石神井公園

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東京都立石神井公園
Shakujii Park
都立石神井公園「三宝寺池」と厳島神社(練馬区)2021年1月夕暮れー1.jpg
都立石神井公園「三宝寺池」と厳島神社(練馬区)2021年1月夕暮れ
石神井公園の位置(東京都区部内)
石神井公園
分類 都立公園 (風致公園)・天然記念物
所在地
日本
座標 北緯35度44分20秒 東経139度35分51秒 / 北緯35.73889度 東経139.59750度 / 35.73889; 139.59750座標: 北緯35度44分20秒 東経139度35分51秒 / 北緯35.73889度 東経139.59750度 / 35.73889; 139.59750
面積 20.1ha
前身 一部「石神井公園記念庭園」の前身「喜楽園」、前々身「第二豊田園」(1916年,大正5年頃開園)。石神井池の前身は三宝寺川と田と水路と釣り堀。
開園 1959年3月11日
運営者 東京都公園協会
2011〜2015年度指定管理者
現況 年中開園
設備・遊具 史跡、神社、野球場、小野球場、テニスコート、野外ステージ、ボート場、公園遊具、売店(2つ)
駐車場 70台
アクセス 西武池袋線石神井公園駅徒歩7分
西武新宿線上井草駅より長久保行きバス「三宝寺池」下車、石神井公園駅行きバス「石神井公園」下車
告示 1959年3月11日
事務所 石神井公園管理所
事務所所在地 練馬区石神井台一丁目26-1
公式サイト 公式サイト
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航空写真に見る石神井公園付近の様子。1989年度撮影。写真中央付近の緑地。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

東京都立石神井公園(とうきょうとりつ・しゃくじいこうえん)は、東京都練馬区にある、都立公園風致公園である。三宝寺(さんぽうじ)池と石神井池を中心に、雑木林、高い木立がそびえる広場、史跡、運動場などからなる。武蔵野の緑を色濃く残す。三宝寺池北側の「石神井松の風文化公園」などは区立公園(都市計画上は石神井公園)。

園内[編集]

川瀬巴水『三宝寺池(石神井)』(1930年・昭和5年)
石神井池(ボート池)の様子(2007年4月)
石神井池(ボート池)中之島から(2021年5月)
石神井池(ボート池)沿いの道(2015年5月)

石神井公園には、三宝寺池石神井池があり、2つの池は井の頭池善福寺池と並び、武蔵野三大湧水池として知られる。園内は、天然記念物三宝寺池沼沢(しょうたく)植物群落がある三宝寺池エリアと、通称ボート池の石神井池エリアに大別され、2つは井草通りで隔てられている。その井草通りは大木のケヤキ並木(後述)で知られる。

その他の園内の施設には、有料ボート、野球場(合計3つ)、テニスコート、野外ステージ、広場、売店などがあり、区立の施設だが石神井公園ふるさと文化館、池淵史跡公園、石神井松の風文化公園も隣接している。

ジョギングコースや春は花見の名所、富士山が眺望できるスポットとしても知られる。

エリア
三宝寺池エリア

  • 三宝寺池
  • 北側 - 広場・遊具・A地区野球場
  • 南側 - 石神井城跡の丘陵・氷川神社
  • 西側 - 野鳥誘致林・広場(丘陵)
  • 東側 - ひょうたん池・水辺観察園・豊島屋(売店)

石神井池エリア

  • 石神井池
  • 南側中央 - 野外ステージと高台の雑木林
  • 南側中央高台の南奥 - 草地広場(八重桜)・B地区野球場・テニスコート(旧住友銀行グラウンド,富士山眺望スポット)
  • 南西 - けやき広場
  • 南西高台 - ふるさと文化館・池淵史跡公園(区立)・野草観察園
  • 南東 - ふくろう広場・くつろぎ広場(高台)・記念庭園(小池)
  • 北東 - ボート乗り場・パークス石神井(売店)

三宝寺池[編集]

