森中聖雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
森中 聖雄
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 静岡県三島市
生年月日 (1974-04-09) 1974年4月9日(46歳)
身長
体重
175 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1996年 ドラフト2位(逆指名)
初出場 1997年4月4日
最終出場 2003年8月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗日本
五輪 1996年
オリンピック
男子 野球
1996 野球

森中 聖雄(もりなか まさお、1974年4月9日 - )は、静岡県三島市出身の元プロ野球選手投手・左投左打)。愛称は「モリチュー[1]

2019年現在は読売ジャイアンツ(巨人)のスコアラーを務める[2]

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

東海大学工業高校時代は1991年夏の静岡大会で準優勝、1992年の春季東海大会では優勝を果たした。東海大学では1996年アトランタオリンピック野球日本代表に選出。決勝の対キューバ戦で同点の6回裏から登板。4回を3安打6奪三振と好投して日本代表の銀メダル獲得に貢献。大会通算4試合に登板し9回2/3投球回、15奪三振。帰国後の秋のリーグ戦では武蔵大学相手に19奪三振というリーグタイ記録を達成。首都大学リーグ通算48試合登板、21勝12敗、防御率1.83。

1996年のドラフト会議前には横浜ベイスターズ中日ドラゴンズの2球団から勧誘を受けていたが、11月11日に横浜を逆指名することを表明した[3]。ドラフト会議では横浜が2位指名で交渉権を獲得し、11月26日にはドラフト1位指名を受けた川村丈夫日本石油硬式野球部)とともに契約金1億円+出来高払い5,000万円・年俸1,300万円(金額は推定)で契約を締結した[4]

横浜時代[編集]

1997年には小坂誠千葉ロッテマリーンズ)とともにオープン戦の最優秀新人選手として選出され[5]、川村とともに開幕一軍メンバーに名を連ねると[6]4月4日のシーズン開幕戦(対中日戦・ナゴヤドーム)でプロ初登板。1998年には日本シリーズ出場有資格者選手としてノミネートされたが[7]、優勝の輪には加われず[8]、入団後しばらくは制球難に苦しんだ。

1999年にはオープン戦から好調で開幕後も中継ぎの一角に入り、41試合に登板してプロ初勝利を含め6勝2敗2セーブ(防御率2.16)と好成績を残した。2000年5月25日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(福岡ドーム)では0対0で迎えた9回裏の二死一・二塁のピンチで3番手投手として登板し高橋由伸を初球で一塁ゴロに打ち取ると、延長10回表に佐伯貴弘岡島秀樹から左前に1点適時打を放ち、10回裏に登板した抑え・福盛和男がリードを守りきったことで同シーズン初勝利を「1球勝利投手」(当時プロ野球史上10人目)の記録で飾った[9]。同年は53試合にリリーフ登板して6勝2敗2セーブと大車輪の活躍だった[8]

2002年7月18日の巨人戦(東京ドーム)では松井秀喜に屋根の隙間に入り込む大飛球を打たれたが、ボールは実際には挟まってはおらず二重構造の天井シートの隙間に吸い込まれており、松井には東京ドーム特別ルールにより二塁打が宣告された[10]。また同年9月16日の巨人戦(東京ドーム)で7回裏から2番手投手として登板したが、先頭の松井に東京ドームの天井を直撃する特大の本塁打を献上した[1]。なお、森中本人はこの松井からの特大本塁打を「自分がプロ野球選手だった証となる大切な思い出」として回顧している[1]

2003年5月28日には阪神甲子園球場で開かれた対阪神タイガース11回戦にて4回表に先発投手・藪恵壹からプロ初本塁打となるソロ本塁打を放ったが[11]、同年はわずか10試合の登板に終わり[8]、10月4日には杉本友とともに戦力外通告を受け[12]、12月2日付でNPBコミッショナー事務局から自由契約選手として公示され[13]、現役を引退した[8]

横浜退団後[編集]

横浜退団当時はまだ29歳と年齢的に若く故障もなかったことから現役続行を目指し、西武ライオンズの入団テストを受けたが不合格に終わった[8]。また巨人からも声を掛けられたが、原辰徳監督の辞任騒動により選手ではなく[1]井上貴朗とともに打撃投手として採用されることとなった[8]

