不動明王
| 不動明王 | |
|---|---|
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| |
| 名 | 不動明王 |
| 梵名 |
「アチャラナータ」 (अचलनाथ acalanātha) |
| 別名 |
阿遮羅曩他 お不動さん 無動明王 無動尊 無動使者 不動尊 大日大聖不動明王 |
| 経典 | 『大毘盧遮那成仏神変加持経』 |
| 関連項目 |
【五大明王】 降三世明王 軍荼利明王 大威徳明王 金剛夜叉明王 |
不動明王 (ふどうみょうおう)、梵名アチャラナータ [注釈 2](अचलनाथ [acalanātha])は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている。 五大明王の一員である、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王らと共に祀られる。
目次
概要[編集]
密教の根本尊である大日如来の化身、あるいはその内証(内心の決意)を表現したものであると見なされている。「お不動さん」の名で親しまれ、大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)、無動明王、無動尊、不動尊などとも呼ばれる。アジアの仏教圏の中でも特に日本において根強い信仰を得ており、造像例も多い。真言宗では大日如来の脇侍として、天台宗では在家の本尊として置かれる事もある。縁日は毎月28日である。
真言・種子・三昧耶形[編集]
真言[編集]
不動明王の真言には以下のようなものがある。 一般には、不動真言の名で知られる、小咒(しょうしゅ)、一字咒(いちじしゅ)とも呼ばれる真言が用いられる。
- 「ノウマク サンマンダ バザラダン カン」
- (namaḥ samanta vajrāṇāṃ hāṃ)
また、長い真言には、大咒(たいしゅ)、火界咒(かかいしゅ)と呼ばれる真言がある。
- 「ノウマク サラバタタギャテイビャク サラバボッケイビャク サラバタタラタ センダマカロシャダ ケンギャキギャキ サラバビギナン ウンタラタ カンマン」
- (namaḥ sarvatathāgatebhyaḥ sarvamukhebhyaḥ sarvathā traṭ caṇḍamahāroṣaṇa khaṃ khāhi khāhi sarvavighanaṃ hūṃ traṭ hāṃ māṃ)
その中間に位置する、中咒(ちゅうしゅ)、慈救咒 (じくしゅ)と呼ばれる真言も知られる。
- 「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン」
- (namaḥ samanta vajrāṇāṃ caṇḍamahāroṣaṇa sphoṭaya hūṃ traṭ hāṃ māṃ. )
大意:「激しい大いなる怒りの相(すがた)を示される不動明王よ。迷いを打ち砕きたまえ。障りを除きたまえ。所願を成就せしめたまえ。カン マン。」[2]
種子[編集]
種子(種子字)はカーン(हां、hāṃ)、あるいはカンマーン(हाम्मां、hāmmāṃ)。
印相[編集]
- 不動根本印
- 不動剣印
三昧耶形[編集]
起源[編集]
不動明王の起源は、ヒンドゥー教の最高神シヴァ神にあるとの説が有力である。かって「不動明王はシヴァである」という説が唱えられ、まじめに大議論されたことがあるが、「不動明王=シヴァ」説は基本的に間違いである。ヒンズー教のシヴァの姿を真似て、シヴァの対抗馬である仏教の大将軍マハーカーラが創られ、そのマハーカーラが不動明王に進化した。姿が似ているのは当然だが、シヴァのデザインを借りただけである同じくマハーカーラとされる青面金剛像は、シヴァとカーラの夫婦を踏んづけている反ヒンズー教のデザインであり、明王に数多くみられるデザインが似ているからと言って同一ではない事例の典型である[要出典]
