伊志嶺翔大

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伊志嶺 翔大
千葉ロッテマリーンズ #38
2011marines ishimine.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 沖縄県平良市(現・宮古島市
生年月日 (1988-05-12) 1988年5月12日(28歳)
身長
体重
179 cm
79 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2010年 ドラフト1位
初出場 2011年4月14日
年俸 2,000万円(2017年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

伊志嶺 翔大(いしみね しょうた、1988年5月12日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手外野手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

沖縄県平良市(現・宮古島市)出身。小学1年時にスポーツ少年団に入り野球を始める。野球の練習がない時は海に飛び込んで魚を捕まえていた野生児気質だった[1]。2年の時に宮古島キャンプに来ていたオリックスの野球教室に参加し、イチローにサインを貰ったことでプロ野球選手になりたいという思いが強くなる[2][3]。3年からは高校で陸上部の顧問をしていた父親に陸上選手としての指導を受け、代表選手として出場した宮古地区大会では新記録で優勝。中学時代は軟式野球部で主に投手を務め、内野手外野手も経験する。陸上では2年時に県大会の200mで優勝した。高校進学にあたって陸上選手として複数校から勧誘されたが、野球選手の道を進むため沖縄尚学高に推薦入学する[3]

2010年、世界大学野球選手権大会 神宮にて

1年時4月のオープン戦で本塁打を放ち、打撃に目覚めたことで外野手に専念。夏にレギュラーとなったが秋にはその座を奪われ、翌春のセンバツ夏の甲子園では代打として1打席ずつの出場に終わる。秋は九州大会で敗退、3年時の夏も県大会準決勝で敗退し甲子園出場はならなかった。この年の春に左肩を脱臼しその後も繰り返していたため、東海大学への進学前に手術を受ける[3]。1学年先輩に比屋根渉、2学年後輩に東浜巨がいる。

入学後の3カ月はリハビリに努める。同時にウエイトトレーニングなどをこなしていたことで復帰後の練習にも遅れることなく、2年春からレギュラーに定着し夏には第24回ハーレムベースボールウィーク日本代表に選出される。これがプロへ進むための評価を自覚するきっかけとなり、また人生の大きな分岐点になったという[3]。秋に首都リーグベストナインに輝き、同賞を通算4回獲得。大学野球日本代表で3年秋から、東海大では4年から主将を務める。4年時の全日本大学野球選手権大会では15打数9安打、世界大学野球選手権大会でも24打数11安打の成績を残したことでプロのスカウトからは「足はプロでもトップクラス」「大学ではナンバーワンの野手」との評価を受ける[3]。首都大学リーグ通算63試合出場、243打数79安打、打率.325、2本塁打、40打点。

2010年10月28日のプロ野球ドラフト会議千葉ロッテマリーンズオリックス・バファローズの2球団が1位指名し、抽選の結果ロッテが交渉権を獲得。契約金1億円、年俸1500万円で契約した[4]。背番号は、この年限りで引退した堀幸一が20年間着用していた「5」に決まった[5]

プロ入り後[編集]

2011年、開幕一軍入りし、4月14日東北楽天ゴールデンイーグルス戦にて初出場。8回には初打席に立ち、プロ初安打となる三塁打を放つ鮮烈なデビューを果たす。5月頃には左翼手または右翼手としてスタメンに定着するようになり、6月・7月には月間打率が3割を超えるなど好調な打撃を披露した。8月半ばに扁桃炎によって一時離脱して以降調子を落としたが[6]、最終的にはその年の新人としては唯一、規定打席に到達した。また、新人としては2001年赤星憲広阪神タイガース)以来10年ぶり、パ・リーグおよび球団の新人としては1997年小坂誠以来14年ぶりとなる30盗塁も達成した。

2012年はオープン戦で1番打者として固定されるなど期待されたものの、調子が上がらず開幕スタメンから外れ、その後は二軍に降格するなど2年目のジンクスを味わうシーズンとなった。ただし、二軍では最高出塁率と盗塁王を獲得するなど格の違いを見せつけた。

2013年は開幕を一軍で迎え、4月16日の北海道日本ハムファイターズ戦で2年ぶりの本塁打を放つ。シーズン序盤は、主に左投手が先発の時にスタメンで出場するも荻野貴司の復帰後は守備固めでの出場が増える。

2014年は89試合に出場したが、打率.220と不調に終わった。

選手としての特徴[編集]