三宝寺池には、国の天然記念物である三宝寺池沼沢植物群落がある(1935年指定)。同池は古来より、武蔵野台地からの地下水が湧き出る池としてこの地にあった。それを1959年(昭和34)に人々が散策できる公園として整備し、自然や野鳥と共存できるようにした。池は窪地にあり雑木林の土手に囲まれ、緑深い武蔵野の面影を残す。23区内とは思えない奥秩父の湖にいるような錯覚をさせる。但し年々水量が減少しており、景観維持のために人工的に地下から揚水している[注 1]。因みに池の名称は隣接する三宝寺に由来(この節で後述)。

中ノ島を中心に、カキツバタをはじめ、シャクジイタヌキモ[注 2]ジュンサイなどが生い茂っていた。しかし、1950年代後半から都市化が進んだことや、ヨシなどの植物を周辺の人が利用しなくなったため、植生が大きく変わった。その後、貴重な水生植物を保護するために、保護活動が行なわれている。

池淵には、厳島神社(小社)、宇賀神社穴弁天、水神社(小社)などがあり、厳島神社には昭和天皇皇太子だった頃に植えた「御手植之松(おてうえのまつ)」がある。因みに三宝寺池の古称は弁天池といったが、同池にある厳島神社がかつて三宝寺配下の弁天社だったことに由来する[4]1996年に「三宝寺池の鳥と水と樹々の音」が環境庁選定の「残したい日本の音風景100選」に選ばれている。

また、1993年8月、三宝池で巨大ワニの目撃証言が相次いだため、マスコミが連日報道し、罠をしかけるなどの大騒動になったが、結局発見されなかった[5]

三宝寺池エリア[編集]

当地には元々武蔵野を支配した豊島氏後期の居城、石神井城があり、同氏が室町時代に滅んだ時に消失したが、今は三宝寺池の南に石神井城址碑が立っている。三宝寺池はかつて石神井川の主水源とされ、流域の豪族であった豊島氏もこの水の支配の為、池の南の台地に築城したとされている。

同碑の上は丘陵になっていて、階段で登ると左手に本郭跡、空堀(からぼり)や土塁の遺跡が保存されており、高い木立がそびえる広場(無名)に出る。園外になるがそこは氷川神社鳥居をくぐれば繋がっていて、池の南側は全体が雑木林になっている。同神社は元々石神井城の鎮守として創建された(後述)。同じく園外だが池の名称の由来になった三宝寺も細道を挟んで隣接している(後述)。

大正期に日本初の100mプールとして整備され[注 3]、その後に西武鉄道が「石神井釣り道場」(1955~87年)として運営していた部分は、1989年(平成元年)に水辺観察園として整備されている。大正期にはまた、料亭の豊島館、旅館の武蔵野館、茶亭の見晴亭も池の畔(南東のやや高台)にできていて(現在平地)、そこは文士や芸術家らが集まった[6][7]。入り口の近くには「ひょうたん池」があり、ザリガニ回収などのイベントも催されている。因みに100mプールは府立第四公衆遊泳場としてできたもので、当時開通したばかりの武蔵野鉄道が駅からプールまで無料バスを運行していた。1932年ロス五輪の金メダリスト、鶴田義行清川正二ら選手団もこの石神井プールで合宿し「石神井遊泳団」と称された。 

同池の北側は大正期に創業した茶屋「豊島屋」、石神井公園サービスセンター、高い木立がそびえるアスレチック(遊具あり)・おべんと・くぬぎ(遊具あり)・さくらの各広場、A地区野球場などになっている。

また同池の北西には豊島氏の伝説に因んだ殿塚、姫塚があり、同池の西はフェンスで囲われた野鳥誘致林、広場(無名)、同池南西は小さな宇賀神社上広場(通称)になっている。

北端の富士街道に面する「石神井松の風文化公園」(庭球場などあり)は石神井公園とは別の練馬区立の公園であり、柵で囲われ夜7時には閉園し年末年始も休園する。その富士街道はかつて東伏見から石神井公園駅近くまでの区間、田柄用水が流れていた。

木道への通行規制について[編集]

