中後悠平

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中後 悠平
武蔵ヒートベアーズ #11
2012marines nakaushiro.jpg
ロッテ時代(2012年、QVCマリンフィールド
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府泉南郡熊取町
生年月日 1989年9月17日(26歳)
身長
体重
182 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2011年 ドラフト2位
初出場 2012年3月31日
最終出場 2014年8月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

中後 悠平(なかうしろ ゆうへい、1989年9月17日 - )は、大阪府泉南郡熊取町出身のプロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学5年時に父が監督を務めるリトルリーグに双子の兄とともに入団し、本格的に野球を始める。熊取北中学校時は貝塚シニアに所属し、3年時からサイドスローに挑戦。その理由は「何も特徴がないのでサイドに変えろといわれて」[1]

地元大阪を離れ、父の出身地である和歌山県新宮市近大新宮高校に兄とともに進学。スポーツ進学コースの第1期生であり創部されたばかりの野球部の1期生であったが、2年夏からベンチ入り。3年時は和歌山大会準々決勝で敗れた。

高校卒業後は近畿大学に進学し硬式野球部に入部すると、1年次の春から公式戦に出場。しかし初めの一年間は徹底的に下半身強化にあてた。

2年次の春には10試合中9試合に登板し3勝0敗、防御率1.47の好投で大会MVPを受賞。近畿大学の2季ぶりの優勝に大きく貢献した。2009年全日本大学野球選手権大会で全国大会デビューを果たし、対桐蔭横浜大学戦で1失点完投勝利を挙げた。夏に第25回アジア野球選手権大会日本代表、秋には第37回日米大学野球選手権大会日本代表に選出。3試合に登板し、4回を被安打4、奪三振6、与四球1という成績だった。また11月22日に東京ドームにて開催された日本初の「プロと大学の選抜チーム同士による交流戦」であるU-26 NPB選抜 対 大学日本代表の大学日本代表にも選出されたが、この日の登板は無かった。

3年春のリーグ戦では8試合に登板し4勝2敗、防御率1.11で大会2位でベストナイン選出、秋のリーグ戦では7試合に登板し2勝3敗、防御率0.98で大会1位の成績を残した。また同年に開催された第5回世界大学野球選手権大会日本代表に選出。3試合に登板し、打者11人に対して被安打1、4奪三振。

第5回世界大学野球選手権大会での中後(2010年、神宮球場にて)

4年春のリーグ戦では8試合に登板し5勝3敗。防御率0.74は大会1位でベストナインに選出。続く秋のリーグ戦では10試合に登板し3勝4敗。防御率2.15とふるわないものの、奪三振数は72を記録。9月29日に連盟を通じてプロ志望届を提出した。

関西学生リーグでは50試合に登板し、通算成績19勝13敗、260奪三振、防御率1.48。日本学生野球協会・第44回「大学の部」にて表彰選手に選ばれた[2]

2011年のドラフト会議千葉ロッテマリーンズから2位指名を受け、11月21日に仮契約を結んだ[3]背番号は「16」。

ロッテ時代[編集]

2012年には、開幕一軍を勝ち取ると、開幕カードの3月31日の東北楽天ゴールデンイーグルスKスタ宮城)8回裏に救援投手として一軍デビュー。チームが1点を勝ち越していながら、1死満塁というピンチでの初登板を2者連続奪三振で切り抜けた(詳細後述)。チームもこの試合に勝利したため、試合後にはヒーローインタビューを受けた[4] [5]。4月22日の埼玉西武ライオンズ戦では、8回表に1点ビバインドの場面からの救援登板で1回を無失点に抑えると、その裏にチームが逆転したため一軍初勝利を記録。試合後のヒーローインタビューでは、「ウイニングボールは、一番感謝している両親(オトン、オカン)にあげたい」というコメントを残した[6]。シーズン終了後の契約更改では、前半戦の働きが球団に評価されたことから、推定年俸1650万円(150万円増)で更改した。

2013年には、ケガの影響で、春季キャンプから公式戦の開幕直後まで二軍で過ごした。4月に一軍へ昇格するものの、打者9人に5四球と制球が安定せず、再び二軍へ降格。シーズン通算では、一軍公式戦5試合の登板に終わった。シーズン終了後には、FA権の行使によって、埼玉西武ライオンズから涌井秀章投手が移籍。涌井が西武入団時の背番号でもある16を付けることを希望したため、背番号を13に変更した[7]

