上野恩賜公園

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上野恩賜公園
上野公園航空写真1984.jpg
航空写真(1984年度撮影)
分類 都市公園
所在地
座標 北緯35度42分44秒 東経139度46分16秒 / 北緯35.71222度 東経139.77111度 / 35.71222; 139.77111座標: 北緯35度42分44秒 東経139度46分16秒 / 北緯35.71222度 東経139.77111度 / 35.71222; 139.77111
面積 538,507m2
設備・遊具 東京国立博物館、国立西洋美術館、国立科学博物館、恩賜上野動物園他多数
駐車場 有り
アクセス 東日本旅客鉄道(JR東日本)上野駅
東京地下鉄(東京メトロ) 上野駅湯島駅
京成電鉄 京成上野駅
告示 1873年
事務所 東京都東部公園緑地事務所
事務所所在地 〒110-0007 東京都台東区上野公園7-47
公式サイト 上野公園公式HP

上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)は、東京都台東区にある公園。通称上野公園。「上野の森」とも呼ばれ、武蔵野台地末端の舌状台地「上野台」に公園が位置することから、「上野の山」とも呼ばれる。総面積約53万m²。東京都建設局の管轄。公園内には博物館、動物園等、多くの文化施設が存在する。「上野公園」は台東区の町名でもある。

概要[編集]

東京国立博物館、国立西洋美術館、国立科学博物館、恩賜上野動物園などの文化施設が集中して立地している。また彫刻家高村光雲作の西郷隆盛像があることでも知られる[1]

高台となっている忍ヶ岡は、近世からソメイヨシノの名所としても有名であり、日本さくら名所100選に選定されている。桜の開花時期になると、大勢の花見客が押し寄せることで有名である。また、忍ヶ岡の南に位置する不忍池(しのばずのいけ)は、夏には池の一部を覆い尽くすほどのに覆われ、一面の緑の葉と桃色の蓮の花が美しい。冬にはをはじめとした数多くの種類の水鳥が飛来し、とても賑やかになる。

春の不忍弁天堂 
花見の光景 
不忍池(5月) 
不忍池(6月) 

歴史[編集]

広重「上野清水堂不忍ノ池」

江戸時代、三代将軍徳川家光江戸城の丑寅(北東)の方角、すなわち鬼門を封じるためにこの地に東叡山寛永寺を建てた。以来、寛永寺は芝の増上寺と並ぶ将軍家の墓所として権勢を誇ったが、戊辰戦争では寛永寺に立て篭った旧幕府軍の彰義隊を新政府軍が包囲殲滅したため(上野戦争)、伽藍は焼失し、一帯は焼け野原と化した。1870年、医学校と病院予定地として上野の山を視察した蘭医ボードワンが、公園として残すよう日本政府に働きかけ、その結果1873年に日本初の公園に指定された。このことをもってボードワンは、上野公園生みの親と称されている[2]

2012年時点で、世界に文化と芸術を発信する「文化の森」を創出することを目的として、2010年度から2015年度までの計画で「上野恩賜公園再生整備事業」が行われている。

上野公園の桜

沿革[編集]