三宝寺池を囲う木道には通行規制が設けられており、ジョギング、自転車に乗ったままの通行は認められていない(入り口の看板「三宝寺池についてのお願い」参照)。ただし、自転車を降りて押して歩くのなら自転車で通ることは認められている。自転車標識も人が乗った状態で斜線が引かれたものが使われており、即ち降りてなら通行して良いことになっている[8]。看板の説明文を読まない一部通行人によって、自転車を押して歩いている人が「自転車の乗り入れ禁止ですよ」と誤った注意を受けるトラブルが多発している[要出典]

犬の散歩については、東京都公園協会の「石神井公園について」のページに「ペットをお連れの方へ 散歩はリードを忘れずに。フンはお持ち帰り下さい」と書かれているが、三宝寺池側の狭い木道で犬の散歩が許されるのかなどについての言及はない。

石神井池[編集]

石神井池(1934年造成[9]。通称ボート池)は、三宝寺池一帯が風致地区に指定された際、同池とともに武蔵野の景観を保護する目的で人工的に作られたものである。元々三宝寺池から石神井川に注ぐ三宝寺川が流れ、その周辺は田んぼで水を引く水路もあったが、一帯を人工的にせき止めるなどして池とした[10]。但し、三宝寺池からの湧水が殆ど期待できなくなった1958年(昭和33年)には、既に157mの深井戸から揚水して池の水を確保していた[9]。それも2013年(平成25年)以降はアオコ対策で井戸を停止し、以前の様に主に三宝寺池からの流入水で池を満たしている[9]

石神井池は有料のボート池としても知られ、乗り場の近くには売店がある。池の中央より西寄りに「中の島」があり、石橋が架けられていて反対岸に渡れる。池の中にはまた、三澤憲司作のモニュメントが設置されている。釣りについては三宝寺池は全面禁止だが、石神井池は禁止されているエリアと一部認められているエリアがある。因みに1930年(昭和5年)に今の池の西側に養魚場が設置され、戦後は池の西側にもボート乗り場があった時期があり(開設年不明)、1973年(昭和48年)には池内の東端にちびっ子釣り場ができている[11]

石神井池エリア[編集]

ボート池とチューリップ」(2021年4月)
高台からみた石神井池と野外ステージ(2021年1月)

南側は木立が多く、傾斜地/高台となっていて、北側は民家が近接して道幅が狭いものの遊歩道として整備されている。南側も池沿いは遊歩道として整備が進んだ。

石神井池の南西にはけやき広場(ブランコあり)があり、その南は丘陵になっていて茅葺きの旧家(中村橋から移築)や竪穴式住居跡が見られる「池淵史跡公園」、その隣に「石神井公園ふるさと文化館」がある(2つは練馬区立の施設)。同文化館には池淵遺跡で発掘された縄文土器が展示されているほか、練馬区の歴史や昭和の暮らしの風景、練馬大根の歴史などについても紹介している。けやき広場の上はまた稲荷諏訪合神社(小社)も連なる。池淵史跡公園と隣接した高台に西洋庭園風の「野草観察園」(花壇あり)がある。同観察園は24時間オープンだが、区立の池淵史跡公園は公園であるにも関わらず、夜9時半に閉鎖されてしまう。

池の南中央西寄りには野外ステージがあり、土手の上は木立に囲まれてベンチなどが置かれ、池を下方に見渡せる。土手の上の細い通りを渡って南に進むと旧三井住友銀行運動場で、2012年から石神井公園草地広場、B地区野球・小野球場、テニスコートなどとして整備された。ここは春には八重桜の名所として知られる(後述)。また富士山が眺望できるスポットでもある(後述)。

池の南東は、池淵に花壇があり春にはチューリップが咲くほか、ふくろう広場、土手を登るとくつろぎ広場がある。さらに南には高浜虚子ホトトギス一派による俳句吟行会も催された「石神井公園記念庭園」で小池もあり、庭園の土手を登ると広場(無名)になっている。因みに同記念庭園は1916年(大正5年)頃に豊田銀右衛門が「第二豊田園」として開園したもので、園内には宿泊もできる茶亭もつくられた[12]。当時開通したばかりだった武蔵野鉄道唱歌の歌詞にも第二豊田園は出てくる。

