近畿大学体育会硬式野球部

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近畿大学体育会硬式野球部(きんきだいがくたいいくかいこうしきやきゅうぶ)は、関西学生野球連盟に所属する大学野球チーム。近畿大学の学生によって構成されている。

ユニフォームの表記は、2015年度までは赤文字で「KINKI」であったが、2016年度からは赤文字で「KINDAI」に変更された(2016年4月1日より、同学の英文名称が「KINKI UNIVERSITY」から「KINDAI UNIVERSITY」に変更されたため)。野球帽にも赤色の「K」の一文字が記されている。

なお、広島県東広島市にキャンパスを置く同大学工学部広島六大学野球連盟に所属)、および福岡県飯塚市にキャンパスを置く同大学産業理工学部(九州地区大学野球連盟に所属)も、それぞれ独自に硬式野球部を設けている(いずれも、ユニフォーム・野球帽のデザインは本部のものと同じ)。

歴史[編集]

近畿大学の前身の一つである大阪専門学校1941年(昭和16年)に旧・関西六大学野球連盟に加盟。同じく前身である大阪理工科大学が、1947年(昭和22年)に大阪大学大阪商科大学とともに大阪三大学野球連盟としてリーグ戦を再開した。正式に近畿大学となった後の、1949年(昭和24年)が正式な創部年とされている。当初は大阪三大学野球連盟の流れから、近畿大学野球連盟に所属。1959年(昭和34年)頃から近畿地区大学野球連盟配下の3連盟(京滋大学野球連盟・近畿大学野球連盟・阪神大学野球連盟)と旧・関西六大学野球連盟を合併して入れ替え戦を導入する案の主導役となり、1962年(昭和37年)に関西大学野球連合が結成されたのに伴い2部の首位として関西六大学最下位であった神戸大学との入れ替え戦に勝利して、関西六大学入りを果たす。1966年(昭和41年)春リーグにて、山下律夫有藤通世藤原満の活躍により初優勝を果たした。

1982年(昭和57年)の連合解体後、関西学生野球連盟の発足に参加。加盟校のうち唯一、旧関西六大学リーグに属していなかったチームとなった。近大総監督を務めた松田博明は、1963年(昭和38年)に関大西川克弘投手がアマチュア野球の規定を破ってプロと契約を結んだ「西川事件」の際に関大除名に反対した恩により、関大の強い勧めによって近大の連盟入りが実現したと推測している[1]。80年代には松田博明監督のもとで黄金期を迎え、7度にわたって春・秋連続優勝。1988年(昭和63年)にエース酒井光次郎を擁して全日本大学野球選手権にて初優勝すると、その翌年の1989年(平成元年)には春秋リーグ戦、全日本大学野球選手権、明治神宮野球大会を全て制覇するグランドスラムを達成。

1990年代後半にも本川貢監督のもとで黄金期が築かれた。1997年(平成9年)には関西学生野球連盟のリーグ通算本塁打記録を塗り替えた二岡智宏や、宇高伸次藤井彰人山下勝充清水章夫といったメンバーを揃えて、春・秋のリーグ戦、全日本大学野球選手権大会第28回明治神宮野球大会全日本アマチュア野球王座決定戦(この年限りで廃止)に全て優勝し、史上初にして唯一のアマチュア五冠を達成した。

以降も、全日本大学野球選手権や明治神宮野球大会の常連となり、全国屈指の強豪として君臨している。2013年(平成25年)、春季リーグ戦で8季ぶり44度目の優勝となったが[2]8月2日に近畿大学は野球部員が5月8日に窃盗を行った容疑で7月25日に奈良県警に逮捕されたことを明らかにし、この部員の無期限停学処分と、野球部の秋季リーグへの参加辞退、および3カ月の活動停止処分とする事を発表した。また監督の榎本保と部長の浦崎直浩は大学に辞任を申し出ている[3]。その後、上宮高等学校東大阪大学柏原高等学校で監督を務めた田中秀昌が監督に就任した。

本拠地[編集]

記録[編集]

主な出身者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 近大総監督 松田博明  ”Talk”and Talk 泣き笑い指導者論(3)
  2. ^ 近大が8季ぶり44度目V/関西学生野球リーグスポーツニッポン2013年5月18日配信
  3. ^ 近大が秋季リーグ辞退へ 窃盗容疑で野球部員逮捕スポーツニッポン2013年8月2日配信

外部リンク[編集]