梵名のアチャラナータもヒンドゥー教ではシヴァ神の別名とされている。[要出典]密教がヒンドゥー教を取り込むために、シヴァ神を不動明王として大日如来の眷属とすることでその神格を吸収する一方で降三世明王がシヴァ神を屈服させたとしたものと思われる[誰によって?]。これは他宗教の神を吸収する際によく行われる事である。梵名の「アチャラ」は「動かない」、「ナータ」は「守護者」を意味し、全体としては「揺るぎなき守護者」の意味である。チベット仏教などではこの名よりもチャンダ・マハーローシャナ (चण्डमहारोषण [caṇḍamahāroṣaṇa]、”怒れる大忿怒尊”)の名でより知られる。しかし、こちらは三眼で毛皮を身に纏い髪が逆立っているなど、日本に伝えられた不動明王とは図像的にやや異なるものである。
空海(弘法大師)が唐より密教を伝えた際に、日本に不動明王の図像が持ち込まれたと言われる。「不動」の尊名は、8世紀前半、菩提流志(ぼだいるし)が漢訳した「不空羂索神変真言経」に「不動使者」として現れるのが最初である。[要出典]「使者」とは、大日如来の使者という意味である。[独自研究?]大日如来の脇侍として置かれる事も多い
密教では三輪身といって、一つの「ほとけ」が「自性輪身」(じしょうりんじん)、「正法輪身」(しょうぼうりんじん)、「教令輪身」(きょうりょうりんじん)という3つの姿で現れるとする。「自性輪身」(如来)は、宇宙の真理、悟りの境地そのものを体現した姿を指し、「正法輪身」(菩薩)は、宇宙の真理、悟りの境地をそのまま平易に説く姿を指す。これらに対し「教令輪身」は、仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅し教え諭し、仏法に敵対する事を力ずくで止めさせる、外道に進もうとする者はとらえて内道に戻すなど、極めて積極的な介入を行う姿である。不動明王は大日如来の教令輪身とされる。煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしている。
また、密教経典によれば[要文献特定詳細情報]、不動明王とは釈迦が悟りを開いた菩提樹下の坐禅中に煩悩を焼きつくしている姿だとしている。釈迦が成道の修行の末、悟りを開くために「我、悟りを開くまではこの場を立たず」と決心して菩提樹の下に座した時、世界中の魔王が釈迦を挫折させようと押し寄せ、釈迦に問答を挑んだり、千人の少女に誘惑させたりしたところ、釈迦は穏やかな表情のまま降魔の印を静かに結び、魔王群をたちまちに説破し、超力で降伏したと伝えられるが、不動明王はその際の釈迦の内証を表現した姿であるとも伝えられる。[要出典][注釈 3]
伝承[編集]
唐の不空が訳した密教経典「底哩三昧耶不動尊聖者念誦秘密法」[信頼性要検証][注釈 4]には、大自在天(ヒンドゥー教の最高神シヴァ)を不動明王が調伏する説話がある。[信頼性要検証]
それによると、大日如来が悟りを開いて仏陀になったとき、ありとあらゆる三界の生き物たちが集会に来たが、自分こそ三千世界の主と考え慢心する大自在天だけは招集に応じなかった。大自在天は「持明者(インドの魔法を使う精霊、ここでは夜叉明王)が使いとして来るだろうが、奴らは不浄なものを嫌うから、不浄なものを幻術で作り出し四方に張り、その中にいれば持明者の明術も役に立つまい」として結界を張り、近寄れないようにした。不動明王が大自在天を呼びに行くと不浄の結界で覆われていたので、不動明王は不浄金剛(烏枢沙摩明王)を召還し、不浄を食らい尽くさせた。そして、ただちに不動明王は大自在天を捕らえて仏陀の元へ連行する。しかし大自在天は「汝らは夜叉に過ぎぬが、私は神々の王なのだ」と言い何回も逃げ続けた。仏陀が「断罪すべし」と命ずると、大自在天とその妃(ウマー)を踏み殺し絶命させたのだった。(これが降三世夜叉明王の姿である)そして、大自在天の処分を尋ねると仏陀は「蘇生させよ」と言うので、法界生真言を唱えて復活させた。大自在天は喜び不思議がり「この夜叉は何者なのでしょうか?」と尋ねると、仏陀は「諸仏の主である」と答えた。大自在天は感激し、万物の全てにおいて尊い諸仏の上に、さらに諸仏の主がいることを知り、また彼が不動明王という「大王」のお陰で将来仏になれる授記をも得たのだった。[信頼性要検証]