沿革[編集]

大正~昭和初期(戦前)
  • 1913年(大正2年)- 豊田銀右衛門がツツジ園の「第一豊田園」開園。
  • 1916年(大正5年頃)- 同じく豊田氏が「第二豊田園」開園(後に喜楽園、石神井公園記念庭園と改称)[12]
  • 1910年代頃(大正年間)- 茶屋「豊島屋」創業[13]
  • 1917年(大正6年)- 旅館「武蔵野館」、料亭「豊島館」が三宝寺池南東の畔に開業[14]。茶亭「見晴亭」も2館より池の中央寄りに開業した[14]。豊島館は高浜虚子ら、見晴亭は太宰治ら多くの文士が訪れ、武蔵野館には多くの文士、芸術家が居住した[14]
  • 1918年(大正7年)- 東京府立第四公衆遊泳場(石神井水泳場)が開設。
  • 1919年(大正8年)10月 - 石神井城跡,三宝寺池などが都指定文化財となる。
  • 1920年(大正9年)- 石神井城址内郭北側に「人工滝」造成[14]
  • 1923年(大正12年)
    • 人工滝が関東大震災で崩落し、閉鎖。
    • 茶屋「一力」がこの年か翌年に開店。
  • 1924年(大正13年)- 関東大震災で損壊した石神井水泳場が100mプールに改修され再開(1939年《昭和14年》閉鎖)。
  • 1930年(昭和5年)- 今のボート池の西部分に養魚場を設置。
  • 1932年(昭和7年)- 石神井風致協会設立
  • 1933年(昭和8年)- 武蔵野鉄道(現西武池袋線)の駅名「石神井」から「石神井公園」 に変更。
  • 1934年(昭和9年)
    • 三宝寺池からの三宝寺川(旧弁天川)をせき止め、石神井池(ボート池)が誕生。
    • 日本銀行石神井運動場が開設。
    • 武蔵野館が石神井ホテルとして営業[6]
  • 1935年(昭和10年)12月24日 - 三宝寺池沼沢植物群落が天然記念物に指定される。 石神井公園蝉類博物館開館。
  • 1941年(昭和16年)- 豊島館を保谷硝子が買収、社員寮に[7]
  • 1943年(昭和18年)- 豊島館、武蔵野館ともに軍に接収(光が丘に軍の成増飛行場ができた影響)[7]。戦後間もなく豊島館はアパート、石神井ホテルはホテルとして営業再開したものの1949年にアパートになり、明治大学合宿所(旧武蔵野館)、東光精機社員寮などを経て解体[6][7]
昭和中~後期(戦後)
  • 1953年(昭和28)- 三宝寺池南西地区の石神井城址の土塁、空堀が崩され宅地化[14]
  • 1955年(昭和30年)- 三宝寺池地区の100mプール跡に西武鉄道が「石神井釣り道場」開設(1987年廃止)[15]
  • 1958年(昭和33年)- 石神井池でこの年既に157mの深井戸から揚水していた(深井戸が掘られた年は不明)[9]
  • 1959年(昭和34年)
    • 3月11日 - 石神井公園開園
    • 第二豊田園が喜楽園になる。
  • 1971年(昭和46年)- 三宝寺池の水量確保のため190mの深井戸を掘り揚水[10]
  • 1972年(昭和47年)- 区民プール建設予定地から縄文土器片や竪穴式住居跡が発掘。
  • 1973年(昭和48年)- ボート池内の東端に「ちびっこつり場」設置[11]
  • 1973年-1974年(昭和47~48年)- 池淵(旧地名)遺跡(石神井川と三宝寺池の間の台地)の発掘調査。縄文時代中期の竪穴式住居跡確認。
  • 1974年(昭和49年)- 練馬区立「石神井プール」が現在の場所に開設(現区立石神井公園ふるさと文化館に併設)。
  • 1975年(昭和50年)- 豊島館取り壊し。
  • 1977年(昭和52年)- 武蔵野館取り壊し。
  • 1978年(昭和53年)- 石神井公園記念庭園開園。喜楽園(旧第二豊田園)を都が取得、石神井公園に編入して再整備。喜楽園には現在の石神井公園第一駐車場内の下方に釣り堀もあった。喜楽園釣り堀とは別に金木園も近くの区立和田堀公園・緑地一帯に釣り堀とプールを経営していた。
  • 1980年(昭和55年)- 水路跡や金木園(釣り堀、プール)だった場所に和田堀公園オープン。
  • 1982年(昭和57年)- 三宝寺川の下流域を暗渠にし、地上を和田堀緑道として整備。
  • 1983年(昭和58年)- 石神井池西側のボート乗り場廃止。
  • 1987年(昭和62年)- 石神井釣り道場廃止。経営主体の西武鉄道が都に寄付。
  • 1988年(昭和63年)4-5月 - 照姫まつり始まる。
平成~令和
  • 1989年(平成元年)6月 - 三宝寺地区の釣り堀だった場所に水辺観察園完成。同年に金木園だった場所に区立和田堀緑地も整備。
  • 1993年(平成5年)- 見晴亭が取り壊し。
  • 1995年(平成7年)- 豊島屋近くのもう一つの茶屋「一力」閉店。画家黒澤信男「春雪」で一力茶屋前が描かれている。
  • 2007年(平成19年)3月31日 - ちびっこつり場を廃止[11]
  • 2010年(平成22年)- 練馬区立 石神井公園ふるさと文化館、池淵遺跡公園開館園。
  • 2012年(平成24年)- 旧三井住友銀行運動場がB地区野球場、テニスコート、草地広場などとして開園。
  • 2014年(平成26年)4月 - 練馬区立石神井松の風文化公園が日本銀行石神井運動場だった場所に開園。
  • 2018年(平成26年)- 東京海上日動石神井スポーツセンター(1960年代開設)に新体育館建設。
  • 2021年(令和3年) - かいぼりの実施に合わせ「人工池の生態系を壊す」という名目で人々の目を楽しませていた鯉を駆除。

