元木大介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
もとき だいすけ
元木 大介
生年月日 (1971-12-30) 1971年12月30日(44歳)
出生地 日本の旗 日本大阪府豊中市
活動期間 1990年(プロ野球選手として) -
活動内容 プロ野球選手野球解説者
事務所 アワーソングスクリエイティブ
元木 大介
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府豊中市
生年月日 (1971-12-30) 1971年12月30日(44歳)
身長
体重
180 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 1990年 ドラフト1位
初出場 1992年4月8日
最終出場 2005年10月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

元木 大介(もとき だいすけ、1971年12月30日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手内野手外野手)。

2013年現在は、野球解説者(TBSS☆1」、日テレG+徳光和夫の週刊ジャイアンツ」、「TBSラジオ エキサイトベースボールTBSラジオ)、タレントなどとして活動中。 所属事務所はケイダッシュグループのアワーソングスクリエイティブ

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

幼少時代は南海ホークスファンで、たびたび大阪球場に足を運び、ホークス友の会に入会していた他、南海OBによって運営されていた少年野球チーム・ジュニアホークスにも入っていた。小学6年生の頃、当時巨人の監督だった王貞治と対面し、一緒に記念撮影をした際、「プロ野球に入るなら巨人に来いよ」と激励された事に感激して以来巨人ファンに転向したという[1]

豊中市立第十二中学校時代、バッティング練習中にあまりに打球を飛ばすので学校が近所への迷惑も考え高いネットを張った。「元木ネット」と言われている。[要出典]

上宮高校甲子園に3回出場。1989年夏の甲子園では1試合2本塁打を放つなど注目された。同校では種田仁小野寺在二郎星田英利(お笑い芸人)とチームメイトである。高校通算24本塁打。甲子園通算6本塁打は清原和博に次いで歴代2位タイ(桑田真澄と同数)の記録である。

当時はその端正なマスク、スターと言われた外見とは裏腹に、あまりに唐突な発言の連発でチームの人気者となり、キャプテンに選ばれた。殺到するファンを避けるどころか、気さくな笑顔で手を振って応じるなど、それまでの人気選手の立ち振る舞いとは一線を画していた。別の高校に進学した先輩にもきちんと挨拶に行く等、礼儀正しい選手だった。

3年時の夏は大フィーバーで、大阪大会や甲子園練習には女性ファンが殺到。開会式当日、出場校は球場の外で待機することになっているが、混乱を避けるために上宮だけ隔離されるという異例の措置も取られた。

1989年の夏の甲子園3回戦の対八幡商で内野フライを放ち、1塁へ走るのをやめたことがあった。ところが、そのフライを相手内野手が落球。走るのをやめてしまっていた元木は1塁でアウト。ベンチに戻ってきたところを山上監督に怒鳴られるシーンが全国に中継された。

1989年10月15日に電車の中で当時の近鉄バファローズ監督・仰木彬と乗り合わせ、握手をしてもらっていた。当日は近鉄の優勝が決まるかというタイミングで仰木の出勤シーンを撮りにテレビのカメラマンがついてきており、その模様がニュースで放映されていた。

同年のドラフト会議では読売ジャイアンツの指名を希望するが、巨人は大森剛を1位指名。福岡ダイエーホークスから野茂英雄の外れ1位で指名されるがこれを断り、1年間ハワイ野球留学する。実際にはハワイの環境では本格的な野球練習は出来ず、大学・社会人に進むと次回ドラフト指名まで年数がかかるためそれを避ける行動だったといわれる。この野球留学中、ベニー・アグバヤニ(元・千葉ロッテマリーンズ)とチームメイトになり、知り合いになったという。

プロ入り後[編集]