ここでは、不動明王のことを、夜叉、大王、諸仏の主と呼んでいるのが特徴的である。[信頼性要検証]
像容[編集]
密教の明王像は多面多臂の怪異な姿のものが多いが、不動明王は一面二臂で降魔の三鈷剣(魔を退散させると同時に人々の煩悩や因縁を断ち切る)と羂索(けんさく/けんじゃく。悪を縛り上げ、また煩悩から抜け出せない人々を縛り吊り上げてでも救い出すための投げ縄のようなもの)を持つのを基本としている(密教の図像集などには多臂の不動明王像も説かれ、後述のように日蓮は四臂の不動明王を感得しているが、立体像として造形されることはまれである)。剣は竜(倶利伽羅竜)が巻き付いている場合もあり、この事から「倶利伽羅剣」と呼ばれている。
また、その身体は基本的に醜い青黒い色で表現される像容が多い。これはどぶ泥の色ともいわれ、煩悩の泥の中において衆生を済度せんことを表しているといわれる。しかし底哩経などには、身体の色は青黒か赤黄とあり、頂は七髷か八葉蓮華、衣は赤土色、右牙を上に出し左牙を外側に出す、というのが一般的とされる。
人間界と仏界を隔てる天界の火生三昧(かしょうざんまい。人間界の煩悩や欲望が天界に波及しないよう烈火で焼き尽くす世界)と呼ばれる炎の世界に住している。不動明王は多くの明王の中でも中心的な存在であり(五大明王の中でもリーダー格である)、像容は肥満した童子形に作ることが多く(『大日経』の出典による)、怒りによって逆巻く髪は活動に支障のないよう弁髪でまとめ上げ、法具は極力付けず軽装で、法衣は片袖を破って結んでいる。その装束は古代インドの奴隷ないし従者の姿を基にしたものとされ、修行者に付き従いこれを守る存在であることを表している。右手に剣、左手に羂索を握りしめ、背に迦楼羅焔(かるらえん。迦楼羅の形をした炎)を背負い、貪・瞋・癡を許さんとする慈悲極まりた憤怒の相で、岩を組み合わせた瑟瑟座(しつしつざ)か、粗岩(岩座ともいい、仏典では「磐石」。「金剛石」とあるのでダイヤモンドの原石である)の上に座して「一切の人々を救うまではここを動かじ」と決意する姿が一般的である(日本では坐像の他、立像も数多く存在している)。以下に典型的な像の形を示す。
- 東寺講堂像(坐像) - 空海(弘法大師)の創意に基づくという意味で「弘法大師様(よう)」と呼ばれる像容。両目を見開き、上唇で下唇を噛み、両牙を下方に出すのが特徴。後世多く作られた、天地眼(片目を半眼にする)・牙上下出(牙を片方は上、もう片方は下に出す)の不動明王とは図像的に異なっている。[4]
- 浪切不動(立像) - 高野山南院に伝わる、空海が唐から将来したと伝える像である。頭部を右下方に向け、右目を見開き、左目をすがめ、両牙を下に出す。空海が唐からの帰途、荒波に襲われた際にこの不動に祈ったところ波が去ったという伝説がある。[5]
- 黄不動(立像) - 園城寺に伝わる画像で、円珍感得像と伝える。両目を見開き、上唇で下唇を噛み、両牙を上方に出す。上半身裸形、体躯は筋骨隆々として肥満し、虚空を踏んで立つ。[6][注釈 5]
インドで起こり、中国を経て日本に伝わった不動明王であるが、インドや中国には、その造像の遺例は非常に少ない。日本では、密教の流行に従い、盛んに造像が行われた。日本に現存する不動明王像のうち、平安初期の東寺講堂像、東寺御影堂像などの古い像は、両眼を正面に見開き、前歯で下唇を噛んで、左右の牙を下向きに出した、現実的な表情で製作されていた。しかし時代が降るにつれ、天地眼(右眼を見開き左眼を眇める、あるいは右眼で天、左眼で地を睨む)、牙上下出(右の牙を上方、左の牙を下方に向けて出す)という、左右非対称の姿の像が増えるようになる。これは10世紀、天台僧・安然らが不動明王を観想するために唱えた「不動十九観」に基づくものである。
また、日蓮宗系各派の本尊(いわゆる十界曼荼羅)にも不動明王が書かれている為、日蓮宗でも不動明王を奉安する寺院が存在する[注釈 6]。愛染明王と同様、空海によって伝えられた密教の尊格であることから、日蓮以来代々種子で書かれている。なお日蓮の曼荼羅における不動明王は生死即涅槃を表し、これに対し愛染明王は煩悩即菩提を表しているとされる。