石神井公園の桜[編集]

ボート池の南側、丘の上の野球場横にある八重桜並木(2021年4月)

石神井公園は桜の名所でもある。三宝寺池の北側に170本のソメイヨシノが植えられたさくら広場がある。石神井池の沿道(北側)にもソメイヨシノが咲く。石神井池の南側の丘陵地(旧住友銀行運動場)にある石神井公園草地広場は八重桜の名所になっていて、同広場とB地区野球場の間の通りは八重桜の並木道が整備されており、「桜のトンネル」ができることで知られる。また同野球場南東の芝生の丘にも八重桜並木があり、駐車場から旧早稲田通りへ南下する急勾配の道にもソメイヨシノがある。

石神井公園と富士山[編集]

旧住友銀行運動場から見える富士山(2021年1月)

ボート池南側の高台にある旧三井住友銀行運動場(B地区野球場、テニスコート、駐車場など)は富士山が眺望できるスポットでもある。野球場やテニスコートの中、その周り、駐車場、野球場南東とテニスコート南西にそれぞれある小さい緑の丘など、(ボート池寄りの草地広場を除いて)ほぼ全域で富士山が望める。但しB地区野球場の東フェンス越しの真ん中辺りが最もよく見える。

石神井公園の並木道[編集]

井草通りのケヤキ並木(2021.5、剪定後のため、壮観さが失われている)

三宝寺池と石神井池を隔てる井草通りは、巨木のケヤキ並木で知られる。また井草通りから東京海上日動石神井スポーツセンターの所を入る道は、銀杏並木がある。他に都市計画上は石神井公園にある区立石神井松の風文化公園も、富士街道など外周が並木道になっている。

イベント[編集]

照姫まつり(写真は2009年4月)

照姫祭り[編集]