1990年のドラフト会議で巨人より1位指名を受けて入団する。1992年から1軍で出場。バッテリーを除く全てのポジションを守れるユーティリティープレイヤーとして活躍する。オールスターゲームでは、初出場の98年は遊撃手、翌99年は三塁手のファン投票で選ばれるも、98年は代打のみ、99年は二塁手で試合に出場した。この事について元木は「オールスターくらい選ばれた所で出たいよ」とトークショーなどで笑いながら語っている。 2000年9月24日東京ドームでの中日ドラゴンズ戦で「2番・左翼手」として先発出場し、8回まで被安打5・無四球無失点と、好投を続けていた前田幸長からライト前ヒットで出塁、2番手エディ・ギャラードから江藤智が同点満塁弾、二岡智宏がサヨナラホームランを放ち、巨人が4年ぶりにリーグ優勝を決定する口火を切った。

2003年以降は度重なる故障に悩まされ、2005年堀内恒夫監督のチーム若返りの方針により後半戦は戦力構想から外れて2軍生活を送ることとなり、活躍の場を失った。首脳陣への当てつけか、自軍ダグアウトのベンチ・椅子ではなく、階段に体育座りしていたようなところもあった。その年の9月に戦力外通告を受ける。オリックス楽天などから入団の誘いがあった[2]ものの、浪人してまで巨人入団を1年待った経緯もあり、「ジャイアンツが好きだから、入団したときからこのチームでいらないと言われたら辞めようと決めていた」と33歳の若さで現役を引退。後藤孝志と共に自ら身を引く形となった。世代交代する巨人に迷惑をかけたくなかったという。最終戦で引退試合に出場した。

引退後[編集]

2005年シーズンオフから日本テレビ系列のTHE・サンデーのスポーツコーナーにレギュラー出演、2006年よりTBSラジオ野球解説者スポーツ報知評論家となった。30代半ばの時期は若いこともあり、中継の際は必ず年上・年下問わず「XX選手」と言うようにしていた。

2007年から、マスターズリーグ・東京ドリームスに参加している。内野手登録で、背番号は2となっている。

2009年5月16日の収録の『ヘキサゴンII』内の「みんなで跳ぼう! 縄跳びクイズ!」で、長縄跳びから脱出する際に転倒してアキレス腱を断裂する重傷を負った[3]

バラエティタレントとしても活躍する傍ら、2010年9月に仲御徒町、2012年9月には広尾にラーメン店「元福」をオープンしたものの両店舗ともに閉店。2013年6月から足立に本店を構えたが2014年暮れに閉店した[4]。後に、それに関しては、しくじり先生に出演した時に語った[5]

選手としての特徴[編集]

高校時代は甲子園通算6本塁打を記録したスラッガーだったが、プロ入り後はつなぎ役に徹していた[6]。また1998年には得点圏打率1位に輝くなど勝負強かった[6]

守備では内野ならどこでもこなす他、外野手としても出場した[6]。出場試合数が一番多かったのは三塁である[7]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1992 巨人 34 72 59 7 11 2 0 0 13 2 2 2 2 0 10 0 1 15 2 .186 .314 .220 .534
1993 80 222 186 25 44 7 1 4 65 15 1 3 3 0 32 0 1 25 7 .237 .352 .349 .701
1994 90 248 218 26 61 6 0 4 79 25 1 2 6 1 21 0 2 23 3 .280 .349 .362 .711
1995 67 219 197 13 48 11 1 3 70 25 5 3 5 1 15 0 1 23 5 .244 .300 .355 .655
1996 91 326 288 34 66 14 1 9 109 35 3 2 6 4 25 0 3 51 5 .229 .297 .378 .675
1997 101 337 312 33 88 10 1 9 127 32 1 1 7 2 14 0 2 46 6 .282 .317 .407 .724
1998 114 456 397 49 118 18 3 9 169 55 3 2 6 3 45 0 5 56 18 .297 .376 .426 .802
1999 114 372 327 28 75 12 0 6 105 34 0 1 8 1 36 1 0 49 11 .229 .306 .321 .627
2000 114 353 310 40 85 17 0 5 117 29 0 2 7 1 34 1 1 47 7 .274 .348 .377 .725
2001 123 441 391 51 114 16 3 9 163 39 3 0 9 2 37 3 2 51 13 .292 .356 .417 .773
2002 121 381 343 39 88 12 1 6 120 52 1 0 8 5 23 2 0 58 19 .257 .303 .350 .653
2003 60 153 143 11 32 9 0 0 41 14 0 0 3 0 5 1 2 19 6 .224 .260 .287 .547
2004 55 128 121 11 29 5 0 2 40 13 0 1 0 1 6 0 0 24 3 .240 .276 .331 .607
2005 41 120 105 9 32 4 0 0 36 8 1 1 4 1 9 0 1 21 2 .305 .365 .343 .708
通算:14年 1205 3828 3397 376 891 143 11 66 1254 378 21 20 74 22 312 8 21 508 107 .262 .328 .369 .697