眷属[編集]
不動三尊[編集]
不動明王は、八大童子と呼ばれる眷属を従えた形で造像される場合もある。ただし、実際には八大童子のうちの2名、矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制吒迦童子(せいたかどうじ)を両脇に従えた三尊の形式で絵画や彫像に表されることが多い(不動明王二童子像または不動三尊像と言う)。三尊形式の場合、不動明王の右(向かって左)に制吒迦童子、左(向かって右)に矜羯羅童子を配置するのが普通である。矜羯羅童子は童顔で、合掌して一心に不動明王を見上げる姿に表されるものが多く、制吒迦童子は対照的に、金剛杵(こんごうしょ)と金剛棒(いずれも武器)を手にしていたずら小僧のように表現されたものが多い。
八大童子の彫像の作例としては、高野山金剛峯寺不動堂に伝わった国宝の像がよく知られる なお、不動明王の眷属として八大童子を配することは、サンスクリット経典には見えないようで、中国で考案されたものと言われている。この他に三十六童子、四十八使者と呼ばれるものがある。
また東寺のように五大明王と呼ばれる主要な明王の中央に配されることも多い。
八大童子[編集]
- 慧光童子(えこうどうじ) Jñānaprabhā
- 慧喜童子(えきどうじ) Jñānaprīti
- 阿耨達童子(あのくたどうじ) Anavatapta
- 指徳童子(しとくどうじ) Aṅguliguṇa
- 烏倶婆誐童子(うくばがどうじ) Ugrabhaga
- 清浄比丘(しょうじょうびく) Śuddha bhikṣu
- 矜羯羅童子(こんがらどうじ) Kiṃkara
- 制多迦童子(せいたかどうじ) Ceṭaka
三十六童子[編集]
- (1) 矜迦羅童子(こんがら)
- (4) 光網勝童子(こうもうしょう)
- (7) 智慧幢童子(ちえどう)
- (10) 不思議童子(ふしぎ)
- (13) 伊醯羅童子(いけいら)
- (16) 阿婆羅底童子(あばらち)
- (19) 法挟護童子(ほうきょうご)
- (22) 小光明童子(しょうこうみょう)
- (25) 僧守護童子(そうしゅご)
- (28) 虚空蔵童子(こくうぞう)
- (31) 戒光慧童子(かいこうえ)
- (34) 善爾師童子(ぜんにし)
- (2) 制叱迦童子(せいたか)
- (5) 無垢光童子(むくこう)
- (8) 質多羅童子(しったら)
- (11) 羅多羅童子(あらたら)
- (14) 獅子光童子(ししこう)
- (17) 持堅婆童子(じけんば)
- (20) 因陀羅童子(いんだら)
- (23) 仏守護童子(ぶっしゅご)
- (26) 金剛護童子(こんごうご)
- (29) 宝蔵護童子(ほうぞうご)
- (32) 妙空蔵童子(みょうくうぞう)
- (35) 波利迦童子(はりか)
- (3) 不動恵童子(ふどうえ)
- (6) 計子爾童子(けいしに)
- (9) 召請光童子(ちょうしょうこう)
- (12) 波羅波羅童子(はらばら)
- (15) 獅子慧童子(ししえ)
- (18) 利車毘童子(りしゃび)
- (21) 大光明童子(だいこうみょう)
- (24) 法守護童子(ほうしゅご)
- (27) 虚空護童子(こくうご)
- (30) 吉祥妙童子(きっしょうみょう)
- (33) 普香王童子(ふこうおう)
- (36) 烏婆計童子(うばけい)
四十八使者[編集]
- 左方
- (1) 倶哩迦羅龍王
- (4) 天五母夜叉王
- (7) 三十三天各各天王
- (10) 修羅金縛王
- (13) 多羅迦王
- (16) 五天人散羅王
- (19) 迦毘羅修法王
- (22) 倶多遷化天王
- (2) 健達藥叉王
- (5) 初禪若干大梵王
- (8) 阿迦尼多天王
- (11) 大鉢沙羅王
- (14) 牛頭密呪王
- (17) 神母大小諸王
- (20) 藥叉諸天王
- (23) 火羅諸天王
- (3) 尸棄大梵王
