専修大学硬式野球部

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専修大学硬式野球部
専修大学野球部(1935年6月)
加盟団体 東都大学野球連盟
本拠地 神奈川県伊勢原市西富岡163
創部 1925年
監督 齋藤正直
公式サイト 専修大学硬式野球部
リーグ戦成績
リーグ成績 優勝32回(2024年現在、リーグ最多)
全日本大学野球選手権大会
出場回数 8回
最高成績 優勝1回
明治神宮野球大会
出場回数 2回
最高成績 準優勝1回
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専修大学硬式野球部(せんしゅうだいがくだいがくこうしきやきゅうぶ、: Senshu University Baseball Club)は、東都大学野球連盟に所属する大学野球チーム。専修大学の学生によって構成されている。

創部[編集]

1925年大正14年)創部

歴史[編集]

1925年に創部。同25年春、国学院大日本大東洋大東京商科大宗教大などと共に東京新大学野球連盟を結成[1]

1931年、五大学野球連盟(現・東都大学野球連盟)の結成と共に加盟、同年初めて開催された春季リーグ戦において優勝した。1940年から41年にかけて戦後まで長く東都大学記録であったリーグ戦4連覇を達成[2]中央大、日本大との三つ巴の戦いのなか、戦前の1940年代前半までにエース梶岡忠義一言多十投手らが活躍しリーグ戦優勝回数を積み重ねていった。リーグ草創期から戦後にかけた1930年代 - 1940年代は中大との2強時代を形成し、その間、それぞれの優勝回数は専大15回・中大13回にのぼる(日大は4回)。

1947年から5回実施された、東京六大学旧関西六大学、そして東都大学の3連盟間で王座を決定する全国大学野球王座決定戦には、第1回(1947年)と第5回大会(1951年)に出場し、いずれも3校優勝預かりとなっている。

1950年代に入ると専大と日大の2強時代になり、それぞれの優勝回数は9回・8回になる(中大は2回)。1957年、3年生の主砲興津立雄を擁しリーグ戦春秋連覇。第1回大会から出場3度目の第6回全日本大学野球選手権大会で決勝に初進出したが、4年生長嶋茂雄らがいる立教大に0-5で敗退した。1959年春、エース坂井勝二(のち中退)、小池兼司ら3年生の投打の柱と2年生堀込基明らを擁するも、第8回全日本大学野球選手権大会準決勝で木次文夫徳武定之らがいる早稲田大に惜敗。

1961年秋に最下位となり、入替戦で東洋大に敗れ初の2部降格となる。翌1962年春に入替戦で東農大を破り1期で1部に復帰した。1965年、1年生エース芝池博明、4年生佐野真樹夫、3年生塩沢誠佐藤正治らの活躍でリーグ戦春秋連覇。過去4度出場しながら制覇にまで至らなかった第14回全日本大学野球選手権大会では、準決勝で新興東海大相手に完全試合を達成。決勝で立命館大を破り念願の初優勝を遂げた。しかし、その後はリーグ戦で優勝できず、芝池が4年時の1968年秋に日大との入替戦で敗れ、2度目の2部降格となる。以降、1969年春から1974年春まで2部に定着。

1970年代に入ると無双ぶりを発揮した駒澤大に加えて中大も依然強く、この70年代から1980年代にかけて亜細亜大、東洋大、さらに青山学院大など新興勢力の躍進により、専修も1部と2部を往復する時期が続くようになった。

しかし、リーグ屈指の古豪チームとしての意地を発揮し、その間、1972年から60年代駒大躍進時の監督を務めたOBの小林昭仁が監督就任。1974年春、3年大屋好正吉武正成のバッテリーで2部リーグで優勝。続く入替戦で 3年生投手金沢真哉や2年生河原井正雄らの青学大を下し1部昇格。引き続いて、堀田一彦(のち専大監督)と中尾孝義(1浪入学)のバッテリーを擁して1977年春秋リーグ戦を連覇した石毛宏典ら駒大に次ぐそれぞれ2位で折り返し、山沖之彦投手が入部した翌1978年春に1部リーグ優勝、同年秋は松沼雅之投手がいる東洋大に次ぐ2位となった。翌1979年春に入替戦で青学大に敗れ2部に降格するも、翌1980年春に入替戦で国士舘大を破り1部昇格。翌1981年秋、翌1982年秋の1部リーグで優勝を果たしている。続く全国大会では、78年春の大学選手権(第27回大会)は、堀田や1年山沖らの投手陣と中尾のバッテリーを擁し高橋三千丈鹿取義隆両投手擁する明治大に決勝で敗れ準優勝。81年秋の神宮大会(第12回大会)は、エース山沖投手、3年定岡徹久齋藤正直(のち専大監督)らを擁し2年和田護投手や3年木戸克彦擁する法政大に決勝で敗れ準優勝。翌82年秋の同神宮大会(第13回大会)は、準優勝した川原新治清川栄治両投手擁する大阪商大に2回戦で敗退した。