  • 1625年 当叡山寛永寺創建
  • 1631年 五重塔奉納
  • 寛永年間 天海、京都滋賀の名所を上野に移し替える。水谷伊勢守、不忍池に中島を築き、弁天堂をつくる
  • 1666年 柏木大助の願い入れで、時の鐘が建立される
  • 1698年 根本中堂、玻璃殿完成。江戸一般庶民の花見がゆるされる
  • 1699年2月 茶屋の設置が許可される
  • 1868年 上野山内の管理が大蔵省会計官から東京府に移管される。文部省で上野山内に大学東校建設する計画がおきる
  • 1868年7月4日 上野戦争により寛永寺伽藍の大部分を焼失(清水堂、山王社、時の鐘、忍岡稲荷、大仏殿、慈眼堂、東照宮、五重塔は残る)
  • 1873年 黒門が袴腰から東照宮鳥居脇に移される。
  • 1873年5月 太政官達第16号により東京府公園に指定[3]
  • 1873年10月 廃絶していた忍岡稲荷社が花園稲荷として再建される
  • 1875年 上野山内にくわえ不忍池も公園地として併合され、府下一の公園となる。山王台に彰義隊墓碑が建立される
  • 1876年1月 東京府から内務省博物局に移管され、上野公園は博物館所属の公園地となる
  • 1876年4月 上野精養軒開業
  • 1876年5月 公園建設完成、開園
  • 1876年7月 大仏の下に、不忍池を一望できる勝覧所ができる
  • 1876年 園内に新聞縦覧所、自働体重計自動販売機の日本最古の記録)が設置される
  • 1877年 国立科学博物館の前身である教育博物館竣工(のちの東京芸大の地)
  • 1877年 寛永寺本坊跡地にて第1回内国勧業博覧会を開催
  • 1879年8月 島津忠義公が、訪日中のグラント将軍と明治天皇のため、天覧犬追物を開催。タイサンボクとローソンヒノキが植樹される
  • 1881年 第2回内国勧業博覧会を開催、閉会後に博物館が使用する前提で煉瓦造の建物を建設。島津忠義公、2度目の天覧犬追物を開催
  • 1882年 新橋~上野広小路間に馬車鉄道が開通
  • 1882年3月20日 国立博物館および付属動物園(元寒松院跡の清水谷に)が開館
  • 1884年7月 上野駅駅舎本館落成式
  • 1884年11月 上野共同競馬場落成
  • 1887年12月 図面取調掛は東京美術学校と改称し、現在の地に移転
  • 1890年 公園地は帝室御料地となり宮内省の管轄に置かれる(大正13年1月26日まで)
  • 1890年5月 奏楽堂落成。
  • 1898年 西郷隆盛像除幕式
  • 1902年3月 帝室博物館開館式臨幸
  • 1909年2月 東京帝室博物館表慶館開館
  • 1916年4月 公園南入口にあった三橋を取り壊し、忍川が暗渠となる
  • 1924年 宮内省から東京市に下賜され(払い下げられ)、この経緯から「上野恩賜公園」という名称となった
  • 1925年 上野駅に公園口ができる
  • 1926年5月 東京府美術館開館
  • 1927年 上野~浅草間に地下鉄開通
  • 1930年1月 上野~万世橋間に地下鉄開通
  • 1930年3月 上野図書館新館落成
  • 1931年4月 不忍池ボート場開場
  • 1931年11月 東京科学博物館開館
  • 1932年 国鉄上野駅舎落成
  • 1933年12月 京成電鉄上野地下駅竣工
  • 1933年 京成本線日暮里駅 - 京成上野駅間に博物館動物園駅が開業
  • 1946年 戦災者救済会により不忍池(蓮池)の水を落として水田とし、上野田圃とよばれる
  • 1948年3月 上野鐘声会が花咲き匂う上野の山の復興を願って1250本のサクラを植樹する
  • 1952年 上野動物園拡張整備。東京科学博物館が廃止となり、国立科学博物館が設置される。西郷隆盛像下に戦後処理施策として上野百貨店が建設される
  • 1953年 竹の台周辺整備開始
  • 1953年4月 水上音楽堂竣工
  • 1959年 公園の夜間開放が許可
  • 1959年6月 国立西洋美術館開館
  • 1961年4月 東京文化会館開館
  • 1961年11月 上野精養軒新築。上野動物園内に「いそっぷ橋」が設置され、台上の東園と不忍池畔の西岸とがむすばれる
  • 1962年5月 竹の台噴水テラス沈床芝生完成
  • 1965年 東照宮が国の重要文化財に指定
  • 1968年4月 明治100年記念サクラ植樹
  • 1972年4月 上野の森美術館開館
  • 1972年10月 上野動物園にパンダ到着
  • 1973年 公園指定100周年を記念して、ボードワン博士の銅像を建立。ただし、顔がボードウィン博士の弟のものに取り違えられていた
  • 1975年9月 東京都美術館新館開館
  • 1976年7月 京成上野駅改良工事竣工
  • 1979年11月 国立西洋美術館新館開館
  • 1980年10月 下町風俗資料館開館
  • 1987年3月 東京芸術大学旧奏楽堂移築復元
  • 1988年6月 水上音楽堂改築竣工
  • 1997年 博物館動物園駅営業休止
  • 1997年12月 国立西洋美術館企画展示館竣工
  • 1998年3月 東京芸術大学奏楽堂竣工
  • 1999年 東京芸術大学美術館開館
  • 1999年10月 東京国立博物館平成館開館
  • 2000年10月 「パンダ橋」竣工
  • 2001年10月 旧岩崎邸庭園開園
  • 2004年 博物館動物園駅廃止
  • 2006年 ボードワン博士の銅像の(正しい顔への)建て替えが行われる
  • 2012年 「上野恩賜公園再生整備事業」における「竹の台・文化施設エリア」の再整備工事(噴水・オープンカフェ・園路の再整備と樹木伐採)が完了