年度別守備成績[編集]


一塁 二塁 三塁 遊撃 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1992 - 13 19 21 0 2 1.000 - 14 10 24 6 0 .850 -
1993 - 51 74 114 2 21 .989 6 2 12 1 3 .933 15 6 6 1 3 .923 -
1994 - 57 97 141 2 29 .992 21 6 16 2 0 .917 9 10 16 0 3 1.000 -
1995 - 47 68 87 4 18 .975 6 1 2 1 0 .750 19 30 56 1 8 .989 -
1996 - 77 188 222 2 57 .995 8 3 5 1 0 .889 16 14 22 1 6 .973 -
1997 - 35 72 90 1 22 .994 42 23 64 4 6 .956 28 33 50 0 13 1.000 -
1998 - 15 26 35 0 5 1.000 60 45 64 5 8 .956 51 74 115 2 27 .990 -
1999 - 11 20 25 1 5 .978 88 55 117 4 10 .977 4 6 10 0 2 1.000 1 2 0 0 0 1.000
2000 6 15 1 0 1 1.000 7 14 11 0 2 1.000 34 15 25 1 1 .976 54 67 98 7 22 .959 28 15 0 0 0 1.000
2001 1 1 0 0 0 1.000 3 2 2 0 1 1.000 19 4 13 0 1 1.000 83 92 194 4 42 .986 35 39 3 0 1 1.000
2002 19 93 3 0 3 1.000 27 35 62 0 11 1.000 60 28 67 6 5 .941 30 41 63 0 13 1.000 -
2003 11 27 2 0 1 1.000 16 25 49 0 8 1.000 42 18 41 1 3 .983 1 0 0 0 0 - -
2004 - 1 2 5 0 1 1.000 5 1 0 1 0 .500 23 32 63 1 13 .990 -
2005 11 66 0 0 7 1.000 13 22 29 2 7 .962 8 4 6 0 2 1.000 1 0 0 0 0 - -
通算 48 202 6 0 12 1.000 373 664 893 14 189 .991 399 205 432 27 39 .959 348 415 717 23 152 .980 64 56 3 0 1 1.000

記録[編集]

背番号[編集]

  • 37 (1991年 - 1993年)
  • 2 (1994年 - 2005年)

関連情報[編集]

著書[編集]

単著[編集]

監修[編集]

出演[編集]

出演番組[編集]

CM[編集]

  • ファミリー引越センター

CD[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『THE・サンデー』最終回で自ら語っていた他、以前『プロ野球ai』に母親が寄稿した際にその時の写真が掲載されていた。この経緯から引退して解説者となってからも、王からはよく声をかけてもらったと語っていた。
  2. ^ チームの中心選手ではない元木がトレードされる憶測はそれ以前にもしばしば流されており、2004年シーズン途中には、当時大阪近鉄バファローズ高村祐とのトレードという誤報を東京中日スポーツに出されている。
  3. ^ 元巨人の元木なわとびで左アキレス腱断裂、2009年5月28日、日刊スポーツ
  4. ^ [1] - 日刊ゲンダイ2015年5月27日配信、同日閲覧
  5. ^ http://news.livedoor.com/article/detail/10591676/
  6. ^ a b c 『日本プロ野球偉人伝 vol.13 1997→99編』 ベースボール・マガジン社、2014年、82頁。ISBN 978-4-583-62103-6
  7. ^ Daisuke MotokiBASEBALL-REFERENCE.COM、2014年10月31日閲覧。※英語

関連項目[編集]

外部リンク[編集]