上原専禄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

上原 専禄上原 專祿、うえはら せんろく、1899年5月21日 - 1975年10月28日)は歴史学者。専門は中世ヨーロッパ史。初代一橋大学社会学部長。

ヒストリー[編集]

京都市西陣にあった日蓮宗檀家の商家に生まれる。小学校3年から松山市大街道商店街薬種商であった叔父の家に住む。旧制愛媛県立松山中学校(現愛媛県立松山東高等学校)を経て、1922年大正11年)東京商科大学(現・一橋大学)専攻部経済学科卒、東京商科大学(現・一橋大学)研究科入学。三浦新七門下。

その後、ウィーン大学に2年間留学すると、アルフォンス・ドプシュ英語版教授のゼミナールで、当時日本ではまだ珍しかった一次史料の史料批判を通じたヨーロッパ中世史研究の研鑽を積む。帰国後、1926年(大正15年)高岡高等商業学校(現・富山大学)教授[1]1928年昭和3年)東京商科大学教授[2]。横濱専門学校(現神奈川大学)草創期に経済史講師。1946年(昭和21年)高瀬荘太郎の後を継ぎ、東京産業大学(現・一橋大学)学長に就任。学長在任中は、社会科学を総合的に扱う社会学部の設立に尽力し、1949年(昭和24年)一橋大学法学社会学部教授就任。1951年(昭和26年)初代一橋大学社会学部長。この間、小樽商科大学等でも教鞭をとる。また、日本教職員組合の国民教育研究所初代所長、国民文化会議議長、富山大学設置準備委員会委員等も務めた。

1959年(昭和34年)日米安全保障条約改定に反対し、清水幾太郎家永三郎らとともに安保問題研究会を結成。翌1960年(昭和35年)一橋大を突如辞職。同年10月国民文化会議会長を辞し、1964年(昭和39年)5月国民教育研究所研究会議議長も辞職。1969年(昭和44年)4月27日の夫人の死を契機に、1971年(昭和46年)6月、息子の上原淳道や弟子達も知らない間に長女(国立音楽大学ピアノ講師)のみを伴い東京を退出し、宇治高島宗助という偽名を使って隠遁生活を送る。大学退職後は日蓮の研究に傾倒する。

1975年(昭和50年)10月28日、京都市西京区京都桂病院肺ガンと急性心不全によって76歳の生涯を終え、遺骨は長女により西方寺に埋葬されたと報じられた。その死は公表されず、1979年(昭和54年)6月16日死後3年8か月にして朝日新聞が発見し、記事にした。

門下[編集]

西洋史学者の阿部謹也(一橋大学名誉教授)や弓削達東京大学名誉教授)、今野国雄(元青山学院大学教授)、渡辺金一(一橋大学名誉教授)、中村恒矩法政大学名誉教授)[3]石川操青山学院大学名誉教授)[4]、東洋史学者の増淵龍夫(一橋大学名誉教授)、小説家のモリテル(元日本大学教授)[5]などが上原ゼミ出身。

著作[編集]

  • 単著
    • 『史心抄』上原専禄、1940年
    • 『ランプレヒト歴史的思考入門』日本評論社、1942年
    • 『独逸中世史研究』弘文堂、1942年
    • 『独逸近代歴史学研究』弘文堂、1944年
    • 『歴史的省察の新対象』弘文堂、1948年
    • 『大学論』毎日新聞社、1949年
    • 『独逸中世の社会と経済』弘文堂、1949年
    • 『学問への現代的断想』弘文堂、1950年
    • 『平和の創造――人類と国民の歴史的課題』理論社、1951年
    • 『民族の歴史的自覚』創文社、1953年
    • 『危機に立つ日本』未来社、1953年
    • 『世界史における現代のアジア』未来社、1956年
    • 『現代を築くこころ』理論社、1957年
    • 『私の大学・世界の見方――現代をどう考えるか』理論社、1957年
    • 『若い河』河出新書、1957年
    • 『歴史学序説』大明堂、1958年
    • 『歴史意識に立つ教育』国土社、1958年
    • 『国民形成の教育』新評論、1964年
    • 『死者・生者――日蓮認識への発想と視点』未来社、1974年
    • 『クレタの壺――世界史像形成への試読』評論社、1975年
  • 共著
    • 『日本人の創造』東洋書館、1952年、宗造誠也との共著
  • アンソロジー
    • 『現代随想全集』第25巻(大塚金之助、大塚金之助、上原専禄集)、創元社、1955年
  • 編著
    • 『日本国民の世界史』岩波書店、1975年
  • 著作集:『上原專祿著作集』(全28巻)評論社、1987-2002年。全28巻のうち20巻のみ完成、他は未刊。
    • 第2巻=『ドイツ中世史研究』
    • 第3巻=『ドイツ近代歴史学研究』
    • 第4巻=『ドイツ中世の社会と経済』
    • 第5巻=『大学論、学問への現代的断想』
    • 第6巻=『平和の創造、人類と国民の歴史的課題、危機に立つ日本、日本国民に訴える』
    • 第7巻=『民族の歴史的自覚』
    • 第8巻=『世界史像の新形成』
    • 第9巻=『アジア人のこころ、現代を築くこころ』
    • 第10巻=『世界の見方』
    • 第12巻=『歴史意識に立つ教育』
    • 第13巻=『世界史における現代のアジア』
    • 第14巻=『国民形成の教育』
    • 第15巻=『歴史的省察の新対象』
    • 第16巻=『死者・生者』
    • 第17巻=『クレタの壺』
    • 第18巻=『大正研究』
    • 第19巻=『世界史論考』
    • 第24巻=『国民文化の論』
    • 第25巻=『世界史認識の新課題』
    • 第26巻=『経王・列聖・大聖』

親族[編集]

中国史学者で東京大学教養学部教授等を務めた上原淳道(1921-1999)は長男。

参考文献[編集]

  • 三木亘「上原専禄」『20世紀の歴史家たち(1)』日本編上、刀水書房、1997年
  • 竹島平兵衛『上原専禄一考』龍汀荘、2000年
  • 子安宣邦「死者に対する真実の回向――上原専禄“日蓮認識への発想と視点”」『昭和とは何であったか――反哲学的読書論』藤原書店、2008年
  • 安藤泰至「上原専禄の医療・宗教批判とその射程」安藤泰至編『「いのちの思想」を掘り起こす――生命倫理の再生に向けて』岩波書店、2011年
  • 土肥恒之『西洋史学の先駆者たち』中公叢書、2012年

脚注[編集]

外部リンク[編集]