東北福祉大学硬式野球部

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東北福祉大学硬式野球部
愛称 Mustang
加盟団体 仙台六大学野球連盟
本拠地 宮城県仙台市青葉区国見ヶ丘6-149
創部 1962年
監督 山路哲生
公式サイト 東北福祉大学硬式野球部
リーグ戦成績
リーグ成績 優勝69回(2018年時点)
全日本大学野球選手権大会
最高成績 優勝3回
準優勝5回
明治神宮野球大会
最高成績 準優勝5回
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東北福祉大学硬式野球部(とうほくふくしだいがくこうしきやきゅうぶ、: Tohoku Fukushi University Baseball Club)は、東北福祉大学の学生によって構成されている大学野球チーム。愛称はMustang仙台六大学野球連盟所属。1962年昭和37年)創部。

歴史[編集]

1962年創部。1969年仙台六大学野球連盟が創設され加盟。開始された1970年春季リーグ戦から6季連続で最下位となる。

1979年春季リーグ戦で初優勝し、秋季リーグ戦も連覇。秋の第10回明治神宮野球大会に初出場したが、1回戦であたった優勝した明治大に途中までリードしながら6-15(8回コールド)の惨敗に終わった[1]。この結果に、野球部を強化してきた大竹榮同大学野球部部長はショックを受け愕然とした。以降、中央球界と渡り合うため全国大会制覇を視野に関東関西から積極的なスカウティング活動を始めた[2]1981年春秋リーグ戦連覇。1982年秋季リーグ戦優勝、同年に専用野球場設置。1983年春秋リーグ戦連覇。第32回全日本大学野球選手権大会に初出場した。

1984年秋、大竹榮野球部部長の招きで伊藤義博が監督に就任。伊藤監督以降から福祉大の黄金期を迎える。芝浦工大出身の伊藤は、東都大学リーグで「中大ダイナマイト打線」と呼ばれ強豪として鳴らした往時の中央大を理想としたチーム作りに執りかかった。さらに、それまで監督を務めた大阪の桜宮高校を公立の強豪校にした経験から、地元仙台はじめ桜宮高がある大阪や関西圏を中心に各地から選手が集まった[2]。また、それまでの東北学院大にとって代わり、仙台六大学代表として全日本大学野球選手権大会に毎年出場する常連校となった。のみならず(地区代表決定戦で敗退の場合を除き)明治神宮野球大会に毎年出場する常連校となった[3]

強化の成果が表れたのは、1989年度卒の佐々木主浩大塚光二、1990年度卒の矢野輝弘、1991年度卒の金本知憲(1浪)・斎藤隆浜名千広といった後年プロ球界で活躍するメンバーが在籍した頃からで、1980年代後半から1990年代を通じ2000年代半ばにかけて大学球界で一時代を築いた。

1987年に右下手投げの3年生エース上岡良一を擁して第36回全日本大学野球選手権大会で主戦山内嘉弘近畿大野村謙二郎駒澤大を下し、決勝で3年志村亮投手擁する慶応大に2-3で敗れ準優勝。1988年も同大会準決勝で3年有倉雅史日体大を5-2(延長11回)で下し、決勝で3年酒井光次郎投手擁する近大に1-3で敗れ準優勝。1989年は同大会準々決勝で優勝した酒井の近大に1-2の惜敗。1990年は同大会準々決勝で小坂勝仁投手が水口栄二擁する早稲田大を1安打完封1-0で下し、決勝で小池秀郎投手擁する亜細亜大に1-2で惜敗し準優勝と、全国優勝まであと一歩が届かなかった。秋の明治神宮野球大会でも87年(第18回)2回戦で優勝した筑波大に敗れ、88年(第19回)は中止、89年(第20回)・90年(第21回)のそれぞれ準決勝で、平田国久や高橋一太郎の投手陣や主軸に黒須陽一郎や山口高誉らがいた立教大に敗退した。

1991年、第40回全日本大学野球選手権大会では、先発作山和英と抑え斎藤隆の両輪、2年関根裕之らの投手陣、金本知憲、浜名千広、伊藤博康らを擁し、愛知学院大を5-1、優勝候補東洋大を7-3で下した佛教大を4-0、準決勝で九州国際大を4-0で下し進出した決勝戦で、古豪関西大を延長17回の末4-2で破り同大会で悲願の初優勝を遂げた。これは主要5連盟(東京六大学・東都・首都関西学生関西六大学)に所属しない大学として中京大に次ぐ史上2校目となる快挙であった。続いて同年から開催された第1回全日本アマチュア野球王座決定戦に出場。同年秋の第22回明治神宮野球大会は準決勝で流通経済大に敗退した。