- (6) 二三四禪大明王
- (9) 央俱將迦羅王
- (12) 拔苦婆多羅王
- (15) 光火炎摩王
- (18) 捶鐘迦羅大王(搥鐘迦羅大王とも音写する)
- (21) 三界授天大王
- (24) 皆攝持天王
- 右方
- (25) 金剛修羅王
- (28) 一切諸法受用王
- (31) 護持諸法王
- (34) 急急大小神天王
- (37) 神王眷屬大智王
- (40) 諸神皆得大王
- (43) 迦葉大王
- (46) 會集神王
- (26) 神王引攝大王
- (29) 迦葉大呪大士王
- (32) 吽發多羅王
- (35) 那縛迦羅王
- (38) 摩登迦羅天人王
- (41) 一一東西南北王
- (44) 沙羅仙大神王
- (47) 太一徳王
- (27) 二十八宿諸大王
- (30) 一一各有大士王
- (33) 蘇小拔苦王
- (36) 悉底地大士王
- (39) 天地受用大明王
- (42) 密呪受持王
- (45) 莫呪大呪大明王
- (48) 一切諸神王
経典・儀軌[編集]
- 『大日経』
日本撰択の主な経典[編集]
- 聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経 [注釈 7]
- 大日如来の大法会で普賢菩薩が文殊菩薩と衆生に向かって自らの感得した不動明王について教えを説き、大日如来がお墨付きを与えるという筋書き。なお太平記において日野資朝の息子阿新丸による仇討ちの話中、行者が明王に祈念して舟で追手の手から逃げのびるシーンは、「大法の船を設け普く苦海を度して彼岸に到らしむる」という部分へのオマージュである。
- 仏説聖不動経[注釈 8]
- 前述の経典の教えのエッセンスを短くまとめたもので、日本で成立したもの。不動明王自身が教えを説くという形式を採る。衆生の心の有り方は一様でない(悟りに到る道も個々によって異なる)ので心の中に住み(修行者自身が不動明王である)、各々に合わせて姿を変え願いを叶えるという内容が説かれている。
- 稽首聖無動尊祕密陀羅尼経[注釈 9]
- 印を結ぶ動作が加わるなど、密教色の極めて強いものとなっている。
以下四つは他の尊格や日本の神々をも代表する存在であるとした讃嘆経に類するもの。他の神仏に優る超越的絶対者としてではなく、衆生の心のあり方は一様でないので悟りに到る道も個々によって異なるという前述の思想を受けたものと考えられている。
- 不動尊劔の文
- 不動尊祈り経
- 不動明王利益和讃
- 五體加持
その他、関連するものとして
- 五大力
- 南無三十六童子
- 南無八大童子
があるが、いずれも典拠は明らかではない。
日蓮宗の大曼荼羅御本尊、神札等における勧請[編集]
日蓮宗では、大曼荼羅御本尊に勧請され、題目「南無妙法蓮華経」の右側に種子「カーン」が大きく記載されるのが通例となっている。 また日蓮宗寺院が檀信徒に配布する大黒天、烏芻沙摩明王などの神札において、主神名の右側に種子「カーン」が記入される事例が多くみられる。
不動明王を祀る主な日本の寺院[編集]
- 宮城・松島瑞巌寺五大堂 (秘仏)木造不動明王坐像(五大明王のうち)(平安時代、重要文化財)
- 栃木・三毳不動尊
- 茨城・真浄寺(牛久不動尊)木造不動明王立像
- 埼玉・總願寺(不動ヶ岡不動尊)
- 埼玉・狭山山不動寺(狭山不動尊)
- 栃木・寺岡山元三大師(寺岡山薬師寺)前身は聖徳太子の命よって建立され、『下野八薬師』と称されていたと伝えられている。
- 千葉・成田山新勝寺 木造不動明王二童子像(鎌倉時代の後期 13世紀~14世紀の作、作者は不詳、重要文化財[8][9][10])。
- 千葉・弘行寺(長生不動尊)木造不動明王立像(平安時代)
- 東京・瀧泉寺(目黒不動尊)
- 東京・薬研堀不動院 江戸期より江戸三大不動と称されており、現在は川崎大師別院
- 東京・金剛寺(高幡不動尊) 木造不動明王二童子像(平安時代、重要文化財)
- 神奈川・大山寺 鉄造不動明王二童子像(鎌倉時代、重要文化財)
- 富山・日石寺 不動明王坐像(凝灰岩磨崖)(平安時代、重要文化財)
