小野晋吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
小野 晋吾
千葉ロッテマリーンズ 二軍投手コーチ #82
2012marines ono.jpg
2012年 QVCマリンフィールド
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 静岡県駿東郡長泉町
生年月日 (1975-04-07) 1975年4月7日(41歳)
身長
体重
179 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1993年 ドラフト6位
初出場 1997年10月10日
最終出場 2012年10月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

小野 晋吾(おの しんご、1975年4月7日 - )は、静岡県駿東郡長泉町出身の元プロ野球選手投手)、指導者。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

静岡県駿東郡長泉町出身。御殿場西高校時代に甲子園に出場。

1993年のドラフト6位でロッテが指名したが「プロとしてやっていける自信がない」と発言し入団を一時拒否したが、水谷則博スカウトの必死の説得により入団。当時の背番号は63。

プロ入り後[編集]

2000年

先発ローテーションに定着、4月23日オリックス・ブルーウェーブ戦から7月9日日本ハムファイターズ戦まで日曜日に9連勝し[1]、かつてチームの先輩であり大投手の村田兆治が呼ばれた「サンデー兆治」に因んで「サンデー晋吾」と呼ばれる。6月には月間MVPに選出される。オールスターに選出され、長崎県営野球場で開催された第3戦に先発するが、清原和博(当時巨人)に本塁打を打たれ負け投手となった。この年、13勝5敗で最高勝率のタイトルを獲得。また防御率もリーグ2位を記録した[2]

2001年

背番号を63から、村田兆治がつけていた29に変更(球団発表は2000年11月5日[3])。4月8日ダイエー戦で93球で完封勝利を挙げる。このシーズンは10勝9敗、防御率3.74(リーグ6位)の成績を挙げた[4]。しかし翌年以降は腰痛など故障に悩まされ、満足な成績が残せない期間が続いた。

2002年

5勝8敗の成績で終わったが、防御率は3点台だった。

2003年

不本意な投球が続き、わずか2勝に終わった。

2004年

主に中継ぎとして32試合に登板し、4勝3敗防御率3.45の成績を残した。この年の先発登板はわずか6試合だった。

2005年

先発、シーズン後半からは中継ぎとフル回転しシーズン10勝(先発で7勝)を挙げた。規定投球回到達はならなかったがチーム31年ぶりのリーグ優勝・日本シリーズ制覇(日本一)に貢献した。

2006年

9月13日楽天戦で5年ぶりの完封勝利。先発ローテーションを守り2001年以来の規定投球回到達。打線の援護に恵まれず7勝止まりながら1年間安定した投球を見せ、防御率2.66はリーグ5位であった。

2007年

4月20日の楽天戦から8月5日の日本ハム戦で勝利投手になるまで11試合先発していながら勝てずに苦しんだ事も響き、7勝に終わった。このシーズンも防御率3.25と安定しながら前年同様勝ち星に恵まれなかった。この年は規定投球回には到達しなかった。

2008年

故障もあり、防御率6.50 5勝4敗と不本意な成績に終わった。

2009年

オープン戦では不調だったものの、シーズンに入ってからはローテーションを守り続け防御率3点台と復調して8勝をマーク。バレンタイン監督の配慮により10月3日の日本ハム戦では中継ぎで5イニングを投げちょうど3年ぶりの規定投球回に届き、「最低限の目標だったが、うれしい」とコメントした。この試合で清水直行も1イニングだけ投げて規定投球回に到達し、監督は「大きな努力を払ってきた2人にできるささやかなお礼」と述べた[5]

2010年

開幕からローテーションを守り3連勝するも、4月21日対楽天戦で臀部を怪我し[6]、二軍調整を余儀なくされる[7]。5月25日対阪神戦で復帰するも、初回にクレイグ・ブラゼルの打球が右肩に直撃し、僅か16球で無念の降板[8]、再度出場登録を抹消された。6月27日に再登録も背中の違和感で7月11日に再々抹消。8月10日に一軍復帰後は中継ぎとしてチームを支えた。シーズン後の契約更改で3年契約を結んだ。

2011年

この年は19試合に登板し、そのうち11試合に先発した。同年は4勝5敗の成績で終わった。

2012年

15試合に登板し、12試合に先発したが、2勝5敗とさらに成績を下げた。

2013年
2013年10月6日 小野晋吾投手 引退セレモニーでの胴上げ

この年は一軍での登板がないまま、9月19日に今季限りでの現役引退を発表[9]。翌20日に引退会見を行った[10]10月6日の本拠地最終戦となった対オリックス戦の試合後に、同じく今季限りでの現役引退を表明した薮田安彦と共に引退セレモニーを行い、マウンドに立ち打席に立った福浦和也に対し三球三振に打ち取り、ファンへの挨拶の後ナインに胴上げされ、グラウンドを1周した[11]

引退後[編集]

2014年からはロッテ球団の東海地区スカウトを務めていた[12]

2016年から千葉ロッテマリーンズの二軍投手コーチに就任することになった[13]

プレースタイル[編集]

最大の武器として荘勝雄コーチから伝授されたというキレ味鋭いシュートがクローズアップされることが多いが、本人は「多くの人がシュート投手として見てくれていると思うけど、スライダーあってのシュート。今でもスライダーの方が自信がある。シュートはあくまで見せ球」と語っている[14]

人物・エピソード[編集]