2014年には、一軍公式戦5試合に登板。通算4イニングで1敗を喫した。イースタン・リーグ公式戦でも、防御率4.27に終わった。

2015年には、入団以来初めて一軍公式戦への登板機会がなく、10月3日に球団から戦力外通告を受けた[8]

BCリーグ・武蔵時代[編集]

2015年11月10日に、打者3人に対するシートバッティング形式の12球団合同トライアウト草薙球場)に参加。ストレートで最速145km/hを計測したものの、2四球1死球という内容で終了した[9]。同年12月17日に、ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)武蔵ヒートベアーズへ入団することが球団から発表された[10]

選手としての特徴[編集]

千手観音投法」とも呼ばれる、スリークォーターサイドスローなど腕の位置を多彩に使い分ける変則左腕[11]。その投球スタイルから「和製ランディ・ジョンソン」とも称される[12]。変則フォームにしたきっかけは中学時代に所属していたシニアの監督から勧められたため。しかし、その後何も教えてもらえず干されたため、自分で改良した[13]

最速151km/hのストレートと切れ味鋭いスライダーを武器とし、カーブチェンジアップスクリューと多彩な変化球を投げる[14]。プロ入り後は「投球の割合は、ストレートが10パーセント、チェンジアップが1パーセント、残りの89パーセントはスライダー。スライダーは僕の生命線」と語っている[15]

三振を奪う能力は高いが[16]、一方で制球に苦しむ場面も見られる[17]。ロッテ時代の一軍初登板で2者連続三振を奪った際には、2人目の内村賢介を空振りで三振させた124km/hのスライダーが、内村の空振り後にそのまま内村の右膝に当たるという珍しいシーンが見られた。

人物[編集]

負けず嫌いな性格であり、ドラフトで2位指名された際には「1位指名されると思っていた」と語り、同年のドラフトで同じくロッテから1位指名された藤岡貴裕を引き合いに出し「何年か先には抜いて見せます」と抱負を述べた[18]

2012年1月、入寮に際して上京した際に電車を乗り間違え、東京駅から寮の最寄り駅である武蔵浦和駅までを、1本で行けるとは言え倍以上の時間を要する京葉線武蔵野線経由という大回りをし、同じく関西から一緒に入団する益田直也とともに当初の予定より遅れて入寮することとなった[19][20]

姓の「中後」を「なかうしろ」と読む例は全国的にも少なく、大阪府内の電話帳では中後本人の実家1軒だけらしい[21]

近畿大学付属新宮高校の野球部第1期生で同部出身のプロ選手第1号。千葉ロッテマリーンズへの入団が決まってからは、アーム式のピッチングマシーンを同部へ寄付している[22]

家族揃って阪神タイガースファンで、ロッテ入団の直後には「桧山進次郎(2013年引退)と対戦するのが夢」と語っていた。

2015年4月22日には、「4(よ)い22(夫婦)」という語呂合わせで、1歳年下で元保育士の女性と入籍[23]。しかし、妻が第1子を出産する直前に、ロッテから戦力外通告を受けた。同年の12球団合同トライアウトの直後には、NPB他球団から獲得の打診がなかったことから、家族との生活を背景に野球指導者への転身を検討。3週間悩んだ末に、「好きな野球を取りあげることはできないから、やりたいようにやったらいい」という妻のアドバイスに沿って、武蔵への入団を決意した[24]。なお、武蔵への入団決定直後には、第1子(男児)が誕生している。

ロッテ退団の直後から、武蔵への入団記者会見までの期間には、『プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達』(TBS)のスタッフが中後夫妻への密着取材を実施。2015年12月30日には、その模様がTBS系列で放送された。中後は取材の最中に、独立リーグでは年収150万円程度しか収入が得られず、とても家族を養えないことを理由に、武蔵では1シーズンまでしかプレーしないことを明言。それまでにNPBへの復帰を果たせなかった場合は現役を引退する意向があることも示した[25]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2012 ロッテ 27 0 0 0 0 2 0 0 5 1.000 96 20.1 21 1 13 0 4 15 0 1 11 11 4.87 1.69
2013 5 0 0 0 0 0 1 0 1 .000 9 1.0 1 0 5 0 0 0 0 0 2 2 18.00 6.00
2014 5 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 19 4.0 3 0 5 0 0 1 1 0 4 3 6.75 2.00
通算:3年 37 0 0 0 0 2 2 0 6 .500 124 25.1 25 1 23 0 4 16 1 1 17 16 5.68 1.89
  • 2015年度シーズン終了時

