宮川一彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
宮川 一彦
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都葛飾区
生年月日 (1969-02-23) 1969年2月23日(52歳)
身長
体重
182 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手
プロ入り 1990年 ドラフト2位
初出場 1991年4月6日
最終出場 1998年10月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

宮川 一彦(みやがわ かずひこ、1969年2月23日 - )は、東京都葛飾区出身の元プロ野球選手内野手)。

来歴・人物[編集]

静清工業高時代は、3番・遊撃手として活躍。東北福祉大学では、2番を打ち俊足巧打の外野手として4年春ベストナイン(秋は二塁手)に選出された。全日本代表にも選ばれ、日米大学野球でも活躍。大学通算打率.320 8本塁打

1990年のプロ野球ドラフト会議横浜大洋ホエールズから2位指名を受け入団。

即戦力として期待され、プロ1年目の1991年から一軍出場を果たすが、打撃が非力で代打・守備要員止まりだった。それでも一軍出場時の守備が解説者から絶賛されたり、テレビ番組の珍プレー好プレーの好プレーで取り上げられたこともあった。

1996年9月8日、対ヤクルト23回戦において、同点で迎えた9回裏に、一死から谷繁が三塁打を放ち代走に高橋眞裕が送られ、さらに四球で一・三塁となり、続くこの日タイムリーを放っている宮川が、フラフラとレフト前にポテンヒットを放った。しかし三塁走者高橋は完全に三塁に着塁しており、ボールが落ちて安打になるのを見て慌てて走り始めたため本塁でアウトとなり、幻のサヨナラヒットとなった。さらに一塁走者井上純も三塁でアウトとなり、一打サヨナラのチャンスが拙攻により一瞬にしてチェンジとなった。試合は、延長14回表に宮本慎也が決勝タイムリーを放ちヤクルトが勝ち越し。その裏、横浜は野手を使いきっていたため投手の河原隆一に代打を送ることができず、この日2打席目の打席に立ち、ヤクルトの守護神・高津臣吾から12球粘ったものの三振に倒れ試合が終了した。高津はこの日5回2/3、河原は2回2/3を投げ抜いた。白熱した内容となったこの試合は、中断を含まないものでは日本最長となる6時間19分を記録した。尚、仮に河原が繋いでいた場合、次の打者は宮川であった。

1997年以降は一軍出場が激減し、1998年のリーグ優勝及び日本一の際には出場メンバーとして登録されていたが、日本シリーズでの出場はなかった。

一軍出場のなかった1999年オフに戦力外通告を受け退団。翌2000年アメリカ合衆国独立リーグに参加し、当時トーマス・オマリーが監督を務めるニューアーク・ベアーズに所属した。同年秋には千葉ロッテマリーンズの入団テストを受験したが不合格となり、日本プロ野球界への復帰はならなかった。

現在は、特定非営利活動法人ベイスターズ・ベースボールアカデミーのコーチを務める。

登録名が、MIYAGAWA(みやがわ)だった年とMIYAKAWA(みやかわ)だった年とがある。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1991 大洋
横浜
22 20 19 0 2 0 0 0 2 0 0 2 0 0 1 0 0 8 0 .105 .150 .105 .255
1992 21 24 23 2 6 2 0 0 8 0 0 0 0 0 1 0 0 4 0 .261 .292 .348 .639
1994 4 6 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .000 .000 .000 .000
1996 39 96 85 10 21 4 0 2 31 9 0 0 4 2 4 0 1 18 0 .247 .283 .365 .647
1997 5 7 7 0 1 1 0 0 2 1 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .143 .143 .286 .429
1998 8 14 12 2 3 1 0 0 4 1 0 0 0 1 1 0 0 5 0 .250 .286 .333 .619
通算:6年 99 167 152 14 33 8 0 2 47 11 0 2 4 3 7 0 1 44 0 .217 .252 .309 .561
  • 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更

記録[編集]

背番号[編集]

  • 25 (1991年 - 1992年)
  • 36 (1993年 - 1999年)

脚注[編集]

[脚注の使い方]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]