コンテンツにスキップ

駒井重格

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
駒井 重格
誕生 (1852-10-04) 1852年10月4日嘉永5年8月21日
死没 (1901-12-09) 1901年12月9日(49歳没)
墓地 谷中霊園東京都台東区谷中
職業 教育者官吏
国籍 日本の旗 日本
代表作 『自由保護貿易論』(1880年)
『歳計予算論』(1883年)
『経済要論』(1885年)
子供 重次(三男)
テンプレートを表示

駒井 重格(こまい しげただ、1852年10月4日嘉永5年8月21日[1]) - 1901年明治34年)12月9日)は、日本の官僚経済学者専修大学創始者の一人。伊勢国桑名藩士・駒井重周の子。

来歴・人物

[編集]

15歳で家督を継ぎ、戊辰戦争で桑名藩の軍に加勢・参戦。アメリカ・オランダ改革派教会ブラウン宣教師ブラウン塾で英語を学び、1874年、旧桑名藩主の松平定敬定教父子と共にアメリカ留学し、ラトガース大学で経済学を学び、1879年に帰国。1880年相馬永胤田尻稲次郎目賀田種太郎らと専修学校(現在の専修大学)を創立。その後、大蔵省国債局長参事官農商務省参事官などの要職を歴任。

また、教育者としても活躍し、1878年9月に、江木高遠、鈴木智雄らと共に東京府第一中学英語教諭、1899年3月に高等商業学校(現在の一橋大学)第10代目校長、専修学校(現在の専修大学)講師、さらに岡山県中学校岡山師範学校長、岡山県商法学校[2]長などを務めた。また、田尻稲次郎とともにフィリピーヌ・ルロア=ボリューの『財政学概論』を翻訳・祖述し、フランス財政学を導入した。

栄典・授章・授賞

[編集]
位階
勲章等

脚注

[編集]
  1. ^ 嘉永6年8月21日、あるいは嘉永6年11月とする文献も存在する。瀬戸口、59頁参照。
  2. ^ 1880年に岡山商法講習所として設立されたが、1883年廃校。
  3. ^ 『官報』第907号「賞勲叙任」1886年7月10日。
  4. ^ a b 『官報』第5532号「叙任及辞令」1901年12月10日。
  5. ^ 『官報』第4051号「叙任及辞令」1896年12月28日。
  6. ^ 『官報』第5098号「叙任及辞令」1900年7月2日。

関連文献

[編集]
  • 高等商業学校長兼大蔵省参事官正五位勲五等駒井重格特旨ヲ以テ位一級被進」(国立公文書館所蔵 「叙位裁可書・明治三十四年・叙位巻十八」)
  • 小峰保栄 「駒井重格先生小伝」(『専修商学論集』第20号、専修大学学会、1976年2月、NCID AN0013244X
  • 西羽晃 「駒井重格について」(『美術館紀要』第1号、桑名市立文化美術館、1979年7月)
  • 瀬戸口龍一 「駒井重格の軌跡 : 「駒井重格先生小伝」再考」(『専修大学史紀要』第2号、専修大学大学史資料課、2010年3月、NAID 120003311238

外部リンク

[編集]
公職
先代
太田卓之
岡山師範学校長
岡山中学校

1881年 - 1882年
次代
喜多見久通
校長心得
先代
永田一二
岡山商法講習所長
岡山商法学校
1882年
次代
野崎又六