1993年、第42回全日本大学野球選手権大会では関根裕之と三野勝大ら4年生の両投手や3年和田一浩捕手を擁するも、準決勝で河原隆一投手擁する関東学院大に敗退。1995年の同大学選手権大会ではエース門倉健らを擁し、準々決勝で1年上原浩治投手擁する大阪体育大、準決勝で清水隆行擁する東洋大を破り、決勝で2年真木将樹らの投手陣や主軸に3年副島孔太擁する法政大に敗れ準優勝。翌1996年の同大学選手権大会では山田貴志や3年山岡洋之らの投手陣に3年鈴木郁洋捕手らを擁し、準決勝で優勝した井口資仁擁する青山学院大に敗退。同年秋の第27回明治神宮野球大会準決勝で東亜大を破り、決勝で3年川上憲伸投手擁する明治大に敗れ準優勝。1998年秋の第29回明治神宮野球大会では松修康や2年吉見祐治らの投手陣を擁し、準決勝で矢野英司投手擁する法大を破り、決勝で3年佐藤宏志や2年吉川昌宏らの投手擁する亜大に敗れ準優勝。2000年の同大学選手権大会ではエース吉見祐治、洗平竜也歌藤達夫らの投手陣、3年生の石原慶幸捕手や大須賀允らを擁し、準決勝で山田秋親平本学両投手擁する立命館大を破り、決勝で2年木佐貫洋投手擁する亜大に敗れ準優勝。

2001年、同大学選手権大会では3年木谷寿巳投手と4年石原捕手に大須賀らを擁し、準々決勝で小川裕介投手らの立命大に1-2で敗退。同年秋の第32回明治神宮野球大会準決勝で優勝した川岸強投手擁する駒澤大に敗退。翌2002年第51回全日本大学野球選手権大会1回戦で日本文理大を破り、2回戦で4年木谷寿巳の同期橋本健太郎が先発し優勝した4年木佐貫投手擁する亜大に0-10(6回コールド)で大敗。同年秋の第33回明治神宮野球大会ではエース木谷が活躍し準決勝で4年和田毅投手や3年鳥谷敬らを擁する早大を破るも、決勝でまたしても木佐貫の亜大に敗れ準優勝。翌2003年、第52回全日本大学野球選手権大会では4年岸田護松崎伸吾福田聡志の両2年生らの投手陣を擁し、準決勝で優勝した日本文理大(決勝で亜大を下し初優勝)の吉川輝昭ら5人の継投の前に4-5で敗退[4]

その間、2002年8月に伊藤義博が急逝した後、2003年から山路哲生が監督となる。2015年から山路の1学年下でプロ経験のある大塚光二が監督となった後、2023年から再び山路が監督に復帰した。

2004年、第53回全日本大学野球選手権大会では松崎伸吾と福田聡志両3年投手や4年塩川達也らが活躍し準決勝で一場靖弘投手擁する明大を破り、決勝で主軸に村田修一擁する日本大を下し91年以来13年ぶり2回目の大学日本一となる。しかし、同年秋の代表決定戦で八戸大に敗れ明治神宮大会に出場ならず。翌2005年秋の第36回明治神宮野球大会準決勝で法大を破り、決勝で九州産業大に敗れ準優勝。

2008年秋の第39回明治神宮野球大会では桑鶴雄太と森山一茂ら2年生と1年中根佑二らの投手陣を擁し準決勝で2年斎藤佑樹大石達也の投手リレーの早大を1×-0(延長10回)で破り、決勝で1年藤岡貴裕と2年鹿沼圭佑の投手リレーの前に東洋大に2-×3で敗れ準優勝。2011年第42回明治神宮野球大会準決勝では4年中根佑二が先発したものの4年野村祐輔と2年岡大海の投手リレーの前に優勝した明大に5-0で敗退。

2014年頃から仙台大が力をつけ、仙台六大学リーグ戦でも毎シーズン福祉大と仙台大が優勝争いを展開している。

2018年第67回全日本大学野球選手権大会では3年津森宥紀ら豊富な投手陣と4年中野拓夢や2年元山飛優ら打撃陣が活躍し、準決勝で慶大を破り、決勝で国際武道大を下し14年ぶり3回目の大学日本一となる。翌2019年第68回全日本大学野球選手権大会では4年津森や3年山野太一らの投手陣を擁するも準々決勝で佛教大に3-×4で敗退した。