記録[編集]

背番号[編集]

  • 16 (2012年 - 2013年)
  • 13 (2014年 - 2015年)
  • 11 (2016年 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 関西の逸材(上)中後悠平投手(近畿大) 産経新聞 2011年10月25日
  2. ^ 表彰選手 日本学生野球協会
  3. ^ 中後、変幻フォーム貫く!成瀬&藤岡と左腕王国つくる」 スポニチ Sponichi Annex (2011年11月22日)、2011年12月3日閲覧。
  4. ^ “度胸満点ルーキー中後 プロ初登板で満塁連続K斬り!”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年4月1日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/04/01/kiji/K20120401002952490.html 2013年4月12日閲覧。 
  5. ^ “ロッテ・ルーキー中後が満塁ピンチ救った”. デイリースポーツ. (2012年3月31日). http://www.daily.co.jp/newsflash/2012/03/31/0004932463.shtml 2012年3月31日閲覧。 
  6. ^ ロッテのルーキー中後が初勝利 開幕から中継ぎで大活躍 産経新聞 2012年4月22日閲覧
  7. ^ 中後の背番号「13」に変更 FA加入の涌井に「16」譲渡 スポーツニッポン 2013年12月25日閲覧
  8. ^ 来季契約について 千葉ロッテマリーンズ公式サイト 2015年10月3日閲覧。
  9. ^ “2015年合同トライアウト速報”. 日刊スポーツ. (2015年11月10日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1562569.html 
  10. ^ 中後 悠平選手、入団のお知らせ (PDF) 武蔵ヒートベアーズ Musashi Heat Bears web page 2015年12月17日閲覧
  11. ^ 『アマチュア野球 vol.30』 日刊スポーツ出版社、2010年、31頁。ISBN 978-4-8172-5509-9
  12. ^ 関西ドラフトの星は“和製ランディ・ジョンソン” 近大の中後投手」 産経ニュース(2011年4月29日)、2011年12月1日閲覧。
  13. ^ 【ウチのROOKIES】ロッテ編」 SANSPO.COM(2012年2月19日)、2012年2月20日閲覧。
  14. ^ ヤクルト 今秋ドラフトで近大・中後を一本釣りだ」 スポーツニッポン(2011年9月27日)、2011年12月1日閲覧。
  15. ^ 「2012変化球特集」、『週刊ベースボール』2012年6月25日号、ベースボール・マガジン社、 26頁、 雑誌20444-6/25。
  16. ^ 近大・中後17K完封、3球団が視察」 デイリースポーツ(2011年9月25日)、2011年12月1日閲覧。
  17. ^ 近大・中後6四死球!苦手・同大克服できず…関西学生」 スポーツ報知(2011年9月16日)、2011年12月1日閲覧。
  18. ^ 「2011ドラフト総決算」、『週刊ベースボール』2011年11月14日号、ベースボール・マガジン社、 34頁、 雑誌20442-11/14。
  19. ^ 「途中でおかしいと思った」ロッテ新入団選手が迷子に - 2012年1月9日 Sponichi Annex
  20. ^ ロッテ天然新人 東京→武蔵野線→浦和 - 2012年1月9日 nikkansports.com
  21. ^ 電話帳には1軒だけ 中後「自分の家族以外で会ったことはない」 - 2012年1月16日 Sponichi Annex
  22. ^ 母校にピッチングマシン寄付 ロッテ入団の中後投手 近大新宮高 - 2012年3月3日 紀伊民報
  23. ^ ロッテ中後結婚「奥さんのためにも結果を残したい」 - 2015年4月22日 Sponichi Annex
  24. ^ 日刊ゲンダイ2015年12月20日付21面記事「ドラフト2位が見た天国と地獄」に記載
  25. ^ 『プロ野球戦力外通告 クビを宣告された男達』(2015年12月30日放送回)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]