- 石川・倶利迦羅不動寺 倶利伽羅不動明王
- 福井・圓照寺 木造不動明王立像(平安時代、重要文化財)
- 滋賀・延暦寺 木造不動明王立像(鎌倉時代、重要文化財)
- 滋賀・石山寺 木造不動明王坐像(平安時代、重要文化財)
- 滋賀・西明寺 木造不動明王立像(平安時代、重要文化財)
- 京都・東寺講堂 木造不動明王坐像(五大明王のうち)(平安時代、国宝)
- 京都・東寺御影堂 木造不動明王坐像(平安時代、国宝 秘仏)
- 京都・鹿苑寺(金閣寺) 石造不動明王像
- 京都・同聚院(東福寺塔頭) 木造不動明王坐像(平安時代、重要文化財)
- 奈良・東大寺旧法華堂 木造不動明王二童子像(南北朝時代、重要文化財)
- 奈良・新薬師寺 木造不動明王二童子像(平安時代、重要文化財)
- 奈良・唐招提寺 木造不動明王像(江戸時代、重要文化財)
- 奈良・長谷寺 木造不動明王坐像(平安時代、重要文化財)
- 大阪・観心寺 木造不動明王坐像(南北朝時代、重要文化財)
- 大阪・瀧谷不動明王寺 木造不動明王二童子像(平安時代、重要文化財)
- 和歌山・金剛峯寺 木造不動明王立像(平安時代、重要文化財)
- 和歌山・金剛峯寺(護摩堂) 木造不動明王坐像(鎌倉時代、重要文化財)
- 和歌山・高野山南院 木造不動明王立像 (波切不動)(平安時代、重要文化財)
- 兵庫・神呪寺 木造不動明王坐像 (平安時代、重要文化財)
- 鳥取・不動院岩屋堂 木造不動明王像 (黒皮不動)(伝平安時代)
- 香川・成田山聖代寺 不動明王像
- 熊本・天台宗・雁回山長寿寺 木造不動明王像(金錦不動、火伏不動、水引不動)(伝延暦年間782~805)
- 沖縄・安国寺 木造不動明王像
三不動[編集]
他説もある。特に広辞苑等では「三不動」として以下の組み合わせが併載されている。
五色不動[編集]
画像[編集]
黄不動 曼殊院蔵
木造不動明王立像
(平安時代後期)
メトロポリタン美術館蔵
(京都府南丹市、九品寺伝来)
利剣と羂索を持ち、天地眼、牙上下出とする。
関連霊場[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 五大尊のうち不動明王
- ^ 「アチャラ」は動かない、「ナータ」は守護者の意。[1]。
- ^ 唐の不空が訳した「底哩三昧耶不動尊念誦秘密法」巻上に、不動明王とは「菩提心大寂定の義」「(釈迦)如来成道の時、先に宝菩提樹に坐して降魔成道する者は。即ち是れ大寂定不動にして菩提の本」とする[3]。すなわち、釈迦が菩提樹下で坐禅をして悪魔を降伏させ悟りを開いた時の状態の時を表した尊格だとする。なお同様の記述は大日経疏にもある。[独自研究?]釈迦の坐禅中に悪魔が誘惑したことは原始仏典『サンユッタ・二カーヤ』にあり詳細な問答の内容が伝えられている(邦訳・中村元「ブッダ悪魔との対話」岩波文庫)。
- ^ この経典の読みは、「ちりさんまやふどうそんしょうじゃねんじゅひみつほう」となる。
- ^ 渡辺照宏は、美術的価値はともかく密教の教えから外れており、円珍は不動明王をよく知らなかったのではないかと批判している[7]
- ^ 日蓮は清澄寺や延暦寺で密教を修めている。日蓮は建長6(1254)年6月25日、愛染明王を太陽の中、立像で腕が四本の不動明王を月の中に感得したとして「不動愛染感見記」(国重文)を書いた。「不動・愛染感見記」一考(尚、この感見記には偽書説もある)また、日蓮の御書には度々不動明王が登場し、「法華経の前触れである無量義経は皇帝の行列の前を清める将軍のような教典であり、不動明王の剣索・愛染明王の弓箭のようなものだ」(上野殿母尼御前御返事)と述べており、法華経守護と悪魔降伏の仏として自筆の曼荼羅には不動明王を必ず書いている。
- ^ この経典の読みは、「しょうむどうそん だいいぬおう ひみつだらにきょう」となる。
- ^ この経典の読みは、「ぶっせつ しょうふどうきょう」となる。
- ^ この経典の読みは、「けいしゅ しょうむどうそん ひみつだらにきょう」となる。
出典[編集]
- ^ 羽田 2016, p. 48.