施設[編集]

日本国内でも有数の都市公園で、公園の内外に歴史建築物や文教施設が多数存在しており、一帯が文化芸術の集合地域を形成している。

公園の風景(東京国立博物館前)

東京都立恩賜上野動物園をはじめ、動物園の付近に旧東京音楽学校奏楽堂などの芸術博物館、東京芸術大学東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校東京都立上野高等学校などの教育施設が広がっている。

鶯谷駅方面には徳川家霊廟の歴史的建築などが存在する寛永寺東京国立博物館国際子ども図書館があり、噴水池周辺には東京都美術館国立科学博物館があり、上野駅公園口近くには国立西洋美術館東京文化会館がある。

さらに、京成上野駅そばには上野の森美術館や西郷隆盛像がありその西側に桜並木が続く。桜並木沿いに清水観音堂(寛永寺)、五条天神社・花園稲荷神社がある。脇道に逸れると上野東照宮、寛永寺五重塔(東京都所有)があり、伊豆栄梅川亭、上野精養軒など老舗料理屋がある。

西側に坂を降りると不忍池が広がり、橋を渡ったところに不忍池弁才天(寛永寺:谷中七福神)がある。池の周りには下町風俗資料館や水上音楽堂が点在している。

公園内施設等[編集]

美術館[編集]

博物館・資料館[編集]

大学・図書館[編集]

その他の文化施設[編集]

歴史的建築・旧跡[編集]

上野東照宮社殿(重要文化財)
寛永寺五重塔(重要文化財)

彫像・記念碑[編集]

スポーツ施設等[編集]

上野公園(町名)[編集]

江戸時代は寛永寺地であり町名はなかった。1872年(明治5年)不忍池弁天島に不忍天竜町が設定され、1873年(明治6年)それ以外が上野公園地となった。1875年(明治8年)不忍天竜町は上野公園地に編入された。1924年(大正13年)上野恩賜公園に改称した。

上野恩賜公園一帯には1967年(昭和42年)1月1日住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施され、従来の上野恩賜公園に上野桜木町・上野花園町・五条町の各一部を併せて成立した「上野公園」が正式の町名となっている[4]。本項で既述の動物園、博物館等施設のほか、東京都立上野高等学校(10番14号)、台東区立忍岡中学校(18番20号)、護国院(10番18号)なども「上野公園」の町域に含まれる。なお、寛永寺の本堂および墓地は町域外で、住所は台東区上野桜木一丁目である。

町としての「上野公園」は、「丁目」の設定がない単独町名である。街区符号は1番から18番まであり大部分が公有地や寺社地であるが、18番街区には上述の忍岡中学校のほか、民間のビルや集合住宅も立地している。

町名の変遷[編集]

実施後 実施年月日 実施前(特記なければ、各町名等の一部)
上野公園 1967年1月1日 五条町(全域)、上野恩賜公園、上野花園町、上野桜木町
池之端一丁目 池之端仲町(全域)、茅町一丁目(全域)、茅町二丁目、上野恩賜公園
池之端二丁目 上野恩賜公園、茅町二丁目、池之端七軒町(全域)
池之端三丁目 谷中清水町、上野恩賜公園、上野花園町
上野桜木一丁目 上野恩賜公園、上野桜木町

上野公園の考古学[編集]

上野忍岡遺跡の発掘[編集]

