浜離宮恩賜庭園
浜離宮恩賜庭園 Hama-rikyu Gardens | |
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![]() 潮入の池と中島の御茶屋 | |
分類 | 都立庭園・特別名勝・特別史跡 |
所在地 | |
座標 | 北緯35度39分36秒 東経139度45分49秒 / 北緯35.66000度 東経139.76361度座標: 北緯35度39分36秒 東経139度45分49秒 / 北緯35.66000度 東経139.76361度 |
面積 | 250,215.72m2(約25ヘクタール) |
開園 | 1946年4月1日 |
運営者 |
東京都公園協会 2016 - 2025年度指定管理者[1] |
年来園者数 | 738,003人(2015年)[2] |
設備・遊具 | 集会場(芳梅亭)・中島の御茶屋など |
駐車場 | 観光バスと障害者の車両のみ可 |
公式サイト | 公式ウェブサイト |
浜離宮恩賜庭園(はまりきゅう おんし ていえん)は、東京都中央区浜離宮庭園にある都立庭園である。旧浜離宮庭園として特別史跡・特別名勝に指定されている。
概要[編集]
東京湾から海水を取り入れ、潮の干満で景色の変化を楽しむ、潮入りの回遊式築山泉水庭[注 1]。
園内には鴨場、潮入の池、茶屋、お花畑やボタン園などがある。2000年代前半に西側の旧汐留貨物ターミナルが再開発されて汐留高層ビル群が林立し、庭園とコントラストを成している[3]。
江戸時代に甲府藩下屋敷の庭園として造成され、徳川将軍家の別邸浜御殿や、宮内省管理の離宮を経て、東京都に下賜され都立公園として開放された。近年、かつて園内にあった複数の建築物の再建が進められており、4棟のお茶屋などが復元されている。
歴史[編集]
寛永年間(1624年-1644年)までは、葦などが茂った湿原で、将軍家の鷹場であった[3]。1654年(承応3年)に甲府藩主の徳川綱重がこの地を拝領し、海を埋め立てて別邸を建てた。その後は甲府藩の下屋敷として使用された。このため甲府浜屋敷、海手屋敷と呼ばれるようになった。綱重の子である徳川綱豊が6代将軍(家宣)になったため甲府徳川家は絶家となり[注 2]、将軍家の別邸とされて浜御殿と改称した。
浜御殿では、江戸時代を通じて改修が続けられた。8代将軍吉宗は、殖産の試験場と位置づけ、薬園、製糖所、鍛冶小屋、火術所、大砲場等を設置。200種を超える薬草の栽培や、琉球から取り寄せたサトウキビの栽培・砂糖の試作、オランダから輸入した洋種馬の飼育等が行われた。1729年(享保14年)5月には、雄の象(広南従四位白象)がベトナムから運ばれ、浜御殿の小屋で12年を過ごしている[4]。その後、11代将軍家斉の時代に現在の庭園が概ね整い、将軍の鷹狩の場として利用されることが多くなった[5][6]。
明治維新後の1870年(明治3年)、浜御殿は宮内省の管轄となり、名前も離宮と改められた。明治天皇も度々訪れるようになる。
また、幕末の1866年(慶応2年)には、浜御殿内に幕府海軍の海軍所施設として石造建物が建設された。この建物は1869年(明治2年)にイギリスのエジンバラ公アルフレートの訪日に際して改修され外国人接待所「延遼館」となった。延遼館は、明治維新後も迎賓施設として使用され、1879年(明治12年)には、当時のドイツ皇太子フリードリヒが訪れた。また、同年には、日本を訪問した前アメリカ大統領のユリシーズ・S・グラントが延遼館に1か月滞在し、浜離宮内の中島茶屋で明治天皇との謁見が行われた[7][8]。しかし、鹿鳴館の完成により役割を終え[7]、1889年(明治22年)に取り壊された[9]。
その後、浜離宮は、1923年(大正12年)の関東大震災と1945年(昭和20年)の東京大空襲で、大手門や複数の御茶屋や樹木が焼失し、庭園自体も大きく損傷する被害を受けた。