三宝寺池には石神井城落城の際に豊島氏の姫、照姫が身を投げたと言う伝説があり、練馬区では照姫を偲んだ照姫まつりを1988年(昭和63年)より毎年4月 - 5月に開催している。また三宝寺池エリアの北西部に姫塚、殿塚がある。

その他[編集]

  • 練馬こどもまつり(毎年5月)
  • 三宝寺池自然誌学校(毎年開催)- 写真展、アメリカザリガニ捕獲、三宝寺池水族館(当日の朝三宝寺池で捕れた生きものを展示)など。

交通[編集]

公園周辺[編集]

石神井公園隣「三宝寺の竹林」(右下通路を挟んで石神井公園)2021年1月
石神井公園隣の「三宝寺の竹林」2021年2月

石神井公園駅から公園の東端までは、大通りの旧早稲田通りと商店街を経た細い石神井公園通りがY字に通っている。公園の南から南東にかけては三宝寺池を水源の一つとする石神井川が流れている。

当地を含む石神井町一帯は石神井公園駅、練馬区役所石神井庁舎もあるため、石神井地区の中心的な存在となっている。また近隣は多くが高級住宅街として知られる。西武鉄道は2017年までに一定の完成を見た石神井公園駅周辺の再開発について、「西武線沿線のイメージを形成していく上でのシンボルプロジェクト」としている。

石神井公園と古刹[編集]

石神井城があった公園の近辺には、城主だった豊島氏や豊島氏を滅ぼした太田道灌にまつわる神社や寺院がある。

三宝寺池の南側は神社仏閣地帯になっていて、石神井城の鎮守として室町時代に創建された氷川神社があり、この辺りの氏神神社に指定されている。同神社は元々石神井城内の何処かにあったが、豊島氏没落後に今の場所に遷移した。池の名称の由来となり、太田道灌が当地へ移した真言宗寺院の三宝寺(江戸期まで末寺を擁していた本寺格)、豊島(輝時)氏が建てた曹洞宗寺院の道場寺(ねりまの名木、道場寺のクロマツあり)などもある。三宝寺の山門は三代将軍徳川家光鷹狩の際に休憩に立ち寄った記録が残ることから「御成門(おなりもん)」と呼ばれ、その横には元勝海舟邸にあった長屋門(成増駅近くにあった遊園地兎月園から移設)が設置されている。同寺は不動明王本尊とし、多くのお堂を配し、高さ9mの十一面観音菩薩像、根本大塔(多宝塔)、白い外観の観音堂、地下にある子育千体地蔵堂(天国地獄絵図あり)、鐘楼(梵鐘が区指定有形文化財)などがある。

一方、石神井池の南東の石神井記念庭園の先には真言宗寺院の禅定(ぜんじょう)院(本尊:阿弥陀如来)があり、弘法大師尊像、延命地蔵、いぼ神地蔵などが置かれる。因みに三宝寺と禅定院は御府内八十八箇所霊場。他にも公園の北東、区立和田堀公園の近くには和田稲荷神社、高架北側に離れるが石神井神社がある。

三宝寺の巨大竹林[編集]

石神井公園隣の「三宝寺の竹林」2021年1月

石神井公園と細道を挟んで隣接する三宝寺の裏庭には、巨大な竹林がある。その細道の道場寺裏の辺りから威容を見上げることができる。また三宝寺と道場寺の境の通りの道場寺側に高台の緑地スペースがあり、階段で上がると竹林とそれに連なる石神井公園の森を正面に見渡せる。23区内とは思えない、山あいと見紛う景色が広がる。

石神井川と三宝寺川[編集]

練馬区「石神井川と早学院の木立」(石神井公園の近く、栄橋から)

かつて三宝寺池から石神井川へ三宝寺川が流れていて、古称を弁天川といった[4]。三宝寺川の多くは周囲の水田などとともに石神井池となり、下流域は三宝寺池の湧水が枯れたことにより流れが消失していたが、1982年(昭和57年)に水路跡を和田堀緑道として整備した。ミニ橋などができ、夏季のみ石神井池の水をろ過して流し下水へと繋がる。

