谷中 (台東区)

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谷中
Yanaka
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 東京都
特別区 台東区
地域 下谷地域
人口 (2015年(平成27年)12月1日現在)[1]
 - 計 8,282人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 110-0001
ナンバープレート 足立

谷中(やなか)は、東京都台東区地名で、旧下谷区にあたる下谷地域内である。

概要[編集]

谷中は「寺町」と呼ばれるように、寺院が集中している。上野戦争で罹災したものの、関東大震災第二次世界大戦では被害が少なく、旧来の町並み・建造物が残されている。

早口言葉「なかなか鳴かない谷中のかなかな」に関しても有名。

地理[編集]

下谷地域の北西に位置し、文京区千駄木根津)・荒川区西日暮里東日暮里)との区境にあたる。

歴史[編集]

旧:武蔵国豊島郡谷中村

  • 元来は山林地で、百姓地が点在する場所であった。
  • 江戸時代、上野に寛永寺が建てられると谷中にもその子院が次々と建てられる。また、幕府政策により慶安年間(1648年 - 1651年)に神田付近から多くの寺院が移転し、明暦の大火1657年)の後に焼失した寺院が移転してくる。寺の増加に伴い参詣客も増えると徐々に町屋も形成され、江戸の庶民の行楽地として発展する。
  • 元禄期に崖下の百姓地(主に谷中生姜を生産)を谷中本村(現在の荒川区東日暮里五・六丁目と西日暮里二丁目の各一部)として分離。崖上の寺町が谷中村となるが次第に市街地化され、一部は町地化されて谷中町、谷中三崎町(読みは「やなかさんさきちょう」)となる。この名残として、現在も荒川区西日暮里二丁目に所在する諏方神社の氏子地域となっている。
  • 政府軍と彰義隊による上野戦争1868年)で多くの寺院が焼失する。1869年明治2年)から1872年(明治5年)にかけて谷中清水町・谷中坂町・谷中初音町一~四丁目・谷中茶屋町・谷中真島町・谷中上三崎南町・谷中上三崎北町の各町が起立。1878年(明治11年)11月2日、これら谷中各町は上野とともに下谷区に編入される。この時点ではまだ谷中村も残存していたが、1889年(明治22年)5月1日東京市誕生と共に下谷区に編入され(この時点でも下谷区内に「谷中村」が残存)、1891年(明治24年)に谷中村を谷中各町に編入し、このとき谷中天王寺町も成立した。
  • 1947年昭和22年)に23区制に伴い台東区となる。1966年(昭和41年)、住居表示実施に伴い谷中各町が整理統合されて現行の谷中となる(谷中清水町は池之端三・四丁目に、谷中天王寺町の南端一部が上野桜木二丁目にそれぞれ編入)。

地名の由来[編集]

名前の由来は、本郷台と上野台の谷間に位置することから、名付けられたといわれる。

施設[編集]

教育
  • 台東区立谷中小学校
  • 台東区立台桜幼稚園
墓地

観光[編集]

名所史跡

交通[編集]

鉄道
道路

画像一覧[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]