2004年[8] - 2011年に打撃投手を務め、2012年からはチームスコアラーを務めている。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1997 横浜 17 3 0 0 0 0 4 0 -- .000 113 22.2 27 3 19 1 2 22 0 0 22 20 7.94 2.03
1998 6 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 19 4.2 1 0 3 0 1 4 0 0 0 0 0.00 0.86
1999 41 0 0 0 0 6 2 2 -- .750 198 50.0 34 5 16 2 1 30 2 0 13 12 2.16 1.00
2000 53 1 0 0 0 6 2 2 -- .750 244 64.1 41 8 11 1 1 64 1 0 17 17 2.38 0.81
2001 35 0 0 0 0 3 2 0 -- .600 153 32.2 38 7 14 0 2 22 0 0 22 19 5.23 1.59
2002 27 6 0 0 0 2 5 0 -- .286 251 59.1 61 12 17 2 2 43 2 0 32 32 4.85 1.31
2003 10 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 51 11.0 12 2 4 0 4 8 0 0 8 8 6.55 1.45
通算:7年 189 10 0 0 0 17 15 4 -- .531 1029 244.2 214 37 84 6 13 193 5 0 114 108 3.97 1.22

記録[編集]

背番号[編集]

  • 14 (1997年 - 2003年)
  • 123 (2004年 - 2009年)
  • 04 (2010年)
  • 203 (2011年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 惜別球人 第1回 横浜 思い出は「ゴジラ天井弾」」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2003年12月。2004年2月18日閲覧。オリジナルの2004年2月18日時点におけるアーカイブ。
  2. ^ 【センバツ】国士舘、巨人・森中スコアラー次男が意地の2安打「夏に戻ってきたい」」『スポーツ報知報知新聞社、2019年3月27日。2020年1月10日閲覧。オリジナルの2020-01-10時点におけるアーカイブ。
  3. ^ 中日新聞』1996年11月12日朝刊第一運動スポーツ面23頁「森中、横浜を逆指名」(中日新聞社
  4. ^ 『中日新聞』1996年11月27日朝刊第一運動スポーツ面29頁「ドラフトだより(金額は推定) 【横浜】川村、森中が契約」(中日新聞社)
  5. ^ 『中日新聞』1997年4月1日朝刊第二運動スポーツ面32頁「プロ野球短信 MVPに池山、城島」
  6. ^ 『中日新聞』1998年4月3日朝刊第一運動スポーツ面27頁「セ・リーグあす開幕 竜は横浜とナゴヤドームナイター 今中、野口開幕外れる 出場選手登録公示 大塔を抜てき 中継ぎ『勝負』」
  7. ^ 『中日新聞』1998年10月16日朝刊第一運動スポーツ面31頁「あすから日本シリーズ 第1戦はエース対決 野村、西口 日本シリーズ出場有資格者選手名簿と担当審判員」(中日新聞社)
  8. ^ a b c d e f g 読売新聞』2004年1月27日東京夕刊2面2頁「縁あってのG、縁の下の力持ち 巨人の打撃投手に新顔2人/プロ野球」(読売新聞東京本社・記者:荒井秀一)
  9. ^ 東京新聞』2000年5月26日朝刊第一運動スポーツ面23頁「セ・リーグ 佐伯が決勝打 福岡ドーム(9回戦巨人7勝2敗) 横浜1-0巨人」(中日新聞東京本社
  10. ^ 『東京新聞』2002年7月19日朝刊第二運動スポーツ面22頁「ザ・マン 天井弾 松井 打球も調子も落ちん 記録は二塁打」(中日新聞東京本社・記者:牧田幸夫)
  11. ^ 『中日新聞』2003年5月29日朝刊第二運動スポーツ面22頁「セ・リーグ 第10節 28日 阪神ヒヤヒヤ3連勝 阪神10-9横浜 甲子園(阪神10勝1敗)」(中日新聞社)
  12. ^ 朝日新聞』2003年10月5日東京朝刊第三スポーツ面21頁「横浜が2投手に戦力外通告(プロ野球短信)」(朝日新聞東京本社
  13. ^ 『中日新聞』2003年12月3日朝刊第一運動スポーツ面21頁「ムーアも自由契約 名簿公示 コミッショナー公示(2日)【自由契約選手】」(中日新聞社)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]