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三浦新七

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
みうら しんしち

三浦 新七
生誕 1877年8月12日
山形県山形市旅籠町
死没 (1947-08-14) 1947年8月14日(70歳没)
東京都
墓地 山形市見聞寺
出身校 東京高等商業学校
職業 両羽銀行頭取
貴族院議員
東京商科大学学長
親戚 三浦新(孫)
三浦新一郎(曾孫)
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三浦 新七(みうら しんしち、1877年明治10年〉6月12日[1] - 1947年昭和22年〉8月14日[2])は、日本経済学者実業家政治家。専門は経済史1942年(昭和17年)帝国学士院会員。研究者、財界人、政治家として活躍した[3]

来歴・人物

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山形県山形市旅籠町の三浦新兵衛の四男として生まれる[1]。旧制山形中学校(現:山形県立山形東高等学校)を経て[1]東京高等商業学校(現:一橋大学)卒[1]1903年(明治36年)からイギリス・ドイツに留学し、ライプツィヒ大学ランプレヒトに師事し、歴史学を研究する[1]

帰国後の1911年(明治44年)、母校である東京高等商業学校の教授となり経済史、文明史を教えた。三浦ゼミ出身者に上原専禄(中世ヨーロッパ史学者・元一橋大教授)、村松恒一郎(経済史学者・一橋大名誉教授)、町田實秀(法制史学者・一橋大名誉教授)、渡辺輝一(経済学者・横浜国立大学名誉教授)、増田四郎(西洋史学者・一橋大学名誉教授)、増淵龍夫(中国史学者・一橋大学名誉教授)、笠信太郎(ジャーナリスト・元朝日新聞論説主幹)[4][5]山口茂(経済学者・一橋大学名誉教授)など[6]

1912年(明治45年)一族の宗長である三浦家(元両羽銀行頭取三浦権四郎)の養嗣子となる[1]1927年(昭和2年)家業である両羽銀行(現:山形銀行)監査役となり、その後、同頭取に就任する。当時の日本は、1920年(大正9年)の戦後恐慌1927年(昭和2年)の金融恐慌、そして、1930年(昭和5年)の昭和恐慌と3度の恐慌に見舞われ、当時の金融機関は苦境に陥っていた。両羽銀行とて例外ではなく、山形県の中核的金融機関として、多くの不良債権を抱え込むに至った。[要出典]このため筆頭株主である三浦家の養嗣子となった新七に対し、帰郷を要請し同行の再建を委ねることとした[1]三浦は頭取に昇格後、従来の資本金を4分の1に減資し、それにより不良債権の一括処理を行うことを主眼とする経営再建策を講じた。また、この際には同行、3代、8代、頭取を務めた先代・吉三郎の養子となり、資産管理に当たっていた長谷川吉三郎(吉弥)に対し「再建を2人でしよう」と申し入れ、両人で再建に取り組んだ。この甲斐もあり山形県下の金融機関は、東北他県とは異なり銀行が破綻することなく昭和初期を無事に乗り切った。[要出典]

山形県多額納税者として貴族院議員に互選され、1932年(昭和7年)9月29日に就任し[7][8]、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]1934年(昭和9年)頭取を辞し、1935年(昭和10年)東京商科大学(現:一橋大学)で白票事件と呼ばれる学園紛争が生じ、事態収束のため、三浦が学長に就任した[1]日本銀行参与なども歴任した[1]

1947年(昭和22年)8月14日、耳下腺癌のため[9]癌研究所附属病院にて逝去[10]

三浦記念山形商工会館

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三浦は、山形市七日町の山形市立病院済生館付近に所有していた土地と三浦銀行社屋を、両羽銀行と三浦銀行の合併を機に、現金5万円(当時の換算)を添え、山形市に寄付をした[11]。 

1956年(昭和31年)に大沼と市は、敷地の相互譲渡と交換売買を行った。そして、その際の余剰金3.000万円を基礎に市は山形市役所向かいの県有地の払い下げを受け、「三浦記念山形商工会館」を建設。完成した会館には山形商工会議所や山形市中央公民館等が入居した[11]。その会館も歳月の経過とともに老朽化したため、新会館が建設され、2008年(平成20年)に竣工した。また新会館5階には三浦新七博士記念館が併設された。

三浦記念賞

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三浦の遺徳を記念し、山形市の産業経済の向上に尽くした個人や団体を表彰することを目的に、1963年(昭和38年)に創設された[12]。毎年12月に表彰式を挙行している。

著作

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  • 『商業経済学』同文館〈商業学本論 第1巻〉、1903年4月。 NCID BN1464780X全国書誌番号:40034999 
  • 『東西文明史論考 国民性の研究』岩波書店、1950年5月。 NCID BN0268899X全国書誌番号:50005001 
  • 川副武胤責任編集 編『東西文明史』 第1巻(希臘・羅馬・猶太及び東洋文明)、三浦新七博士記念会、1992年11月。 NCID BN09006690全国書誌番号:93038554 
  • 國方敬司責任編集 編『東西文明史』 第2巻(希臘・羅馬・猶太及び東洋文明)、三浦新七博士記念会、1994年11月。 NCID BN09006690全国書誌番号:93038554 
  • 國方敬司責任編集 編『東西文明史』 第3巻(中世基督教的統一文明ト各国特殊文化ヘノ分岐)、三浦新七博士記念会、1996年7月。 NCID BN15005080全国書誌番号:97022748 
  • 國方敬司責任編集 編『東西文明史』 第4巻(欧州文明史)、三浦新七博士記念会、1998年4月。 NCID BA35210706全国書誌番号:99052054 
  • 國方敬司責任編集 編『東西文明史』 第5巻(西洋中世の国家と社会)、三浦新七博士記念会、2000年2月。 NCID BA45408947全国書誌番号:20043783 
  • 國方敬司責任編集 編『東西文明史』 第6巻(東洋文明史 1)、三浦新七博士記念会、2002年11月。 NCID BA59763517全国書誌番号:20338491 
  • 國方敬司責任編集 編『東西文明史』 第7巻(東洋文明史 2)、三浦新七博士記念会、2005年1月。 NCID BA59763517全国書誌番号:20737112 

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 三浦新七人物伝/三浦新七記念館”. www.miura-shinshichi.or.jp. 三浦新七博士記念館. 2022年8月28日閲覧。
  2. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』222頁。
  3. ^ 三浦新七とは - コトバンク
  4. ^ [1]一橋大学学園史資料室
  5. ^ 法学博士町田茸秀先生一橋論叢 第 四
  6. ^ 私の歩んだ道「生損保相互乗り入れに向かって」(ゼミナールの肖像2:山口茂ゼミナール)一橋大学創立150年史準備室ニューズレター
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、42頁。
  8. ^ 『官報』第1727号、昭和7年9月30日。
  9. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)26頁
  10. ^ 文献目録 人物編 - 山形県立図書館
  11. ^ a b 山形市市史編集委員会, 山形市市史編さん委員会編 『山形市史 現代編』山形市、1981年。
  12. ^ 三浦記念賞/三浦新七記念館”. www.miura-shinshichi.or.jp. 三浦新七記念館. 2022年8月28日閲覧。

参考文献

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  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

外部リンク

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