現在上野公園が位置する台地一帯は、縄文・弥生から古墳時代の遺跡、あるいは幕末維新期の動乱で焼失した、江戸時代の寛永寺の主要伽藍及びその子院群の遺構を地下に包含する、上野忍岡遺跡(うえのしのぶがおかいせき)でもある。 1994年より、再開発に伴う発掘調査が国立科学博物館構内を嚆矢として、国立西洋美術館前庭部分、東京芸大構内、東京国立博物館構内と続き、近年も台東区教育委員会による発掘調査が、公園内及び周辺地で断続的に続けられている。調査の結果は報告書として刊行され、科学博物館構内からは、寛永寺子院青龍院(しょうりゅういん)の遺構、弥生時代の竪穴住居跡、埴輪片が出土。隣接する西洋美術館構内からは、多数の古墳時代竪穴住居跡が確認され、かつて当地にあった寛永寺子院凌雲院跡の遺構、徳川吉宗側室の墓跡などが確認された。

その他[編集]

  • 1990年代初頭、当公園付近に不法残留の外国人がたむろし、変造テレホンカード等の売買など違法行為が頻発して問題になった時期があった。特に在日イラン人のコミュニケーションの場として機能していた。
  • 1989年に、緑の文明学会と社団法人日本公園緑地協会が選定した日本の都市公園100選に選ばれている。
  • 戦後間もないころは男娼の集まる発展場として有名になり、1948年には視察に入った警視総監が男娼たちに襲われ帽子を奪われる「上野の森警視総監暴行事件」が起こり広く報道された[5][6]
  • 2015年10月4日午後4時半頃、宗教団体・顕正会の信者3人が、当公園で19歳の大学生に「東京見物に行かないか」と偽って車に乗せ、同教団の東京会館(東京都板橋区常盤台)に連れ出そうとしたとして、翌日未成年者誘拐の疑いで警視庁公安部に逮捕された[7][8]

脚注[編集]

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  1. ^ 隆盛像の傍らの愛犬ツンの像は後藤貞行の作
  2. ^ なお、公園内に1973年から置かれていたボードウィン像は、オランダ大使館より公園指定100周年を記念して贈られたものであるが、製作時の手違いにより実弟(元駐日オランダ領事)の写真をもとにした像であった。そのため胸像取替えの活動が起こり、2006年10月6日に本人の像に変更された。
  3. ^ 太政官達で日本最初の公園に指定されたのは上野公園のほか芝公園飛鳥山公園浅草公園深川公園である。
  4. ^ 同年3月17日自治省告示第56号「住居表示が実施された件」
  5. ^ 大阪市北区堂山町の系譜――性的表象と都市をめぐる試論――山田創平、京都精華大学紀要第三十一号
  6. ^ 三島由紀夫『仮面の告白』という表象をめぐって武内,佳代、お茶の水大学 F-GENSジャーナル、2007-09
  7. ^ 教団勧誘で未成年大学生を誘拐の疑い 「顕正会」関係者3人逮捕FNNニュース2015年10月5日12時34分配信
  8. ^ 「東京見物に行こう」と偽り大学生誘拐 宗教法人の関係者とみられる男ら3人逮捕産経ニュース2015年10月5日12時27分配信

参考文献[編集]

  • 小俣悟2001「加藤先生と台東区の発掘調査」『ツンドラから熱帯まで:加藤晋平先生古稀記念考古学論集』227-228。※台東区内の遺跡調査の歴史を紹介している。
  • 小俣悟1996「台東区の遺跡」『武蔵野』74巻2号。
  • 国立科学博物館上野地区埋蔵文化財発掘調査委員会編1995『上野忍岡遺跡:国立科学博物館(たんけん館・屋外展示模型地点)』
  • 国立西洋美術館埋蔵文化財発掘調査委員会1996『上野忍ヶ岡遺跡:国立西洋美術館地点』
  • 台東区文化財調査会2001『国立科学博物館:おれんじ館地点』埋蔵文化財発掘調査報告書10集。
  • 台東区文化財調査会1999『国立国会図書館支部上野図書館地点』埋蔵文化財発掘調査報告書5集。

※その他、上野公園内各所の発掘調査報告書多数が、台東区文化財調査会により刊行されている。既刊の発掘調査報告書は、台東区及び都内各公立図書館で自由に閲覧できる。また、台東区教育委員会では、上野公園内を始めとする区内の遺跡を紹介した小冊子『台東区の遺跡』を年度毎に作成、無償配布している。

関連項目[編集]


外部リンク[編集]

公式サイト以外を掲げる。