- ^ 不動明王御真言 大本山成田山 久留米分院
- ^ 松原・三木 1999, p. [要ページ番号].
- ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』65、朝日新聞社、1998、p.138
- ^ 松永有慶『高野山』(岩波新書)、岩波書店、2014、pp.195 - 196
- ^ 末吉武史「三井寺の不動明王像」、大阪市立美術館ほか編『国宝三井寺展』(展覧会図録)、2008、所収、p.226
- ^ 渡辺 1975, p. [要ページ番号].
- ^ [国指定文化財等データベース(文化庁)http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys_mb/MainDetail.aspx?s=0&selected_register_id=201&selected_item_id=4841&selected_large_kind=%25E9%2587%258D%25E8%25A6%2581%25E6%2596%2587%25E5%258C%2596%25E8%25B2%25A1 http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys_mb/Explanation.aspx?s=0&selected_register_id=201&selected_item_id=4841]
- ^ 『解説版新指定重要文化財 彫刻』、毎日新聞社
- ^ 千葉県教育委員会ホームページ
参考文献[編集]
- 大法輪編集部 『不動さま入門』 大法輪閣〈大法輪選書〉、1981年11月。ISBN 978-4804650043。
- 渡辺照宏 『不動明王』 朝日新聞社出版局〈朝日選書〉、1975年4月。ISBN 978-4022591357。
- 渡辺照宏 『不動明王』 岩波書店〈岩波現代文庫〉、2013年3月。ISBN 978-4006002855。
- 松原哲明、三木童心 『やさしい仏像入門』 新星出版社、1999年5月。ISBN 978-4405075634。
- 木村秀明「幻化網タントラにおける潅頂」、『印度學佛教學研究』第39巻第2號、大正大学綜合仏教研究所、1991年3月、 861-859頁。
- 宮坂宥勝 著 『講説 理趣経』 -『理趣釈』併録-、四季社、平成17年刊。
- 飯島太千雄 写真・文 『新出・空海書 請来上表』(墨美№286)、墨美社、1978年刊。
- ダライ・ラマ十四世 『ダライ・ラマの密教入門』 石濱裕美子訳、光文社〈知恵の森文庫〉、2001年1月。ISBN 978-4334780715。
- マルティン・ブラウエン 著 『【図説】曼荼羅大全』、森雅秀 訳、東洋書林、2002年刊。
- 梶山雄一 著 『仏教タントリズムにおける言葉の問題』(密教学研究 第11号)、日本密教学会、昭和54年(1979年)刊。
- 金剛峯寺 編 『いのちつながる』-松長有慶講演集- 、高野山真言宗総本山金剛峯寺開創法会事務局、平成24年刊。
- 中川善教 著 『中院流諸尊通用次第撮要』、親王院、昭和63年(1988年)刊。
- 稲谷祐宣 編著 『普通真言蔵』全2冊、浄厳 原著、東方出版社、1981年刊。
- 下泉全暁 『不動明王 智恵と力のすべて』 春秋社、2013年 ISBN 978-4-393-11908-2
- 羽田守快 『読むだけで不動明王から力をもらえる本』 大法輪閣、2016年8月。ISBN 978-4804613864。
- 寶珠山 大観音寺
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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