駒形

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駒形
駒形の位置(東京23区内)
駒形
駒形
駒形の位置
座標: 北緯35度42分27秒 東経139度47分42秒 / 北緯35.70750度 東経139.79500度 / 35.70750; 139.79500
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Emblem of Taito, Tokyo.svg 台東区
地域 浅草地域
面積
 - 計 0.11km2 (0mi2)
標高 20m (66ft)
人口 (2015年(平成27年)12月1日現在)[1]
 - 計 2,282人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 111-0043
市外局番 03
ナンバープレート 足立
※座標・標高は駒形一丁目付近
「駒形堂吾嬬橋」 名所江戸百景より。歌川広重画。
駒形堂

駒形(こまがた)は、東京都台東区町名。駒形一丁目と駒形二丁目がある。郵便番号は111-0043。

地理[編集]

東京都台東区の東部に位置し、墨田区東駒形)との区境にあたる。区分は一丁目から二丁目に至り、通り沿いを中心に商店とオフィスビルが多く見られるほか、住宅地もある地域となっている。付近には隅田川とそれに架かる駒形橋厩橋がある。

歴史[編集]

地名の由来[編集]

駒形(こまかた)の名は、浅草寺に属する駒形堂に由来する。この堂は天慶5年(942年平公雅によって建立され、円仁作の馬頭観音を祀るために建てられたのが起りであると伝わるが、古くは浅草寺の総門があった場所であるともいわれる(ただし駒形堂は関東大震災の後に場所を現在地に移動している)。なお土地の人々によれば、駒形の読み方はコマカタと清く発音してコマガタとは濁らないという。ここは古来交通の要地で、駒形の渡しのあったところである。江戸の巷説に有名な、「君はいま 駒形あたり ほととぎす」の句は、文芸・美術などの上で駒形堂とともに、この辺りの雰囲気を伝えている。

町域の変遷[編集]

駒形堂は関東大震災以前は現在の駒形橋のたもと南側にあり、江戸時代その周辺を駒形町と称したが、この駒形町の町域は現駒形二丁目六~七番地と駒形一丁目七番地の一部、すなわち現駒形のおよそ四分の一に当たる範囲だった。明治以降、駒形町近隣の諏訪町や黒船町などを合併、またその中で近隣の寿町に一旦は編入された地域も組み込むなどして町域を広げ、昭和9年(1934年)に駒形一~二丁目となった。昭和39年(1964年住居表示の実施により、町内で丁目の振り分けについて再編成が行われ、現在に至っている。

その他[編集]

  • 将軍徳川綱吉寛永寺参拝の折、浅草黒船町(現駒形一丁目)の豪商石川六兵衛の妻おかちの贅沢な生活ぶりを目にし、分不相応な驕奢の振舞いであると咎め家財を没収したという話がある。これを『伊達くらべ』などの題で多岐川恭北原亞以子杉本苑子などが小説にしている。
  • 江戸時代、現在の駒形一丁目の江戸通り西側に、清水稲荷屋敷と呼ばれる屋敷があった。稲荷屋敷というのは敷地内に稲荷社を祀っていたことによる。この屋敷の住人田中松春(松泉とも)の先祖田中四郎兵衛は、もとは上野山西の清水町に天海より屋敷を拝領して住んでいたが、元禄2年(1689年)にそこを召し上げられたので谷中に屋敷を拝領したがこれも召し上げとなり、宝永7年(1710年)に田中松春が当所を拝領し、清水町の頃から屋敷内でまつっていた稲荷社とともに引き移った。この稲荷社は清水稲荷と呼ばれて『江戸名所図会』にも取り上げられているが、現在は蔵前にある第六天榊神社の境内にまつられている。
  • 旧諏訪町の地域には諏訪神社がある。この神社の来歴は火災による文書の消失などで不明であるが、明治以前は浅草寺領だったという。

施設[編集]

バンダイ本社
機関
企業
観光
  • 世界のカバン館
飲食店

交通[編集]

鉄道[編集]

東京メトロ 東京地下鉄(東京メトロ)

東京都交通局 東京都交通局都営地下鉄

バス[編集]

  • めぐりん(台東区循環バス) 東西めぐりん

道路[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 『御府内備考続編神社部』(『東京都神社史料』第1輯)-(1966年、東京都神社本庁)
  • 『日本歴史地名大系13 東京都の地名』-(2002年、平凡社)
  • 『江戸・町づくし稿』(下巻)-岸井良衛(2003年、青蛙房)

外部リンク[編集]