1945年(昭和20年)11月3日には、GHQの要求により東京都に下賜され、1946年(昭和21年)4月1日に都立庭園として開園した。1972年(昭和47年)には他の都立公園とともに無料化された[10]が、十分な管理ができなかったため1979年(昭和54年)4月に再有料化されている[11]。また、1948年(昭和23年)12月に国の名勝及び史跡に、1952年(昭和27年)11月には特別名勝及び特別史跡に指定されている[6]。
近年、園内の施設の復元が進められており、1983年(昭和58年)に復元された「中島の御茶屋」に加えて、2010年(平成22年)12月に「松の御茶屋」、2015年(平成27年)5月に「燕の御茶屋」[12][13]、2018年(平成30年)4月に「鷹の御茶屋」の復元が完了[14][15]。「汐見の御茶屋」(海手御茶屋)の復元も検討されている[2]。一方、一時は東京オリンピックに合わせて復元が予定された「延遼館」は、舛添要一都知事の辞任により復元が見合わされ[16]、長期的に整備される計画となっている[2]。
主な見所[編集]
- 潮入の池 - 海水を引き入れ、潮の干満(水位の上下に従って水門を開閉)による眺めの変化を楽しむことができるようになっている。都内にある江戸時代からの庭園で唯一の海水の池で、東京湾からボラ、セイゴ、ハゼ、ウナギなどの魚が入り込んで生育している。江戸時代には釣りが行われていたが、現在は禁止されている。池の岩や石にはベンケイガニ、フジツボがなどが見られる[17]。
- 中島の御茶屋 - 中島にある茶屋。1983年(昭和58年)に復元[17]。休憩所として公開。
- 松の御茶屋 - 潮入りの池の北東側にある茶屋。2010年(平成22年)に復元[17]。ガイドツアーのみ内部公開。
- 燕の御茶屋 - 潮入りの池の北側にある茶屋。2015年(平成27年)に復元[17]。ガイドツアーのみ内部公開。
- 鷹の御茶屋 - 潮入りの池の北側にある茶屋。2018年(平成30年)4月に復元[17]。内部公開[18]。
- 三百年の松 - 江戸時代、徳川家宣が改修したときに植えられたと伝わる。東京都内最大の黒松[17]。園内には他にも松、ケヤキなど様々な樹木の大木が多く残されている。
- お花畑 - 春はナノハナ、夏からに秋にかけてはコスモスが咲きほこる[17]。
- ボタン園 - 60種800株が植えられている。
- 鴨場 - 鴨猟のため作られた池。庚申堂鴨場と新銭座鴨場の2つがある。築造は、前者が1778年、後者が1791年。鴨場は池と林を3mほどの土手で囲い、土手には常緑樹や竹笹を植え、鴨が安心して休息できるように外部と遮断されている。鴨場ではかつて猟が行われていた。その方法は、池に幾筋かの引堀(細い堀)を設け、小のぞきから鴨の様子をうかがいながら、稗・粟などのエサとおとりのアヒルで引掘におびきよせ、機をみて土手の陰から網ですくいとるというものであった[17]。
- 芳梅亭 - 離宮時代の官舎を修復した集会場[19]。
- 可美真手命像 - 可美真手命の像[注 3]。明治天皇の大婚25周年を記念して献納されたもので、公募により佐野昭の作品が選ばれた[20]。芳梅亭の近くにある。
交通[編集]
- 大手門口
- 中の御門口
- 水上バス
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ “指定管理者の指定について(平成27年度)”. 東京都建設局公園緑地部管理課. 2020年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月21日閲覧。
- ^ a b c 東京都における文化財庭園の保存活用計画(旧浜離宮庭園) (Report). 東京都建設局公園緑地部. (2017-03). オリジナルの2021-07-20時点におけるアーカイブ。 .