春の全日本大学野球選手権大会で3度の優勝を果たしている。一方、秋の明治神宮野球大会では1996年での初の準優勝から計5回の準優勝経験があるが、2023年現在まで優勝は果たしていない。

本拠地[編集]

宮城県仙台市青葉区国見ヶ丘6-149

記録[編集]

主な卒業生[編集]

Category:東北福祉大学硬式野球部の選手も参照。

プロ野球選手[編集]

元プロ野球選手[編集]

  • 長島哲郎(ロッテオリオンズ、現東北楽天ゴールデンイーグルススカウト)
  • 上岡良一(日本ハムファイターズ、元東北楽天ゴールデンイーグルススカウト)
  • 佐々木主浩 (横浜ベイスターズ ・ シアトル・マリナーズ
  • 矢野燿大中日ドラゴンズ- 阪神タイガース、元阪神監督)
  • 大塚光二 (西武ライオンズ、東北福祉大学野球部前監督)
  • 宮川一彦(横浜ベイスターズ、現NPO法人横浜ベイスターズスポーツコミュニティ)
  • 小坂勝仁(ヤクルトスワローズ - 近鉄バファローズ)
  • 吉田太(中日ドラゴンズ)
  • 伊藤博康読売ジャイアンツ - 福岡ダイエーホークス 、現東日本国際大昌平高校野球部監督)
  • 作山和英(福岡ダイエーホークス、現スカウト)
  • 浜名千広 (ダイエーホークス - ヤクルトスワローズ - 千葉ロッテマリーンズ)
  • 関根裕之(北海道日本ハムファイターズ、現球団プロスカウト)
  • 三野勝大(読売ジャイアンツ - 横浜ベイスターズ)
  • 山田貴志(中日ドラゴンズ)
  • 村上鉄也(福岡ダイエーホークス、現東北楽天ゴールデンイーグルス球団職員)
  • 小野公誠(東京ヤクルトスワローズ)
  • 山岡洋之(阪神タイガース、現オリックス・バファローズ打撃投手
  • 松修康(福岡ダイエーホークス)
  • 柴田博之西武ライオンズ
  • 奈良将史大阪近鉄バファローズ
  • 洗平竜也 (中日ドラゴンズ)
  • 歌藤達夫(オリックスバファローズ - 北海道日本ハムファイターズ - 読売ジャイアンツ)
  • 大須賀允(読売ジャイアンツ - 広島東洋カープ)
  • 中村公治(中日ドラゴンズ)
  • 木谷寿巳(東北楽天ゴールデンイーグルス、現球団職員)
  • 塩川達也(東北楽天ゴールデンイーグルス、現同球団コーチ)
  • 金本知憲(広島東洋カープ - 阪神タイガース、元同球団監督)
  • 松崎伸吾(東北楽天ゴールデンイーグルス - 阪神タイガース、現ミキハウスコーチ)
  • 門倉健(中日ドラゴンズ - 大阪近鉄バファローズ - 横浜ベイスターズ - 読売ジャイアンツ - SKワイバーンズ - 三星ライオンズ、元中日ドラゴンズコーチ)
  • 鈴木郁洋(中日ドラゴンズ - オリックス・バファローズ、元オリックスコーチ)
  • 橋本健太郎(阪神タイガース - 千葉ロッテマリーンズ、現阪神打撃投手)
  • 吉見祐治(横浜ベイスターズ - 千葉ロッテマリーンズ - 阪神タイガース、現DeNAスカウト)
  • 斎藤隆(横浜ベイスターズ - ロサンゼルス・ドジャースほか - 東北楽天ゴールデンイーグルス、現横浜DeNAベイスターズチーフ投手コーチ)
  • 和田一浩(西武ライオンズ - 中日ドラゴンズ)
  • 福田聡志(読売ジャイアンツ)
  • 根元俊一(千葉ロッテマリーンズ、現同球団コーチ)
  • 中根佑二(東京ヤクルトスワローズ)
  • 相原和友(東北楽天ゴールデンイーグルス)[5]
  • 阿部俊人(東北楽天ゴールデンイーグルス 元球団職員)
  • 岸田護(オリックス・バファローズ、現同球団コーチ)
  • 井野卓 (東北楽天ゴールデンイーグルス - 読売ジャイアンツ - 東京ヤクルトスワローズ)
  • 石原慶幸(広島東洋カープ)
  • 佐藤優 - 中日ドラゴンズ
  • 笠井駿(読売ジャイアンツ)

