関清和

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関 清和
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県
生年月日 (1964-09-26) 1964年9月26日(53歳)
身長
体重
180 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1986年 ドラフト1位
初出場 1987年8月22日
最終出場 1993年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

関 清和(せき きよかず、1964年9月26日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

来歴・人物[編集]

鉾田一高時代から速球投手として有名な存在だった。2年生時の1981年秋季関東大会では準々決勝に進むが、横浜商三浦将明と投げ合い0-1で惜敗、春の選抜出場を逸する。翌1982年夏の甲子園県予選は、決勝で羽生田忠克のいた土浦日大高を降し、甲子園出場を決める。しかし大会では2回戦(初戦)で広島商に2-6で敗退[1]

卒業後は専修大へ進学。東都大学リーグでは1983年秋季リーグで二部に降格するが、1985年秋季リーグで二部優勝、翌季から一部に復帰した。1986年秋季リーグに当時の東都大学記録となるシーズン87奪三振を記録。この記録は1990年春季に亜細亜大小池秀郎が111奪三振を記録し更新、さらに2007年春季には東洋大大場翔太が115個を記録し更新している。同期の宮里太とバッテリーを組み、1部リーグで6勝10敗、2部リーグで6勝1敗の成績をあげる。他の大学同期に畝龍実西俊児がいた。

1986年ドラフト1位でロッテ入団。1988年は主に先発として25試合に登板し3勝を挙げた。近鉄バファローズとの死闘を繰り広げた伝説の10.19では、第2試合にロッテの最後の投手として登板し、走者を背負いながらも最後の打者羽田耕一をセカンドゴロ併殺打に打ち取り、無失点に抑えた。1995年は1A・バイセイリア・オークスに野球留学した。故障のため1996年現役引退。球威があり、スライダーやフォークボールを武器とした。現在はOA機器の営業を経て、デュプロ東和に転籍し、千葉支店新聞営業チームリーダーを務めている。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1987 ロッテ 14 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 52 14.0 8 1 2 0 0 17 0 0 4 3 1.93 0.71
1988 25 6 1 0 0 3 4 0 -- .429 350 77.0 59 5 59 3 4 65 8 1 43 34 3.97 1.53
1989 18 2 0 0 0 0 3 0 -- .000 148 31.2 30 6 24 0 4 23 2 0 23 23 6.54 1.71
1990 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 14 3.0 4 2 2 0 0 1 1 0 4 4 12.00 2.00
1993 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 8 1.2 2 0 1 0 0 2 0 0 2 1 5.40 1.80
通算:5年 60 8 1 0 0 4 7 0 -- .364 572 127.1 103 14 88 3 8 108 11 1 76 65 4.59 1.50

記録[編集]

  • 初登板 1987年8月22日南海戦(札幌)0-5 5回2死から4番手として登板、1回1/3無失点
  • 初勝利 1987年10月17日近鉄戦(川崎)4x-3 8回1死から3番手として登板、1回2/3無失点
  • 初完投 1988年10月15日阪急戦(川崎)15-2 被安打6 奪三振6 四死球7

背番号[編集]

  • 21 (1987年 - 1991年)
  • 37 (1992年 - 1996年)

脚注[編集]

  1. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]