  • 口数は少なく、真面目で落ち着いた性格である。試合中はポーカーフェイスで、自分が好投している際、味方打線の援護がなく負けてしまったときも「自分の責任」というコメントがほとんどである。起用法にも不満を漏らすことはなく、黙々と仕事をこなす。このような人柄面が評価され年俸が上積みされたことがある。
  • 弟(小野亨)も東芝に所属していた野球選手。兄と同じ投手だが、弟は左投げである。彼も御殿場西高校時代からドラフト候補に挙げられたが、社会人では実績を残すことは出来なかった。
  • フジテレビジョンの番組で、アフリカシェラレオネの現状を見てショックを受け、自らのブログにそのことを綴ったのがきっかけとなり、FNSチャリティキャンペーンに100万円の寄付を行った[15]
  • 2011年07月06日の勝利者インタビューで「今日は本当に“うれしんご”ですね」と人気芸人楽しんごと自分の名前をかけたダジャレを披露した。
  • 2012年8月30日の楽天戦に先発し、7回の投球練習中に西村徳文監督が交代を告げていないのにも関わらず、何故か南昌輝投手がリリーフカーに乗って登場する珍事があった。南はそのままリリーフカーに乗ってブルペンに戻った[16]
  • 現役引退後、出身地の長泉町で催された引退記念イベントで、現役時代最も苦手だった打者として小笠原道大の名前を挙げている。[17]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1997 ロッテ 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 14 3.0 1 0 4 0 0 2 0 0 0 0 0.00 1.67
1998 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 5 1.0 0 0 2 0 0 0 1 0 0 0 0.00 2.00
1999 10 7 1 0 0 3 3 0 -- .500 191 45.2 41 6 19 0 3 31 1 0 22 22 4.34 1.31
2000 26 26 4 1 0 13 5 0 -- .722 717 167.0 160 8 74 3 1 96 8 0 77 64 3.45 1.40
2001 27 25 2 1 0 10 9 0 -- .526 709 163.2 164 18 64 0 8 96 5 0 80 68 3.74 1.39
2002 19 19 2 0 0 5 8 0 -- .385 457 108.1 106 12 27 0 5 69 2 0 53 41 3.41 1.23
2003 10 10 1 0 0 2 4 0 -- .333 238 53.0 70 7 14 0 0 40 5 0 35 31 5.26 1.58
2004 32 6 0 0 0 4 3 0 -- .571 267 60.0 70 6 23 1 6 35 0 0 24 23 3.45 1.55
2005 24 17 2 0 0 10 4 0 2 .714 452 112.0 106 9 18 0 5 55 1 0 39 35 2.81 1.11
2006 22 22 3 1 1 7 7 0 0 .500 582 145.2 131 11 29 1 8 61 2 0 49 43 2.66 1.10
2007 22 22 1 0 0 7 9 0 0 .438 574 135.2 150 9 28 2 8 59 2 1 54 49 3.25 1.31
2008 15 14 1 0 0 5 4 0 0 .556 337 73.1 100 9 28 3 3 32 1 0 55 53 6.50 1.75
2009 23 22 3 0 1 8 7 0 0 .533 610 144.0 158 16 37 2 5 77 1 0 65 61 3.81 1.35
2010 27 7 0 0 0 5 4 0 8 .556 262 59.0 62 3 22 1 8 37 0 0 30 26 3.97 1.42
2011 19 11 0 0 0 4 5 0 0 .444 321 72.2 81 6 22 0 1 31 1 0 38 36 4.46 1.42
2012 15 12 0 0 0 2 5 0 0 .286 336 81.0 74 6 17 0 5 42 2 0 32 31 3.44 1.12
通算:16年 293 220 20 3 2 85 77 0 10 .525 6072 1425.0 1474 126 428 13 66 763 32 1 653 583 3.68 1.33
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録

背番号[編集]

  • 63 (1994年 - 2000年)
  • 29 (2001年 - 2013年)
  • 82 (2016年 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 2001 ベースボール・レコード・ブック 95頁 2000年度主要記録集「休日10連勝がストップの小野」より。続く7月20日の海の日での先発も含めて休日10連勝である。
  2. ^ 年度別成績 2000年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年3月5日閲覧。
  3. ^ 「2002 ベースボール・レコード・ブック」 ベースボールマガジン社 33頁
  4. ^ 年度別成績 2001年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年3月5日閲覧。
  5. ^ “小野と清水 指揮官配慮で規定投球回へ”. スポニチSponichi Annex. (2009年10月3日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/10/03/kiji/K20091003Z00001530.html 2013年4月15日閲覧。 
  6. ^ “小野 アクシデントで降板も3勝目”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年4月21日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/04/21/kiji/K20100421Z00001050.html 2013年4月15日閲覧。 
  7. ^ “小野が登録外れる…左臀部に張り”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年4月22日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/04/22/kiji/K20100422Z00000930.html 2013年4月15日閲覧。 
  8. ^ “ロッテ痛かった小野のアクシデント…阪神が大勝!”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年5月25日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/05/25/kiji/K20100525Z00000830.html 2013年4月15日閲覧。 
  9. ^ “サンデー晋吾”ロッテ小野が現役引退 「ファン、関係者に感謝」スポーツニッポン2013年9月19日配信
  10. ^ 小野投手 引退会見ロッテ球団公式サイト2013年9月20日配信
  11. ^ 小野&薮田 涙、涙の引退セレモニースポーツニッポン2013年10月6日配信
  12. ^ 小野晋吾氏 スカウト就任のお知らせロッテ球団公式サイト 2013年10月30日配信
  13. ^ 2016年度コーチングスタッフのお知らせ”. 千葉ロッテマリーンズ (2015年10月29日). 2015年10月29日閲覧。
  14. ^ 週刊ベースボール 2009年29号、36-39項、2009年、雑誌20441-7/6
  15. ^ シエラレオネの現実を再び こちらフジテレビ 2009年8月4日告示
  16. ^ 小野「えっ?オレ交代?」 QVCマリンで珍事 2012.08.30 M-E - YouTubeパ・リーグチャンネル
  17. ^ 静岡新聞2014年3月2日朝刊より

関連項目[編集]

外部リンク[編集]