市原圭

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市原 圭
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府[[堺市]
生年月日 (1973-09-08) 1973年9月8日(50歳)
身長
体重
172 cm
65 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手三塁手遊撃手
プロ入り 1991年 ドラフト8位
初出場 1995年9月26日
最終出場 2001年10月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

市原 圭(いちはら けい、1973年9月8日 - )は、大阪府堺市出身の元プロ野球選手内野手)育ちは奈良県生駒郡三郷町。

父の市原稔もプロ野球選手(南海ホークス所属)で、後に南海・阪神近鉄で通訳・コーチ・渉外担当などを歴任していた[1]

来歴・人物[編集]

上宮高校では、薮田安彦中村豊久保孝之と同期で、1年時には元木大介種田仁らと夏の甲子園大会で控え選手として出場経験がある[1]黒田博樹は1年後輩であった。

1991年のプロ野球ドラフト会議福岡ダイエーホークスから8位指名を受け入団[1]。高校同期の久保もダイエーから9位指名を受け入団している。

一軍出場がないまま1993年オフにダイエーを自由契約となり、入団テストを受け中日ドラゴンズに移籍[1]。主に代走、守備固め要員として活躍した。

両打ちに挑戦していた時期があった。

1995年のプロ初安打も左打席で放っている。

1996年は18試合の出場にとどまっているが、8月11日にはダネル・コールズの守備固めとして三塁の守備に就き、野口茂樹がノーヒットノーランを達成した瞬間をグラウンドで迎えた。

1998年途中、父・稔が球団編成次長を務めている大阪近鉄バファローズに金銭トレードにて移籍。

2002年に自由契約となり、現役を引退した[1]

引退後は広告代理業のタイディプロモーションを経て[2]、大阪市内で飲食店を経営している[2]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1995 中日 10 18 17 3 4 0 0 0 4 0 1 0 0 0 1 0 0 6 1 .235 .278 .235 .513
1996 18 6 6 6 0 0 0 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1997 22 7 7 4 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2000 近鉄 4 1 1 0 1 0 0 0 1 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1.000 1.000 1.000 2.000
2001 29 10 6 7 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 2 0 1 1 1 .000 .300 .000 .300
通算:5年 83 42 37 20 5 0 0 0 5 1 3 2 0 1 3 0 1 9 2 .135 .214 .135 .349

記録[編集]

背番号[編集]

  • 49(1992年 - 1993年)
  • 69(1994年 - 1998年途中)
  • 45(1998年途中 - 2002年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、49ページ
  2. ^ a b 市原圭インタビュー”. 真木将樹が運営するサイト ドリームネクスト. 2014年7月11日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]