、僅差や同点の場面で打ち込まれるパターンが多く、1勝6敗、防御率3.34、救援失敗数は両リーグ最多タイの8度[2]と、不本意なシーズンとなってしまった。チームも前半戦は首位につけるが、後半戦で一気に失速し、5位に低迷。

2013年10月6日QVCマリンフィールド 引退セレモニー

2013年は右肩痛からの回復を目指し二軍でリハビリを続けていたが一軍での登板がなく、9月29日に今季限りでの現役引退を発表した[3]10月6日の本拠地最終戦となった対オリックス戦の試合後に、同じく今季限りでの現役引退を表明した小野晋吾と共に引退セレモニーを行い、マウンドに立ち打席に立ったサブローに対し三球三振に打ち取り、ファンへの挨拶の後ナインに胴上げされ、グラウンドを1周した[4]

引退後[編集]

2014年からはFOX SPORTS ジャパンBASEBALL CENTER千葉テレビ放送CTCマリーンズナイターにて野球解説者として活動する。

また、同年からTBSラジオでも解説も務めるが、原則として関東圏外への裏送り中継を専門とした担当となるため、TBSラジオの公式サイトの解説者一覧には記名されていない。ただし、2015年6月12日の「ロッテ対巨人」にて、TBSラジオの本放送(TBSラジオ エキサイトベースボール)を初めて担当する(田淵幸一とのダブル解説)。2016年からはテレビ東京の野球解説者も務める。

選手としての特徴[編集]

藪田の投球フォーム(2010年)

ストレートの平均球速は約142km/h[5]。MLB時代の最高球速は2009年に記録した94.6mph[6]

人物[編集]

父親は、尾崎行雄を擁した浪商高校1961年夏の甲子園優勝時のメンバーである。上宮高校時代は同級生であった中村豊の家に居候していた。

オリックスに在籍していたイチロー死球を当ててしまい謝りに行ったが冗談で「顔が笑っている」と言われて取り合ってもらえなかった。後に薮田は「僕は笑ってなくても笑っているように見えるから。」と明かした。

登板時のテーマ曲はguns n' rosesの『welcome to the jungle』である。かつては AC/DCの『T.N.T』が使われていた。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1996 ロッテ 18 11 1 1 1 4 6 0 -- .400 376 92.0 79 8 29 0 3 58 5 0 39 37 3.62 1.17
1997 25 24 4 0 0 5 9 0 -- .357 621 146.1 144 16 48 2 2 74 7 2 69 64 3.94 1.31
1998 17 16 2 0 0 2 9 0 -- .182 448 100.1 123 15 40 1 1 45 8 6 61 54 4.84 1.62
1999 12 10 0 0 0 5 4 0 -- .556 260 57.0 68 9 30 0 2 33 3 1 33 31 4.89 1.72
2000 2 2 0 0 0 0 1 0 -- .000 31 6.2 9 3 2 0 0 3 0 0 10 10 13.50 1.65
2001 27 13 0 0 0 4 6 0 -- .400 414 97.1 94 15 40 1 3 70 4 0 46 42 3.88 1.38
2002 3 3 0 0 0 1 2 0 -- .333 52 11.1 16 4 4 0 0 8 0 0 11 11 8.74 1.76
2003 17 13 0 0 0 5 6 0 -- .455 304 68.2 74 12 27 1 2 44 3 0 45 45 5.90 1.47
2004 66 1 0 0 0 3 4 2 -- .429 328 77.1 62 4 34 4 3 71 2 1 26 24 2.79 1.24
2005 51 0 0 0 0 7 4 2 19 .636 220 55.2 42 7 13 1 2 54 1 0 20 19 3.07 0.99
2006 47 0 0 0 0 4 2 1 18 .667 232 55.0 43 3 26 4 0 48 0 0 19 16 2.62 1.25
2007 58 0 0 0 0 4 6 4 34 .400 264 62.2 64 5 10 2 2 45 1 0 21 19 2.73 1.18
2008 KC 31 0 0 0 0 1 3 0 0 .250 168 37.2 41 6 17 0 0 25 1 0 21 20 4.78 1.54
2009 12 0 0 0 0 2 1 0 0 .667 77 14.0 29 3 7 0 0 9 4 0 21 21 13.50 2.57
2010 ロッテ 63 0 0 0 0 2 5 1 28 .286 277 65.2 59 9 22 0 3 57 2 0 26 23 3.15 1.23
2011 53 0 0 0 0 1 2 31 5 .333 217 56.2 38 4 13 1 0 57 1 0 11 11 1.75 0.90
2012 61 0 0 0 0 1 6 26 8 .143 250 56.2 58 4 22 6 3 43 0 0 22 21 3.34 1.41
NPB:15年 520 93 7 1 1 48 72 67 112 .400 4294 1009.1 973 118 360 23 26 710 37 10 459 427 3.81 1.32
MLB:2年 43 0 0 0 0 3 4 0 0 .429 245 51.2 70 9 24 0 0 34 5 0 42 41 7.14 1.82
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
  • 500試合登板:2012年8月4日、対オリックス・バファローズ13回戦(京セラドーム大阪)、7回裏1死に4番手として救援登板、2/3回無失点 ※史上88人目
  • 1000投球回数:2012年8月30日、対東北楽天ゴールデンイーグルス19回戦(QVCマリンフィールド)、9回表2死目に聖澤諒を左飛で達成 ※史上329人目

背番号[編集]

  • 20 (1996年 - 2007年)
  • 27 (2008年)
  • 57 (2009年)
  • 49 (2010年 - 2013年)

登録名[編集]

  • 藪田 安彦 (やぶた やすひこ、1996年 - 2007年)
  • 薮田 安彦 (やぶた やすひこ、2010年 - 2013年)

脚注[編集]

  1. ^ 2007年に薮田がロイヤルズへ、小林雅はインディアンズへ、藤田は戦力外通告を受けて巨人へ移籍したため、YFKの3人が同時にロッテを去った。
  2. ^ セ・リーグでは岩瀬仁紀が記録
  3. ^ 薮田投手 引退のお知らせ
  4. ^ 小野&薮田 涙、涙の引退セレモニースポーツニッポン2013年10月6日配信
  5. ^ 『2013プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2013年、176頁。ISBN 978-4-905411-11-6
  6. ^ Yasuhiko Yabuta » PitchFx » OverviewFanGraphs Baseball 2015年6月7日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]