50メートル5.7秒、右打者ながら一塁到達4.09秒を記録する俊足[7]を生かした広い守備範囲が持ち味で、守備走塁に重点を置いているという[8]

やや故障も多いが、打撃では強く柔らかいリストを生かし、広角に鋭い打球を放つ[9]

人物[編集]

主将を務めた世界大学野球で代表チームは周囲から「伊志嶺ジャパン」とも呼ばれた[3]。準決勝でアメリカに敗れた後榎本保監督は会見に一人で出席しようとしたが、自分も行くべきだと考えた伊志嶺も同席して記者の質問に答えている。伊志嶺について、大会の代表メンバーだった斎藤佑樹は「優しくて面白いが、野球に対する姿勢はとても真面目。気配りができる人物」。大石達也は「口ではなくプレーで引っ張るタイプ。信頼できる選手だった」と評している[3]

これまで対戦した中で一番すごいと思った投手には前田健太広島東洋カープ)を挙げている[8]東洋大学の高橋昭雄監督から、マイケル・ジャクソンに似ているため「マイケル」と命名され、そのニックネームで呼ばれることを希望した[10]

2歳下の弟・大地も翔大と同じく沖縄尚学高から東海大に進み、大学卒業後は千曲川硬式野球クラブに加入、翔大と同じ背番号5をつけている。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2011 ロッテ 126 492 422 52 110 16 6 2 144 21 32 6 27 0 30 0 13 77 3 .261 .341 .329 .670
2012 24 64 60 8 12 2 0 0 14 1 1 1 1 0 3 0 0 14 1 .200 .238 .233 .471
2013 102 161 137 28 32 2 0 3 43 11 8 5 6 0 16 1 2 27 4 .234 .323 .314 .636
2014 89 138 118 27 26 6 1 1 37 8 8 6 8 0 11 0 1 18 3 .220 .292 .314 .606
2015 34 109 86 10 25 3 0 0 28 12 5 0 11 2 10 0 0 10 0 .291 .357 .326 .690
NPB:5年 375 964 823 125 205 29 7 6 266 53 54 18 53 2 70 1 16 146 11 .249 .319 .323 .643
  • 2015年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]


外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2011 124 282 5 4 2 .986
2012 19 25 0 0 0 1.000
2013 82 91 1 2 0 .979
2014 75 80 0 0 0 1.000
2015 33 66 0 0 0 1.000
通算 333 544 6 6 2 .989
  • 2015年度シーズン終了時

記録[編集]

背番号[編集]

  • 5 (2011年 - 2016年)
  • 38 (2017年 - )

登場曲[編集]

参考文献[編集]

  • 節丸裕一『最強世代1988 田中将大、斎藤佑樹、坂本勇人、前田健太・・・・・・11人の告白』講談社、2011年

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『野球小僧』2010年10月号、白夜書房、雑誌18801-10、90-91項。
  2. ^ “ロッテ指名の伊志嶺選手「活躍して沖縄も盛り上がれば」”. 朝日新聞. (2010年10月29日). http://www.asahi.com/sports/baseball/npb/draft2010/news/TKY201010280611.html 
  3. ^ a b c d e f g 節丸裕一 『最強世代1988 田中将大、斎藤佑樹、坂本勇人、前田健太・・・・・・11人の告白』 講談社、2011年ISBN 978-4-0629-5066-4
  4. ^ “将来の主将候補だ!伊志嶺がロッテと契約”. スポーツニッポン. (2010年11月27日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/2010npb/marines6/KFullNormal20101127099.html 
  5. ^ “ドラ1、伊志嶺“ミスターロッテ”継承に意欲”. スポーツニッポン. (2010年11月21日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/11/21/kiji/K20101121Z00001510.html 
  6. ^ ルーキー1年目総括『週刊ベースボール』2011年12月26日号、ベースボール・マガジン社、2011年、雑誌20442-12/26, 41頁。
  7. ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰 『プロ野球スカウティングレポート2011』 廣済堂出版、2011年、2頁。ISBN 978-4-331-51519-8
  8. ^ a b 『アマチュア野球』第29号、日刊スポーツ出版社、2010年、雑誌66835-98、15-17頁。
  9. ^ 2010ドラフト 有力候補選手一挙紹介 『アマチュア野球』第29号、日刊スポーツ出版社、2010年、雑誌66835-98、20-21頁。
  10. ^ “伊志嶺のお願い「マイケルって呼んで」”. 日刊スポーツ. (2010年10月30日). http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2010/news/p-bb-tp1-20101030-695980.html 

外部リンク[編集]