野球指導者[編集]

  • 山路哲生(東北福祉大学硬式野球部:監督)
  • 村瀬公三(七十七銀行硬式野球部:元監督、東北福祉大学硬式野球部:助監督)
  • 藤木豊(八戸大学硬式野球部:元監督、東日本国際大学硬式野球部:監督)
  • 津屋晃(光星学院高校、青森大学硬式野球部:元監督)
  • 角尾貴宏(金沢学院大学硬式野球部:監督)
  • 原克隆(中部学院大学硬式野球部:元監督)
  • 髙木雄二(愛知東邦大学硬式野球部:元監督)
  • 亀田晃広(獨協大学硬式野球部:監督)
  • 仲井宗基(八戸学院光星高校硬式野球部:監督)
  • 沢田真一(盛岡大学附属高校硬式野球部:元監督)
  • 関口清治(盛岡大学附属高校硬式野球部:監督)
  • 我妻敏(東北高校硬式野球部:元監督)
  • 荒木準也(日大山形高校硬式野球部:監督)
  • 貫井雅人(前橋工業高校硬式野球部:監督)
  • 吉村卓也(大阪・明星高校野球部:監督)
  • 青栁博文(高崎健康福祉大学高崎高校硬式野球部:監督)
  • 泉名智紀(東京成徳大学深谷高校硬式野球部:元監督、武蔵越生高校硬式野球部:監督)
  • 岡本幹成(聖望学園高校硬式野球部:元監督)
  • 岩井隆(花咲徳栄高校硬式野球部:監督)
  • 箕野豪(国士舘高校硬式野球部:元監督)
  • 濱野洋(飛龍高校硬式野球部:前監督)
  • 細峪規良(日高高校中津分校硬式野球部:監督)
  • 堤尚彦(おかやま山陽高校硬式野球部:監督)
  • 宮地弘明(楊志館高校硬式野球部:監督)
  • 波戸隆志(九州三菱自動車硬式野球部:元監督)
  • 金沢成奉(光星学院高校硬式野球部:元監督、明秀学園日立高校硬式野球部:監督)
  • 佐伯功(三菱重工East硬式野球部:監督)
  • 美甘将弘(ヤマハ硬式野球部:元監督)
  • 古屋克俊(神奈川大学附属高校硬式野球部:監督)
  • 阿部一斉(東北福祉大学硬式野球部、花咲徳栄高校硬式野球部、上武大学硬式野球部:元コーチ、前橋工業高校:コーチ)
  • 真壁賢守Honda硬式野球部:元コーチ)

政治家[編集]

脚注[編集]

  1. ^ のちに出場した神宮大会の各年度の結果は、1981年(第12回大会)初戦2回戦0-1近大、1983年(第14回大会)同2回戦0-2東海大(優勝校)、1985年(第16回大会)1回戦1-×2東海大と、いずれも強豪校相手に惜敗している。
  2. ^ a b 【矢野燿大物語20】新天地・仙台から全国制覇目指すには… スポニチ、2018年11月14日
  3. ^ 全国の代表校が集う性格の春の全日本大学野球選手権大会と、招待試合という性格の秋の明治神宮野球大会の仕組みは若干異なる。
    全日本大学選手権の場合、当時、東北地方を管轄する北部地区内の仙台六大学連盟校とそれ以外の大学との兼ね合いで、秋田大学富士大学(旧奥州大学)などと仙台六大学連盟代表校がほぼ隔年出場のような形となっていたが、後年は東北学院大がほぼ独占していた。上記1983年からは東北福祉大が独占している。
    一方、明治神宮大会の場合、当時、北海道地区の独占状態から北部地区との兼ね合いで隔年出場の形となった。上記1979年に北部地区代表校として東北福祉大が東北地方の大学として初出場を果たしている。
  4. ^ 第回全日本大学野球選手権大会(公財)全日本大学野球連盟
  5. ^ “【楽天】ドラ7・相原、母校・東陵に負けない!”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2013年11月12日). オリジナルの2013年11月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131113042505/http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20131111-OHT1T00179.htm 2013年12月14日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]