かつて石神井川の水源となっていた水路は遮断され、公園の東端で地下の暗渠に流れ落ちているが[16]、それを再び石神井川に戻す試みも始まっている[注 4]

石神井川は石神井公園のすぐ近くを流れており、河川整備事業で緑の緩傾斜護岸化による親水化やレンガ調の遊歩道の整備が進んでいる。石神井公園との回遊性、一体性も考慮されつつある。

石神井公園と釣り堀/プール[編集]

かつて石神井公園一帯は多くの釣り堀とプールがあった。川が近く湧水地だったことに拠るかもしれない。石神井池(ボート池)ができる前、1930年(昭和5年)に現在の中之島以西に養魚場(釣り堀)があり、1955年(昭和30年)は三宝寺池エリアの100mプールだった場所に西武鉄道が「石神井釣り道場」を開場[15]。1973年(昭和48年)はボート池内の東端に「ちびっこつり場」(2007年閉鎖)の設置が許可され、区が都から池の一角を借り受け、そこに魚を放流して運営した[11]。また喜楽園、金木園にもそれぞれ釣り堀があり[12]、金木園にはプールもあった。その他、旧住友銀行運動場テニスコートの南下、旧早稲田通りと石神井川の間に、阿佐ヶ谷で1924年(大正13年)創業の釣り堀「寿々木園」の養魚場(金魚、鯉)があった[17]

  • 「養魚場」1930年に現在の中之島以西に開設。
  • 「石神井釣り道場」三宝寺池地区の1939年まで100mプールだった場所に開設[15]
  • 「ちびっこつり場」ボート池内の東端に設置[11]
  • 「喜楽園釣り堀」(旧第二豊田園、現石神井公園記念庭園。釣り堀は現第一駐車場内の下方にあった)[12]
  • 「金木園釣り堀/プール」(現区立和田堀公園~和田堀緑地一帯)
  • 「寿々木園」養魚場。旧住友銀行運動場テニスコートの南下、石神井川の近く。

隣接施設など[編集]

施設・公園

  • 練馬区立石神井公園ふるさと文化館(都市計画上は石神井公園)
    • 石神井プール
  • 練馬区立池淵史跡公園(茅葺屋根の旧家、中村橋から移築展示。夜9時半に閉園)
  • 練馬区立石神井松の風文化公園((旧日銀運動場。テニスコート7面、多目的天然芝広場、松林・花と木立の広場、和室・多目的室、更衣・シャワー室など。2014年開園。夜7時に閉園、年末年始閉園)
  • 東京海上日動石神井スポーツセンター(1960年代開設。2018年に旧体育館に隣接してグラウンドだった場所に新体育館建設。その後旧体育館の場所は石神井松の風文化公園の拡張部分として整備)
  • 三井住友銀行運動場(都が買収し、2012年から石神井公園B地区野球場、テニスコート等として開園)

寺社

川・道路

  • 石神井川(石神井公園の南側を流れる)
  • 石神井公園通り(商店街から石神井公園に南下する通り)
  • 井草通り(都道444号。三宝寺池と石神井池を隔てる通り)
  • 旧早稲田通り(都道25号。石神井公園の南側を石神井川と並走)

公園を舞台とした作品[編集]