1983年、のちに亜大小池秀郎に更新されるまで東都のシーズン奪三振記録2位[3]につけた関清和投手のほか、畝龍実投手、宮里太西俊児らが入学。入学直後、エース長冨浩志擁する国士大との入替戦で敗れ83年秋から85年秋まで2部に留まった。国士大の出場停止処分で自動昇格した翌1986年の春秋両シーズン、最上級生となった関らが駒大新谷博や亜大阿波野秀幸両投手の向こうを張り春4位・秋3位で折り返した。以降、1992年春まで1部に定着した。

1989年春、エース岡林洋一武藤潤一郎杉山賢人らの投手陣と長谷高成泰(のち専大監督・GM)ら3年生、4年比嘉孝也(NTT東京)、2年町田公二郎らを擁してリーグ戦優勝を果たす。続く第38回全日本大学野球選手権大会決勝の近畿大戦では、町田の左前打や逆転3ランなどで無失点記録更新中だった近大酒井光次郎投手を序盤から引きずり下ろしたものの、岡林ら専大投手陣も打ち込まれ7-10の乱打戦の末に惜敗した。しかしこれを最後に、駒大や亜大はもとより青学大が台頭するなかチームは低迷。1990年代以降は1部と2部を往復する状態が続いた。

1992年春、1部最下位となり入替戦で国学院大に敗れ2部降格。 1995年秋、4年小林幹英と3年黒田博樹の両輪、2年安藤正則らの投手陣を擁して、入替戦で3年戸部浩や2年清水直行らの投手陣擁する日大を下し92年春以来4年ぶりとなる8季ぶりの1部昇格。1998年秋にリーグ戦2位になるものの翌1999年春には一転して最下位となり、入替戦で花田真人阿部慎之助のバッテリー擁する中大に敗れ2部降格。翌2000年、春秋とも2部で5位。翌2001年、最上級生となった酒井泰志、3年江草仁貴杉山春樹らの投手陣を擁して春秋とも2部で優勝するも両入替戦で東洋大に敗れ残留。翌2002年春に2部優勝。入替戦で駒大を下し1部に復帰するも同年秋の入替戦でその駒大に1季で敗れまたしても2部に降格。翌2003年春に2部で優勝するも入替戦で日大に敗れ残留。同年秋に専大史上初となる2部最下位となるも入替戦で3部優勝校大正大を下し残留(のちに2010年秋・2011年春にも2部最下位となり、いずれも入替戦で勝利し残留)。

2004年、春秋とも2部で優勝するも両入替戦で敗れ残留。また、大学野球では初となるGMに長谷高成泰監督が就任したが、翌2005年秋季リーグ後にGMを退任し監督業に専念。後任GMに準硬式野球部出身者の江崎久が就任した。最上級生の長谷川勇也松本哲也らを軸に翌2006年秋に2部優勝し、入替戦で4年長野久義や3年篠田純平投手擁する日大を下し9季ぶりに1部昇格。翌2007年春季1部リーグ戦で一転して最下位に沈み、入替戦でも立正大に敗れ1季で2部に降格。2009年からGMの江崎が兼任監督となり、就任直後の春季2部リーグで優勝するなど健闘したが1部復帰はならなかった。

2011年から江崎は再びGMに専念し、後任監督にコーチを務めていた文星芸大附属高前監督の高橋薫が就任。2012年秋季に2部優勝を果たし、入替戦で東洋大相手に2連勝し12季ぶりに1部昇格。しかし翌2013年春季1部リーグ戦で一転して最下位となり、入替戦でも拓殖大に敗れ2部に降格。前々回・前回の1季で2部降格という屈辱を繰り返す結果となってしまった。2013年秋季限りで高橋監督は退任。2014年から同大学OBでJFE東日本監督を務めた斎藤正直が監督に就任。同監督は社会人時代の人脈を生かし社会人野球強豪との練習試合を数多く行うなどチーム全体のレベルアップに取り組み、同年秋季リーグで二部優勝を果たす。青学大との入替戦では2勝1敗(1敗は試合時間4時間半を超える延長14回サヨナラ負け)の接戦で征し、4季ぶりの一部復帰となった。

一部に昇格した2015年春季リーグにおいて開幕6連勝とスタートダッシュに成功、結果的に1989年春以来52季ぶりとなる26年ぶり32度目の一部リーグ戦優勝を成し遂げた。続く第64回全日本大学野球選手権大会は、4年生大野亨輔(のち三菱重工East)と2年生高橋礼両投手のリレーも準々決勝で優勝した早稲田大に3-4で惜敗した。

しかし、2017年春季リーグ戦において最下位となり立正大に入替戦でも敗れ2部降格。以降、2部リーグ戦で幾度か優勝しつつもその都度入替戦で敗れ、2023年春秋リーグ戦終了時点で2部に属している。

本拠地[編集]

グラウンド・合宿所 - 神奈川県伊勢原市西富岡163

記録[編集]

主な出身者[編集]

Category:専修大学硬式野球部の選手を参照。

現役NPB選手[編集]

元NPB選手[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 東京六大学野球連盟は同25年秋に結成。
  2. ^ のちの2009年春に東洋大が5連覇、2014年春に亜大が6連覇を達成し更新。
  3. ^ 東都大学野球連盟の記録では、シーズン最多奪三振王は1953年秋に83個記録した東農大円子宏。関は81個(1986年秋)、更新した小池は111個(1990年春)。

外部リンク[編集]