- ^ a b “都会の喧騒の中にありながら自然に触れることができる公園や、心落ち着く庭園など、身近にありながら心を癒せる場所となっている都立公園・庭園。その花の見所を、2020年の撮り下ろし映像で東京都が公開。” (プレスリリース), 東京都建設局公園緑地部, (2020年12月15日)
- ^ 松島駿二郎 (2008年7月25日). “長崎から江戸まで、象が歩いた”. 日経ビジネスオンライン. 2018年5月31日閲覧。
- ^ 工藤航平「公儀の庭・浜御殿の変遷と意義」『東京都公文書館調査研究年報』第3巻、東京都公文書館、2017年3月17日。
- ^ a b “この公園について 浜離宮恩賜庭園”. 公園へ行こう!. 公益財団法人東京都公園協会. 2021年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月24日閲覧。
- ^ a b “延遼館の時代 明治ニッポンおもてなし事始め (PDF)”. 東京都公文書館. 2021年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月20日閲覧。
- ^ 小杉雄三『浜離宮庭園』東京公園文庫 12, 1981, p.93.
- ^ “明治の迎賓施設「延遼館」を都が復元 20年の五輪までに”. 日本経済新聞. (2015年1月6日). オリジナルの2015年7月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「都立公園 無料化が裏目に」『朝日新聞』昭和47年(1972年)6月19日朝刊、24面
- ^ “浜離宮恩賜庭園マネジメントプラン 浜離宮恩賜庭園の管理運営、整備等の取組方針”. 東京都建設局 (2019年5月). 2021年7月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月24日閲覧。
- ^ “「燕の御茶屋」の復元が終了しましたので、公開を始めます!”. 浜離宮恩賜庭園(公園へ行こう!). (2015年5月27日) 2015年5月31日閲覧。
- ^ “燕の御茶屋 よみがえる 浜離宮庭園 30、31日に公開記念イベント”. 東京新聞. (2015年5月30日) 2015年5月31日閲覧。
- ^ “鷹の御茶屋 浜離宮に 十一代将軍が創建 休憩所を復元 きょうから公開/東京”. 毎日新聞. (2018年4月20日). オリジナルの2018年4月26日時点におけるアーカイブ。
- ^ “浜離宮恩賜庭園「鷹の御茶屋」を公開” (プレスリリース), 東京都, (2018年4月10日), オリジナルの2020年4月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ “東京五輪で復元予定だった明治時代の幻の迎賓館「延遼館」をご存知ですか”. アーバン ライフ メトロ. (2020年7月23日). オリジナルの2020年9月9日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c d e f g h i j “見どころ 浜離宮恩賜庭園”. 公園へ行こう !. 公益財団法人東京都公園協会. 2018年5月24日閲覧。
- ^ “「鷹の御茶屋」を内部公開しています! 浜離宮恩賜庭園”. 公園へ行こう!. 公益財団法人東京都公園協会 (2018年8月3日). 2021年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月21日閲覧。
- ^ “浜離宮恩賜庭園 都立文化財庭園の集会施設ご利用について”. 公園へ行こう!. 公益財団法人東京都公園協会. 2021年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月21日閲覧。
- ^ 財団法人芸術研究振興財団/東京芸術大学百年史刊行委員会編 『東京芸術大学百年史 東京美術学校篇 第一巻 第四章 発展期 明治27年〜同31年 第四節 明治30年東京美術学校第九年報 関連事項4 日本絵画協会第二回、第三回共進会』ぎょうせい、1987年 。
参考文献[編集]
- 小杉雄三『浜離宮庭園』東京公園文庫 12, 郷学舎, 1981.
- 水谷三公『将軍の庭 ― 浜離宮と幕末政治の風景』中公叢書, 2002.
- 横浜開港資料館編『F. ベアト写真集 1 ― 幕末日本の風景と人びと』明石書店, 2006. - 英語版に写真あり
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 浜離宮恩賜庭園(東京都公園協会|公園へ行こう!)
- "浜離宮恩賜庭園". TripAdvisor. 2020年4月22日閲覧。