石神井公園から生まれた作品も多い。

音楽
アニメ・漫画
  • ど根性ガエル』の舞台は石神井公園付近がモデルになっている。
  • めぞん一刻』の舞台の一刻館は練馬区にあり、登場人物が石神井公園のボートに乗るシーンがある。
漫画
  • 島耕作シリーズ」の作中には、ボートに乗るなど数多く石神井公園でのシーンが登場する。
  • 孤独のグルメ』には、石神井公園の売店を舞台にした一編がある。
  • 湾岸ミッドナイト』には石神井公園をモデルとしたシーンが描かれている。
  • 究極超人あ〜る』で、春風高校光画部の春合宿の舞台となっている。
映画
小説
  • 新井素子の『いつか猫になる日まで』では、舞台として石神井公園が使われている。
  • 『石神井橋』に登場する「石神井橋」は三宝寺池の橋がモデルである。また主人公は石神井中学校の卒業生ということになっている。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 1971年(昭和46年)に三宝寺池の水量確保のため190mの深井戸が掘られ、地下から揚水している(『第3章 練馬区の水辺の現況』より)。
  2. ^ 学名: Utricularia siakujiiensis Nakaj. ex H.Hara。『東京緑地計画調査彙報』9: 90, t. 2 (1937) で記載されたが、イヌタヌキモ(学名: U. australis[1][2]やオオタヌキモ(学名: U. macrorhiza[3]シノニムと考えられている。
  3. ^ 石神井水泳場ができたのは1918年(大正7)だが、当初は簡易プールで1923年(大正12)の関東大震災で損壊し、翌1924年に改修工事で100mプールとなって再開。1939年(昭和14)閉鎖。
  4. ^ 現在の石神井川の水量は湧水により保たれており、石神井川の水量を保つために「下水道に排水されている池からのオーバーフロー水を、かつてのようにできるだけ自然の状態を再現するような整備を行いながら、石神井川に排水する」とする整備計画が掲げられている(「練馬区水辺ふれあい計画2001-2010」より)。

出典[編集]

  1. ^ Hassler M. (2018). World Plants: Synonymic Checklists of the Vascular Plants of the World (version Apr 2018). In: Roskov Y., Ower G., Orrell T., Nicolson D., Bailly N., Kirk P.M., Bourgoin T., DeWalt R.E., Decock W., Nieukerken E. van, Zarucchi J., Penev L., eds. (2018). Species 2000 & ITIS Catalogue of Life, 30th October 2018. Digital resource at www.catalogueoflife.org/col. Species 2000: Naturalis, Leiden, the Netherlands. ISSN 2405-8858.
  2. ^ 米倉浩司・梶田忠 (2003-).「BG Plants 和名-学名インデックス」(YList),http://ylist.info (2018年11月12日).
  3. ^ 角野康郎、田中純子 (2005).「シャクジイタヌキモ(タヌキモ科)の再検討The Journal of Japanese Botany 90(6): 399-403. 2018年11月12日閲覧。
  4. ^ a b 三宝寺池と三宝寺川の古称である弁天池、弁天川は、同池にある厳島神社がかつて三宝寺配下の弁天社だったことに由来。明治期の神仏分離で弁天社は厳島神社になった。
  5. ^ 1993年10月22日 産経新聞 東京朝刊 27頁など
  6. ^ a b c 「かるがも便り」(2016年4月55号,発行石神井まちづくりの会)。
  7. ^ a b c d 月刊Kacce(かっせ)2017年11月号「幻の石神井ホテルに迫る」より。
  8. ^ 三宝寺池入り口看板「三宝寺池についてのお願い」(石神井公園サービスセンター)
    ★木道への自転車の乗り入れや木道でのジョギングはご遠慮下さい。自転車で通るときは、自転車を押して歩いて下さるようお願いします。
  9. ^ a b c d 「フィールドミュージアムガイド 石神井公園」(公益財団法人東京都公園協会)
  10. ^ a b 「練馬区水辺ふれあい計画2001-2010」
  11. ^ a b c d e 練馬わがまち資料館。
  12. ^ a b c d 「練馬区史 現勢編」(1981年10月)
  13. ^ テレ東公式HP『アド街』バックナンバー「石神井公園」(2005年6月18日放送)[1]より。
  14. ^ a b c d e 「かるがも便り」(2015年10月53号,発行石神井まちづくりの会)。
  15. ^ a b c 「みどりと水の練馬」より。
  16. ^ 「フィールド ミュージアム ガイド 石神井公園」(公益財団法人東京都公園協会 / 石神井公園サービスセンター)
  17. ^ (寿々木園HPより。養魚場だけで釣り堀があったかは不明)

関連項目[編集]

関連文献[編集]

  • 「巻之四 天権之部 三宝寺池/弁財天/氷川明神/石神井城址」『江戸名所図会』3、斎藤長秋、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、60-63頁。NDLJP:1174157/35

外部リンク[編集]